日本の真相 9.5 番外 ~住吉三神~
(「日本の真相 9」の続き)
シンクロしてるようなので、番外です。
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ここのところ、登った山で聞こえた声がありました。
<< 住吉三神。ニギハヤヒの神。(その子)応神。神武 >>
英彦山の山中にある「大南神社」の中でした。
その瞬間、イメージの様なものが湧きあがり、一瞬の内に繋がりました。
言葉にするとこのような感じです。
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<住吉三神の意味>
住吉三神とされているものは、
☆ニギハヤヒ命。
☆応神天皇は、ニギハヤヒ命自身でもあり、その子でもある。
☆神武は、この二人の存在の替わりの名。
*
それは、高良玉垂の神秘書にもありました。
「住吉三神」
長男が表筒男。(大祝氏の先祖。日神)
次男が中筒男。(この国に留まって、初代天皇の神武(イワレビコ)となる)
三男が底筒男。(高良大菩薩であり、月神)
表筒男は、後に神功皇后の妹、豊姫と夫婦になります。
(後に、豊姫は神功皇后と同神と分かる)
底筒男は、神功皇后と夫婦になります。
地上での名は、物部保連、高良大菩薩。
(高良大社のご祭神です)
何故、ここで神武が出てくるのかと思っていたのですが。
<神武は、この二人の存在の替わりの名>
それならば、腑に落ちます。
「住吉三神」とは、この二人と、彼らの存在を置き換えた「神武」のこと。
*
「住吉の神」
記紀などの「神話」を知って、引っかかっていたのが、
神功皇后の元に現れた「住吉の神」の存在でした。
何故、「住吉の神」なのか、と。
三韓征伐に向かう船の舳先に現れ、彼女を守ったとされます。
神功皇后は帰還後、その神がいる社の神田に水を引く為に、
裂田の溝を指揮して造ったそうです。
それが那珂川市にある「裂田の溝(さくたのうなで)」。
”その神”がいる神田の為に造ったのですから、当然、
そこにお社があるはずです。
それが「現人神社」でした。
そのお社を知ったのは、那珂川が終の棲家と住み始めてから、数年経っていました。
「現人神社」の神は現人の神である住吉三神です。
人の前に初めて姿を表した神、だから「現人(あらひと)の神」なのです。
ここに神話が生きていました。
*
先日、裂田の溝ライトアップがありました。
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もらったパンフレットを見て改めて気付きました。
「現人の三神(あらひとのさんしん)
那珂川市の現人神社にお祀りされている神様で、住吉の三神とも
呼ばれています。この神様は国生みの神、イザナギノミコトが
禊(みそぎ)をしたときに生まれたといわれています。
私達の世界に、人の姿で現れたということで現人(あらひと)と
いわれています。」(裂田の溝ライトアップ 散策マップより)
神話では、神功皇后の、「人の前に初めて姿を表した神」とされています。
そうか。
それは、「人の姿で現れた」神ということ。
分かっているようで分かっていなかった。
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”人の姿で現れたのならば、以後、この地に留まるはず”
高良の伝承でも、人の姿で現れ、後に神功皇后と夫婦になっています。
ヰルイを討伐した時も、裂田の溝の建造の時も、ずっとそこにいたのです。
人の姿をした「神」。
ずっと、そこに在る者なのです。
それなのに、それ以後、記紀には何の記述もありません。
「残しておけなかった」理由があったのです。
その一つは、「神功皇后と住吉の神」と、後にされた人達との婚姻が、
後の政権には不都合だったからに違いありません。
「神功皇后 と 登山 と 裂田の溝 ~その3~」に書いたように
仲哀天皇が元からいなかったとすれば、尚更です。
これまでの「日本の真相」にも繰り返し出ていました。
”応神天皇が初めの天皇”
と。
神功皇后の皇子が「応神天皇」です。
しかし、応神はもう一人います。
彼女の呼びかけに”応えた神”
「住吉の神」です。
それが、饒速日の神。
「始めの天皇」ならば、尚更、彼の可能性があります。
*
もうすぐ新嘗祭ですが、
「新嘗祭と住吉神とニギハヤヒ」で、住吉神がニギハヤヒ命だと辿り着きました。
「二つの伝承 8 ~五十猛命と甕依姫」で、
彼らが高良の神であり、ニギハヤヒ命であり、
甕依姫は、神功皇后であり、ニギハヤヒの妃のミカシヤ姫ではないかと推測しました。
二人は、「日甕(ヒミカ)」なのです。(「高良の神と日甕」)
伝承では、ニギハヤヒ命の一族は、大陸から渡来してきました。
一方、(伝承では)神功皇后の母の家系には「ツヌガアラヒト」という天日鉾ともされる
大陸から渡って来たという者がいます。
つまり二人とも、渡来した一族の裔なのです。
彼らが、「ニギハヤヒ命とミカシヤ姫」ならば、
そこにも「存在を残しておけなかった」理由があるのかもしれません。
*
私がこの時点で思う時系列は、
1)ニギハヤヒ命、大和へ。
↓
2)ニギハヤヒ命とミカシヤ姫(ヒミカ)。
(住吉神と神功皇后)
大和で出会い、北部九州へ。
↓
3)大和、大乱。
↓
4)応神天皇と豊姫(台与)が夫婦になり、大和へ。
(降立とも彼らと同神)
2)の二人が北部九州へ行ったこと(去ったこと)が
(大和にとっての)天照の岩戸籠りであり、
4)の二人が大和へ戻ったことが、岩戸開き。
(再び、この世が昼になった)
そして、(4)が神武天皇の東征でもあるのだと思います。
もしかすると(2)と(3)の間は、ニギハヤヒ命とミカシヤ姫は、
大和と九州を何度か行き来しているのかもしれません。
瀬戸内海沿いにある数多の伝承は、そうしたものかもしれないとも思います。
*
もう一つ、聞こえた声がありました。
「宝満山」での声です。
<<玉依姫は神功皇后であり、神武は「その子」>>
やはり、そうなのか。
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宝満山に祀られているのは、玉依姫命、神功皇后、応神天皇。
玉依姫の子である神武は祀られていません。
玉依姫(称号)でもあった神功皇后が”そう”であるから、
この山に神武ではなく、応神が祀られているのです。
*
饒速日命が、現人の神。
人の姿で現れた神。
始まりの天皇ならば、あらひと神に違いありません。
ずっと、現人の神様として、あのお社で待っていたのです。
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那珂川の現人神社に。
(「日本の真相 10 ~卑弥呼 と 八咫鏡 と 十種神宝~」 へ つづく )
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