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« 黒い影とペトログラフ 2 ~恵那山の天照~ | トップページ | 7度目の宝満山*朝駆け! »

2018年9月19日 (水)

黒い影とペトログラフ 3 ~ナーガ・道しるべ~

              
もう一つ、この巨石パークに行く前に調べた時に見つけた
ペトログラフがありました。

熊本のパワースポットとして有名な、巨石がある
「押戸石(おしといし)の丘」に。

その巨石にはペトログラフが刻まれていて、
その一つが「ナーガ」と読めるそうです。
それは、蛇神を表すとのこと。

*「押戸石の丘」ホームページ
http://oshitoishi.com

ペトログラフはシュメール文明との関係も示唆しています。
「ナーガ」の言葉が蛇神であるのなら、古代日本においても
すでに知られていたことなのかもしれません。


上記のことを、「ナガスネヒコ ~宿禰の始め~」に追記しました。

                 *

奈良、三輪の神は大物主、蛇神とされています。
蛇神が崇められていたのは、蛇は田を守るモノでもあるから。
また得体の知れないモノとしての、畏怖の対象でもあります。
                (「大神神社(おおみわじんじゃ)と大物主神」)

三輪の神は饒速日神。
またの名を「大歳(オオトシ)の神」
稲穂の神である歳神さまです。

「田を守る神」そこから蛇神とされたのかもしれません。


「ナーガ」の名が彼に繋がる(少なくとも)二つの名にあります。
オキナガ族と、ナガスネヒコ。

 

                        *

 

「オキナガ」と言えば、神功皇后の名。

息長帯比売命・気長足姫尊(おきながたらしひめのみこと)

物部族の流れを汲んでいるとされます。
物部氏は、饒速日神とミカシヤ姫の子、ウマシマジを祖神としています。

ここでも彼女と、蛇神とされる三輪の神、饒速日神との結びつきが見えてきます。
オキナガ族は、「ナーガを身に置く、受け継ぐ」


                     .*

ナガスネヒコは、「ナーガのスクネ」

ナガスネヒコ ~宿禰の始め~」に書きましたが、

ナガスネヒコは、「ナガ(龍王族・蛇と龍は同義)」の
「須(須賀・スサノオを表す)の根(貴人につける尊称)」であり、
やがて、スネから「宿禰、少根(スネ)」と表記されるようになったと
思われます。

「宿禰」はwikiでは、
「宿禰、少根(スネ)は、神別氏族の軍事的長の称号であり、
物部氏や蘇我氏の先祖に与えられた」とあります。

つまり、物部氏の始め。
それが「ナガスネヒコ」なのではないかと思うのです。
それは、饒速日神、自身。

彼に殺されたという「ナガスネヒコ」は、いなかったのではないかと思うのです。

                   *

 

押戸石に「ナーガ」のペトログラフがあり、
蛇神を意味し、蛇神である三輪の神が「饒速日神」ならば、
その頃、すでに「ナーガ」の意味が浸透していたのかもしれません。


                    *

山陵(みささぎ)の玉依媛」をUPした後に気付いたのですが。

この神功皇后と饒速日神の妃、ミカシヤ姫は、
非常に共通点があると前に書きました。
             .

*饒速日命とミカシヤ姫が住んでいたのは”登美”。
 今は奈良市に”登美ヶ丘”という地名が残されています。

*神功皇后の御陵があるのは、奈良市の山陵(みささぎ)町。
 登美ヶ丘から約2キロ。
 昔はその辺りも”トミ”と呼ばれていたそうです。

*二人とも「玉依媛」(神の依り代)とされていること。
 (ミカシヤ姫は、神道で玉依姫とされています。
  おそらく、神の依り代としての称号なのでしょう。)

*高良大社の「高良玉垂神秘書」によれば、
 神功皇后は住吉神(高良の神)と夫婦であったこと。

*住吉の神は饒速日命である可能性があるということ。

*二人は「日甕」でもあったかもしれないこと。
      (「 高良の神と日甕 )
                .

さらに奇妙な繋がりがありました。

ミカシヤ姫は「トミ一族」であり、その一族が元々いたのが、「トミの里」です
今の奈良県の北部、平城とも呼ばれ、あの「秋篠」の地名もある地域です。
そこは私の故郷。

饒速日命は、ミカシヤ姫の兄のトミ族の長ナガスネヒコを誅殺したとあります。

神功皇后は、応仁天皇の義理の兄、つまり義理の息子達を誅殺。
その一人、押熊王の名がついた土地が「押熊」です。

その「押熊は、登美ヶ丘の隣り」です。


二人の同じような伝承に由来する名が、この狭い範囲内で伝わっているのです。

こんなに共通点のある二人の伝承が、こんな狭い範囲で。

神功皇后の山陵の御陵さんの側で。
何故?

