日本の真相 16 ~中編 葵祭 と 住吉神 と 神功皇后~
(日本の真相 15 前編 ~葵祭 と 住吉神 と 神功皇后 のつづき )改訂して三編にしました。
加茂と籠神社の「葵祭」。
その前に行われるという下鴨神社と住吉大社の「卯の花神事」。
そして、
三輪の神である饒速日命と、神功皇后。
これらには繋がりがある。
*
☆4 加茂の神と三輪の神
☆5 加茂神は蹈鞴の神
☆6 籠神
<☆4 加茂の神と三輪の神>
葵祭がある加茂神社の神。
加茂神は、三輪の神 大神神社の大物主=饒速日命に繋がる。
古代、奈良湖の水を引いたのは、三輪の神だ。
明日香の亀石から、長尾神社の伝承へ。
長尾神社の「三社は、長い龍」から、三社の神は同じと分かった。
長尾神社、竜王宮(石園坐多久虫玉神社)、大神神社。
その中に建玉依比古命の名あり。
鴨玉比古命のことであり、賀茂別雷神社(上賀茂神社)の摂社土師尾社、日吉大社の摂社・樹下若宮などに祀られる。
”かも”神が、三輪の神と同神ということになる。
また、加茂神(ほか)の別名は、三島溝杙(みぞくい)神。
三島は奈良では布留神=饒速日命
筑紫では高良神(と神功皇后)である。
<☆5 加茂神は、蹈鞴の神>
「儺の国の星」から、加茂の神は、踏鞴の神であり、饒速日命に繋がる。
踏鞴(たたら)の元祖についての記載が前回あった。
(「細石(さざれいし)神社 ~福岡県糸島市~
」)
以下、「儺の国の星」より
☆古事記には、垂仁天皇の皇子が踏鞴の元祖。*1
名を、伊登志別王(いとしわけのきみ)、筑紫では鐸石別(つくしわけのみこと)。
☆砂鉄、磁鉄鉱を還元する名匠が、伊迹師(いとし)、五十氏(いそし)、後に万葉の頃は石上(いそのかみ)と呼ぶ。
蹈鞴に関連する者達の名に、つくしわけみこと。
筑紫(白日)別命とは、筑後国一之宮の高良神のこと。
彼は、磯良(イソラ)神であり、石上=饒速日命。
蹈鞴の神は、天目一箇命。
加茂(鴨、賀茂)の神もまた、同神なのである。
蹈鞴を職業とするものが、祀った神。
それが彼であったのだ。
☆6 籠神
加茂神社と同じ葵祭りをする籠神社。
籠神社には、天火明命と豊受大神が祀られる。
これを絵馬では、天照国照彦天火明命と市杵島姫命としている。
☆絵馬の神は御祭神。
天照・・・は饒速日であり、市杵島姫命は宗像神。
市杵島姫命=弁財天であり、奈良でそう呼ばれてるのは御炊屋姫。
饒速日の后であった。
女神天照の別名に、厳御霊(市杵島姫)があり、全て同神なのである。
(☆→女神・天照とは まとめ)アメブロの記事
☆4 より、加茂神は三輪の神=饒速日命
☆5 より、加茂神は蹈鞴の神=饒速日命
☆6 より、籠神は天火明命と豊受大神=饒速日命と御炊屋姫
葵祭が行われる、加茂も籠も、同神を祀っていたのだ。
言い換えれば、同神であるから、同じ祭りがある。
その葵祭は、もともと那珂川の祭り。
それは、かの地の神が饒速日、御炊屋姫であったことになる。
( つづく )
*記事内の考察や写真、イラストなどの無断使用はご遠慮ください。
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これには、饒速日達の「実の時代」が、垂仁天皇の在位の時とされたと考えている。
理由として、以下の理由が考えられる。
☆垂仁天皇は実在していない。
神功皇后より前の天皇であり、そもそも実在していない。
彼女らより前は全て創作である(ちょっと無理あるかも)。
☆実在はしていたが、皇記を紀元前660年と伸ばした為、垂仁天皇の時代に入れ込んだ。
垂仁天皇の御子が「ちくしわけみこと」であり、高良神(饒速日)に繋がるのは、上記の理由かもしれない。
ここに来て、少し辿り着いたような気がします。
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