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2018年12月31日 (月)

日本の真相 16 ~後編 葵祭 と 住吉神 と 神功皇后~

日本の真相 15 前編 ~葵祭 と 住吉神 と 神功皇后 のつづき 


加茂と籠神社の「葵祭」。
その前に行われるという下鴨神社と住吉大社の「卯の花神事」。

そして、
三輪の神である饒速日命と、神功皇后。

これらには繋がりがありました。

                         *

<加茂の神>

加茂の神。
踏鞴の神でもありました。

「儺の国の星」に踏鞴の元祖についての記載があります。

  (「細石(さざれいし)神社 ~福岡県糸島市~ 」)

古事記には、垂仁天皇の皇子が踏鞴の元祖であり、
名を、伊登志別王(いとしわけのきみ)、筑紫では鐸石別命
(つくしわけのみこと)と書いたとあるそうです。

また、砂鉄、磁鉄鉱を還元する名匠が、伊迹師(いとし)、五十氏(いそし)、
後に万葉の頃は石上(いそのかみ)と呼んだともあります。

伊登志別王の「いとし」から「石上」。
また、垂仁天皇の別名、「活目入彦五十狭茅天皇(いくめいりびこいさちのすめらみこと)」
にも、「五十(いそ)」の名があり、両名とも、磯良(いそのかみ)神であった
高良の神(住吉神)を示唆しているようです。

 

神功皇后、応神よりも前の代とされている、垂仁天皇の存在の可能性は薄いとも
言われており、皇子が踏鞴の元祖とされているのならば、「踏鞴の神」を
示します(同一人物)。

皇子の別名、鐸石別命(つくしわけのみこと)は、筑紫別命ともとれます。

そうであれば、筑紫の神である、高良の神のこと。


<石上>

「いとし」「五十」の名から、石上神との関連が示唆されますが。

奈良の石上神宮のご祭神は、布留の神。
三輪山のご祭神、大物主である饒速日命です。

布留の神と呼ばれた饒速日命。
フルは「隕鉄」のことでもあります。

(「二つの伝承 3 五十猛命 と 「儺の国の星」再販」)

谷神(こくしん)を石上(いそのかみ)と呼ぶ。
磯神が鉄を求めた仕事は、「黒」を成す行程である。
鉄を「ふるみたま」。
宇宙の色をそのまま復元した姿。


フルとは隕石に含まれる隕鉄ともあり、これを製錬したのが石上氏だとも。

製錬、つまり踏鞴。
踏鞴の元祖とは、石上(物部氏)の祖である饒速日命。
                
                  *

物部氏達の中で踏鞴の作業をする人達を、「kana-muli(カナムリ)」と
呼ぶようになり、そこからカモ族が派生した、というのが真相でしょう。

物部氏の祖神が饒速日命であるので、踏鞴の神(賀茂、加茂の神)も彼だと
言う事です。

加茂の神は、踏鞴の神。
饒速日命が、賀茂の神でもあるのは、そういうことでもあるのです。

また、筑紫の神である高良の神も、饒速日命でもあります。

☆筑紫の五十猛神、高良の神について。

(「二つの伝承 8  ~五十猛命と甕依姫~ 」)

(「二つの伝承 3 五十猛命 と 「儺の国の星」再販」)

 

                     *

「賀茂」と「住吉」

「脊振神社は京都賀茂神社に、現人神社は大阪の住吉大社に生まれ変って
本家本元はまことに寥々たる廃れ方である。」

真鍋氏は、賀茂神社の元宮も、こちらにある脊振神社だとしています。
しかも、脊振神社のご祭神市杵島姫は神功皇后(とされている人)かもしれないのです。

加茂の神は饒速日命なのに、元宮の脊振神社には市杵島姫。

それは、彼らが夫婦神だからでしょう。
その神功皇后と、饒速日命である住吉神は夫婦なのです。
(高良玉垂の秘伝書より)


そして、長州宮から見えたという「葵祭」の元。

もしかすると、その葵祭は、元々神功皇后達の為に、この那珂川で行われていた
行事であったのでは?

今の華やかな衣装を身にまとった祭りのようではなく。
花鎮めの如く、花で飾った参列者が練り歩いたような。
もしかすると、「彼ら」の人の前で。

だから、三輪の神(住吉神)と神功皇后が、葵祭りに「関わる」のでは?

                  *

天智天皇は、葵祭を京都に。
後にそれは加茂の神を祀る社の祭りへと。

加茂の神は、踏鞴の神。
それは石上氏(物部氏)の祖神、饒速日命(住吉神)。

天智帝が長州宮から見た、脊振神社の葵祭。
それは、那珂川の地。

脊振神社の神は、市杵島姫。
かの神の為の祭り。
その神は神功皇后ではないのか。

なぜ、天智帝が京都に葵祭を始めたのか。
(賀茂の社は、その後の代に創建されている。)
             

それは、「彼ら」を京都へ勘請する為ではないのか。

              *

そう思っていましたら、上記のサイトでこんな記事を見つけました。

下鴨神社 卯の花神事の祭場「奈良殿神地(ならどのかみのにわ)」


卯の花神事の祭場がある「糺すの森」の奈良殿神地。
川の中の「舩(船)」の形の島を磐座としている。
難良刀自乃神(ならとじのかみ)が祀られているという。

その神は、天鳥舩(あまのとりぶね)に乗って降臨したという神話から、
「舩島」と呼ばれていると。
もとは、奈良の狭井神社に伝わる祭りでした。                                  *

