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2018年11月29日 (木)

日本の真相 12.5 外伝 ~大和三山とARION~

このブログでも「大和三山の封印」についてUPしていました。

 

結びの山 ~その12 ARION 「三四五の封印」~

その中で、友人kono87さんが解読されたことを掲載していました。
以下kono87さんのブログ「ラトナ通信2018」より************************************************************

 

ARIONには「345の三角形の封印」、「4の辺上を閉じる」という表現がありました。
すると直角三角形が2つできるのですが、二等辺三角形と直角三角形は、
奈良や京都のいたる所に見つかるのですが、
この大和三山と三輪山の図が基本になると思います。(*図は下記、リンク先で)

すると、三輪山に封印された者は、真の初代の王であった
ニギハヤヒということになるでしょう。
大物主は倭大物主櫛甕魂命(ヤマトオオモノヌシクシミカタマノミコト)の
称号より、また、物部氏の名よりニギハヤヒ命で間違いないと思います。

ARION 345の三角形の封印 外伝

ARION 345の三角形の封印 外伝 Ⅱ」

*****************************************************************

kono87さんは、その中で
「これが大和(やまと)→「矢の的」で、その意義のひとつです。」

とも書かれています。

また、封印をしたのがARIONのいう「アマテラスの義弟達」。
「それを差すのが、歴史の陰部という意味で忌部氏を差すのだろう」と。

「ARION解読 忌部氏」
http://kono87.cocolog-nifty.com/blog/2015/04/arion-6798.html

以下、上記サイトより転載。

*************************************************************

忌部神社(いんべじんじゃ)は、徳島県吉野川市山川町にある神社

社伝によれば、神武天皇2年2月25日に、阿波の忌部氏が祖神である
天日鷲神(あめのひわしのかみ)を祀った。神話で知られているのは
天照大神が天岩戸に入られたとき、岩戸の前で神々の踊りが始まり、
この神(天日鷲神)が弦楽器を奏でると、弦の先に鷲が止まった。
多くの神々が、これは世の中を明るくする吉祥を表す鳥といって喜ばれ、
この神の名として鷲の字を加えて、天日鷲命とされた。という内容である。
(Wikipedia 忌部神社、天日鷲神より)


 「ARION 345の三角形の封印 外伝」という記事では、大和三山と三輪山の
位置関係の地図と万葉集の歌の説明をしたのですが、畝傍山の南西に忌部山が
ありました。これだけでは、忌部氏がこの山に関係があるかどうか
わからなかったのですが、天太玉命神社(あめのふとたまのみことじんじゃ)
忌部山のほぼ真北にあることがわかりました。
忌部山から天香久山のラインは神武天皇の橿原神宮のある畝傍山の麓を通過します。

Inbe

(地図はGoogle Mapを引用)

中央氏族としての忌部氏は、記紀の天岩戸神話にも現れる天太玉命を祖とする。
現在の奈良県橿原市忌部町周辺を根拠地とし、各地の忌部を率いて
中臣氏とともに古くから朝廷の祭祀を司った。

 (Wikipedia 忌部氏より)

 天太玉命(あめのふとだまのみこと)は、忌部氏(後に斎部氏)の祖の一柱とされる。

戸隠れの際、思兼神が考えた天照大神を岩戸から出すための策で良いか
どうかを占うため、天児屋命とともに太占(ふとまに)を行った。
そして、八尺瓊勾玉や八咫鏡などを下げた天の香山の五百箇真賢木
(いおつまさかき)を捧げ持ち、アマテラスが岩戸から顔をのぞかせると、
アメノコヤネとともにその前に鏡を差し出した。
 

(Wikipedia 天太玉命より)

このことにより、忌部氏が饒速日命を三輪山に封印した呪詛を行ったのでは
ないかと思います。既に魔法陣を回転してしまったことと、
我々が奈良に行ったことを公言したことで封印は解けていると思います。

***********************************************************************

日本の真相 12」にあるように、忌部氏が現在に至るまで
大嘗祭に関わるのならば、封印は彼らが行ったものなのでしょう。

                  *

また、ARIONはこの「345の封印」の中でこの言葉を残していました。

<ニギハヤヒの隠された数字は九である。>

唐突とも思えるその言葉でしたが、kono87さんの解読を見て繋がりました。

「ARIONのメッセージ解読4」
http://kono87.cocolog-nifty.com/blog/2014/10/4-2b38.html

上記、サイトより転載。
*****************************************************

カバラの数字9は完成を意味します。
隠されていたた九の花の図のことではないでしょうか?
もう一度、九の花の図を掲載しておきましょう。
魔法陣を拡張して完成した図がこれです。(*図は上記kono87さんのリンク先で)
真ん中に41の言霊ラを配し、言霊ラは神、光を意味します。

 そしてこの智慧の源泉は遠く宇宙の彼方のシリウスにあり、
ARIONを経て国常立命、スサノオの血脈を継ぐニギハヤヒ命に
引き継がれたものであったのです。

称号の「天照國照彦天火明櫛玉饒速日尊」
(あまてる くにてるひこ あまのほあかり くしたま にぎはやひ の みこと)を
言霊でとくと

天照國照とは、
天と地を指す二つの三角形からなる六芒星のこと、
彦は男性族長、天火明(天孫族)を継ぐ 、櫛玉は霊妙な魂、
饒速日とは言霊原理を一義とした世界の創造(二義)を促進するという意味です。

********************************************************************

「九の花の図」とは、9×9の升目に数字を置いた魔法陣です。
(詳細は上記サイトで)

ARIONは、「九の花の図」を簡略化した「3×3の魔法陣」を使い、
預言を残していました。

それを用いると、ARIONの「数字」に関する預言の解読が出来るように
なっていたのです。

そこから導き出されたのが、「345の封印」。
大和三山を始めとする封印でした。

「預言によって導かれる「9」がニギハヤヒ」。

その「345の封印」の先にあったのが三島神社。
(前回にも記載した)彼が祀られているお宮でした。

「天照國照とは、天と地を指す二つの三角形からなる六芒星」

 

ARIONはこの二つの重なる三角についても何度も「預言」を残していました。

それが、六芒星。
天照国照である、ニギハヤヒを表すものだとは。

そしてその六芒星が表すものは。

 

(「日本の真相 13 ~かごめ歌とひふみ歌~) へ つづく)

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2018年11月24日 (土)

日本の真相 12 ~大和三山 ~

(「日本の真相 11 の続き)

 

以下、PDFの(日本の真相 3)より要約。
http://g-village.net/iyasaka369/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E7%9C%9F%E7%9B%B83.pdf

**********************************************************************

「大和三山」

(奈良の大和三山の一つ)耳成山は人工の山である。
畝傍山を頂点とすると、畝傍山-天香具山-耳成山の長さがほぼ等しく、
二等辺三角形を形成する。

そして、頂点の畝傍山から底辺(耳成山-天香具山)へ垂線(垂直二等分線)を
引いて延長すると、西側が忌部山、東側が三輪山に突き当たる。
特に、忌部山と畝傍山の距離は、この垂直二等分線の性格に1/3である。

忌部氏は阿波忌部氏が大嘗祭の麁服(あらたえ)を献上するという重要な役割を
果たしていることから、御神事を執り行うレビ族(物部系)である。
(レビ族はキリスト教において、キリストの”死”と”復活”を見守ったとされる)

                .
(その直線の反対側には三輪山がある)
三輪山には大物主神が祀られており(大神神社)、
この神の息子が神武天皇である。

大物主神=火雷神=ウガヤフキアエズノミコトは、ユダヤの系図では
エフライムに相当した。
大神神社は最古の神社とも言われ、本殿は無く、三輪山を御神体とし、
鳥居も2本の柱に縄を掛けた古代エルサレムの神殿と同じ様式である。

そして、籠神社の海部宮司の極秘伝からすれば、物部氏の王族=
エフライム族が元々いたのは近畿地方だったので、
最古と言われる大神神社はエフライム族の神殿。

何よりも、籠神社の奥宮の名称、与謝(よさの)宮。
これはヨシュアの宮という意味であるが、ヨシュアはモーゼ亡き後、
ヘブライの民を引き継いで約束の地カナンへ導いたエフライム族
出身の指導者である。


(籠神社の「籠」という字は、龍に合わせ鏡を表す(?)竹冠をつけたものであり、
という記述もあった。そして、「龍」は蛇の化身であると。
三輪山の神は蛇神と言われており、籠神社の神と同じなら偶然ではない)


「大山祇神社」

籠神社との関係。
大山祇神社は、大山祇神を祀る。
”祇”は地の神という意味があり、大山祇神は”大いなる山の神”という意味である。
別名は和多志大神。
”ワタ”は籠神社の海神ワタツミノカミの”ワタ”と同じ古語であり、海神ということ。
つまり、山と海の両方を司る神である。

籠神社の表向きの祭神は彦火明命で、彦火明命=火遠理命=山幸彦である。
山幸彦は海神ワタツミノカミの娘、トヨタマヒメと結婚した。
つまり、山の神と海の神が1つになっており、大山祇神と同じ構造である。
(二人の間に生まれたのがナギサタケウガヤフキアエズノミコトであり、
その子の内の一人が初代天皇、神武天皇となった)

(中略)
祭神の別名と子の名称から、大山祇神社は籠神社の別形態と見なして良く、
物部氏の最重要拠点の1つということである。

大山祇神社は愛知県今治市三島町にあり、伊予国の一の宮。
全国の三島神社・大祇神社の総本社でもある。
日子火々出見命(ヒコホホデミノミコト)の坐像があるが、
ヒコホホデミノミコトは、籠神社の御祭神ホノヒアカリノミコトと同じである。
境内社として稲荷神社と宇迦神社があり、お稲荷さん=ウカノミタマ=
豊受大神だから、これも籠神社と一致する。

