大己貴神社と大神山と目配山 ~神功皇后行軍路 7~
(前回)の続き。
栗田八幡宮から大己貴神社へ。
ここは神功皇后が三韓征伐の折に兵が集まらなかったので、お社を建てて祈願をすると兵が集まったという伝承がある。
だが、敵の本拠地である秋月を前に、ここで兵が集まったという感じがした。
(直前でわざわざ兵を集めないだろう)
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前の日に、「大国様まつり」があったよう。
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大己貴神は、奈良の大神神社のご祭神の大物主神。
この辺りの地名が「三輪」であり、鳥居には「大神大明神」の扁額があり、「おんが様」と呼ばれている。
この辺りは、「朝倉」。
三輪山の側にも朝倉がある。
三輪の神、大物主神は饒速日命。
その実、彼は高良神であり、神功皇后と共に異類を退治していた。
(☆→神*総まとめ)
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大物主神の荒御魂が大国主。
大国の名から、大黒様と習合されている。
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神の名を変えても、そこに人の祈りが加わる。
人の願いや祈りは、きっとその神に別な力を与える。
もう、大物主は大国主であり、大黒様で間違いないのだ。
(”それ”さえも神の意思のような気もする)
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奈良の大神神社のご神体は、三輪山そのものであった。
ここにもご神体とされる山がある。
お社の向かいに在る「大神山」。
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山ナビにも軌跡がない無名山。
それほど高さもないので、YAMAPの地図と現在地と方位磁石を頼りに登っていく!
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途中まで畑作業用の道があったのだが切れてしまい、適当な所から取り着いた。
竹藪~!倒竹~!
掻き分け、掻い潜って何とか、高みを目指す。
刺さる~!
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道が切れてから10分程で頂上!
標識も何もない。
祠か磐座があると前に聞いたのだが、この近辺には見当たらなかった。
しばらくまったり。
とても気持ちのいいとこだ。
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この後も登山道もナビの軌跡もなかったのだが、少し尾根のようになってる箇所があり、そこを選んで進んだ。
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目配山の登山道めがけて歩く。
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もうすぐ!
二重丸になってる地点が登山道の「小鷹城山分岐」地点。
そちらに向かうのがよさそう。
後でベテランヤマパーの方に地図の読図が出来てると言われた。
嬉しい~!必死、でした ^^;;;
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分岐地点に出た~!
大神山に向かうなら、こちらから(今来た道を)行く方が良さそう。
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ここからは目配山への登山道。
歩きやすいし、心地いい。
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頂上~!は、奥の一本木の辺り。
手前のは「神功皇后腰掛け石」。
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頂上~!
ちょっとガスってるが、最高の天気。
ここでお昼休憩。
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筑後平野が見渡せる。
神功皇后は、ここから羽白熊鷲の本拠地、秋月に「目を配った」という。
しかし、今よりも木がなかったとしても、それは方向的に難しい。
目配山の前には、さらに標高がある長谷山があるのだ。
では、ここへ来たのは「その時」ではないということになる。
彼らは、筑紫の神。
以降、何度も訪れることができたのだから。
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「大神山」よりも、確かに奈良の「三輪山」が神の御魂がある山。
しかし彼らは「筑紫神」。
後に大和へは戻っていない。
神として、大和に祀られたのだと推測している。
大和で生きた時もあった縁ある神なのだから。
この後、北(反対の)の登山口へと降り、林道を5キロ歩いて下に着いた。
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車を置いてある砥上神社へ。
あれが砥上岳。
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砥上神社に戻ったのが15時半。
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Sがスタート地点の「砥上神社」→分岐近くが「松峡(栗田)八幡宮」→
半時周りに、右下が「大己貴神社」→そこから赤の二重丸までが「大神山」→
北に登って「目配山」→交点からスタート地点へ
総距離22.2キロ。4時間59分かかった。
大神山、祠か磐座があるならぐるぐる回って探してみたい。
次回は、大己貴神社から秋月へ向かう。
(つづく)
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