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2019年5月31日 (金)

魂須霊 5 ~「儺の国の星」の 三島~

高良の神が祀られている「三島神社」。
「儺の国の星」に三島について記述がありました。 

                        (三笠の星 項  真鍋大覚氏著)

ORIONを三島星、或は三諸星と呼んだはるかな昔があった。
”しま”或は”すま”とは、船人の渇きを癒す湧水井泉のあるところ。
”し”は元来は透明な無色の水を表現する胡語。

”しま”或は”ふくら”とは、海中に孤立した山巓(さんてん)の集合であり、船の寄せ場を言った胡語。
絶海の孤島を”ほし”という西洋東洋を通しての呼び名。

神武帝の后媛蹈鞴五十鈴媛命は三嶋溝橛(みしまみそくい・三島溝杙と同じか)の家系である。
三嶋も溝橛もオリオンの古称であった。
”そくひ”は栄井即ち、砂漠の中のオアシスのこと。
一望千里の砂礫の中に碧空を映しだす水鏡は、まさに虚慮の中に孤影悄然たる星辰の姿と同じ。

                                  (以上、要約)
                          *

これが「三島神社」にも、かの神が祀られている理由。
高良の神が住吉の神でもある理由です。
住吉は海の神。
三神は、オリオン座の三つ星を意味してます。

高良の神は月神でもありました。
二つの珠を使い、海の満ち引きを操ります。
          (「二つの伝承 9 ~日の神 と 月の神~」)


「みそくい」もオリオン座の意味があるとは。
父の大物主が饒速日命ならば、母の玉櫛媛の三島溝杙は、ミカシヤ姫。
ミカシヤ姫のカシ(星の古語)にも星を意味する言葉が入っています。
饒速日命が住吉神だからこそです。

彼女には、櫛甕玉比古、櫛甕玉姫など、常に対になる名があります。
高良玉垂命に対しての、息長垂姫もまたそうなのかもしれません。

高良の神が最初の天皇・応神(息長の筆頭)でもあるからこそ。
(応神は何代か続いたと思います)

             *

「三笠三原御井三潴三池」の地名」 について
                         
三島に関連すると思われる地名が書かれてありました。

                          (三笠の星 項)
博多湾から有明海まで南北に三笠三原御井三潴三池と揃った郡名が並ぶ。
これは、倭人伝の水行十日の解釈に発展した。
((太宰府の前の)針摺瀬戸(はりずりせと)、二日市水道があったという考え)

太宰府の北西にある四王寺山は昔は、潮路見山(しおじみやま)・或は四明山(しみょうざん)と言った。
麓の別院が安楽寺であり、今の天満宮。
今から千八百年の昔はここで北と南の潮目の満ち引きをみる安楽人の望楼観亭があったと伝えられる。
筑後久留米高良大社の絵巻物がこれを語る。 (要約)

                *

三笠郡は、今の大野城市の大部分、筑紫野市の全域、太宰府の全域、
三原郡は、御原郡か。小郡市の大部分、三井郡大刀洗の大部分。
御井郡は、三井郡御井町辺り。高良大社の麓です。
三潴郡は、三島神社のあった辺り。大善寺玉垂宮も。
三池郡は、大牟田市の全域(有明海に臨む)とみやま市の一部。

Mishima11 

これらの中で、気になった場所に印をつけました。

1の場所は、三笠郡と呼ばれた場所の、針摺(はりずり)です。
 文中には、太宰府の前の針摺瀬戸として出てました。
 三笠には、三笠山とも呼ばれる宝満山があります。上宮のご祭神は玉依媛、神功皇后、応神天皇。

2の御原には、物部氏が関わる、筑紫の飛鳥とも言われている宮があったそうです。
 印は御勢大霊石神社 神功皇后の伝承があります。
 (物部氏は饒速日命と、ミカシヤ姫の子孫)

3の御井には、高良大社。ご祭神が高良玉垂神、八幡大神、住吉神。
 印の場所は山なので、麓はもう少し西です。

9の場所には伊勢天照御祖神社(大石神社)
 ご祭神、天照国照彦天火明櫛玉饒速日命。

4には、大善寺玉垂宮。ご祭神、高良玉垂神、
 この辺りも昔は三潴です。
5の三潴には、三島神社。ご祭神が事代主、春日大神、住吉大神、八幡大神、高良玉垂命。
   この辺りに「三島神社」が多い。