なお、天孫ニニギは大山祇の娘であるコノハナサクヤヒメと結婚した。
ニニギは秦氏、大山祇は物部の象徴であるから、
これは実質の初代天皇、秦氏の大王たる応神天皇が
物部王朝に婿入りしたことを象徴している。

(ここの応神はニギハヤヒ命のこと)

**************************************************************:

奈良の天理市にある「三島神社」の御祭神は、
布留御魂神、大山祇神、天児屋根命。
Mi03                     .
布留の神は、ニギハヤヒ命です。
物部氏が祀る石上神宮の神とも同じ。

彼は大歳神。
ウカノミタマ神であり、お稲荷さんでもあります。

神話の神は、象徴であったり、同じ者でも名を変えて存在したり、
複雑に絡み合う。

           *

 

三輪山には大物主神が祀られており(大神神社)、
この神の息子が神武天皇である。


三輪山の大物主は、ニギハヤヒ命。
この神の息子が神武なら。

神武=応神。
応神は神功皇后の子でもある。

やはり、ニギヤハヒ命の妃になったのが、神功皇后。
ニギハヤヒ命は住吉神であり、現人の神。

そうならば、それはいつの時代なんだろう?
200年代か、300年代か。

           *

そういえば、大和三山について、以前記しています。

 

(「奈良と伊勢の旅 旅の意味 その2 ~三四五の封印~」)

ARIONは、”そこに”封印がある”と告げてました。



(「日本の真相 12.5 外伝 ~大和三山とARION~」  へ つづく)

 

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2018年11月23日 (金)

日本の真相 11 ~邪馬台国と奈良湖と岩戸~

(「日本の真相 10 の続き)

 

私が前世の夢で見た「古代の奈良の湖」について記載がありました。

以下、PDFの(日本の真相 3)より要約。
http://g-village.net/iyasaka369/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E7%9C%9F%E7%9B%B83.pdf
***********************************************************

最近発掘された纒向遺跡では、大宮殿と思われる建物の跡が発見された。
柱の配置は、建物の中心を貫く構造であり、同じ構造が出雲大社である。
出雲は物部氏だから、邪馬台国が物部王国であること、
近畿に存在したことが裏付けられたのも同然である。

この遺跡の近くには、物部氏最古の神社、国内最古の神社と言われる
大神(おおみわ)神社がある。
ここは本殿がなく、三輪山を遙拝し、2本の柱に縄を掛けた鳥居の原型がある。

この鳥居の原型は、古代エルサレムの神殿と同じ構造であり、
三輪山はモリヤ山に相当する。
このような状況から、纒向遺跡は邪馬台国の重要な遺跡であることに間違いない。
                                  .

「古代の奈良湖」

三笠山(若草山)より南は琵琶湖の水が残っていたという。
(奈良盆地は元々巨大な湖であった)
三笠山から吉野までは琵琶湖の痕跡による湖あるいは湿地帯だった。

現在の熊野こそが狗奴国。
”狗奴=くな=くま”で、熊野に繋がる。
後に物部氏(尾張氏)と縁の日本武尊が討伐したのも熊襲で”くま”という言葉が
敵対する民族を象徴していると考えられる。

狗奴国は邪馬台国と同規模で南にあったと言われているが、
邪馬台国が奈良盆地に収まる程度の規模であれば、
現在の奈良盆地の南にある熊野の山岳地帯も同規模と言える。

魏志倭人伝に記載の様々な小国の位置関係や距離関係は、
象徴的に書かれたものと解釈すべきである。

狗奴国は邪馬台国に抵抗し、邪馬台国では湖水の向こうから襲ってくる
狗奴国の船を高台から見張っていたという。
ならば、この湖こそ、三笠山より南に残っていた琵琶湖の水に他ならない。


*************************************************************

この湖の風景は、私が前世の夢で見たものと同じ。
(「奈良 古代の湖」)

湖の北はどの辺りからかは分からないけど、南の端は耳成山辺り。
(大和三山が島となるような規模の水かさは、更に前の時代と何処かで見た)

(その夢が過去の記憶だとして)
過去のどの時期なのかは分からない。
雨が少ない年は、湿地帯となっていたよう。

南の端、耳成山の辺りに高床式の建物が一つあった。
居住する為のものではなさそうだったので、「見張り台」なのかもしれない。
でも、それよりも南には湖がなかった。
(見ていないだけなのかも)

三輪山の麓、湖にかからない場所に居住していたこともあるけども、
ニギハヤヒが奈良に来た後のことのよう。


(「古代奈良の夢  ~前世 4~」)にあるように、ニギハヤヒが来る前、
南から「人でないもの」がやって来て、度々、里を襲った。

(その夢の中で、それと対峙したのは、(少なくとも)大和三山よりも南。
 その辺りは湖ではなかったけれど、膝くらいの低い草が生えていて、
 人の住めるような地ではなかった。
 もしかするとその辺りは湿地帯だったのかも)

熊襲で繋がるのが、福岡の伝承にある羽白熊鷲を始めとする「ヰルイ」。
ヰルイ・・・異類だとすると腑に落ちる。
人ではなかった。

敵対していたという「狗奴国」は、熊野(かもしれない土地の人)と
別かどうかは分からない。

しかし、熊野はスサノオ命を祀る土地。
福岡における「ヰルイ」がいた地だとは思えない。

大根地山にも雷山にも共通する、空に繋がるような爽快さ、清々しさは、
天神地神を祀った故だと思う。

思うに。
実際に敵対していたのは、「ヰルイ」であり、
「狗奴国」というものは、「ヰルイ」ではない。

              *

再び、上記のPDFから要約。
*************************************************************

「古事記での記述」

古事記での対応を考えると、
神武天皇が開いた大和朝廷を「ヤマト=邪馬台」とみなせば、
狗奴国は、熊野の荒ぶる土地神、熊野の土地。

(熊野の山で神武天皇らは巨大な熊に姿を変えた荒ぶる土地神によって
 神罰を与えられ、軍勢もろとも一人残らず気を失って地に倒れ伏した。
 これは、熊野の地は邪馬台国に対抗していたということ。)

 
そして、熊野にいた高倉下が一振りの太刀を持ってやってきて、
倒れている神武軍にそれを差し出すことにより敵は倒れ、神武は勝利を得た。
この太刀は布留御魂として石上神宮に祀られたが、実は草薙神剣である。
高倉下はニギハヤヒが高天原にいた頃に生まれた息子であり、
尾張の祖である。

高倉下命はかつて邪馬台国と和平を結んだ尾張氏=海部氏の
象徴となり、矛盾しない。
 

だから、勘違いしやすい部分ではあるが、尾張氏=海部氏は狗奴国では無い。
それは古事記で次のように象徴されている。
 

”神武軍が大和に進軍した時、ナガスネヒコの抵抗にあい苦戦する。
ナガスネヒコは天孫ニギハヤヒに仕えている。
しかし、ニギハヤヒは、神武がニニギの子孫であり、
天津神が気にかけているのがニニギの子孫だと分かると、
逆にナガスネヒコを討った。
神武は、ニギハヤヒを臣下に加え寵愛した”

 
これは、尾張氏=海部氏の祖先がニギハヤヒだという伝承に矛盾しない。

そうすると、ニギハヤヒに仕えて最後まで戦おうとしたナガスネヒコは、
尾張氏=海部氏が渡来して和平を結んだ、
後の邪馬台国となる民族(を象徴している)である。

ニギハヤヒと、
ナガスネヒコ(後の邪馬台国となる一族の象徴)は民族が異なるため、
ニギハヤヒはナガスネヒコを討って同じイスラエルの支族、
ニニギの子孫たるイワレヒコに帰順した(という話に置き換えている)。

                  *


狗奴国(熊野)と、ナガスネヒコ(が象徴する後に邪馬台国となる一族)は、
元は同じ民族だった。

ナガスネヒコ一族は、渡来したエフライム族(尾張氏=海部氏)、
物部一族に帰順したが、
狗奴国はしなかった。

このことが狗奴国としては、異民族に従った邪馬台国は許せず、
それ故に険悪な関係だったのだろう。

******************************************************************

この辺りは、「象徴」なのだと思う。
ナガスネヒコという存在を見ていない。
(「ナガスネヒコ ~宿禰の始め~」)

神武(イワレヒコ)がニギハヤヒ命でもあるのならば、この一連の話は、
創作なのだと思う。

前に書いたように、
神話の「天の岩戸籠り」の天照大神が、大和の地(邪馬台国)を去った
ニギハヤヒ命とミカシヤ姫。
(住吉神と神功皇后)
       ↓
大和が「大いに乱れ」、
       ↓
九州から大和の地に来たことを象徴する
「天の岩戸開き」の天照大神が、(ニギハヤヒの子)応神(神武)。


「大いに乱れた」土地を鎮めたことが、
「ニギハヤヒ命に仕えていたナガスネヒコを討った」という伝承になったのかもしれない。

                   *


またそれと同時に、「ナガスネヒコとの戦いの話」は、
神武(応神)の正統性を説明する為のもの。

ナガスネヒコは、後の邪馬台国となる民族の象徴。
ニギハヤヒは、尾張氏=海部氏(エフライム族)の祖先であり、
かつて、ナガスネヒコ(を象徴とする一族)と和平を結んだ。


であるから、
ニギハヤヒ命の子である高倉下が持ってきた「布留御魂剣」と、
ニギヤハヒ命がナガスネヒコ(敵対していた一族)を従わせたことは、
神武(応神)の正統性を証明しているのだと思います。

 

                   *

「天の岩戸」で繋がることがありました。

「現人神社」がある那珂川市の「山神社」には、岩戸の伝承があります。
「岩戸の片方がこの場所に落ち、片方が奈良に飛んでいった」という。

ニギハヤヒ命が住吉の神であり、現人の神ならば、
それを受け継ぐ応神が、大和へ戻ったという話を象徴していること。
(二つの土地は繋がりがある)

また、那珂川には、住吉の神が「イザナギの禊」から生まれたという神話と同じ
地形と地名があること。
(「安徳台と高天原」)

神功皇后の伝承があること。

などは、偶然ではないと思います。



(「日本の真相 12 ~大和三山 ~」 へ つづく ) 

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2018年11月21日 (水)

日本の真相 10 ~卑弥呼 と 八咫鏡 と 十種神宝~

(「日本の真相 9.5」)の続きです。

卑弥呼が扱っていた鏡は、十種神宝の鏡ではないか。
と、すれば「卑弥呼」は誰か。                 .