天の鳥船に乗ってやってきた神は、神話の中では饒速日命。
狭井神社の神は、三輪山の大物主神。
彼は、饒速日神です。

ならば、下鴨神社の御祭神、加茂建角身命も饒速日命です。

では、彼と共に祀られている玉依姫命。
福岡の宝満宮竈門神社には、玉依姫命と共に神功皇后が祀られています。(*後に加筆)

同じ神が名を変えて社に祀られるのならば、彼女である可能性が高いです。


葵祭りと卯の花祭り、
饒速日命と、住吉神、
そして、神功皇后と、脊振の神の市杵島姫。

それらを繋ぐ、天智帝が滞在した那珂川の長州宮。


那珂川は、住吉社の元宮、現人神社と神功皇后を祀る裂田神社があり、
そして、脊振神社を仰ぎ見れる。
日枝神社の元宮の一つ、日吉神社もある。
(「結びの山 ~その14 日吉の神とニギハヤヒ命~」)

すべてのことは、一つの事実に繋がっていく。
そうならば。


<住吉神は、饒速日命>
そして、
<市杵島姫は、神功皇后>


かの神が彼ならば、やはり、神功皇后とされているのは、
彼と夫婦であったミカシヤ姫ではないのか。

葵祭と、彼らと、那珂川。
やはり、住吉神と神功皇后は、彼ら。

                *


彼の神が饒速日であるから、葵祭は天火明命を祀る籠神社でも
行われているのでしょう。

また「賀茂とは一目の燕語たる Kana-muri(カナムリ)」 から、
雷(かみなり)神である、武甕槌神(たけみかづち神)=建御雷神も
彼とされているのかもしれません。

また、カナムリからカナモリへ、かなは金、もりは古語で山を意味することから、
鍛冶・鉄鋼の神である金山(彦神)も彼。

物部氏の神として。

                    *

古代日本は今思うよりもずっと世界に開けていて、
様々な人や言葉が伝わってきていたのでしょう。

そして自然や山にもっと近く、その感覚と共に生きていた。

 

日本の神や伝承は、今の自分の世界だけを見ては、
解けることはないのです。

近づきたいのならば、古代に還ること。
その感覚に触れること。

それを「儺の国の星」が教えてくれました。



(「日本の真相 17 ~安曇磯良神の名の意味~」 へ つづく)



ここに来て、少し辿り着いたような気がします。
本年中は拙いブログにお越しいただいてありがとうございました。
来年もよろしくお願いいたします。

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2018年12月30日 (日)

日本の真相 15 ~前編 葵祭 と 住吉神 と 神功皇后~

(「日本の真相 14 ~大物主神~」 の続き)

京都の葵祭について、記載がありました。
それは、「儺の国の星」にもあったのです。

日本の真相 4 から要約します。
http://g-village.net/iyasaka369/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E7%9C%9F%E7%9B%B84.pdf

 

****************************************************************

<葵祭りについて>
京都で最も重要なお祭は葵祭りであり、
上加茂では御阿礼(みあれ)神事が、
下鴨では御蔭(みかげ)祭が行われる。

実は籠神社でも加茂に先立って葵祭が行われる。

加茂社では祭員が冠に葵の葉を付けるのに対し、
籠神社では豊受大神縁の藤の花を挿す。

籠神社での葵祭は御生れ(みあれ)の神事であり、これは名称的に
上加茂と一致する。

よって最も重要なお祭りから見ても、上加茂の加茂氏は海部氏・尾張氏と
同族と言える。

なお、藤は”不死”に通じ、”不死”とは”再生”、”復活”のことでもある。

**************************************************************

「儺の国の星」にも脊振の葵祭のことについて書かれてあります。

天智帝が京都に、脊振の葵祭を遷した。
葵祭の始まりは筑紫だとあります。

以下、真鍋大覚氏著「儺の国の星」(加茂の星)項より要約。
*************************************************************

「加茂の星」

天智帝は元(六六二)年壬戌に筑紫の長州宮に遷都し給うた。
長州宮からは青葉若葉に風薫る山た々みの彼方に脊振の頂きが眺められた。
天智帝には後に大和に御帰還後、六(六六七)年丁卯に山城の氏神なる
加茂の社に、筑紫と同じ葵祭を言寄せ給うたのである。

まさに天智帝は筑紫に行在所を奠(さだ)められたが故に、後の京都に
脊振と同じ葵祭を遷されたことになるのである。

(中略)

 筑紫の神々は畿内に遷座して故郷発祥の地を凌ぐほどの繁栄隆昌を
今に示している。

脊振神社は京都賀茂神社に、現人神社は大阪の住吉大社に生まれ変って
本家本元はまことに寥々たる廃れ方である。

神の心に人の心が添はなかった事は、その氏族が離散することが
大きな原因であったかもしれない。

加茂の神は元来は踏鞴の神であった。火と熱の神であった。
これがやがて次の代の天武帝の時に、大和に風神龍田、水神広瀬の
両宮に勅裁の祭事がしきたりに定められたのである。

賀茂とは一目の燕語たる Kana-muli(カナムリ)の倭約であったらしく、
その姿が足一騰(あしひとつあがり)と述べられた如く、楽に坐る時は
必ずどちらかの片膝を立てる先天的遺伝的体質がありましたが、
今でもこの坐り方はところによってはまだかなり見受けられます。


****************************************************************

長州宮跡と、「儺の国の星」にある写真には、「上梶原 平蔵」とあります。

 

Kamikaji03
                 (地図はGoogle Map)        
那珂川市上梶原。
今、小学校と中学校が建っている赤で囲んだ地区になります。

左側の裂田神社の側の緑が安徳台。
安徳台の上にも、古来から何度も宮が築かれてきた「上の原」と呼ばれる台地。
(「安徳台(迹驚岡・とどろきのおか) 福岡県」)

(文中にあった「現人神社」はその北)

長州宮から見ることができたという葵祭とは、どこであったものなのでしょう。

江戸時代までの「脊振」は、脊振山系一体のことを差しました。
今の脊振山は、「廣龍岳」と呼ばれ、その頂上は「上宮嶽」。
脊振神社がそこにあったからです。

今の脊振神社の下宮は、後の世に上宮から勧請されたもの。
              .