6には、風浪宮。ご祭神、高良玉垂神、息長垂姫命。

7には、こうやの宮。別名、磯神物部神社。
 邪馬台国の候補地です。
 その側にも玉垂神社があります。
 (そこには、高良の神と神功皇后が祀られているようです。後に行きたいと思います)

8の三池には、黒崎玉垂神社があり、三韓征伐から帰った神功皇后が最初に上陸した場所。
   ご祭神、武内宿禰命、応神天皇、神功皇后、住吉大神、建磐龍神。
 (7と8は昔の三池。この周辺には特に玉垂神社が多い)

三笠三原御井三潴三池 には、
すべて高良の神か、神功皇后が関わります。(もともと多いのですが)
この地域が「玄海灘、有明海を結ぶ海」だったのでしょう。
古くからあるお社は、その海沿いにあるようです。
かの神は「海の神」でもありました。
それは当然なのかもしれません。

また、高良の神達の勢力圏が広かったことを意味します。
これが「九州王朝」と言われているものなのでしょう。

( つづく )

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2019年5月28日 (火)

魂須霊 4 筑後の饒速日命

むすび2 の三島神社。
その周辺の気になった場所に行ってみました。
(後に一つ一つ、詳しくUPします)

                     *                                                                                                                                             .

まずは大川市の風浪宮へ。

Huurou01
ご祭神は、高良玉垂命と息長垂姫(神功皇后)
(高良の神の妃であるので息長垂姫 *「むすび 3」 )
少童命(わたつみのみこと)、住吉神

ここには高良の神、少童命、住吉の神が祀られていました。
三柱は、同神です。
阿曇・安曇(あづみ)族のあづみは、わたつみがつまったもの、と「儺の国の星」の本にあります。
高良神は、安曇磯良神ともされます。

                                         *

三潴の三島神社へ
たくさんの社から、一つだけ目星をつけ行きました。
                                                                    .Mizuma01

ご祭神は、事代主、春日、住吉、八幡
そして、高良玉垂命。

三島神社に高良の神が祀られています!
饒速日命とされる神々と共に。
やはり、という気持ちです。

ここは伝承にあった大善寺玉垂宮の近くの、三潴(みずま)。
「高良の神が来た」という伝承があります。
三潴に来た高良の神は、イルヰを退治した後、大善寺玉垂宮に居を構えたと。
                                         .
Mizuma03                                    .
御朱印の判子が、三種神器です。
玉と剣と鏡。

                                                          *                                         .

大善寺玉垂宮へ。

Tamatare01
ご祭神は玉垂命(藤大臣)
八幡大神、住吉大神

高良玉垂命が、人になった時の名が、藤大臣、物部の保連と、
高良玉垂宮秘伝書にあります。

玉垂神が饒速日命だからこそ、伝承でも物部氏と深い関わりがありました。
彼は物部氏の祖神なのです。
八幡の神も宇佐の伝承では、饒速日命だと名乗っています。

                                                             *

この後、南下。
みやま市のこうやの宮へ行きました。

Kouya01

こうやの宮は「磯神物部神社」とも言い、(いそのかみ)と呼びます。
5体の像が安直されていて、その中の一体が七支刀を持っています。

Kouya02

ここは邪馬台国発祥の地とされ、七支刀が安置され、後に石上神宮へ奉納されたとの説があるとのこと。
(七支刀は神功皇后と関連があるとも言われてます) 

「儺の国の星」には、玄海灘(福岡の北の海・博多湾)と、有明海は繋がっていたとあります。
太宰府の前に瀬戸があったと。

筑紫は東の宇佐島と西の高来島の二つに分かれ、西を天原(あまのはら)とも言ったそうです。
昔の船旅は、港に寄港しながら進んだそうなので、邪馬台国の記述にある
「水行十日」はこの場所かもしれないと、ふと思いました。

                    *

筑後のこれらの神社。
高良神=安曇磯良神=磯神(いそのかみ)=石上=布留神=饒速日命=三島神社の神
という関係が浮かびます。


( つづき )