以下、PDFの(日本の真相 3)より要約。

http://g-village.net/iyasaka369/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E7%9C%9F%E7%9B%B83.pdf
******************************************************

その卑弥呼が神事で扱っていた鏡だが、籠神社の御神宝である、
息津(おきつ)鏡と辺津(へつ)鏡こそ、その可能性がある。

これらは籠神社歴代の宮司が代々手渡しで継承している秘宝であるが、
実は物部氏の有する十種の神宝の内の2つである。

息津鏡は栄えをもたらすもの、沖の方の海原の象徴、あるいは
その海原に映る太陽の象徴。

辺津鏡は栄えをもらたすもの、海岸周辺の海原の象徴、あるいは
その海原に映る太陽の象徴。

いずれも籠神社に関係の深い海と太陽を象徴し、意味的には
”沖の方の海原”と”海岸周辺の海原”で「合わせ鏡」を成す。

 

これらは天祖の御神宝であり、籠神社主神の彦火明命が授けたとされる。


彦火明命の妃は市杵嶋姫(イチキシマヒメ)であるが、秘伝の一つに依ると
亦名が天照大神。
これは籠神社で購入できる「元伊勢の秘宝と国宝海部氏系図」にも
記載されている。

市杵嶋姫とは、天照大神とスサノオが天真名井(あめのまない)で
行った誓約の際に、スサノオの十握剣(とつかのつるぎ)から生まれた中の
一柱である。三女神を宗像三女神と言う。
(市杵嶋姫は)宗像大社の辺津宮に祀られており、辺津宮の御祭神である。

一書には市杵嶋姫=瀛津嶋姫とある。
そうすると辺津=息津となる。
そしてこの”瀛”という字は、始皇帝と徐福の姓”嬴”にさんずいを付けたもので、
何らかの関係を暗示させる。

また、八咫鏡は、天孫降臨の際、天下るニニギに天照大神が自分の魂だと
思って大事に祀れと、宣託して渡された御神器である。

つまり八咫鏡は天照大神の分身に相当し、市杵嶋姫の亦名が天照大神
だから、これも分身と見なすことができる。
よって辺津=息津=市杵嶋姫=天照大神=八咫鏡となり、
息津鏡と辺津鏡こそが八咫鏡の原型であることが解る。
                .
 

つまり卑弥呼が女神としての天照大神の原型であり、
八咫鏡としての原型が息津鏡と辺津鏡であるならば、
卑弥呼が神事で扱っていたと最も重要な鏡は、
物部氏のトップである海部氏が代々手渡しで大切に伝承してきた
息津鏡と辺津鏡に間違いないだろう。

息津鏡と辺津鏡は前漢・後漢時代のものであり、卑弥呼がいた三国
(魏・呉・蜀)時代よりも前から存在しているから、時代考証にも矛盾しない。

また、市杵嶋姫の「イチキシマ」は「斎き島」に通じ、神に斎く島の女性
(巫女)という意味になっており、卑弥呼そのものである。

厳島神社の祭神にもなっており、「イツクシマ」という社名も「イチキシマ」が
転じたもの。
なお、弁財天の和名が市杵嶋姫である。

***************************************************************

籠神社の御祭神、天火明命が伝えたという息津鏡と辺津鏡。
これは、十種神宝の内の2つという。

天火明命は、饒速日命であり、彼は十種神宝を持参してきました。

このことからも、天火明命=饒速日命であると分かります。


また、天火明命の妃が市杵嶋姫と。

辺津=息津=市杵嶋姫=天照大神=八咫鏡

その市杵嶋姫が天照大御神(自身ではなく、巫女)であり、
卑弥呼であり、弁財天であると。

これは、「天火明命の妃が、卑弥呼である」ということ。


十種神宝を伝えたのが、饒速日命ならば、
その妃である卑弥呼が、その十種神宝を扱うのは大いにあり得ることです。

卑弥呼。
これは「卑弥呼とされている者」、ということ。
それは誰か。

                   *


饒速日命の妃はミカシヤ姫です。
何人が妃がいたかもしれませんが、巫女としての力を持っていたのは
彼女だけのようです。

玉依姫。
彼女は神道ではそう言われています。
それは魂依り、神の魂の依り代。
巫女そのものです。


では、饒速日命の妃であるミカシヤ姫が卑弥呼なのか。

2人は、「物部氏」の祖神とされているのです。
物部氏が伝えてきた十種神宝。
彼らの子孫だから、なのでしょう。


「邪馬台国の女王たる卑弥呼は、物部氏の血統」

と、「日本の真相 8 ~邪馬台国と物部氏~」にありましたが、
そこに繋がります。


また、「弁財天の和名が市杵嶋姫である」

奈良にある「櫛玉比女命神社」は弁財天ともされていました。
櫛玉饒速日命(くしたまにぎはやひのみこと)の妃、            .
御炊屋姫(みかしやひめ)が御祭神です。  

 

               *          


卑弥呼は、ヒミカ。
日甕。
日の巫女。

「卑弥呼には、夫がいなかった」

それは。
「神との婚姻は、人のそれ」とは違うからです。

彼が人として姿を表した現人神(あらひとがみ)だからこそ、
卑弥呼は人とは婚姻していないことになるのです。


彼女(ミカシヤ姫)と夫婦となった饒速日命は、人の姿をした神なのです。

                                .

(「日本の真相 11 ~邪馬台国と奈良湖と岩戸~」 へ つづく )
                     .

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2018年11月20日 (火)

日本の真相 9.5 番外 ~住吉三神~ 

(「日本の真相 9」の続き)
シンクロしてるようなので、番外です。
               .

ここのところ、登った山で聞こえた声がありました。


<< 住吉三神。ニギハヤヒの神。(その子)応神。神武 >>


英彦山の山中にある「大南神社」の中でした。

その瞬間、イメージの様なものが湧きあがり、一瞬の内に繋がりました。
言葉にするとこのような感じです。

           *

<住吉三神の意味>

住吉三神とされているものは、

☆ニギハヤヒ命。

☆応神天皇は、ニギハヤヒ命自身でもあり、その子でもある。

☆神武は、この二人の存在の替わりの名。

                                        *

それは、高良玉垂の神秘書にもありました。

「住吉三神」

  長男が表筒男。(大祝氏の先祖。日神)
  次男が中筒男。(この国に留まって、初代天皇の神武(イワレビコ)となる)
  三男が底筒男。(高良大菩薩であり、月神)


表筒男は、後に神功皇后の妹、豊姫と夫婦になります。

底筒男は、後に神功皇后と夫婦になります。
地上での名は、物部保連、高良大菩薩。
(高良大社のご祭神です)

何故、ここで神武が出てくるのかと思っていたのですが。

<神武は、この二人の存在の替わりの名>

それならば、腑に落ちます。


「住吉三神」とは、この二人と、彼らの存在を置き換えた「神武」のこと。


           *

「住吉の神」

記紀などの「神話」を知って、引っかかっていたのが、
神功皇后の元に現れた「住吉の神」の存在でした。
何故、「住吉の神」なのか、と。

三韓征伐に向かう船の舳先に現れ、彼女を守ったとされます。

神功皇后は帰還後、その神がいる社の神田に水を引く為に、
裂田の溝を指揮して造ったそうです。

それが那珂川市にある「裂田の溝(さくたのうなで)」。

”その神”がいる神田の為に造ったのですから、当然、
そこにお社があるはずです。

それが「現人神社」でした。

そのお社を知ったのは、那珂川が終の棲家と住み始めてから、数年経っていました。
「現人神社」の神は現人の神である住吉三神です。
人の前に初めて姿を表した神、だから「現人(あらひと)の神」なのです。

ここに神話が生きていました。

                          *

先日、裂田の溝ライトアップがありました。
                  .Unade27                                                   .
もらったパンフレットを見て改めて気付きました。

現人の三神(あらひとのさんしん)
那珂川市の現人神社にお祀りされている神様で、住吉の三神とも
呼ばれています。この神様は国生みの神、イザナギノミコトが
禊(みそぎ)をしたときに生まれたといわれています。
私達の世界に、人の姿で現れたということで現人(あらひと)と
いわれています。」(裂田の溝ライトアップ 散策マップより)

神話では、神功皇后の、「人の前に初めて姿を表した神」とされています。

そうか。
それは、「人の姿で現れた」神ということ。
分かっているようで分かっていなかった。
               .