では、天智帝が那珂川の「長州宮」から見られたという葵祭りは、
脊振山頂でのことしょうか。

それはないです。
那珂川の長州宮から山頂は遠くて見ることができません。

それは、天智帝が滞在した、那珂川に違いないのです。

                 

那珂川の「葵祭」が脊振神社の為のものならば。
それはご祭神、市杵島姫の為の祭り。

市杵島姫が神功皇后の可能性があるならば、尚更です。

那珂川には神功皇后の伝承があり、彼女の夫とされる「住吉神」の始めの宮、
「現人神社」もそこにあるのです。

そこから分かったことがありました。

                       *

「卯の花神事」
                        
京都下鴨神社の葵祭の前に行われる「卯の花神事」は、
もともと奈良県三輪大神、狭井神社で行われていたものだそうです。

神旅 仏旅 むすび旅」(下鴨神社 葵祭の前の卯の花神事)」
のサイト。

また、「卯の花神事」は、下鴨神社と住吉大社が有名だと。

住吉大社の「卯の花神事」はかの宮の創立記念日にあるとか。
神功皇后が住吉大神を祀った日とされるのです。


二つの「卯の花神事」。
そして「加茂の葵祭」と「籠神社の葵祭」
住吉神と、神功皇后。

これらには繋がりがありました。
                                      

 

(「日本の真相 16 ~後編 葵祭 と 住吉神 と 神功皇后~」 へ つづく)

 

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2018年12月24日 (月)

日本の真相 14 ~大物主神~

(「日本の真相 13」 の続き)


日本の真相 4 から要約します。
http://g-village.net/iyasaka369/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E7%9C%9F%E7%9B%B84.pdf

***************************************************************

大神神社では大物主神=大国主神が祀られている。
この大物主神は少彦名神(スクナヒコナノカミ)と協力して天下を治め、
まじない、医療などを教え、葦原中国の国作りを完成させた。
日本=ヤマトの根幹を築き上げたことの象徴である。

その後天孫ニニギに国を譲って杵築(きづき)の地に隠退し、
大国主神として出雲大社の祭神となったが、
古事記ではニニギに国を譲ったのはニギハヤヒであり、
ニギハヤヒは物部氏の祖とされているから、大物主神は物部氏の祖神である。

新たに渡来してきた一団=天孫ニニギに物部氏が国を譲った(譲らされた)、
ということの象徴。
 

なお、大物主神は蛇神であり、水神。
また雷神としての性格も有するが、それはヤハウェ=ヤーの性格であり、
籠神社の祀る海神はヤーであるという極秘伝と一致する。

これからも大物主神は元々海部氏・尾張氏の主神である。


それに、大神神社の摂社である檜原神社は、天照大神を初めて宮中の外に
祀った倭笠縫邑の地であると伝えられ、元伊勢の一つと言われている。

つまり、内宮の元伊勢第一号が海部氏・尾張氏の主神を祀る
大神神社の摂社ということ。

対して外宮の元伊勢は唯一、籠神社だけであるが、
いずれも海部氏=尾張氏に関わるという事は、
海部氏=尾張氏こそがヤマトの基礎を造っていたことの暗示である。

それは大神神社が古代日本に於ける最初の神社であり、
そこからすべてが始まった、ということを暗示している。


****************************************************************

(「二つの伝承 9 ~日の神 と 月の神~」)の記事で

外宮の神は、籠神社から来た月神(磯神)であるニギハヤヒ神であり、
石上神宮と、磯宮と呼ばれていた伊勢の神も同じ(ニギハヤヒ神)
と、辿り着きましたが、ここでもそうありました。


その磯神は、高良玉垂神秘書にある、安曇磯良神です。
籠神社のご祭神と同じく、月神であり、
満珠、干珠(潮満玉と潮干玉)を有し、月の如く、海の潮の満ち引きを自在に操る神。

籠神社の神は天火明命であり、ニギハヤヒ命とされています。
ならば、やはり高良の神(安曇磯良神)は、ニギハヤヒ命。

高良山には、物部軍団の本拠地があったという説があるのです。
「高良大社の祭神高良玉垂命も物部氏の祖神饒速日尊となる」

と、事代主さんのブログにも書かれてありましたが、
そうならば、高良の神である住吉大神、八幡大神 もニギハヤヒ命。

高良の山中にも同じ久留米市内にもニギハヤヒを祀る神社があります。
(「伊勢天照御祖神社 ~福岡県久留米市~ 」)

                    *

住吉神、八幡大神がニギハヤヒ命であるのなら。

高良の神と夫婦であったという神功皇后は、
”ニギハヤヒ命”の妃とされていた人(ミカシヤ姫)です。

(「二つの伝承 8  ~五十猛命と甕依姫~」)

神功皇后のこの地に残る伝承の数々は、
筑紫(福岡)から大和へ向かったニギハヤヒ命が、
彼女(神功皇后として)と共に筑紫に戻ったことを示しているのでは。

筑紫には、高良大社や、英彦山にも「後からきた神に譲った」という
伝承があるのです。

  高良大社は高皇産霊神が、高良玉垂命(ニギハヤヒ)に場所を譲った。

  英彦山は、大国主(ニギハヤヒ)が天忍穂耳命に譲った。 
  (英彦山には「天火明命」を祀るお社がありました。
   大国主は天火明命であり、ニギハヤヒ命です)
 *大国主、大物主は伝承によっては一緒くたにされている。


神話や伝承には、嘘と真実が混在しています。
この二つの伝承の真実(核心)は「神が二度来訪したこと」。

”それ”が、同じ神であるという可能性は、零ではないのです。
                 .