 

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2019年5月23日 (木)

魂須霊 3 ~高良玉垂神と息長垂姫の名の意味~

( つづき )


「応神天皇」

応神天皇についての記述が新選姓氏録にあります。

真人は是、皇別の上氏なり”
天皇の姓は”真氏”
真氏の筆頭は息長真人(オキナガノマヒト)であり、
”誉田(ホムタ)天皇より出づ”

ホムタワケは応神です。
応神が初めの天皇だというのです。

息長は神功皇后の名にもあります。
息長足姫、または、息長垂姫。
タラシは垂、高良玉垂の神の姫(妃)を表します。

・・・神功皇后が高良の神の妃ならば、息長垂姫という名は偶然ではありえません。
応神はおそらく二人いたのです。
彼女の子と、その父である高良の神(住吉神)です。

ここに来て、様々なことが繋がりました。

                         *

高良山周辺は、物部氏の拠点でした。
そこに物部氏は祖神を祀りました。
                                                                                 .
Koura460                                                                                     .
それが高良の神である住吉神です。

また、高良玉垂宮神秘書には、住吉は「人となり、物部を名乗った」ともありますので、
かの神は間違いなく物部の祖である者。
饒速日命です。

その神は筑紫神であり、高良の神と同神とされる住吉、八幡、加茂、春日、日吉、猿田彦神、天御中主神、天照、大物主神、歳神・・・様々な名を持ちます。
彼を祀る子孫達が地方へ広まり、名を変えて、その地で祀っていったのです。

もう一人の物部氏の祖神がいます。
饒速日命の妃とされる三炊屋(ミカシヤ)姫です。
(物部氏は、饒速日命とミカシヤ姫の子、ウマシマジの子孫です)
彼女は大和に東遷してきた饒速日命と出会い夫婦となり、
一緒に北部九州へと移りました。

彼女の名一つは「ヒミカ・日甕」。
その名は饒速日命と対になる名です。
饒速日命は天照国照彦天火明櫛玉饒速日命、またの名を、櫛甕玉比古・櫛玉比古。
ミカシヤ姫は櫛甕玉姫であり、櫛玉姫としても祀られています。
        (「櫛玉比女命神社 ~奈良県~」)

日の神の巫女でもあるので「日甕」。
(甕は神への供え物を入れる容器の意味)
        (「高良の神と日甕」)

基山や筑前風土記の伝承に、甕依姫として名が残り、
高良の神と共にイルヰを退治しています。
(ミカシヤ姫は神道では玉依姫(神の魂の依り代)の一人とされています)

彼らは、饒速日命が「住吉神」、ミカシヤ姫が「神功皇后」として、伝承に名を残されました。

八幡神は、神功皇后の子・応神天皇とされていますが、高良大社でも住吉・高良の神と同神です。
宇佐の伝承に「八幡の神は饒速日」と名乗ったともあります。
応神という名は、饒速日とその子、少なくとも二代継いだのです。

                *

気になったあの神社とその周辺に行ってみました。


( つづく )

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2019年5月20日 (月)

魂須霊 2 ~九州王朝の女王と饒速日命~

古田史学会報のHPに「九州王朝の女王たち」というページがあります。
著者は、正木 裕氏
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/kaiho112/kai11201.html

三世紀の卑弥呼、壱与、
四世紀の高良玉垂命などの九州王朝の女王が、
神功皇后に擬せられているとあります。

非常に納得出来る記述が多々ありました。
(ですが、高良玉垂姫とあるのは、彼の妃の方だと思います)

               *

「神功皇后と高良の神の年代が重なっていること」

奈良の石上神社の七支刀が献上されたのは、神功皇后の摂政の間とされます。
(これは四世紀とあり *注1)
七支刀は物部氏が祀る石上神宮に保管されています。

初代の玉垂命は仁徳55年(367年)に筑後三瀦(三潴・みずま、か )
に来て、同56年に賊徒を退治、高村(大善寺の古名)に御宮を造営し筑紫を治め、とあります。
これも四世紀。