これは同じ人の伝承を、別の形にして伝えているということなのでは?                              .
二人はやはり同一人物なのか?

時代が違うのに、何故?
こんなにも彼らの糸は絡み合うのか。
        .

 

そんな時に、京都の籠神社に関わる記述を見ました。


(つづく)

 

 

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コメント

「こんにちは」
スピリチュアル、神がかったことは事は 全く分かりません。
仏がかった事は 幼いときに体験していますので・・・。
山伏の達人は 私を悪くはないが 関わらない方がよい。
何を馬鹿なと 思っていましたが 後日間違いは なかった。
霊と話せるとかいうバカな人と思っていましたが 自分が・・・。
 私は霊的力は みじんもありません、ただ守られては来ました。
仏教は真理を説く、普遍的・一般的・現実・事実、ありのままです。
スピリチュヤルは 特殊、二面性をどうとらえるか?わかりません。

ミサさんこんにちわ!
沖の島もオキの島ですね!
国東をいろいろ回っていて、龍神神社に行きましたが、ここは宮崎の日向からきた八大龍王をお祀りしていて、最寄りに興導寺というお寺があります。そのお寺には八大龍王絵図と龍骨があって、真贋はわかりませんが、ロマンがあるし、人の想いやドラマのつまったお骨でした。
八大龍王は、龍的なエネルギーの顕現と思っていたのに、骨があるって、どういうこと??と思ったのですが、

そのあと立ち寄った温泉のそばに、甲尾山(コウノオサン)という山城跡があって、昔は蛟尾山と書いたそうです。私は初めて知ったのですが、蛟はミズチと訓読みし、「四つ足と角のある、蛇のような想像上の聖なる生き物」を指すそうです。
それを知って、興導寺のお骨は、ミズチの骨だったかなと、思いました。

八大龍王は海から渡ってきて、日本に古来からあるミズチと合わさって祀られるようになったのかな~

などと、何となく、考えていましたら、昨日ミサさんの過去記事に、八大=ニギハヤヒと書いてあるのをみて、ドキッとしたのでした。

あと、空海の発願した高野山は、標高800メートルに位置する高地ですが、八峰に囲まれ、あたかも龍の懐に抱かれる聖地なのですが、この高野山、蛟野山とかけた空海のトリックの一つとしたら、すごく面白いですね。

話がいろいろ飛んですみません(>_<)ミサさんのブログを読むとインスピレーションが湧いて、私も謎解きも飛躍的に進みます(≧▽≦)

次の記事も楽しみにしています!!

アットマンさん、コメントありがとうございます^^

ありのまま、でいいんじゃないかなと思うのです。
否定も肯定も、それまでの自分の生き方から来ているもの。
スピリチュアルや精神世界なんて枠組みは、本来無いはずのもの。
すべてこの世に起こることのありのまま。

この世のすべてには様々な面があります。
それは、この世に様々な人がいるから。
同じことでも、その人の数だけの幾つもの面があるのだと思います。
本当の真実はたった一つなのかもしれません^^
あ、それが真理なのかもしれないですね。
「全は一つ」
玉置神社で私がそこの神様から言われた言葉です。

幼い頃に霊能力が強いと「持って行かれる」と聞きます。
その方はそれを危惧していたのかもしれませんね。

うちの下二人はよく見る方ですが、
「視えても関わらないこと」
「生きている自分の方が強いと信じること」
を言い聞かせています。
霊能者の家系だったらしい、自分の母から言われてたことです。

あまり心配な時期は、神社のお守りを持たしたり、
魔よけの面(福岡では藤崎・猿田彦神社の猿面)を飾ったりしてました。
やっぱり最後は神頼み。
「ちゃんと守ってくれてると信じること」
が一番効いたようです。

山の灯徒ひとり さん、コメントありがとうございます^^

なかなかアクティブですね~
私も言えませんが^^;
引っ越し先で、たまたま出会うことが多いのですが、
行ける機会があることも、引っ越しも皆、必然なのかもしれませんね^^

山の灯徒ひとり さんのコメントからもかなり刺激されてますよ~
今、「そこら辺」が書かれてるサイトについて、まとめて?ます!
ちょうど龍やら蛇やら饒速日神やら、出てます。
びびっと来まくりです!(古い^^;

びびっ!ってきたことが、自分の琴線に触れたこと。
自分の深い場所にある真実だと思ってます

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