”人の姿で現れたのならば、以後、この地に留まるはず”


高良の伝承でも、人の姿で現れ、後に神功皇后と夫婦になっています。
ヰルイを討伐した時も、裂田の溝の建造の時も、ずっとそこにいたのです。

人の姿をした「神」。
ずっと、そこに在る者なのです。


それなのに、それ以後、記紀には何の記述もありません。
「残しておけなかった」理由があったのです。

その一つは、「神功皇后と住吉の神」と、後にされた人達との婚姻が、
後の政権には不都合だったからに違いありません。

神功皇后 と 登山 と 裂田の溝 ~その3~」に書いたように
仲哀天皇が元からいなかったとすれば、尚更です。

これまでの「日本の真相」にも繰り返し出ていました。


”応神天皇が初めの天皇”
と。

神功皇后の皇子が「応神天皇」です。

しかし、応神はもう一人います。

彼女の呼びかけに”応えた神”
「住吉の神」です。

それが、饒速日の神。

「始めの天皇」ならば、尚更、彼の可能性があります。

                 *

もうすぐ新嘗祭ですが、
新嘗祭と住吉神とニギハヤヒ」で、住吉神がニギハヤヒ命だと辿り着きました。

二つの伝承 8 ~五十猛命と甕依姫」で、
彼らが高良の神であり、ニギハヤヒ命であり、
甕依姫は、神功皇后であり、ニギハヤヒの妃のミカシヤ姫ではないかと推測しました。
二人は、「日甕(ヒミカ)」なのです。(「高良の神と日甕」)

伝承では、ニギハヤヒ命の一族は、大陸から渡来してきました。
一方、(伝承では)神功皇后の母の家系には「ツヌガアラヒト」という天日鉾ともされる
大陸から渡って来たという者がいます。
つまり二人とも、渡来した一族の裔なのです。

彼らが、「ニギハヤヒ命とミカシヤ姫」ならば、
そこにも「存在を残しておけなかった」理由があるのかもしれません。

                   *

 

私がこの時点で思う時系列は、

1)ニギハヤヒ命、大和へ。
     ↓
2)ニギハヤヒ命とミカシヤ姫(ヒミカ)。
 (住吉神と神功皇后)
 大和で出会い、北部九州へ。
     ↓
3)大和、大乱。
     ↓
4)応神天皇と豊姫(台与)が夫婦になり、大和へ。


2)の二人が北部九州へ行ったこと(去ったこと)が
(大和にとっての)天照の岩戸籠りであり、

4)の二人が大和へ戻ったことが、岩戸開き。
(再び、この世が昼になった)


そして、(4)が神武天皇の東征でもあるのだと思います。

もしかすると(2)と(3)の間は、ニギハヤヒ命とミカシヤ姫は、
大和と九州を何度か行き来しているのかもしれません。
瀬戸内海沿いにある数多の伝承は、そうしたものかもしれないとも思います。

                 *

もう一つ、聞こえた声がありました。

 

宝満山」での声です。


<<玉依姫は神功皇后であり、神武は「その子」>>

やはり、そうなのか。
          .
宝満山に祀られているのは、玉依姫命、神功皇后、応神天皇。

玉依姫の子である神武は祀られていません。
玉依姫(称号)でもあった神功皇后が”そう”であるから、
この山に神武ではなく、応神が祀られているのです。


                     *

饒速日命が、現人の神。
人の姿で現れた神。
始まりの天皇ならば、あらひと神に違いありません。

ずっと、現人の神様として、あのお社で待っていたのです。
       .
那珂川の現人神社に。



(「日本の真相 10 ~卑弥呼 と 八咫鏡 と 十種神宝~」 へ つづく )

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2018年11月17日 (土)

神功皇后 と 登山 と 裂田の溝 ~その3~

(「~その2~」の続き)

それらから言えること。
神功皇后は、山に登っている時は妊娠していなかったのです。

そこから、このように考えられます。

 
☆仲哀天皇との子を宿していなかった。
または、
☆仲哀天皇という存在自体、元からいなかった。

             .
先に三韓へ行き、凱旋して出産してから山に登ったのならば、
山に登っている時に身重ではなかったことの理由になるのですが、
そうではありません。
山に登った理由のほとんどが、熊鷲関連以外は、
「三韓出征の戦勝祈願」なのです。
頑なに、「山での神事をしてからの、出征の後に出産」なのです。

 

三韓征伐は何度かあったという説もありますが、
山に登って「戦勝を願う為の神事」をしたのならば、
一度目の時に無いはずがありません。

 

           .                 .

また、神功皇后の滞在期間、それも不可解に思います。

 

古代史の復元」さんから、下の年表をお借りしました。

「神功皇后の年代推定」
http://www.geocities.jp/mb1527/N3-23-6jinguunendai.html

*************************************************

仲哀9年(332年後半)

 春2月 仲哀天皇崩御
 3月1日 皇后斎宮に入る。
 3月17日 香椎宮から松狭宮に移る。
 3月20日 層増岐野に行き羽白熊鷲を殺害
 3月25日 山門県に行き、田油津姫を殺害
 4月3日 肥前国松浦県訪問。香椎宮に戻る
 9月10日 諸国に令して船舶を集め、兵を練る。
 10月3日 新羅征伐に出港
 12月14日 応神天皇生誕

 神功摂政元年(333年前半)

 2月 豊浦宮に移る。香坂・忍熊皇子が反乱をおこす。
 3月5日 忍熊王殺害 

************************************************

(上の年表は、日本書記の記述からだそうです。)

崩御(妊娠が分かった日)から出港まで、少なくみて210日~240日。
一般的に妊娠が分かってから、出産までは200日とされています。
「出港の時に産み月だったから、石を当て遅らせた」とあるので、
上記の年表は、それらの記述と同じです。

ですが。

「2月、豊浦宮に移る」とありますが、それは応神が生まれた後。
上の表の通りならば、その前に神功皇后一行は「ショウケ越え」を
しているはずです。

こちらにある「ショウケ峠」という名の道。
前回の地図では、1の「若杉山」の南にあるその峠道を、西から東へと
通ったことになります。
神功皇后が、ショウケ(竹の籠)に応神を入れて背負って、
越えたのが名の由来のその道。

上の日付の通りですと、生まれて2カ月経つか経たない内に、
その峠を越えていることになります。
まだ、首も座ってもいない赤子を籠に入れて、ショウケ峠を越える?
車で行っても、あんなに距離が長く、険しい道を?
そんなことはあり得ません。
あっと言う間にゆさぶり症候群になります。

大体、伝承が史実だとしたら、産み月に船に乗ること自体あり得ない話。
苦しくて動けませんよ。
今と違って、波の影響をもろに受ける小さな木造船ですし。

ちなみに、私は一番上の子の妊娠中に、引っ越しの準備で無理をしすぎて
(気をつけてはいたけれど)、予定日の一カ月前に早産になり、帝王切開になりました。
生まれた子は超未熟児一歩手前。
妊娠中に無理をすると、お腹の子が育たないのです。
今の医療技術があったからこそ、助かった二人の命。
今よりももっと、妊娠が命の危機に即繋がるそんな時代に、山に登るとか、
産み月に船に乗るとか、あり得ない。
現実ならば、何としても周りが止めるでしょう?

辻褄合わせをしようとして、色々おかしくなっていると思えます。


こちらに根を下ろして、よくよく「見れば」分かることなのに。
一度でも山に登れば、その生きた証を辿れば、分かることなのに。

なぜ?

・・・「そうすれば、分かるようになっている」としか思えません。
誰が・・・?

 

この先、少しでも近づけるような気がします。
            .

                                 *

今日、11月17日は、那珂川市の裂田の溝(さくたのうなで)の
ライトアップの日でした。
(前回の地図の12辺り。現人神社も同じです)
                                                    .Unade12_2                                           (裂田神社)

 

裂田の溝は、神功皇后が指揮して造ったと言われています。
もちろん、手掘りであったでしょう。
何年もかかる大事業だったに違いありません。
本当に彼女が関わっていたのなら、とてもあの表の年月の中でしたとは思えません。

その水が潤した田のお米は、今まで食べてきた中で最高に美味しい。
そう感じるのは、もうここが私のふるさとになっているから。

ここは地域に根差した行事やお祭りが盛んです。
お祭りは神と人を繋げ、人と人を繋げます。
そういう土地の産土神は、その土地を守る力がとても強くなります。

産土神の加護を受けた土地の作物は、土地の人を守る力になります。
地産地消が良いのは、こういう理由もあるのです。

この地の産土神は、現人さん。
住吉の元宮です。
つまり、この地が住吉の「始まり」ということ。
住み良しの始めです。


「住吉」・・・。
そういえば、ここのとこ、登った山で聞こえた声がありました。

 

Unade25                      .


(つづく)

 

2018年11月16日 (金)

神功皇后 と 登山 と 裂田の溝 ~その2~

前回の続きです。

 

Yama4
               (地図はグーグルマップより)

西の8「雷山」、9「浮嶽」、(10「叶岳」)

8の「雷山」にも「中腹の層々岐野の草原で羽白熊鷲(ヰルイ)を退治する為の兵を集めた」と
いう伝承があります。
ですが、雷山は糸島市にあり、飯盛(10の下の印の山)・日向山系の峠を
越えた向こう側にあります。
7の「砥上岳」(または6の「大根地山」から)にいた神功軍が、
8の「雷山」に向かい、羽白熊鷲の為の兵を集め、また戻って来るわけはないのです。
道なりで、往復約114キロもあります。

「雷山」には、雷山神社の上宮が、その草原よりも手前にあり、
天神7代、地神5代を祀っています。

9の「浮嶽」(糸島)
神功皇后が山頂で三韓征伐の為の神事をした。


この二座は妊娠中に登るなど、あり得ません。
雷山の中腹の草原へ向かう道は細く、片足分も道幅がない場所が続きます。
一部、鎖道もありますし、這っていく程の急登もあります。

浮嶽は滑りやすく、急登が続きます。
トラロープ(あるとこでは)を頼って登るか、這って登るかの斜面です。
下山では、手がかりもなく、砂地の斜面で滑りやすいので、何度か尻持ちをつきました。
身重でなど、全くの問題外です。

10の「叶岳」は、西区にある山。
三韓進出のみぎり、この峰に願い、願いが叶ったから叶岳と名付けたとあります。
上まで登ったのか分からないのですが、ここも身重では無理。

                  *                     .

3の「宝満山」、1の「若杉山
共に福岡市の東に壁の様にそびえる三郡山系の南と北に位置しています。

 

「宝満山」では、神功皇后が山頂付近でサイカチの木を植え、
三韓征伐から戻った後、再会できるようにと願いました。
今でこそ、正面登山道はよく整備されていますが、829mの標高があり、
下から上までほぼ石段で、かなり辛く大変です。
他の登山道はそのルートよりも荒れていて、ゴロ石だらけの道も続きます。
”その当時”は、正面も今よりももっと登りにくかったと思われます。
身重で登るなどあり得ません。                         

「若杉山」は、彼女が三韓征伐の前に訪れ、この山の綾杉の枝を持って出陣し、
戻ってきた時に枝がまだ元気だったので、香椎宮とこの山に分けて植えた
との伝承があります。
「この山の綾杉を手折り」の場所がどこかは分かりませんが、
今、杉の木が密集してる「綾杉」近辺までなら、身重でも行けないこともない。
ただし、頂上で神事をしたのなら、あり得ないです。
                .