高良の神が「来た」?
ならばその場所に「彼」を示すものがあるはず、と筑後三潴を
調べたら気になった神社がありました。

三島神社です。
ご祭神は、事代主、春日大神、住吉大神、八幡大神、高良玉垂命。

さらに、筑後みやま市(瀬高町太神)のこうやの宮(磯神物部神社)に七支刀を持つ武人の像があると記述。
ここは邪馬台国発祥の地とされ、七支刀は元々ここに安置されて、後に石上神宮に奉納されたという説があります。

この二つ、縁があるどころか、そのままでしょう。

三島神社(奈良の三島神社
石上神宮
七支刀
物部氏
磯神(いそのかみ)

高良玉垂神が「饒速日命」だからこそ、全て繋がるのです。

三島神社、石上神宮の布留の神は、饒速日命。
物部氏は、饒速日命の子孫。
筑後三潴の三島神社のご祭神は、全てかの神。
そして、磯良神は高良玉垂命です。

もしもそうだとすると、「仁徳天皇の時代に来た」というのは腑に落ちません。
伝承では、(高良の神の子かもしれない)応神天皇の更に子に当ります。

ですが「高良玉垂命の長男・シレカシ命が、倭の五王の讃に当り、記紀では応神天皇に擬せられている」
ともあります。
「仁徳天皇の時代」というのは、違うのかもしれません。
と、すれば、四世紀ではない?

              *
「時代」

注1 に七支刀の時代が四世紀とありましたが、三世紀との説もあります。
      Wikipedia 神功皇后の項

そもそも「神功皇后の時代」は、三世紀という説があるのです。
香椎宮などのお社では、3世紀(200年代)
「儺の国の星」では、201年~269年
ウィキの「上古天皇の在位年と西暦対照表」では、在位期間が201年~269年。
*同じくウィキでは生まれが成務天皇40年とあるので(170年~269年)
 (「儺の国の星」の年代は在位期間のことか)

「高良玉垂命の時代」も何らかの理由で替えられているのかもいれません。
今のところ、年代などは色々な説があってはっきり分かっていません。

                        *

ただ、神功皇后とされている人が住吉の神(高良の神)と出会ったことは、
神話(記紀)を見ても揺るぎないことです。
以後、神功皇后と行動を共にしたというこちらの伝承は、彼が人であったことの証だと思われます。

那珂川の「現人神社」の名がそれを裏付けています。
     .


( つづく )

 

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2019年5月18日 (土)

魂須霊・むすび 1

脊振山系に残る山々の伝承。
これらは、二人の軌跡だったのです。

                   *

①脊振山系の山の内、浮嶽、雷山、脊振には神功皇后の伝承が。
②基山、天拝山には五十猛命、宝満大神などが祀られています。

Tikushi110

                (地図はGoogleMap)
1が浮嶽、2が雷山、3が脊振、
4が基山、5が天拝山
7が大根地山
そして、6が朝倉(旧三輪町)の大己貴神社です。

                     *

①の伝承 「天神五代、地神七代」

1の浮嶽から、6の朝倉まで、今の道のりで71キロ。

6の近辺で、神功皇后は「羽白熊鷲」を征伐したとあります。
2の雷山でその為の兵を集める根拠がありません。
(神功皇后軍は北から南下したともあるので、わざわざそちらには行かないはず)
      (「脊振山系分割縦走 その3 ~雷山の鬼と神功皇后~」)

2の雷山と7の大根地山には、
神功皇后が祀ったという「天神五代、地神七代」を祭神とする社があります。
      (「二つの伝承 6 ~大根地山 登山 (2)~」)

その上、その山頂や側の峠には「人でないもの」が出没したという伝承があります。
(大根地山にはずばり「神功皇后が羽白熊鷲を退治し、祀った」とある→
            「二つの伝承 5 ~大根地山 登山 (1)~」)

これは神功皇后が退治して、天神、地神を祀ったということです。
これが、高良の伝承にある神功皇后のイルヰ退治。

二つのことは別々の時期に、別の場所で起こったのです。

1の浮嶽に登ったのは、2の雷山の「イルヰ」退治の為。
浮嶽の白龍の子、龍起を軍に誘う為です。
      (「脊振山系分割縦走 その2 ~浮嶽の神功皇后~」)

