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2018年10月 9日 (火)

日本の真相 3.5 番外 ~神との婚姻~

( 日本の真相 3 ~マナの壺~ の続き)


この回は、ここまでの私の考察です。

「真氏の筆頭は息長真人(オキナガノマヒト)」
それが初代、天皇である応神天皇の名。

そして、「日本の真相 2」にある”騎馬民族”秦氏”の王、真沸流が、
東シナ海を渡って九州物部王朝に渡来”し、
彼が、ARIONが言う
”紀元前の話、スサノオとその父のフツの曾祖父に当る男は
海路で日本へ向けて行くグループの首領”

ならば・・・。

饒速日命。
彼こそ、初代天皇だと思います。
         (「新嘗祭 と 住吉神 と ニギハヤヒ ~その1~」)
         (「新嘗祭 と 住吉神 と ニギハヤヒ ~その2~」)  
         .
応神天皇の母は、オキナガタラシヒメである神功皇后。
饒速日命が初代天皇ならば、彼女はその妃、ミカシヤ姫になる。

ならば、「応神天皇」は二人の皇子というウマシマジ命か。
それとも、親子でその名を継いだのか。

または、饒速日命自身で、後の世に「神功皇后の子」という位置づけにされたか。


                       *
ミカシヤ姫は、大和、奈良にて天の鳥船で飛来した饒速日命と出会い、
后となっていました。
確かに饒速日命は「北部九州から大和へ」やってきて、
ミカシヤ姫と「大和で出会っていた」のです。
         (「古代奈良の夢  ~前世 4~)」


・・・そうか。
ミカシヤ姫が神功皇后ならば、それ以後は、
「神功皇后」としての伝承とされたのでしょう。
                 .

”神功皇后は、九州北部へと「熊襲」を退治しに行きます。
 そこで夫である「仲哀天皇」は、神託を信じずに崩御します。
 その時、すでにお腹に子を宿していました。”

それが誉田別命。
後の応神天皇です。

一説では、その子は神託で現れた神、住吉神の子とも言われています。
住吉の神は、高良の神である饒速日神。

こちらにある高良の伝承には、住吉の神と神功皇后は夫婦だとあります。
その神は饒速日神だと辿り着きました。
         (「神の鉾 3 ~安曇磯良神~」)
         (「神の鉾 4 ~天照の分御霊~」)  
    .
・・・「仲哀天皇」が、始めから架空のものであったとしたら。
伝承の中での神功皇后と住吉の神との強い繋がりもうなずけます。


                 *

また、日本書記では神功皇后を「魏志倭人伝」の「卑弥呼」になぞらえてました。

こちらの伝承から、二人(神功皇后とミカシヤ姫)は「日甕」、ヒミカではないかと。
          (「高良の神と日甕」)

櫛甕玉比古とも呼ばれる彼。
天照国照彦天火明櫛玉饒速日命。
彼が後世において「神」とされていたのなら。

古来、神との婚姻は、人のそれと同じとはみなされません。
ヒミカは「神に仕える巫女」として独身のまま、神と添い遂げることになるのです。
                  .

                       .

また、神功皇后の妹とされている豊玉姫。
卑弥呼の宗女(後継ぎ)とされたトヨ。

(ヒミカには血の繋がっていない弟がいました。
 高良の伝承にある神功皇后と住吉の神との子9人は(本当にいたとしたら)、
 その子達も含まれているのだと思われます)

この二人は同一人物なのかもしれません。
ミカシヤ姫と神功皇后がそうであったように。

トヨが後継ぎならば、饒速日命達の子、ウマシマジ命(二代目応神天皇)と
婚姻したということになる。

もしかすると、北部九州から大和へ向かった「神武天皇」とされる人は、
こちらの方なのかもしれません。
(一度目は饒速日命、二度目のこと)

