冷水峠の羽白熊鷲 ~その1・冷水峠~
~神功皇后行軍路 ②~
前回、冷水峠(大根地山の鳥居辺り)から南へ下っていきました。
ここじゃない。
羽白熊鷲が出たのは、おそらく冷水峠から北。
それはヰルイという”人ではないもの”
神功皇后が大根地山に祀った神々がそれを物語っています。
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初めて来た時から、何となく避けたかった”この先”。
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行ってきます!
「首なし地蔵まで750m」
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すぐに石畳の道になります。
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谷があったはずだと思っていたら、沢の音が。
あまり深くないです。
今回、200号線(バイパスでは無い方)の冷水道路を通るかと迷いました。
あちらの方が深い谷があるのです。
・・・でも、神功皇后はそちらの山では無く、”大根地山に神々を祀った”のです。
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峠から10分程で「首なし地蔵」に到着。
側に流れているのが、名の由来になった冷水川。
美味しいです。
最近、山の川の水を飲むのに抵抗がない・・・。
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首なしさんの方は、この中のようです。
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この辺りから石畳の道が続きます。
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美しい! .
竹林。
とても静かで清浄で。
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峠から15分程で森を抜けました。
あっと言う間で、こんなんだったかなとふと思う。
ここは違うのかな。
もしかすると千何年も前は、旧車道の谷の底の川沿いを歩いてたのかもしれない。
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筑豊本線です。
去年の水害以来、ずっと不通になってます。
使われない線路はとても寂しい。
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内野荒田の大根地神社の鳥居です。
このまま、宿場町だったという内野宿まで歩くことにしました。
ここから2.4キロ。
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峠を抜けたら、筑豊です。
峠は確かに「基山の東」「筑前と筑後の境」でした。
基山や筑紫神社を起点とすると、この場所外には考えられません。
(「二つの伝承 7 ~冷水峠~」)
後に知りましたが、この長崎街道の冷水峠の辺りが通りやすいように
整備されたのは、江戸時代のこと。
それでも、内野宿から冷水峠まで約4キロ、そこから山家(やまや)宿まで計10キロ。
先日行ったあの辺りも含めて、やはり往来が大変だったそうです。
それよりも遙か前の時代。
難所であったのは間違いなさそうです。
通る人の半分は命を落としたという「命尽くし神」がいた
「鞍韉盡坂(したくらつくしのさか)」。
二つの伝承(「二つの伝承 8 ~五十猛命と甕依姫~」)
にあった「五十猛神と甕依姫」
彼らが「高良の神と神功皇后」ならば、そこに関わっているはずです。
もしもそうならば、「命尽くし神」が「羽白熊鷲」でもあります。
もしも・・・。
この地で「退治」したならば、何か痕跡があるはずです。
碑か、塚か・・・・。
羽白熊鷲は人であらざるものです。
大根地山に神を召喚し、助力を得ないと倒せなかった「ヰルイ(異類)」
人では無いからこそ、倒した後もずっと封じておく必要があるのです。
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・・・内野宿にそれはありました。
( つづく )
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