また高良の伝承では、神功皇后と共に高良の神が「イルヰ」を退治したと
思われる記述があります。
雷山などの伝承では、高良の神が「安曇磯良」として、名が出てきます。

                    *

②の伝承 「甕依姫と五十猛命」

4の基山、5の天拝山には、荒穂神社があります。
      (「二つの伝承 2 荒穂神社 ~佐賀県三養基郡~」)

基山の側には筑紫神社(の筑前風土記)もあり、二つの伝承は同じものと推測されます。
      (「二つの伝承 4 筑紫神社 ~福岡県筑紫野市~})

 「基山の東、筑前と筑後の境に暗くて険しい坂(したくらつくしの坂)があり、
  命つくしの神が通る人の命を奪っていた。
  そこから<つくし・筑紫>の地名が生まれた」

その神を退治したのが、基山の荒穂神社では五十猛命
筑前風土記では、甕依姫です。

                   *

「したくらつくしの坂」

この①と②の伝承が7の大根地山で繋がります。     

大根地山の麓の冷水峠は「九州の箱根」と言われた険しい峠でした。
それが、基山の東、筑前と筑後の境に暗くて険しい坂(したくらつくしの坂)。
命尽くしの神は、そこに居たものです。
(6の朝倉は、筑前と筑後の境ではありません)

大根地山の麓の冷水峠が、「したくらつくしの坂」ならば、
神功皇后は、風土記の「甕依姫」です。
伝承から、彼女は「五十猛命」と共に、それを退治していたことになります。
       (詳しくは「二つの伝承 7 ~冷水峠~」)

「五十猛命」は、饒速日命であると辿り着きましたが、
こちらの研究でもその説が有力だそうです。

そうならば、「五十猛命」は、饒速日命。
彼女のまたの名は「甕依姫」です。
       (詳しくは「二つの伝承 8 ~五十猛命と甕依姫~)」

一番上にある①と②の山々の伝承。
実は同じ二人のことを伝えるものだったのです。

                *

浮嶽、雷山、脊振とかなり急な山です。
身重では登れません。
これらの山だけではなく、脊振の反対側の地域まで伝承があります。
仲哀天皇が崩御してから、三韓征伐に向かうまでの
7ヶ月で回れる距離ではないのです。
        (「神功皇后と登山と裂田の溝 ~その3~」)


神功皇后は身重ではなかったのです。
仲哀天皇の子も宿していませんでした。

・・・「神功皇后」という存在は、こちらの伝承から創られたものだったのです。


( つづく )

 

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2019年5月14日 (火)

脊振山系分割縦走 その4 ~脊振の神功皇后~

脊振山系分割縦走の3回目は、脊振山~基山~天拝山です。

脊振には脊振神社上宮があり、弁財天が祀られていることから、
昔は上宮嶽、弁財天山、また名にちなむ伝承から黄龍嶽とも言われていました。

神功皇后が神事をし、神を祀ったとされています。
                                      .
Sehuri271                                                                                .
(写真は、脊振山頂の上宮と自衛隊レーダードーム)
今回は縦走なので西から峰を辿ってきました。

山頂で神事をしたという神功皇后は、麓から登ってます。
標高1055m。
以前、北側から登りました。

Screenshot_202101011717053 
下から背振山頂(赤丸)まで約16キロ。
上のルートは三角ですが、その上辺が麓から山を伝う背振へのルート。
そこまで往復して30キロ近く(脊振の後、西の蛤岳の方へ行かなければ)。
那珂川の山半周38キロ ~その1~
那珂川の山半周38キロ ~その2~


今のような道(385号線)がない時は、いくつかの山は登らなければならなかったでしょう。
山中には筑前街道があります。
この時は、初めて長距離縦走をしたので、最後の方は足を引きずっていました。

身重で登るなんて無理です。

Screenshot_202101011717232 
上のが南から登ったルート。
こちら側からは比較的なだらかですが、麓からこのスタート(ゴール)地点まで来るのにどれだけかかるか分かりません。
(上のスタート地点は背振の中腹。ここまで車)