4の「四王寺山」。
高良の伝承では、三韓征伐の前にこの山で祈り、それに応えた住吉神達が
現れたとあります。
(三韓征伐での船の上に現れたという記紀の伝承と違うのですが、
 それは今は置いておいて)
宇美町側から今の車道沿いに入れば、難なく登れると思います。


南の11「脊振山
神功皇后が三韓征伐の折、社を建てたという伝承があります。
(昔は脊振と言うと脊振山系の山々を差したそうです。
 この一番高い山は「廣瀧山」と呼ばれていました)
上宮があるのは、今の脊振山。
本人が登っているのだとしたら、身重ではあり得ません。
北の福岡側からは急登です。
私が登ったルートの南の佐賀側から登る方が緩やかなのですが、
先ず、山頂までの気の遠くなるような距離を移動するだけでも負担大です。

                   *

これは何を意味しているのか。
私の感覚では、体に全く問題がないとして身重で登るならば、
「四王寺山」「大根地山」「砥上山」「目配山」辺りならば、
100歩譲って登れなくはないかもしれないけれど、
他の山は全くあり得ないということ。

だけど。
どの山も確かに登ってる・・・。
           .

「雷山」に関してもう一つ。

羽白熊鷲を退治する為に中腹の草原で兵を集めたとありましたが、
前述の通り、大根地山近辺の「熊鷲」の為ではないことは明らかです。
ですが中腹の山に上宮を築き、天神7代地神5代が祀られている。
しかも祀った側の神功皇后が、そこに祀られていない。

これは「大根地山に祀られている神」と同じです。
ならば、言えることは、
”それ”は羽白熊鷲では無い、「別の物(ヰルイ)」。
確かに、そこにいたはずの「神が関与出来る」物です。

それらから言えることは。
神功皇后は「別の物」を退治する為に雷山に登ったが、
妊娠中ではない、ということ。

それらは、何を意味するのか・・・。



( つづく )

 

2018年11月15日 (木)

神功皇后 と 登山 と 裂田の溝 ~その1~

今まで登った福岡の山の内、神功皇后が登ったと伝えられている山が
いくつかあります。

 

Yama4_2
                (地図はグーグルマップより)
         (9の浮嶽から、7の目配山まで、今の道なりで約76キロです)

 

福岡市を中心に見て、
北(北東)に1「若杉山」、2「遠見山(神路山)」

東に3「宝満山」、4「四王寺山」、
5「大根地山」、6「砥上岳」、7「目配山

西に8「雷山」、9「浮嶽」、10「叶岳
(叶岳は上まで登ったかどうかは分かりません)

そして南に11「脊振山

まだあるようですが、自分が登った中ではこの山々です。
(13が伝承にあった基山です)
福岡に残る伝承の中では、そのほとんどが身重で登っているとされています。

日本書記では、
香椎宮での仲哀天皇の崩御(応神を宿していることを知る)
   ↓   .
熊襲征伐(羽白熊鷲)
   ↓    .
三韓征伐の後に出産。
となっているので、この期間の伝承では妊娠中だということです。

妊娠中に山登り?
実際はどんな山なのかと知りたくて(という思いもあって)登ってみました。

                          *

2の「遠見山」(詳細はリンクへ)
その山頂には、神功皇后が遠見をする為に、仲哀天皇と登ったとありました。
(伝承を信じるとすれば)ということは、妊娠する前。

そんなに急でもなく登りやすい山でした。
普段靴でも登れます。
                       
                                         *  
  .
「羽白熊鷲に関連するもの」

5の「大根地山」から東に向かって、6「砥上岳」、7「目配山」。
そして、13の「基山」。

まず、伝承が残っていた神社があるのが13の「基山」(荒穂神社)であり、
羽白熊鷲は「基山の東」にいたと伝えています。
この伝承を考察したのが「二つの伝承」です。
羽白熊鷲は今の「冷水峠(したくらつくしのさか)」に出た「命尽くしの神」。
その根城が秋月(7の目配り山の右にあるオレンジの星の場所)。

「大根地山」
羽白熊鷲を鎮める為、その山頂に天神7代、地神5代を祀った。

「砥上岳」
三韓征伐の折、ここに群衆を集い、兵器を砥がせた。
山頂には武甕槌神が祀られています。
(「二つの伝承」に記載しましたが、これらは羽白熊鷲に関するもの)

「目配山」
神功皇后が「目を配った」
これは「敵」が側にいるからする行為です。
秋月に本拠地があったと伝わっていますが、そのちょうど横にあります。
目を配ったと云う「敵」は、羽白熊鷲の本拠地のことだと思われます。
(また、麓の「大己貴神社」には三韓征伐に行く前に兵が集まらなかったので
ここにお宮を建て祈ると集まった、とあります。
麓と言ってもこの神社は上の地図の「朝倉」の字の朝の上辺りです。
このお社の伝承も三韓の為ではなく、熊鷲の為の兵ではないでしょうか)

この三山に関して、それほど険しい山ではなかったので
100歩譲って「登れなくはない」ですが、負担は大きいと思います。

 

羽白熊鷲に関連する伝承の山は、この一帯にあります。

ですが、8の「雷山」にも「羽白熊鷲」の伝承があるのです。


          .
( つづく )

 

2018年11月13日 (火)

宝満山 登山 ~玉依姫~

登山の回が続きますが、リンクしてるようなのでUPです。

8回目の宝満山。
すり減ってしまった登山靴をようやく購入したので解禁です。
(石段が怖かった)

竈門神社の紅葉が見頃でした。                                           .                .

 

Houmansan452                                              .

 

Houmansan453                                            .
行ってきます!

登山口、スタートが9時頃。
                  .Houmansan455                                         .
一か月半ぶりの百段ガンキ。
きつい。                 
                   .Houmansan458                                               .
赤い絨毯!
                                             .Houmansan457                                             .
四王寺山と博多の街が一望です。
今日はいい天気! 
                                        .Houmansan462_2                                 .
蹄岩。
ここまで来たら頂上までもう少し。

ここには玉依姫の伝承があります。
と、この場所に来て、意識の塊ようなものがぶわっと流れ込んできました。

あえて言葉にすると、


<< 玉依姫は神功皇后であり、神武は「その子」 >>


先日登った英彦山の時にもあった「その子」。

そうか、そういうことか。
英彦山の時と同じく、天啓のようにそこへ繋がりました。
これに関しても、後に。 
                                          .
Houmansan459_3                                                 .
上宮、頂上です!
10時20分頃、到着。
ここまで1時間20分でした。
この日もたくさんの方がいはりました。
ここで休憩。
                     Houmansan463                     .
上宮裏のお気に入りの場所から。
写真の真ん中ほど、雲からうっすらと頭を出しているのが、長崎の雲仙です。
                  .Houmansan460                                           .
遠くに見える三つの峰を持つ山が、英彦山です。
                   .Houmansan464                                             .
三郡の山々。
また縦走したいなぁ。
最近、17、18キロの距離が何とも思わなくなってる。
                     .Houmansan461                                         .
今日は三郡山まで行きます!
                    .Houmansan465                                          
山頂の岩。
何か刻まれてました。
                 .Houmansan466                                                 .

 

Houmansan468                     .
仏頂山、869m。
祠があります。
                .Houmansan469                                           .
可愛らしい御顔です。
みんなが安全に登れますように。
                            .Houmansan471                                                 .
ここにも赤い絨毯。
                  .Houmansan472                                                .
紅葉がとても綺麗だったのですが、お会いした方が
「ここら辺は、もう半月前が見頃だったよ」
とのこと。

 

頭巾山の頂上も踏んで。
                   .Houmansan474                     .
三郡山の頂上です!
縦走の時には寄らなかったので初!
標高936m。
宝満山から1時間程です。
                 .Houmansan475_2                       .Houmansan476                                                        .
美しい~。
右に見える山が宝満山。

 

Houmansan477                   .
三郡の気象レーダーです。
戻ります!

 

Houmansan479                    .

 

Houmansan480                                   .
行ったことが無かったので、大石方向へ。
                   .Houmansan482                                            .
倒れてますが、生きてます。
                         .Houmansan483                                               .
水飲み場に出ました。
キャンプセンターの近くです。
雨が降らないので水量がありません。
                   .Houmansan                                                .
キャンプセンター到着。
三郡から45分ほど。
                    .Houmansan484                                            .
ここも綺麗でした。
                   .Houmansan485                                                   .
再会の木。
また会えたね。
                    .Houmansan486                                                .
下山は中宮跡を経由して、愛嶽神社へ。
おだけ、とはなかなか読めませんね。

 

Houmansan487                    .
愛嶽山の山頂標識は、このお社の裏。
                   .Houmansan488                   .
前に来た時、もしかしてと思ったけど!
「役行者」でした。

 

Houmansan489                            .
こちらは「飯綱権現(いづなごんげん)」かな?
                       .Houmansan493                                           .
竈門神社に戻ってきました。
愛嶽山からは神社の裏に出ます。

キャンプセンターから1時間半。
スタートからゴールまで、休憩入れて5時間半。
総距離、9.9キロでした。
                  .Houmansan495                                             .
手水舎の上の木が一番見事でした!

 

Houmansan497                    .