高良の神である住吉神と夫婦になったという神功皇后。
彼女達は高良山で暮らしたと伝承にはあります。
その住吉の神がニギハヤヒなら。

筑紫から大和へ行き、再び筑紫に戻った神が、
「隠された」神ならば、真実が覆い隠されている可能性はあると思います。

            *

<<神話や伝承に隠された真実に近づくこと>>

それが覚醒への道の一つだと、最近、受け取りました。
このブログに書き、考えながらあちこち行動していたからこそ、
ここまで来られました。
私が思う事も全てが真実ではないと思いますが、一歩でも近づけたら、と思います。

  . 
昨日、縦走した、最後の山の天拝山には、中腹に「荒穂神社」があります。
基山の「荒穂神社」から勘請されたものです。

ここのご祭神に、「宝満大神」と共に「香椎大神」とありました。
香椎大神とは、神功皇后のこと。
他の神は、住吉神、八幡大神と(ニニギ命を除き)ニギハヤヒ命でした。


前に来た時は気付かなかったのですが、やはり、この二人のことなのだと。

山に登ることも「道」の一つなのかもしれません。

                               .

(「日本の真相 15 ~前編 葵祭 と 住吉神 と 神功皇后~」 へ つづく)

 

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2018年12月20日 (木)

日本の真相 13 ~かごめ歌とひふみ歌~

( 「日本の真相 12.5」の続き)

大和三山と忌部氏の忌部山。
それはARIONの「345の封印」と同じものを示しています。

それらは、「かごめ歌」が示すものと同じでした。

かごめ歌。
「ひふみの歌」とともに、ずっと気になっていたその歌。
その”理由”がそこにありました。

「日本の真相 3」より要約。
以下、PDFの(日本の真相 3)より要約。
http://g-village.net/iyasaka369/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E7%9C%9F%E7%9B%B83.pdf

*******************************************************************

「かごめ歌」

かごめ歌は籠神社の隠し歌で、日本の国家成立に関わる重大な秘密が
暗号として隠されている。

鶴は伊雑宮であり、亀は籠神社のこと。

 ”かごめ=籠目”とは、竹で編んだ籠にできる隙間で、六角形で六芒星の象徴。
六芒星はユダヤ教の象徴で、物部氏を象徴している。
籠目紋は古代史の謎を紐解く籠神社と伊雑宮の御紋であり、ここでも
物部氏を象徴している。
(伊雑宮の場所は、物部氏の領地だった)
(*伊勢神宮の奥の宮とも言われている)

 ”鳥”は精霊で、秦氏の象徴である。

 ”籠の中の鳥”は、籠である物部氏が秦氏を取り囲む形であり、
(中略)日の丸、・・・日本を象徴している。


”籠の中の鳥は いついつ出やる”とは、日本の真実はいつ公開されるのかということ。
鳥は秦氏であり、秦氏が守り抜いてきた日本の秘密はイエスの奥義であるから

(*ここに出るイエスは神の象徴だと思う)イエスの奥義・御神体がいつ公開されるのか。

”夜明け”とは、、太陽が現れる=光の神イエスが再臨する=
世界に真実が公開される前ということ。

”鶴と亀がすべった”の鶴は鳥で秦氏
亀は六芒星で物部氏。
特に鶴は伊雑宮の由来に登場する、稲穂をくわえながら鳴いている真鶴に通じる。

そして、”すべる”は、統べる。
つまり秦氏と物部氏が一つになる=日本で真実が公開されるということ。

 

”後ろの正面 だあれ”のその人は、人間に関わる絶対神イエス=天照大神。

かごめ歌は、国家成立の重大な秘密に関わった籠神社の隠し歌。


***********************************************************

「かごめ歌」が示すもの。
天照大神はニギハヤヒ命です。

「かごめ歌」と、大和三山とARIONの「354の封印」。
それらは「この花の図」が、指し示すものと同じ。(前の記事と少し重複します)

(この花の図について)
「ラトナ通信2018 ARIONのメッセージ解読4」(kono87さんのサイト)
http://kono87.cocolog-nifty.com/blog/2014/10/4-2b38.html

大和三山が示すものは、大神神社のご神体「三輪山」(ご祭神は大物主)。
ARIONの預言の「345の封印」の先にあったのが「三島神社」(ご祭神は、布留の神)
どちらもニギハヤヒ命が祀られているお宮です。
友人koo87さんが、「この花の図」は六芒星を表し、
それはニギハヤヒであることも導き出していました。

「天照國照とは、天と地を指す二つの三角形からなる六芒星」

 

それは、「かごめ歌」の「籠目」の紋様が表す六芒星は、ニギハヤヒ命であるということ。

 

ARIONはその二つの重なる三角についても何度も「預言」を残し、
「この図(魔法陣・この花の図)は神一厘のシナリオに関係し、
隠された王であるニギハヤヒを示している」とも告げていたのです。