伝承の神武天皇は大物主(饒速日命)の娘ヒメタタライスケヨリヒメを
后としているのです。

・・・もしかすると魏志倭人伝が記す「(卑弥呼死すの後の)倭国争乱」の時に
大和に入ったのがこの二人なのかもしれません。

*書物や伝承により、様々な「年代」が設定されていますが、
今の段階に於いて、確かなものは無いように思います。


高良の伝承や香椎宮の伝承では、「三韓征伐は200年代初め」頃とあり、
卑弥呼が使者を送ったという年代と近いのでは。
(そもそも、三韓征伐は無かったのではないか)

                 *

では、何故、饒速日命がそのまま”初代天皇”であってはいけなかったのか。  
天皇家は初代天皇である饒速日命の直系ではないということか。

しかし、その妃ヒミカであるミカシヤ姫が、仲哀天皇の后、神功皇后とされていた・・・。

「応神天皇」が饒速日命であるか、饒速日命とミカシヤ姫の子ならば、
天皇家はそのまま「直系」でよいはず・・・。
                
                  *                 

伝承では、仲哀天皇はこちら(福岡)に来たあと、住吉の神により崩御されます。

その後、神功皇后は住吉の神と行動を共にします。
(この後の武内の宿禰の(超人的な)伝承は、住吉の神によるものだと思われます)

住吉の神が饒速日命であるのなら、高良玉垂の神秘書の記述や
こちらの伝承が、二人を知る上では一番真実に近かったのかもしれません。

                 *

ではなぜ、「彼ら」の存在自体を消してしまうことはできなかったのか。
記紀などの伝承は、饒速日命との縁をほのめかしています。

☆「東遷してきた神武天皇」は、姫踏鞴五十鈴姫命と婚姻。
 彼女は、事代主と三島溝咋姫(玉櫛姫)との娘。
 三島溝咋姫の父が三島溝咋耳命、さらにその父が大山祇。
 大山祇の神は九州から来たとされ、三島の名も饒速日命に深く係わりがあります)
         (「三島神社 ~奈良県~」)
 また、櫛玉姫は、饒速日命の后、ミカシヤ姫の名でもあります。
         (「櫛玉比女命神社  ~奈良県~」)
  
 古事記では、三輪山の大物主と、セヤダタラ姫との娘、
 ヒメタタライスケヨリ姫。
 三輪の大物主は饒速日命。
 
       ということは、父は大物主である饒速日命、
       母は三島溝咋姫(玉櫛姫)であるミカシヤ姫だと示唆しているのでは。
       ミカシヤ姫が三島。
       (饒速日命・布留神)が祀られている社に「三島神社」があります。
                これは偶然ではありません。

       この二人の娘が(血の繋がりが無い)、神功皇后の妹ともされる豊玉姫、
       トヨか。
       
       
☆仲哀天皇は大活躍をしたヤマトタケルノミコトの子とされています。
 神功皇后を后とし、北部九州への熊襲征伐の前に崩御。
 神功皇后には、応神天皇が宿る。
 三韓征伐の折、住吉の神と出会う。
 住吉の神は饒速日神。


饒速日神のように各地に伝承(婚姻譚含む)を広め(あるいは作り上げ)、
各地の正統性を誇示する必要があったのかもしれません。

また、各地にはそれぞれの伝承があり、それぞれに活躍した人達がいた。
その人達が天皇家と縁のある人達とし、その生きた証を残しておきたかった
のではないかとも思うのです。

                     *

那珂川市にある住吉の元宮「現人神社」の神は住吉神。
現人の神は、大事の際に人の前に姿を現し、神通力を振るう神と言われています。
即ち、再来する神。
そうでした。
歳神さまも稲の様に季節の巡りにより生まれ変わりをする神。

ARIONは、確かに「饒速日命の再来」を待ち望んでいました。


               *

現人の神(住吉神)も歳神もニギハヤヒ。
再来、生まれ変わりをする神。

そう伝わっているのなら・・・。

重要なのは、「神の血脈」なのではなく、その「魂そのもの」。

それが、「ニギハヤヒ」達が、否定され続けた本当の理由なのではないか。

                .
                    .
次回は、「日本の真相」に戻ります。
                    .

(「日本の真相 4 ~3人の天皇~」 へ つづく )

 

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