ブログ村に参加してます!ぽちっとお願いします

*このブログについて

  • amebloにもサイトがあります。 そちらに載せる時に加筆したもの(後に分かったこと)を、改訂版として再びこちらへUPしている記事もあります。
2023年9月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

amebloリンク

無料ブログはココログ

☆ブログからの引用などについて☆

  • このブログの考察、写真、イラスト、考察などは、管理人に著作権があります。無断転載は御遠慮ください。

« 日本の真相 15 ~前編 葵祭 と 住吉神 と 神功皇后~ | トップページ | 現人神社 ~福岡県那珂川市~ »

2018年12月31日 (月)

日本の真相 16 ~中編 葵祭 と 住吉神 と 神功皇后~

日本の真相 15 前編 ~葵祭 と 住吉神 と 神功皇后 のつづき )改訂して三編にしました。


加茂と籠神社の「葵祭」。
その前に行われるという下鴨神社と住吉大社の「卯の花神事」。

そして、
三輪の神である饒速日命と、神功皇后。

これらには繋がりがある。

                         *

☆4 加茂の神と三輪の神
☆5 加茂神は蹈鞴の神
☆6 籠神   

 

<☆4 加茂の神と三輪の神>

葵祭がある加茂神社の神。
加茂神は、三輪の神 大神神社の大物主=饒速日命に繋がる。



古代、奈良湖の水を引いたのは、三輪の神だ。
明日香の亀石から、長尾神社の伝承へ。

長尾神社の「三社は、長い龍」から、三社の神は同じと分かった。

長尾神社、竜王宮(石園坐多久虫玉神社)、大神神社。

 

その中に建玉依比古命の名あり。
鴨玉比古命のことであり、賀茂別雷神社(上賀茂神社)の摂社土師尾社、日吉大社の摂社・樹下若宮などに祀られる。

 

”かも”神が、三輪の神と同神ということになる。


☆→古代*奈良湖と裂田溝 ② ~三輪のヘビは竜~

また、加茂神(ほか)の別名は、三島溝杙(みぞくい)神。

三島は奈良では布留神=饒速日命
筑紫では高良神(と神功皇后)である。

 

<☆5 加茂神は、蹈鞴の神>

「儺の国の星」から、加茂の神は、踏鞴の神であり、饒速日命に繋がる。

踏鞴(たたら)の元祖についての記載が前回あった。

  (「細石(さざれいし)神社 ~福岡県糸島市~
」)

以下、「儺の国の星」より

☆古事記には、垂仁天皇の皇子が踏鞴の元祖。*1

名を、伊登志別王(いとしわけのきみ)、筑紫では鐸石別(つくしわけのみこと)。
☆砂鉄、磁鉄鉱を還元する名匠が、伊迹師(いとし)、五十氏(いそし)、後に万葉の頃は石上(いそのかみ)と呼ぶ。

 

蹈鞴に関連する者達の名に、つくしわけみこと。
筑紫(白日)別命とは、筑後国一之宮の高良神のこと。

彼は、磯良(イソラ)神であり、石上=饒速日命。

 

蹈鞴の神は、天目一箇命。
加茂(鴨、賀茂)の神もまた、同神なのである。

蹈鞴を職業とするものが、祀った神。
それが彼であったのだ。

 

☆6 籠神

加茂神社と同じ葵祭りをする籠神社。

籠神社には、天火明命と豊受大神が祀られる。
これを絵馬では、天照国照彦天火明命と市杵島姫命としている。
☆絵馬の神は御祭神。

天照・・・は饒速日であり、市杵島姫命は宗像神。

市杵島姫命=弁財天であり、奈良でそう呼ばれてるのは御炊屋姫。

饒速日の后であった。
女神天照の別名に、厳御霊(市杵島姫)があり、全て同神なのである。

☆→女神・天照とは まとめ)アメブロの記事

 

☆4 より、加茂神は三輪の神=饒速日命
☆5 より、加茂神は蹈鞴の神=饒速日命
☆6 より、籠神は天火明命と豊受大神=饒速日命と御炊屋姫

 

葵祭が行われる、加茂も籠も、同神を祀っていたのだ。
言い換えれば、同神であるから、同じ祭りがある。

 

その葵祭は、もともと那珂川の祭り。
それは、かの地の神が饒速日、御炊屋姫であったことになる。

 

 

( つづく )

 

*記事内の考察や写真、イラストなどの無断使用はご遠慮ください。

*******************************************

 

*1 11代、垂仁天皇
筑紫では、饒速日の時代と絡めた者が多い。
天照神社では、饒速日が笠置山に天降ったのが垂仁天皇の時代とある。

☆→天照神社(天照宮) ~福岡県宮若市~

 

これには、饒速日達の「実の時代」が、垂仁天皇の在位の時とされたと考えている。

理由として、以下の理由が考えられる。

☆垂仁天皇は実在していない。
神功皇后より前の天皇であり、そもそも実在していない。
彼女らより前は全て創作である(ちょっと無理あるかも)。

 

☆実在はしていたが、皇記を紀元前660年と伸ばした為、垂仁天皇の時代に入れ込んだ。
垂仁天皇の御子が「ちくしわけみこと」であり、高良神(饒速日)に繋がるのは、上記の理由かもしれない。

 



ここに来て、少し辿り着いたような気がします。
本年中は拙いブログにお越しいただいてありがとうございました。
来年もよろしくお願いいたします。

ブログ村に参加しています。
ぽちっとお願いいたします。

にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ

 

« 日本の真相 15 ~前編 葵祭 と 住吉神 と 神功皇后~ | トップページ | 現人神社 ~福岡県那珂川市~ »

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 日本の真相 16 ~中編 葵祭 と 住吉神 と 神功皇后~:

« 日本の真相 15 ~前編 葵祭 と 住吉神 と 神功皇后~ | トップページ | 現人神社 ~福岡県那珂川市~ »