               *

大和三山とARIONの「345の封印」、かごめ歌・・・。
もしかするとその全て?が、「神一厘のシナリオ」であり、
ニギハヤヒを示すものなのでは。

それらが示すものは、(「日本の真相」では)秘義の公開、
(ARIONの預言では)再臨。

そのどちらかなのかは分かりませんが、ニギハヤヒ命が住吉神でもあるのなら、
現人神社の伝えの如くなのでしょう。
現人の神は「この世に大事が在る時に姿を表す神」なのです。
つまり、”再臨”。

 

                   *

また「かごめ歌」の「籠の中の鳥」の“鳥”とは、

十理(とり)=ひふみよいむなやここのたり=十種神宝、のこと。

隠されているものは、十種神宝でもあると考えています。

十種神宝は、饒速日命が伝えた物を物部氏が受け継いだというもの。
その物部氏が、籠目の象徴でもあるなら、尚更、”そう”なのではないでしょうか。
           .

物部氏が祀る石上神宮。
そこに伝わる「布留の言(ふるのこと)」

「ひふみよいむなやここのたり・・・、
 ふるべ、ゆらゆらとふるべ」

十種神宝の呪文だそうです。
その言葉自体が力を持つのか、またその「物」が存在するのかは分かりません。

死者をも甦るという石上神宮に伝わる「鎮魂歌」(魂振り神事)。
ニギハヤヒ命の命日とされる11月22日に、その神事が行われるのであれば、
黄泉の国から甦る者は、彼、ニギハヤヒ命です。

ニギハヤヒ命の甦り、再臨。
様々なことが、ARIONが告げたことと符合するのです。

もしかすると「十理」である十種神宝も「再び現れるもの」なのかもしれません。

                          *

「ひふみよいむなやここのつとお」 
その先があるはずだ。
その先を知りたい。            .
幼い頃の望みが一つ叶ったのは、ずっと後になってからでした。


*ひふみ祝詞

「ひふみよいむなや ここのたり
 ふるべゆらゆらと ふるべ」


                    

(「日本の真相 14 ~大物主神~) へ つづく)

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2018年12月18日 (火)

宮地嶽神社*おおしめ祭と宮地山

宮地嶽神社のお社を飾る大しめ縄。
それを掛け替える「おおしめ祭」に娘と行ってきました。

Miyaji60
Miyaji62                        .
2本の大綱の前に人が集まってきます。
安全を祈願しての神事。
                         .
Miyaji61                           .
おお!大しめ縄がないお社!
                          .Miyaji64
綱を境内に運んだら、人力で持ち上げより合わせます。
                          .Miyaji68 Miyaji95
外れないように長い鉄の楔を打ち込みます。
何度か繰り返して。
                          .                         .Miyaji70       .
その度に人の体重で馴染ませます。                        .

                     .Miyaji71
よいっしょっ!
掛け声で一つに。
Miyaji96

できあがり。
お疲れ様でした。
                         .Miyaji97
しめ縄は竜の形を表すと言われていますが、本当に竜みたいです。
                       .Miyaji77
この後、お昼休憩。
里芋の団子鍋を頂きました。
美味しかった~。
感謝です。
                            Miyaji76
しめ縄が上がるまで掛かりそうなので、宮地山の山頂へ参拝。
                              .Miyaji78                         .
宮地山山中。
普段のコートと靴だったので暑かった!
山頂へは娘が行きたいと・・・^^;
                         .Miyaji79
山頂の鳥居。
古宮跡。
                       .Miyaji80
宮地山山頂。
180.7m。

Miyaji81                         .
在自山に向かう途中の展望所。
前に来た時より晴れて見渡せます。
島は、宗像三神のお社の一つ、中津宮がある大島。
                       .Miyaji84
西方向。
宮地山と立花山、その向こうに薄っすら見えるのが、脊振山系の山々。
ここで娘がばてたので、一人で走って、在自山山頂を踏んで戻ってくる。
                            .Miyaji83                         .
在自山経由で行けるという展望台へはまた今度。
                       .Miyaji85
下山して、麓に戻ってきました。
稲荷さんにご参拝。
紅葉はすっかり終わりです。
                            .Miyaji86
戻ったら2時頃。
ちょうど、上に取り付け終わったところでした。
重機が無かった頃はもっと大変だったんだろうな。

取り付け、あちこち綺麗に整え、房もつけます。
                       .Miyaji88                             .
できあがり。
この後、神事です。

                         .Miyaji91
光の道。
光が入る日(年に2回だそう)に見てみたいなぁ。
                          .Miyaji93
光の道の先の海岸へ。
                         .Miyaji94
宮地嶽神社の参道です。

このお祭、天気が良いことが滅多にないそうで、ここまで良いのは珍しいとのこと。
うち、晴れ女ですから!^^

 

来れて良かった。
ありがとうございました。

 

 

2018年12月17日 (月)

大原山神社 ~成竹山の二柱の神~

那珂川市の日吉神社の裏山にあたる成竹山。
そこには、もう一つお社があります。
                      .Oohara03                                            .
大原山神社

夏の豪雨の時に山が少し崩れて、手水舎が傾いてました。                           

 

                         .Oohara01                                                    .
ご祭神は、大己貴命。
                        .  Oohara09_3                                          .                        
  大原山神社は、鳥取県 大山の中腹に位置する、大神山神社より
御魂分けされて2000年十月に創建されました。
かねてより「大山へ来い」という神の声を耳にしていた創始者が、
生死をさまよう夢の中で見た、青銅の鳥居を手がかりに、快気後、
大神山神社をたずね、それが縁となって、数年後、この
地に分け御魂を頂くこととなりました。
主祭神 大己貴大神様は多くの別名をお持ちで、中でも古代出雲
地方を広く治めた、大国主命様(大国様)として知られています。
御神徳は、全ての縁結び。すなわち人と人、土地や仕事との縁、
産業産物にいたるまで、広くその縁を結び、また商売繁盛、家内安
全などにも及ぶ力をお持ちです。

                      .

