冷水峠の羽白熊鷲 前編 ~神功皇后行軍路 3~
前回、冷水峠(大根地山の鳥居辺り)から南へ下った。
祠も社も無い。
羽白熊鷲がそこで退治されたのなら、祀られている場所があるはずだ。
それが出たのは、おそらく冷水峠から北。
それはヰルイという”人ではないもの”
神功皇后が大根地山に祀った神々がそれを物語る。
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初めて来た時から、何となく避けたかった”この先”。
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行ってきます!
「首なし地蔵まで750m」
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すぐに石畳の道になる。
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谷があったはずだと思っていたら、沢の音が。
あまり深くない。
今回、200号線(バイパスでは無い方)の冷水道路を通るかと迷った。
あちらの方が深い谷があるのだ。
しかし、谷には川があり、行くならば遡行するしかなかった。
峠から10分程で「首なし地蔵」に到着。
側に流れているのが、名の由来になった冷水川。
美味しい。
最近、山の川の水を飲むのに抵抗がない・・・。
首なしさんの方は、この中のようです。
この辺りから石畳の道が続く。
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美しい!
竹林。
とても静かで清浄で。
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峠から15分程で森を抜けた。
あっと言う間で、こんなんだったかなとふと思う。
ここは違うのかな。
もしかすると千何年も前は、旧車道の谷の底の川沿いを歩いてたのかもしれない。
冷水峠は伝承が重なる唯一の地なのだから。
筑前筑後の境。
シタクラツクシ坂の険しい峠。
基山の東。
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筑豊本線。
去年の水害以来、ずっと不通になっている。
使われない線路はとても寂しい。
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内野荒田の大根地神社の鳥居。
このまま、宿場町だったという内野宿まで歩くことにした。
ここから2.4キロ。
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峠を抜けたら、筑豊。
峠は確かに「基山の東」「筑前と筑後の境」だ。
基山や筑紫神社を起点とすると、この場所外には考えられない。
後に知ったが、この長崎街道の冷水峠の辺りが、通りやすいように整備されたのは江戸時代のこと。
それでも、内野宿から冷水峠まで約4キロ、そこから山家(やまや)宿まで計10キロ。
先日行ったあの辺りも含めて、やはり往来が大変だったそう。
それよりも遙か前の時代。
難所であったのは間違いない。
通る人の半分は命を落としたという「命尽くし神」がいた
「鞍韉盡坂(したくらつくしのさか)」。
(「天照と豊受大神(高良神と神功皇后) ~筑紫神の伝承 8 終章~」)
筑紫神の伝承の五十猛神と甕依姫は、高良の神と神功皇后。
(☆→神*総まとめ)
ならば、彼らが退治した「命尽くし神」は「羽白熊鷲」でもある。
この地で「退治」したならば、何か痕跡があるはず。
碑か、塚か・・・・。
羽白熊鷲は人であらざるもの。
大根地山に神を召喚し、助力を得ないと倒せなかった「ヰルイ(異類)」
人では無いからこそ、倒した後もずっと封じておく必要があるのだ。
・・・内野宿にそれはあった。
( つづく )
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