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2018年12月31日 (月)

日本の真相 16 ~後編 葵祭 と 住吉神 と 神功皇后~

日本の真相 15 前編 ~葵祭 と 住吉神 と 神功皇后 のつづき 


加茂と籠神社の「葵祭」。
その前に行われるという下鴨神社と住吉大社の「卯の花神事」。

そして、
三輪の神である饒速日命と、神功皇后。

これらには繋がりがありました。

                         *

<加茂の神>

加茂の神。
踏鞴の神でもありました。

「儺の国の星」に踏鞴の元祖についての記載があります。

  (「細石(さざれいし)神社 ~福岡県糸島市~ 」)

古事記には、垂仁天皇の皇子が踏鞴の元祖であり、
名を、伊登志別王(いとしわけのきみ)、筑紫では鐸石別命
(つくしわけのみこと)と書いたとあるそうです。

また、砂鉄、磁鉄鉱を還元する名匠が、伊迹師(いとし)、五十氏(いそし)、
後に万葉の頃は石上(いそのかみ)と呼んだともあります。

伊登志別王の「いとし」から「石上」。
また、垂仁天皇の別名、「活目入彦五十狭茅天皇(いくめいりびこいさちのすめらみこと)」
にも、「五十(いそ)」の名があり、両名とも、磯良(いそのかみ)神であった
高良の神(住吉神)を示唆しているようです。

 

神功皇后、応神よりも前の代とされている、垂仁天皇の存在の可能性は薄いとも
言われており、皇子が踏鞴の元祖とされているのならば、「踏鞴の神」を
示します(同一人物)。

皇子の別名、鐸石別命(つくしわけのみこと)は、筑紫別命ともとれます。

そうであれば、筑紫の神である、高良の神のこと。


<石上>

「いとし」「五十」の名から、石上神との関連が示唆されますが。

奈良の石上神宮のご祭神は、布留の神。
三輪山のご祭神、大物主である饒速日命です。

布留の神と呼ばれた饒速日命。
フルは「隕鉄」のことでもあります。

(「二つの伝承 3 五十猛命 と 「儺の国の星」再販」)

谷神(こくしん)を石上(いそのかみ)と呼ぶ。
磯神が鉄を求めた仕事は、「黒」を成す行程である。
鉄を「ふるみたま」。
宇宙の色をそのまま復元した姿。


フルとは隕石に含まれる隕鉄ともあり、これを製錬したのが石上氏だとも。

製錬、つまり踏鞴。
踏鞴の元祖とは、石上(物部氏)の祖である饒速日命。
                
                  *

物部氏達の中で踏鞴の作業をする人達を、「kana-muli(カナムリ)」と
呼ぶようになり、そこからカモ族が派生した、というのが真相でしょう。

物部氏の祖神が饒速日命であるので、踏鞴の神(賀茂、加茂の神)も彼だと
言う事です。

加茂の神は、踏鞴の神。
饒速日命が、賀茂の神でもあるのは、そういうことでもあるのです。

また、筑紫の神である高良の神も、饒速日命でもあります。

☆筑紫の五十猛神、高良の神について。

(「二つの伝承 8  ~五十猛命と甕依姫~ 」)

(「二つの伝承 3 五十猛命 と 「儺の国の星」再販」)

 

                     *

「賀茂」と「住吉」

「脊振神社は京都賀茂神社に、現人神社は大阪の住吉大社に生まれ変って
本家本元はまことに寥々たる廃れ方である。」

真鍋氏は、賀茂神社の元宮も、こちらにある脊振神社だとしています。
しかも、脊振神社のご祭神市杵島姫は神功皇后(とされている人)かもしれないのです。

加茂の神は饒速日命なのに、元宮の脊振神社には市杵島姫。

それは、彼らが夫婦神だからでしょう。
その神功皇后と、饒速日命である住吉神は夫婦なのです。
(高良玉垂の秘伝書より)


そして、長州宮から見えたという「葵祭」の元。

もしかすると、その葵祭は、元々神功皇后達の為に、この那珂川で行われていた
行事であったのでは?