ごく最近、建てられたお社でした。
ご神託があって、それが縁で勘請されたとのこと。
                        .Oohara05                                                  .
大己貴命は大国主神。
大黒様です。
(習合されています)

 

Oohara06                          .
                                            .Oohara02                            .
ここは日吉の森、成竹山です。
麓には日吉神社があります。
                      .Hiyo07                                                 .
                                           << 日吉神社 >>

那珂川市の日吉神社のご祭神は、猿田彦命でした。
脊振に多くの寺を開いた最澄が、その日吉の神を比叡山へ勘請して、
日枝神社を創建し、ご祭神の一柱としました。
                                                .
日枝神社の二つの本宮に祀られている神から、
その二柱の神が同じだと推察しました。

(「結びの山 ~その14 日吉の神とニギハヤヒ命~」)
                                               .

神の名は「猿田彦神」と「大己貴神」。

大本のこちらの日吉神社の日吉の森である成竹山。

「大己貴神」がご神託により、こちらを請われたのは、
それを裏付けしているものだと思われます。


*後に分かったことです。
日吉神社の神は、本当に大己貴神、天御中主神などでした。

(「日吉の神は大己貴神 ~那珂川市 日吉神社~」)  19/04/29 の記事


                                  .Narutake04                   .
この森に入ると「結界」を感じます。
そこは清々しく、けれども圧倒的なパワー(山、土地の力?)。
 
「妖精がいる山」とも言われ、山中にある中村山跡の主は、
「竜に乗って通った」とも伝えられている山。

その”感覚”は、多くの人が感じられるものだと思われます。 

日吉の神社でこの様な写真を撮りました。
            .
Hiyo06                      .
天狗や天使にも見えるというその姿。
日吉の神が猿田彦の神であるなら、そうなのかもしれません。

成竹で感じるその気配は、彼らなのかも。
                     .Hansyu06                     .
奈良だと思っていた、泣きたくなるほど懐かしい記憶の川が、
この山の中にありました。

                   *

 

大国主の神は大物主神。
彼は奈良の大神神社の神、饒速日命です。

那珂川には現人神社があります。
こちらも住吉の元宮。

住吉神が饒速日神ならば、すべては、この地に彼らが在ったことの証。

日吉の神は大己貴神 ~那珂川市 日吉神社~



                 .

 

2018年12月14日 (金)

那珂川の山半周*西側38キロ ~その2~

 ( つづき )

階段を上がって脊振山頂上へ。
12時45分頃着(ダムから1時間50分)

脊振神社の上宮があります。
                   .

 

Hansyu19                                          .

ご祭神は、市杵島姫など。
市杵島姫は弁財天とも言われ、ここは日本六所弁財天の一つ、
「脊振弁財天」でもあります。

神功皇后がここで神事をしたそうです。
ここ最近の「日本の真相」に「神功皇后が市杵島姫であり、弁財天ではないか」
とありましたが、ここもそれを示すかのような場所でした。
これも流れなのかな。
                       .Hansyu20                                                 .
脊振山山頂。
1055m。
後ろのは自衛隊のレーダードーム。

脊振の語源の一つは、二頭の竜が背を振ったことから。
                    .Hansyu21                                            .
マイナス8度。
その割にはあまり寒くない。
そろそろ地上で雨が降ると、ここには雪が積もります。

下の駐車場(階段下の基地の横に一般駐車場があります)の側の休憩所で
10分ほどお昼休憩。
ここから東に向かいます。

蛤岳まで4.6キロ。
                         .Hansyu22                     .
脊振山系の縦走路になります。
九州自然歩道になるのでかなり整備されています。
                           .Hansyu23                                          .
こんな木の道がしばらく続きます。
所々、木が腐って穴があいてるので要注意。
                      .Hansyu24                                               .
蛤岳山頂の三角点。
標識が見当たらないです。
14時46分着。
                     .Hansyu29                                                   .
蛤岳の蛤岩。
                       .
Hansyu30                                                .
登れるので、そこからの眺め。
向こうに見えるのは、普賢岳。
南西方向ですね。

坂本峠まで4キロ。
あと一時間で目標の16時です。
ライトは持参しましたが、山の中で暗くなるのは避けたい。
                      .Hansyu27                                            .
この辺りには「蛤水道」があります。
水量が多くなれば、福岡側に流れるように工夫されていたそうです。
                      .Hansyu32_2                     .                                               .
元和というと江戸時代初め。
いつの世も水は命の源です。

ここも見たかった場所の一つでした。
                           .Hansyu34                                                    .
坂本峠が見えました!
                     .Hansyu35                                .
山を抜けました!
通って来た登山道です。

脊振山頂から3時間程。
15時50分。
ぎりぎり目標の16時までに抜けて良かった~。

この後、坂本峠から、車を置いた成竹登山道近くの河川公園駐車場まで、
13キロ(グーグルマップでは3時間4分)を車道沿いに歩きます。 
                             .               Hansyu37                                     .
ヤマップのナビにはまだ無い、出来たての「五ヶ山ダム」。
前の夏の豪雨で、那珂川に水害が少なかったのはこのダムのおかげです。
                  .Hansyu38_2                      .
16時30頃。
五ヶ山ダムを通る辺りで日が暮れてきました。