 

2018年11月12日 (月)

英彦山 登山 2  ~英彦山神宮 上宮~

(英彦山 1 の続きです)

大南神社、鬼杉を経た後、南岳へ向かいます。
                  .   Hikosan33                                                .
こんな高くまで登ってきました!
                                           .Hikosan34                                             .
赤い絨毯。
まだまだ綺麗です。
                  .Hikosan36                   .
鎖道が続きます。
下りて来られる方がいらっしゃるので、順番待ち。
                    .Hikosan35                                      .
この場所から見た山。
上の方は紅葉が終わり頃ですね。
                                .Hikosan37                   .
登ってきた崖です。
この山の前に脊振の岩を登ってたので、怖くはなかったです。
鎖があるのとないのでは、気持ちが違います。
ありがたいです。
                       .Hikosan38                     .
南岳、頂上です!
鬼杉から1時間。

 

Hikosan39                  .
標高1129m。
三角点あり。
やった~!                   .Hikosan40                     .
南岳から見た中岳です。
上宮が見えます。
                  .Hikosan41                                               .
南岳から中岳まで歩いて10分ほど。
縦走路が整備されています。

 

Hikosan42                      .
中岳、上宮です!
                   .Hikosan43                                            .
参拝して。
写真を撮らせて頂きました。
                   .Hikosan44                                            .
1200m以上の山でのお社では最大だそうです。
                    .Hikosan45                                   .
中岳山頂です!
標高1200m。
お社の裏手にある休憩所にあります。
たくさんの方が思い思いに休憩されてました。
                .Hikosan46                                             .
休憩所からの眺めです。
                                           .Hikosan47                                              .
正面参道で下山します。
比較的整備された石段が続きます。

こんな高い場所まで石を運んだり、お社を建てたりするのはほんとに大変なこと。
頂上に上宮がある山は、どこでも登山道が整備されています。

この石一つはどれほどの重さだろう。
苦行と思えるその行い。
参拝する方が無事に登れるように。
ひとえにその思い。


神は祈る人がいて、その存在を確かなものにする。
訪れる人がいてこそ。
地上にあるお社も山の上でも。

そこまで来られない人の祈りまで乗せて。
きっと、気付いてなくても気付いてても、どっちでもいいんだと思う。

上宮がなくても、山には神が宿る。
人が山に登るのは、ただ楽しいからだけではない。
どこの山でも登山道が、道があるのは、ただ「楽しみ」の為ばかりではない。
気付いてても気付かなくても。

だから山は楽しく登るんだ!
                            .                          .Hikosan60                                                  .

 

分岐点です。
右手に行くと、バードライン(野鳥観察路)、スキー場を経て、
青年自然の家へ。
スキー場のススキ野原を見たかったのですが、どうしても中宮に行きたかったので
このまま参道を下ります。
次はそっちを登ります!
                   .Hikosan48                  .
紅葉が美しいです。
                   .Hikosan49                                        .
「中津宮(中宮)」です。
来られてよかった。
                  .Hikosan51                  .
下宮です!
奉幣殿のすぐ上にあります。
                       .Hikosan58                                               .
下宮から見た奉幣殿。
                           .Hikosan54                         .
奉幣殿まで降りてきました!
鳥居をくぐった時、感動のあまり、
「ありがとうございました!」
って声が出ました。
無事に戻って来られて本当に感謝。

南岳に向かう途中、登られるたくさんの方々にお会いしました。
おかげで道に迷う事も無かったです。
                         .                       Hikosan52                                                     .
奉幣殿の紅葉。
この辺りは、先週の11日は、もうちょっとという感じでしたので、
そろそろ見頃だと思います。

再び、参拝。
ありがとうございました! 
                                           .Hikosan56                                               .
Hikosan57                                                 .
スタートした銅の鳥居です。
大南神社、鬼杉コースを通って、南岳、中岳~正面参道を下ったコースで
休憩40分して、5時間20分、8.3キロでした。
                           .Hikosan59                                       .
銅の鳥居横の紅葉が一番綺麗でした。
燃えるような赤。
                       .
登山の最終目標だった英彦山。
一年で登ることができました。

まだ福岡で(また)登りたい山がたくさんあります。


                 .

 

2018年11月11日 (日)

英彦山 登山 1  ~大南神社の声~ 

先週の日曜日、紅葉が見頃と聞いたので、英彦山へ。

英彦山は福岡で2番目に高い山。
(福岡にはあまり高い山は無いのです)

遠いので朝、4時半に家を出ました。
朝倉方面から、母の故郷、小石原を通って英彦山へ。
あちこち災害の爪痕があって、胸が痛みました。

英彦山には上宮がある。
私の場合、山に登るのは祈りの為。
                  .Hikosan01                           .
銅の鳥居。
車はこの側の駐車場へ。
スタートは6時50分頃。
                                .Hikosan03                                                 .
ここを登りきって、銅の鳥居から20分ほど。

                    .Hikosan04                                                   .
奉幣殿。
改修工事中でした。

参拝して、行ってきます!
                         .Hikosan05                         .
朝の英彦山神宮。
人も少なくて、とても静かです。
登山者はもう何人もいました。
                           .Hikosan06                                                    .
出発です。

 

Hikosan07                              .
正面参道の石段へは行かず、鬼杉方面へ。
                 .Hikosan09                                              .
しばらく行くと、左に智室社。
寄り道です。
                    .                .
引かれるように登っていきましたら、梵字岩がありました。
                                     .Hikosan11                                      .
大岩に、3つの丸の中に梵字が。                       .
見とれていたら、下から大勢の山伏さん達が来られて、
真ん中の梵字が大日如来を表すと教えてくださいました。
                   .Hikosan12                              .
右と真ん中の梵字。
右側はすこし欠けています。
                 .Hikosan13                                                       .
左側と、真ん中(写真の右)の大日如来の梵字。
もともとは梵字の下に道があったそうで、今は崩れてしまったとのこと。
ありがとうございました。
                        .Hikosan14                                           .

 

Hikosan15                                       .
紅葉もまだまだ綺麗です。
                         .Hikosan16                                               .
このお山にも災害の爪痕が。
                   .Hikosan17                             .
そこには植えられたばかりの若木がいくつもありました。
元のお山に。
元の姿に。
人が植えた樹は土を支え、山を守ります。
                                    .Hikosan18                                           .
上宮コースから外れて、大南神社、鬼杉方面へ。
                          .Hikosan21                       .
鎖道あり。
                      .Hikosan22                                           .
大南神社に着きました。
ここまで1時間10分ほど。

元は神仏習合で、今は天火明命が祀られているとのこと。
                      .                    Hikosan25                      .
崖に張り付くように建ってます。
                        .Hikosan31                                                 .
中へは靴を脱いで。
真ん中は天火明命(ニギハヤヒ命)。
やはりこのお山にも祀られていました。
                      .Hikosan26                                              .
観音さまかな。
                         .Hikosan27                                       .
こちらは不動明王。
「大南不動堂」とも呼ばれています。
しばらくここでまったり。

と、声が聞こえました。

                   .
<< 住吉三神。ニギハヤヒの神。(その子)応神。神武 >>
                                           .

(あぁ、そうか。そういうことか。)

それは、高良玉垂神秘書に記されていたこと。
(「その子」はイメージで入ってきた。)

ようやくその意味が・・・。
腑に落ちたのです。

これについては後ほど。
                     .Hikosan29                             .
そこから少しくだって、「鬼杉」
力強さを感じます。
                          .
Hikosan30                        .                                                 .
分岐点まで戻って、南岳へ向かいました。

2018年11月10日 (土)

脊振縦走 脊振山山頂~猟師岩 往復

糸島の三山を巡った次の日、これなら行ける!と念願の脊振縦走へ。

脊振山系は福岡市の南に壁の様にそびえる山々です。

東から西までを縦走すると17時間以上かかるそうなので、
こま切れで行きます!
まずは「脊振山頂から猟師岩」まで。

車は脊振山頂上の下の駐車場へ。
自衛隊のレーダー基地があるので、頂上近くまで立派な道路が通っています。
                      .Sehuri218               .
山頂の脊振神社の上宮に参拝。
駐車場から10分ほど階段を上がった所にあります。
                    .Sehuri240                                                     .
ここが頂上。
1054.5m。
今日はここが出発点。
                      .Sehuri241                       .
頂上からの眺め。
遠く、雲の上に頭が見えるのは雲仙。
                      .Sehuri242                                                     .
まずはあそこまで、しばらく林道を歩きます。。
気象レーダーだそうです。
                    .Sehuri243                     .
ようやくここまで来れました。
脊振に初めて来た時に行ってみたいと思っていました。

ほんとにいい天気!
この辺りから「九州自然道」に入っていきます。
                    .Sehuri245                      .
脊振頂上から40分程で「唐人の舞」
ここも山の頂上になります。
911m。                       .Sehuri246                                                 .

 

すすきの原。
博多の街が一望です。
空の下の方が黒いのは、PMですね。
                   .

 

Sehuri247                                        .
縦走路はこんな所もあります。
朝の内は朝露で足元が濡れるので、ゲーターは必須です。
                  .Sehuri248                                                 .
「椎原峠(しいばとうげ)」
唐人の舞から20分ほどです。
                       .Sehuri250「鬼ヶ鼻岩」
ここも山頂です。
840m。
椎原峠から15分ほど。                                         .
                                         .Sehuri252                                                   .                                    
ここから見た脊振山。
一番奥のレーダーがある山です。
もうあんなに遠く!
山の稜線をずっと歩いてきたことになります。
                                           .Sehuri253                                                  .
大岩というか大壁が立ちふさがります。
どっからとりついたらいいのやら。

下に道があるのかなと、岩の下に周ってみましたが崖になっていました。
じゃあ、あの岩を登るしかないのか、と元の道に戻ろうとすると。

「人の気配がしたから」
と上からご夫婦が声をかけてくださって、
「岩の左にある方から登るんだよ」
と教えて下さいました。

感謝~。
ほんとに絶妙なタイミングです。
                         .Sehuri257                    .
ここから登るようです。
実際の幅は40センチもありません。
横が崖なので、山に登って初めて怖いと思いました。
                         .Sehuri254                                       .
ここも伝っていきます。
                           .Sehuri255                                               .
「猟師岩」
鬼ヶ鼻から40分程、12時44分。

スタートからここまで2時間半。
折り返すのでここを終点にしました。
                    .Sehuri256                       .
ここも這い上がって。
                    .           Sehuri259                                              .
気象レーダーが見えました!
この後、無事に脊振に到着。

 

スタートからゴール地点まで休憩入れて4時間35分。
総距離12.5キロ。
                   .Sehuri260                                            .
帰りに麓にある、脊振神社下宮に参拝しました。
ありがとうございました!