今の華やかな衣装を身にまとった祭りのようではなく。
花鎮めの如く、花で飾った参列者が練り歩いたような。
もしかすると、「彼ら」の人の前で。

だから、三輪の神(住吉神)と神功皇后が、葵祭りに「関わる」のでは?

                  *

天智天皇は、葵祭を京都に。
後にそれは加茂の神を祀る社の祭りへと。

加茂の神は、踏鞴の神。
それは石上氏(物部氏)の祖神、饒速日命(住吉神)。

天智帝が長州宮から見た、脊振神社の葵祭。
それは、那珂川の地。

脊振神社の神は、市杵島姫。
かの神の為の祭り。
その神は神功皇后ではないのか。

なぜ、天智帝が京都に葵祭を始めたのか。
(賀茂の社は、その後の代に創建されている。)
             

それは、「彼ら」を京都へ勘請する為ではないのか。

              *

そう思っていましたら、上記のサイトでこんな記事を見つけました。

下鴨神社 卯の花神事の祭場「奈良殿神地(ならどのかみのにわ)」


卯の花神事の祭場がある「糺すの森」の奈良殿神地。
川の中の「舩(船)」の形の島を磐座としている。
難良刀自乃神(ならとじのかみ)が祀られているという。

その神は、天鳥舩(あまのとりぶね)に乗って降臨したという神話から、
「舩島」と呼ばれていると。
もとは、奈良の狭井神社に伝わる祭りでした。                                  *

天の鳥船に乗ってやってきた神は、神話の中では饒速日命。
狭井神社の神は、三輪山の大物主神。
彼は、饒速日神です。

ならば、下鴨神社の御祭神、加茂建角身命も饒速日命です。

では、彼と共に祀られている玉依姫命。
福岡の宝満宮竈門神社には、玉依姫命と共に神功皇后が祀られています。(*後に加筆)

同じ神が名を変えて社に祀られるのならば、彼女である可能性が高いです。


葵祭りと卯の花祭り、
饒速日命と、住吉神、
そして、神功皇后と、脊振の神の市杵島姫。

それらを繋ぐ、天智帝が滞在した那珂川の長州宮。


那珂川は、住吉社の元宮、現人神社と神功皇后を祀る裂田神社があり、
そして、脊振神社を仰ぎ見れる。
日枝神社の元宮の一つ、日吉神社もある。
(「結びの山 ~その14 日吉の神とニギハヤヒ命~」)

すべてのことは、一つの事実に繋がっていく。
そうならば。


<住吉神は、饒速日命>
そして、
<市杵島姫は、神功皇后>


かの神が彼ならば、やはり、神功皇后とされているのは、
彼と夫婦であったミカシヤ姫ではないのか。

葵祭と、彼らと、那珂川。
やはり、住吉神と神功皇后は、彼ら。

                *


彼の神が饒速日であるから、葵祭は天火明命を祀る籠神社でも
行われているのでしょう。

また「賀茂とは一目の燕語たる Kana-muri(カナムリ)」 から、
雷(かみなり)神である、武甕槌神(たけみかづち神)=建御雷神も
彼とされているのかもしれません。

また、カナムリからカナモリへ、かなは金、もりは古語で山を意味することから、
鍛冶・鉄鋼の神である金山(彦神)も彼。

物部氏の神として。

                    *

古代日本は今思うよりもずっと世界に開けていて、
様々な人や言葉が伝わってきていたのでしょう。

そして自然や山にもっと近く、その感覚と共に生きていた。

 

日本の神や伝承は、今の自分の世界だけを見ては、
解けることはないのです。

近づきたいのならば、古代に還ること。
その感覚に触れること。

それを「儺の国の星」が教えてくれました。



(「日本の真相 17 ~安曇磯良神の名の意味~」 へ つづく)



ここに来て、少し辿り着いたような気がします。
本年中は拙いブログにお越しいただいてありがとうございました。
来年もよろしくお願いいたします。

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