ゴールの駐車場に、18時47分に着きました。
坂本峠からちょうど3時間。

Screenshot_202101262105282                                      

..地図の上がスタート、成竹登山口。
そこから南西端が脊振。
方向を変えて、南東端が坂本峠。
そこから車道を北に、もとの駐車場へ。
Hansyu46
                                               .
総距離38.2キロ。
11時間15分。

車をなんぱた(ダム)の駐車場に置いていけば良かったかもしれない。
河川公園においてけぼりだったので、終始心配でした(騒動になってないかとか)。
せめてフロントガラスに「登山してます!取りに来るのが遅くなります」とでも
張り紙をしていけば良かったかなと思いました。

                   *


福岡の一部の登山者のあこがれ! 脊振山系縦走。
西の十坊山から東の基山まで、約70キロあるそうです。
最近、縦走した方々は、行動時間が約30時間。
テントで一泊して、一日目約30キロ、二日目約40キロだそうです。

いつか脊振山系縦走したいよ~!
二日続けて30キロ以上!
これを続けては無理かなぁ^^;

ってまだ山に登り始めて1年ちょっとか^^;
もう少し精進しますっ!

とりあえず、こま切れで全山縦走!

               
その前に那珂川の東半分の山も巡りたい。
ヤマップのナビにないので、手探り。
少しずつ、こま切れで巡ります!


            .

 

 

2018年12月13日 (木)

那珂川の山半周*西側38キロ ~その1~

見える範囲の山、全部登ってみたくて。
とりあえず、半周してきました。
まずは日吉神社の裏山、成竹登山口へ。

車は、南畑小近くの河川公園に駐車しました。
(予定していた日吉神社(中之島公園)の駐車場は時間が決まっていたので
とめられなかった)
そこから20分ほど歩いて登山口へ行きました。

側のお社に御参拝。
                              .

 

Oohara07                        .
大原山神社。
ご祭神は大己貴神。
Oohara05                      .
このお社の詳細は後日。

 

行ってきます!
この時点で8時。  

 

成竹山は不思議な山です。
前の記事にも書きましたが、山中には「中村山荘跡」があって、
その主は龍に乗って通ったという噂があります。             

 

Hansyu02                                              .
その登山道にはずっとこんな石垣が続いています。
今回は、山頂へも向かわずに、山体を巻くように登っていきます。
                            .Hansyu04                                                .
山中へ。
                                  .                     Hansyu07                             .
前に来た時もそうですが、山中に入るとさっと気配が変わります。
結界に入った感覚。
この時も感じました。
                     .Hansyu06                                      .
沢が幾つもあって何度も徒渉(としょう)します。

ここから一ノ岳へ向かう途中、登山道を見失って30分ほどうろうろ。
ピンクテープも踏み跡も少ないので、迷いやすい箇所があります。
ヤマップのナビと方位磁石とピンクテープを頼りに元の道へ。
                           .Hansyu08                                                   .
一ノ岳に入ると「脊振少年自然の家」のフィールドワーク?の標識が
たくさんあって分かりやすいです。
                                          .Hansyu39                                                .
陣ノ尾岳山頂。
標高695.7m。

地図では「一ノ岳」です。
                                       .                            .Hansyu10                              .
一ノ岳、下山しました!
見えるのは脊振ダム。

ここまで約3時間の10時50分。
予定より30分遅れ、成竹で30分迷っていたのでほぼ予定通り。
最終的に山を抜けるのを16時の日が暮れる前にと思っているので、
時間とにらめっこです。
                                    .Hansyu11                           .
ダムの側にある「山神社」
脊振に行ってきます!
                                            .Hansyu12                                         .
ここまで来ると山頂のドームがあんな近くに見えます。(肉眼ではこのぐらい)
那珂川ってほんとに脊振の麓だったのですね。
                           .Hansyu13                                     .
福岡側の頂上へ向かう自衛隊道路入り口。
最近まで豪雨災害による工事がされてました。
                           .Hansyu14                                               .
ショートカットの登山道。
山頂までヤマップのナビに軌跡がありませんでしたが、分かりやすかったです。
                        .                     Hansyu15                                        .
霜柱!
久々に見ました。
                        .Hansyu16                                              .
博多湾の島々がはっきり見えます。
                      .
Hansyu17                                             .
ここから階段を上って山頂へ。

長くなるので、ここからは次回へ。


( つづく )
                   

 

 

2018年12月 8日 (土)

宮地山~四座周回 ~福岡県福津市~

前回の宮地嶽神社の側にある「宮地山」。
お宮は元々その山頂にありました。
神社の記事は、「宮地嶽神社」で。                 .

宮地山・在自山・対馬見山・水落山と、四座周回できるそうなので、行ってきます!              .

 

Miyaji13                      .
うちからここまで遠かったこと!
お社に着いたのが10時。
                .Miyaji18
前回の記事の奥宮の奥にある登山道から登って行きます。
麓の紅葉はもう少し見頃です。                 .              .Miyaji19
宮地山への登山道はこんな感じ。
普段靴でも登れるお散歩山です。
何人かとすれ違いました。

Miyaji51                     .                 .Miyaji20
登山口から14分ほどで、山頂!
宮地嶽神社の古宮があった場所です。
神功皇后が神事をしたそうです。
                      .Miyaji21                    .