               .

 

2018年11月 9日 (金)

糸島 三山周回 2 ~二丈岳~女岳~浮嶽

次はいよいよ浮嶽へ。
登山口に戻った後、しばらく林道を歩きます。
遠くに見えるのが、さっき登った二丈岳。

歩いて5分のスーパーにも車で行くのに信じられない^^;

 

Medake04                    .
予定していた登山口から山に入ろうとしたのですが、
ちょうどそこから人が出て来られました。

「浮嶽行くなら、ここからしばらく倒木ばかりで通れないから、
 もう少し上から入った方がいいよ」
とのこと。
お礼を言って、しばらく林道を上がりました。
Ukidake01                        .
ここから山の中へ入ります。
林道からは看板の裏しか見えません。
                     .
Ukidake02                                                   .
ここも前の大雨の時の爪痕です。
かなり倒れていましたが、ここら辺は通れないことも無く、道も見失いませんでした。

そう言えば、山に登ってからほんとに困った時に、絶妙なタイミングで
誰かが現れて助言してくれたりする。
いつもソロなのでほんとに助かります。
さっきは山神さまかと一瞬、本気で思いました。
                        .Ukidake03                   .
この山にも大岩がたくさん。
                   .Ukidake04                                                   .
かなり急な方です。
滑って大変。
トラロープが所々あるのでそれを頼りに登ります。
                                           .Ukidake05                                                 .
登って来たのは右奥から。
下山の時は、ここを写真の右手へ。
登りは左手へ。
                   .Ukidake08                                               .
山頂下の白龍稲荷神社。
蜂がお社に巣を作ってるのでこれ以上は近づけません。
                      .Ukidake10                      .
もう少し上がって行きます。
                    .Ukidake11                                               .
浮嶽神社、上宮です!
峠から50分程。
                     .Ukidake12                                                     .
上宮のすぐ側に浮嶽山頂の標識があります。
標高805.1m。
                  .Ukidake14                                                           .
ここまで建材を運ぶのは大変だっただろうなぁ。
側には小さな避難小屋もあります。
                    Ukidake15                   .
この辺りで休憩。
下山中も、何度か滑ってしりもちをつきました。
リュックがあって助かった。

神功皇后は、妊娠中に頂上まで登って神事をしたという。
それは、あり得ない。
                               .Ukidake17                     .
再びゆらりんこ橋へ。
                      .
Ukidake19                                            .
浮嶽の前の峠から休憩入れて3時間。
スタートしてからゴールまで6時間15分。
総距離15.9キロ。
時間も距離もほぼ同じでした。
Screenshot_202103121215352
浮嶽の山地図です。
登山をされてる方は分かると思いますが、等高線が密です。
かなりの急登なのが見てとれます。

しかも砂地であり、滑ります。
虎ロープは所々張ってありますが、それを掴んでも滑ります。
このお山を身重で行くなんてありえないのです。

 


                   .

2018年11月 8日 (木)

糸島 三山周回 1 ~二丈岳~女岳~浮嶽

雷山を調べていて、浮嶽(うきだけ)を知りました。
同じく、神功皇后が登ったという伝承がある山。

三山周回出来ると知り、二丈岳、女岳、浮嶽を周ります。
登山本には、推定6時間15分、16キロとありました。

まずは「ゆらりんこ橋」の側の駐車場へ。
                  .

 

Nijyou01                  .
この橋、網がかかってると思ったら、全部クモの巣。
嫌いな人にはたまらんかもです。

10月の最終週に行ったので紅葉がちらほら。

                     .  Nijyou02                                             .
しばらく、渓谷沿いを登ります。
                                        .Nijyou03                                         .
Nijyou11                                             .
水が綺麗。                  Nijyou13                                        .
滝も続きます。
                   .
50分程歩くと、加茂神社。
                       .Nijyou05                                                   .
ご祭神は賀茂大神かな。
饒速日命です。
                 .
Nijyou15                     .
分岐点。
まっすぐ行くと木の香ランド・キャンプ場です。
二丈岳へは、中央にある坂を左へ。

女岳へはここへ戻った後、奥の方へ向かいます。
三山ともほぼ単独峰なので、登山口から登って、下って、
また違う山の登山口から登って行きます。
                       . Nijyou06                        .
二丈岳。
福岡でも人気のある山なので登る人も多いそうです。
この日は誰とも会いませんでした。Nijyou07                        .
頂上です!
大岩がたくさん。Nijyou08                       .
二丈岳山頂。
711.4m。
糸島が見渡せるそうですが、曇ってたので、展望は良くなかったです。
また来ます!Nijyou09                          .
二丈岳を下山して、木の香ランドの前を過ぎます。
                       .Nijyou10                                            .
今週あたりは、この辺は見頃だったかもしれません。
                        .Medake01                                                        .
女岳へ向かいます。
登山口。
                   .Medake02                                          .
大岩がたくさん。
地面が湿っていたので滑りやすかった。
                       .Medake03                                                    .
女岳山頂。
746m。
下山して、キャンプ場まで戻ります。
スタートのゆらりんこ橋からキャンプ場まで3時間15分。

次はいよいよ、浮嶽へ。

( つづく )



     .

 

2018年11月 5日 (月)

日本の真相 9 ~卑弥呼とトヨと物部と~

(「日本の真相 8 ~ ~邪馬台国と物部氏~」)の続き

卑弥呼と物部氏。
思い当たることがありました。

以下、PDFの(日本の真相 3)より要約。

http://g-village.net/iyasaka369/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E7%9C%9F%E7%9B%B83.pdf

********************************************************************

卑弥呼について

邪馬台国には女王「卑弥呼」がいたとされる。

熊野一帯を治めている九鬼(くき)一族は元々”くかみ”と読み、
九鬼家に伝わる古伝書が九鬼(くかみ)文書である。
”鬼道=かみ道=神道”となり、卑弥呼は「神」の御言葉を民に取り次ぐ
女預言者と解釈しても理に適っている。

卑弥呼は”日巫女”=”日の神に仕える女預言者”というととである。
(この場合の巫女は、女預言者なので、現在における巫女という意ではない)

*注 預言者とは、神の言葉を伝える者のこと。

籠神社には国宝に指定されている最古の家系図があるがそこには
卑弥呼を連想させる名前が記述されている。

天照大神ー天押穂耳尊ー天照國照彦天火明尊ー天香語山尊
ー天村雲命ー天忍人命ー天登目命ー建登米命ー建田勢命
ー建日潟命(大海宿祢命)-市大稲目命ー意富那比命(大海宿祢命)
ー乎縫命(小縫命)__小止與命(小登與命)__建稲種命ー・・・
             |               |
              ー日女命     .          ー宮簀姫命(日本武尊の妃)


(スマホやブラウザの画面によっては、崩れているかもしれません。
 日女命と小止與命が横に並び、その後に続く、
 建稲種命の横に宮簀姫命が並びます)

海部宮司に依ると、日女命が卑弥呼、小止與命が台与に相当する可能性が
あるという。
確かに、卑弥呼は女性天皇と同じで一時的な王であり、
その後は小止與命の系統になっていることは、伝承と矛盾しない。

この系図では天照大神の後に日女命がきているが、天照大御神は
秦氏が持ってきた神で、それ以前に渡来している物部の神ではない。

前述のように、様々な伝承は物部の資料を基に、
秦氏の歴史観を絡めて創り上げられた。
だから、このようなことになっている。

またこの系図における小止與命は男性であるが、
卑弥呼の伝承に於ける台与は女性である。
しかし、資料には物部氏の真相が隠されているから、おそらく
海部宮司の言われる日女命と小止與命の関係は、
卑弥呼と台与の関係を象徴していると思われる。

この系図は海部氏の極秘伝であるが、同族の尾張氏の系図にも
なっており、その中に邪馬台国の卑弥呼を象徴する日女命があることは、
卑弥呼が物部氏の王族たる海部氏=尾張氏=エフライム族の一族だったと言える。

また、日本武尊に草薙神剣を授けた倭姫尊は第11代・垂仁天皇の第4皇女で
あり、日本武尊の叔母にあたる。
豊鍬入姫命(トヨスキイリヒメノミコト)の後を継いで御杖代として
天照大神に奉仕して、御神慮によって現在の伊勢の地に皇大神宮を創建し、
倭姫命から後、代々の天皇は未婚の皇女を神宮に遣わして
天照大神に奉仕されたが、この未婚の皇女を斎王(いつきのみこ)と言い、
斎宮の直接の起源である。
つまり、倭姫命は神にお仕えした独身の女性であり、卑弥呼と同じ役割である。

それに、実質の初代天皇は第15代応神天皇だから、それ以前は架空であり、
日本武尊の逸話は何らかの象徴。

また先程の系図で日本武尊の(義理の)叔母に相当するのは日女命であり、
これからも、倭姫命は卑弥呼がモデルであると言える。

                                                                          (以上、要約終わり)

****************************************************************

上記の籠神社に伝わる系図の「日女命」、「小止與命」についてです。
その二人は「彼女」達と重なります。


「卑弥呼」の後継ぎとされる「台与(とよ)」

「神功皇后」の妹と伝えられるのが、
與止日女神社」のご祭神「與止(よど)日女」または「淀姫」「豊玉姫」。

「與止」と「止與」。
彼女達がいた当時、漢字は無かったはずですが、こちらの神社などの表記と、
系図にある表記が同じなのは、偶然ではないと思います。
もしもそうであるならば、2人は神功皇后とその妹。

             *

「神功皇后の妹」は、高良の伝承では「豊(とよ)姫」と記されていました。

*高良玉垂神秘書から  (「神の鉾 5 ~月神と二つの珠と十種神宝~」)

神功皇后の呼びかけのもとに現れた住吉神と住吉三神。
その内の長男・表筒男命は、神功皇后の妹・豊姫と夫婦になります。

 嫡男の日神・表筒男の尊は神功皇后の妹・豊姫と夫婦になった。
 地上での名は太政大臣玄孫(ひまこ)大臣物部の大連。
 天照大神のひまごという事から付いた名である。
 二人の間の御子は大祝日往子(おおはふり・ひゆきこ)という。

また、そこにはこんな記述も。

 三男の月神・底筒男の尊は神功皇后と夫婦になった。
 地上での名は物部の保連。藤大臣。高良大菩薩。

前回、「日本の真相 8 ~邪馬台国と物部氏~」に

邪馬台国の女王たる卑弥呼は、物部氏の血統」
ではないかとありましたが、ここにも物部・・・。

表筒男命と、底筒男命が物部と名乗ったのは、
神功皇后達がその名であったから、相手の姓を名乗ったのではないか?

