日本の真相 21 ~住吉大社~
(「日本の真相 20 のつづき )
大阪の住吉大社にも神功皇后は祀られていた。
「日本の真相 4」 から要約。
http://g-village.net/iyasaka369/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E7%9C%9F%E7%9B%B84.pdf
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大阪の住吉大社には以下のご祭神が祀られている。
第一本宮 底筒男命(ソコツツノヲノミコト)
第二本宮 中筒男命(ナカツツノヲノミコト)
第三本宮 表筒男命(オモテツツノヲノミコト)
第四本宮 神功皇后
住吉三神は海神であり、対になるのは女神の宗像三神。
卑弥呼をモデルとしていると言われている神功皇后も祀られていることは、
海部氏・尾張氏を象徴している。
その証拠に、摂社の志賀神社では誉田別命と武内宿禰が祀られている。
志賀神社では、底津少童命(ソコツワダツミノミコト)、
中津少童命(ナカツワダツミノミコト)、表津少童命(ウワツワダツミノミコト)が
祀られているが、住吉大神と共に出現された海の神々とされ、いずれも
”わだつみ=ワタツミ”で籠神社での綿津見神と同じである。
住吉大社の御紋は、神宮(伊勢神宮)と全く同じ。
由来は神功皇后が新羅出兵の際、皇后が身につけられていた鎧にあった御紋。
(社紋は「住吉大社吉祥殿のブログ」様よりお借りしました)
卑弥呼は海部氏・尾張氏の女王であり、神功皇后並びに女神としての
天照大神の原型である。
また、卑弥呼の後を継いだのはトヨであり、”豊”という字と関係がある。
そして、神宮は女神としての天照大神を内宮で祀り、籠神社の祭神、豊受大神を
外宮で祀り、外宮・内宮共に元伊勢と言われるのは籠神社だけである。
つまり、神宮=天照大神に隠された秘密が卑弥呼とトヨ、籠神社に大きく関わって
いることが、この御紋で暗示されている。
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上記「日本の真相」にあるのは同神であった。
(☆→高良峰の祓いの神 10 終章 ~住吉神と瀬織津姫~)アメブロの記事
高良神と神功皇后。
彼らの伝承からすべて繋がっていた。
と、この回これで終わってしまうので、確認したい方は、以下へ。
<住吉大社と志賀神>
住吉神は、高良神。
筑後国一ノ宮の高良大社の神。
高良玉垂宮神秘書より、
高良神は志賀神=志賀海神社の神=綿津見神と同神。
高良神の別名は、安曇磯良神。
志賀海神社は、安曇氏が奉祀する社であった。
彼らは物部。
神秘書には、高良神が記したという文の、
「神部物部を隠す為、名を変えた五姓」の中に安曇氏があるのだ。
住吉大社に志賀社があるのは、同神であるからになる。
また、大阪住吉大社の志賀社に、誉田別尊と武内宿禰が祀られているのは、同神ゆえ。
住吉神=高良神は物部の祖神の饒速日=安曇磯良神
=志賀神を祀る安曇氏は物部
となる。
< 住吉大社と籠神社 >
*住吉神
住吉大社の神官の祖先は天火明命である。
☆祖神であるから祀るもの。
住吉=天火明命
住吉は高良神であり、饒速日命であった。
高良神=住吉=天火明命=饒速日命
*天火明命
天火明命は籠神社の神。
籠神社のご祭神は、天火明命と豊受大神。
絵馬では饒速日命と市杵島姫命となっている。
☆絵馬の神はご祭神。
天火明命は饒速日命となり、住吉大社と高良大社から導き出されたものと同じになる。
☆上記の住吉大社の時に書いた、「五姓」の中には丹波氏がある。
これが、籠神社の神官の一族を意味するものであろう。
つまり、彼を奉祀する高良大社の一族
志賀海神社の安曇氏
住吉の神官、天火明を祖神とする一族
籠神社の御祭神=天火明命(丹波氏)
すべて、同じ神を祀る物部氏であったのだ。
また、伊勢は古来、磯宮であり、磯神=石上神である饒速日命を祀る宮であった。
天照が饒速日なのだ。
彼の后は御炊屋姫。
これが女神の天照。
<御炊屋姫>
「日本の真相」にある五柱の女神も同神である。
天照、神功皇后、宗像神、卑弥呼、豊姫
*まずは天照=宗像神=市杵島姫命。
女神天照の別名は撞賢木厳御霊天疎向津姫。
厳御霊は、厳島神社の神の市杵島姫命。
市杵島姫命は弁財天と習合。
弁財天との呼称、地名は御炊屋姫だけ。
天照=宗像神=市杵島姫命=御炊屋姫
となる。
*豊姫と卑弥呼と神功皇后
豊姫は、高良大社の本殿に合祀されている。
☆后を差し置いて祀らないので、彼女が神功皇后。
高良山の麓には祇園山古墳があり、これが彼女の墓となる。
高良大社の下社が「祇園さん」であり、彼は祇園神=スサノオ。
☆主祭神だからこそ、呼ばれる。
(違うなら、失礼)
祇園神の后であるから、ここに祀られ、大社の一族によって大事に守られてきたのだ。
造営は3世紀半ば頃。
卑弥呼の時代であった。
3世紀の最大勢力、それが彼ら。
神功皇后=豊姫=祇園山古墳の被葬者=卑弥呼となる。
<☆宗像神>
御炊屋姫は、饒速日命の后である。
彼は高良神。
よって、高良神の后であった神功皇后は、御炊屋姫となる。
彼女の別名に櫛甕玉姫がある。
饒速日命の櫛甕玉彦と対になる名。
筑紫の神功皇后が関わる「命尽くし」の伝承から甕依姫や瀬織津姫にも繋がった。
祓いの神、住吉と瀬織津姫は、彼らの異類退治が所以なのだ。
その異類退治をしていた者として、楯崎神社に「宗像神と大己貴神」の名がある。
名を変えられた彼らであった。
また、卑弥呼はひみか=日甕であり、櫛甕玉姫である御炊屋姫を示唆している。
( つづく )
*記事内の考察や写真、イラストなどの無断使用はご遠慮ください。
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今更ながら始めました。
古代や神のこと、少しずつつぶやきます。
小分けなので分かりやすいかもです
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