 

ここでは1600年前。
下の神社の創建が1700年前。
はっきりとは分からないんですね。

Miyaji22
                 .標高180.7m。

Miyaji23                   .
木の裏にお不動さんのミニ像が。

在自山に向かいます。
             .Miyaji24                .
上がった所が、途中の展望所。
(展望台は他にもあるそうです)

Miyaji40
写真の中央、とおーくに微かに見える島が、宗像大社の中津宮がある大島です。
その向こうには沖津島があるはずです。

在自山に向かいます。
     .                 .    Miyaji26               .
「在自山(あらじやま)」
宮地山から23分ほど。

この後、水落山への道を探しましたが、分からずにしばらくうろうろ。
諦めて、反対から登ることにしました。
                .Miyaji27                 .
山頂すぐ下にある金毘羅神社。
一度、下山して下の金毘羅神社へ。
                      .
Miyaji28                    
池を迂回して、対馬見山へ向かいます。
                 .Miyaji29                .
一番左が対馬見山、真ん中が水落山。
その手前が在自山。

下の金毘羅神社から25分ほどで、対馬見山の登山口です。
20分ほど登ると道がなくなり、神社の階段に出ます。
                  .Miyaji31  
                   .
「富士白玉神社」

Miyaji32                 
お稲荷さんです。

Miyaji33                  .
登山道が分からず、しばらく探しました。
山頂へは、お稲荷さんのお宮の左のこの崖をがりがり登っていきます。
とっかかり無し。
この後、この急登がしばらく続きます。
踏み跡無し!
おそらく、それぞれが必死にとっかかりを探して登るから道が無いんでしょうね。
                   .                .Miyaji34                .
命綱のピンクテープはしっかりあります。
先人の方々が残してくれた手がかり。
ちょうど次が見える辺りにあります。
ありがたいです。

一つ見つけたら、そこまで行って。
辺りを見渡して、その先を見つけて。

その繰り返し。
YAMAPのナビもしっかり確認。
                .Miyaji35                 .
対馬見山山頂~~!
標高161m。

低いのですが、かなりな急登だったので、久々に登った~という感じです。
登山口から30分ほどしかかかってません。
もっと経ってた気がする。

Miyaji48                       .
対馬が見える??
                              .Miyaji36                .
次は水落山へ。
先程よりも道が出来てます。
ピンクテープ分かりますか。
                   .Miyaji37

水落山、山頂~。
対馬見山から20分程。
展望無し!

この後、下山して、ミカン畑に出ます。
また、山の中へ。
                  .Miyaji38
水落山から30分ほど。
在自山山頂に戻ってきました!
直接、水落山へ行くなら、この看板の裏、右手を下ればよかったようです。
迷いやすいらしい水落山、無事に戻れて良かったです。

展望無し、ひたすら藪漕ぎ。
本人はもくもくとひたすら登るのが楽しいみたいです。
                   .                    .
朝の展望台で、ちょっと遅いお昼。
Miyaji25

 

中央の山が宮地山です。

と、すぐ横をすごい勢いで通り過ぎる物体が。
猿だ!しかも大型の。
写真を撮ろうかと思いましたが、一瞬でいなくなりました。
よく考えたら、刺激しなくてよかった。

しばらく歩いて、もう少しで麓の神社だと思った、上から4枚目の写真の辺り。
先程の猿が道の真ん中に座ってました。
逃げ場無し。

威嚇もしてこず、不思議と怖いとも思わなかったので、
しばらく見つめあってしまいました。
(ほんとは目を合わせちゃだめ!^^;

でかいなぁ。主かなぁ。
と思ってたら、悠然とこっちに歩いてきます。
出来る限り脇によけてじっとしていると、側の木に飛び移っていきました。
よかった。
                    .Miyaji41_2                 .                  
麓の紅葉。   

Miyaji17                                    .       
もう一回撮りたかったお狐さん。
接写が苦手なスマホカメラなので難しい。

Miyaji46                  .
あのお山が宮地山。
四座周回、休憩入れて3時間36分。
8.4キロでした。

後で地元の人に、この山で猿を見たという話は初めて聞いたと言われました。
登山する時は気をつけてくださいね。

次は脊振(細切れ)縦走!~って山はもう雪~?(> <)

                   .

 

2018年12月 4日 (火)

宮地嶽神社 ~福岡県福津市~

「宮地嶽神社」
福岡県福津市宮地元町。
側に行ったので、ご挨拶に行きました。

 

Miyaji01                        .
ご祭神は、息長足比女命(おきながたらしひめのみこと・神功皇后)
勝村大神、勝頼大神。
創建は1700年前。

渡韓の折、宮地嶽山頂より大海原を臨みて祭壇を設け、天神地祇を祀り
「天命をほう奉じてかの地に渡らん。希(ねがわ)くば開運をた垂れ給え」と
祈願したとあります。(宮地嶽神社HPより)

全国の宮地嶽神社の総本宮。

 

勝村大神、勝頼大神は同行した追従。
「宮地嶽三柱大神」は、開運の神様だそうです。

 

ここの境内には8つの奥の宮があります。
うち2つ。
                      .Miyaji05                   .
ちょうど紅葉してました。
「七福神社」
                .Miyaji07                                                         .
「稲荷神社」
宇迦之御霊神。

歳神さまです。
                   .Miyaji16                                                 .

 

Miyaji45                                                       .
ここが一番綺麗でした。
                    .Miyaji09                                                    .
Miyaji43                                                .
Miyaji03                                          .
元はあの山の頂上にありました。
よし!明日(次の日)、登る!

前に来た時は、山はとても遠い存在で、考えたこともなかったのに。
でも今なら行けます!

 

Miyaji47                                .
ここは嵐のCMで有名になった「光の道」。
10月と2月の2度だけ、この参道の向こうに日が沈んで、
光の道が現れます。
       
                                 .

 

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