秋月八幡宮*神功皇后の伝承地 ~神功皇后行軍路 9~
続きです。
(☆→大己貴神社~目配山~秋月へ 前編 ~神功皇后行軍路 8~)
神功皇后が見たかもしれない光景を辿って。
大己貴神社~目配山~秋月 の2回目。
大己貴神社から老松神社を経て、秋月へ。
滝 廉太郎の「荒城の月」に歌われた城跡は、この地にあった秋月城。
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今、城跡には学校が建っていますので、入ることはできない。
桜が咲くと多くの人が訪れる。
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神功皇后が陣をはったという「秋月八幡宮」へ。
秋月城址のすぐ側にある。
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ここなかなかの雰囲気。
とても好き。
ご祭神、応神天皇、住吉三神、武内宿禰命
三神は同神。
神功皇后と共に異類を退治していた高良神。
彼は物部の祖神であった。
ゆえにここに祀られるのである。
(☆→神*総まとめ)
(☆→高良玉垂宮神秘書 2 ~高良神は物部の祖神~)アメブロの記事
神功皇后が陣をはった「椿の森」と呼ばれていた。
(上の案内板より)
南に広がる平地で大血(決)が行われました。
現在、千原(血原)という地名で残っています。
それ以降も、秋月氏が古処山麓に城をかまえる約一千年の間、賀美の里(神の里)と呼ばれ栄えていました。
彼らはこの地でも羽白熊鷲と戦った。
それは、高良玉垂宮神秘書がいう「異類」。
多くの地を流し、それでも尚、神の里と呼ばれたのは、彼らの力のおかげだろう。
この風景は、1800年前もきっと変わらない。
この後、彼らは荷原の方へ向かっている。
そこで羽白熊鷲を退治したという。
そちらへ行った時の記事。
「あまぎ水の文化村」に羽白熊鷲の塚があるそうだが・・・。
中に入らないといけないので、未だに機会がない。
大根地山から、いくつか山を登り、神事。
あまぎで羽白熊鷲を退治。
この距離をわずか3日ほどで行けるはずがない。
まして、林田の美奈宜神社の地でも、羽白熊鷲を退治している。
日本書紀の神功記に書かれた行程は、数日間では到底無理なのだ。
各神社に、名を変えられた神は、彼女と異類を倒した高良神。
彼らは「筑紫神」。
大和に帰らず、この地にずっとおられたのだから。
ここまで来て胸のつかえが取れたので、車を置いた大己貴神社へ6キロの道のりを戻った。
大己貴神社に到着。
(1)大己貴神社(赤丸)~(2)阿弥陀ヶ峰~(3)目配山~(4)老松神社~秋月
~(5)秋月八幡宮~(6)愛宕神社~(1)大己貴神社。
24.7キロ、6時間ちょうどだった。
(2は行ってない)
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