つまり神功皇后が物部一族であり、底筒男命は形式的には婿入りということ。

もちろん、これは伝承であるので、「そのまま」という訳ではないでしょうが、
大事なことは伝えていると思うのです。

           .
また、神功皇后の妹・豊姫と夫婦になったという住吉の長男は、
「玄孫(ひまこ)大臣物部の大連」を名乗ります。

これは天照のひまご(やしゃまご?)だから、とのこと。
彼の場所が「小止與命」に当る(系図では男)のであるならば、
上記の系図の「間」をすっとばしているのです。
15代応神天皇が初代だという著者の言葉を思い起させます。

”そう”であるからこそ、日女命は神功皇后の可能性が高いのです。
彼女は応神天皇の母とされています。


二人の御子大祝日往子(おおはふり・ひゆきこ)という名も
天照の「血統」を受け継ぐ者として相応しい名に思えます。

そもそも「日女命」も「小止與命」も高良の伝承にある
住吉の「表筒男命と底筒男命(二人に当る人)」の名の変わりだと思うのです。

なぜか。
それは、少なくとも神功皇后と夫婦になった「底筒男命」が
この系図の血統ではないからでしょう。


*実際は、トヨ姫は神功皇后の妹ではなく、「宗女」。
一族の娘なのではないかと思います。
子か妹のように育てた娘。
神功皇后と住吉の神(底筒男命)との子が後の(2代目)応神天皇であり、
二人が後に夫婦になったということだと思います。
(本当の初代は底筒男命。話がややこしくなるのでこの話は後に)

                 *

卑弥呼と台与
系図の、日女命と小止與命
神功皇后と與止日女(豊姫)
そして、二人と住吉の神とを繋げる「物部」の名。

高良の伝承が彼らへと導いていくかのようです。


(「日本の真相 9.5 番外 ~住吉三神~」へ  つづく )

 

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2018年11月 3日 (土)

日本の真相 8 ~邪馬台国と物部氏~

以下、PDFの(日本の真相 3)より要約。

 

http://g-village.net/iyasaka369/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E7%9C%9F%E7%9B%B83.pdf

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邪馬台国と物部氏

古代日本といってまず思い浮かぶのが邪馬台国。
卑弥呼がいたとされる。

秦が統一されたのは紀元前 221年、滅んだのが紀元前 207年。
卑弥呼よりも遥か以前に徐福一団は渡来した。
その時既に”不老不死の国”があると伝説があったわけだから、
日本列島には何らかの民族がいたことは確実。

海部氏の実父、林兼明氏の著書「神に関する古語の研究に依ると、
かつて邪馬台国の”邪馬台”は”ヤマト”と読んでいた。
つまり邪馬台国とはヤマト国であり、籠神社の極秘伝では
邪馬台国が近畿にあった。

古事記では、近畿地方を治めていた那賀須泥毘古(ナガスネヒコ)の妹、
登美夜毘売(トミヤヒメ)にニギハヤヒが婿入りしたとなっており、
ニギハヤヒは物部の祖とされている。
(籠神社が保有する国宝の系図からも明らか。対して、秦氏の祖先はニニギ)

海部宮司に依ると、先住民とは平和的友好が持たれたという。
ならば、近畿の物部氏=尾張氏=海部氏が後の邪馬台となる国に
婿入りして和平が保たれた、ということである。
それがナガスネヒコの妹にニギハヤヒが婿入りした、という神話として
語られているのである。

そして、婿入りした秦氏が物部氏を抑えて現在の日本の根幹を形成したように、
邪馬台国となった大きな国で物部氏が権力を振るっていたのであろう。
ならば、後の邪馬台国の女王たる卑弥呼は、物部氏の血統ということになる。


*******************************************************************

*邪馬台国とされるヤマト国は近畿にあった。

*近畿を治めていたナガスネヒコの妹、トミヤヒメ(ミカシヤ姫)に婿入りした
ニギハヤヒが物部の祖となっているという神話は、
 秦氏が、物部氏の後に邪馬台国となる国に婿入りしたということ。

*後の邪馬台国の女王卑弥呼は物部の血統であるということ。


次回は、卑弥呼について。

 

(「日本の真相 9 ~卑弥呼とトヨと物部と~」 へ つづく)

 

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2018年11月 2日 (金)

日本の真相 7 ~二人のフル~

日本の真相 6 ~大嘗祭~」の続きです。

PDFの(日本の真相 2)から要約。
http://g-village.net/iyasaka369/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E7%9C%9F%E7%9B%B82.pdf

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「熱田神宮」

尾張国は物部のトップである尾張氏に因み、熱田神宮がその総本山。

熱田神宮のご祭神は熱田大神。
現在は相殿の神として天照大神、スサノオなどが祀られているが、
本来は熱田大神。
熱田大神=尾張大國霊神。

しかし、尾張国一之宮に相当する神社は真清田(ますみだ)神社であり、
尾張國霊神社ではない。
真清田神社のご祭神は天火明命(アメノホアカリノミコト)で、
籠神社と同じであり、籠神社の別宮であることが分かる。

籠神社の海部氏と熱田神宮の尾張氏は同族だから、
熱田大神=尾張國霊神=天火明命である。

伊雑宮(伊勢)も尾張國霊神社も物部の拠点だから
元はヤハウェを祀っていたのである。

                       *

以下、PDFの(日本の真相 3)より要約。

http://g-village.net/iyasaka369/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E7%9C%9F%E7%9B%B83.pdf


秦氏と共に来日したガド族の大王フルは九州物部王朝に婿入りしたが、
秦氏の大王たる応神=神武天皇となった。
秦氏以前に日本の国土に渡来していたイスラエルの支族が物部氏。
 

物部氏のトップ=王族は尾張氏(熱田神宮)=海部氏(籠神社)である。
それは、尾張氏が族長の印たるアロンの杖=草薙神剣を保有することが証。
フルが九州物部王朝に婿入りした証として持ってきたマナの壺は、
尾張氏と王族である海部氏の手に渡り、勾玉の原型となった。

籠神社の海部宮司によると、古代の日本で最大勢力を誇っていたのは
尾張氏=海部氏であり、最後まで秦氏に抵抗した。
彼らの拠点は近畿を中心とした広い範囲であったが、秦氏に権力を移譲した後、
尾張氏は、美濃を通って現在の尾張地方に辿り着いた(海部宮司氏からの話)。


                                                                    (以上、要約終わり)********************************************************************

これらは学研ムーに記載されたものを元に考察されている部分もあるようです。
出所は気にせずに、気になった箇所を抜粋、要約しました。


「フルについて」

ARIONの言葉と重ねますと、(「ARION語録   アメクモ族」)

フツ→スサノオ→フル(オオトシ・ニギハヤヒ)

なので、大陸で大王であったというフルは、
スサノオの父・フツよりも前の世代かと思われます。

上記にある「九州王朝に婿入りしたという、秦氏と共に来日したフル」は、
スサノオの父フツのことではないでしょうか。
ARIONの語録には、

スサノオの父フツは出雲でスサノオを生んだんだよ。
陸路で先に入っていた仲間はイザナミ・イザナギと呼ばれる人々が有名だね?
彼らはヤマト原人を制定し、九州に強い国を築き始めていた。
そして海路のグループが携えて来た、いわゆる『十種の神宝』を要求していた。
何故ならば、この神宝を持つ者が日本のスメラとなる事が決まっていたからだよ。

(中略)


フツの死後、スサノオは彼の器量を全て受け継いで生まれた第5子のトシを
伴い九州を制覇にかかっていた。
イザナギ・イザナミはスサノオの強大な力と知恵に恐れを成して、

娘であるアマテラスをスサノオに差し出すことによって同盟を申し出てきた。
とあります。

では、
「秦氏の大王たる応神=神武天皇となった。」

この応神=神武となった方の「フル」は、
「熱田大神=尾張國霊神=天火明命である。」
とある、天火明命である方のフルだということになります。

天火明命がニギハヤヒならば、応神=神武天皇は、彼なのか。
ニギハヤヒもフルなのです。

                 *

これは私が前世の夢を見た後、思い浮かんだことなのですが、

(「古代奈良の夢  ~前世 4~」)

 私の親の世代に、船の人たちと同じところから
 この地へ移り住んだらしい。
 私自身、どちらで生まれたのかは分からないけれど、船の人達とは同族だった。

「親の世代」かどうかの真偽は分かりませんが、
「船の人達とは同族だった」というのは状況が同じです。

その時に感じたことと言えば、
”自分達と同じ一族は、”その里”に少ししかいない”ということ。
元からいた人達と”助け合って暮らしている”ということでした。



(「日本の真相 8 ~邪馬台国と物部氏~」 へ  つづく )

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