背振の場合は、南から登ったということも考えられます。   

                          *

Kiyama40                                                                       .
脊振山系の一番東にある基山の山頂下です。
基山には、五十猛命が大陸から持ってきた木の種を植えたという伝承があり、
「植林発祥の山」とされています。
(この辺りの五十猛命は饒速日だと思う)
                          .
Kiyama41                                        .
基山山頂にある「魂魂石(たまたまいし)」。
ここには、昔、荒穂神社がありました。
(今は、麓に移っています)
脊振山頂からここまで縦走して、27.5キロ。
8時間13分(15時頃)。
                                .
Kiyama42_1                                                                      .
中央より少し右にある、レーダードームがある山が脊振山です。

爆風の中、修行僧の方が熱心にお祈りされてました。
こうして昔からここで、祈りは続いてるんだと思った途端、イメージを受け取りました。

山を繋ぐと言う事は、祈りの結び。
(山は人の祈りを集める(結ぶ)ものであるので)
今と過去、そして未来への祈りを結び、
神と人との縁結び。

魂須霊(むすび・むすひ)・・・か。
(「す」は、言霊で、空(くう)、中心、そのもの(素))

                         *
基山の後、天拝山まで行きました。
基山(荒穂神社)の神が一夜にして、飛んで行ったと言われています。
                                  .
Tenpai01                                                                   .
天拝山の山頂にあるのは、天拝山社。
天神さん・道真公が祀られています。
                                      .
Tenpai03
                                       .
中腹には、その荒穂神社があります。
ご祭神は、五十猛命、春日大神、鴨大神、宝満大神・・・。
                                    .      Tenpai04
                                        .
天拝山の麓まで降りてきました。
荒穂神社の鳥居があります。

天拝山は、もともと荒穂の神様の山なのです。

脊振山系縦走、ほんとのゴールはこの鳥居なのでしょう。

Screenshot_202101011712364

 

右(西)の赤丸が脊振山、右(東)の赤丸が基山、その上(北)の赤丸が天拝山です。
約36キロ、10時間37分かかりました。


3回に分割した脊振山系縦走。
十坊山の登山口~雷山山頂(24キロ)+~脊振山頂(20キロ)+天拝山の麓まで(36キロ)まで、
合計80キロ。

脊振と言えば、古来より「脊振山系の山々」のことを表していたそうです。
筑紫の人々にとって、宝満山と共に祈りの対象となっていたその山々。

この足で、結んだからこそ、伝わったものがあります。

 

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2019年5月10日 (金)

脊振山系分割縦走 その3 ~雷山の鬼と神功皇后~

脊振山系分割縦走の2回目は、雷山から脊振山です。
                   .
Raizan70                                                                                .
雷山にも神功皇后の伝承があります。
中腹にある層々岐野(そそきの)という草原で、三韓征伐の為の兵を集めたとされています。
(上の写真が層々岐野)

ですが朝倉から雷山まで、今の道のりで往復約114キロ。(「神功皇后と登山と裂田の溝 ~その2」)
こんな遠くの地で集める根拠がありません。

浮嶽の白龍の子の為だけに、こちらへ来たというのも弱いです。


ひとつ、思い当たる理由があります。

昔、雷山の頂上付近は魔所と呼ばれ、村人が近づかなかったそうです。
頂上に鬼がいたという伝承もあります)
                                                                         .
Raizan71                                                                               .
神功皇后は、この山にいたその「何者か」を退治する為に来たのでは。

前回の浮嶽と雷山の距離は、道なりで21キロ。
彼女は雷山にいた「鬼」を退治する為に、浮嶽の白龍の元へ登り、その子、龍起を軍に誘ったのでは。

「朝倉の羽白熊鷲征伐の兵を集めた」というよりも、余程、納得できます。


そうすると、筋が通ります。

・・・少なくとも、「羽白熊鷲」「雷山の鬼」
二つの存在が、あったのです。
それぞれ、別の時期に。

それが高良玉垂宮神秘書にある「ヰルイ(異類)」なのです。
                                              .Screenshot_202101011654303 
左(西)側の赤丸が雷山頂上。

頂上の前の少し平らな場所(下の2の箇所)に、雷山上宮があり、神功皇后が「天神五代、地神七代」を祀りました。
これは、大根地山のご祭神と同じです。
大根地山 登山~ 福岡県~
「イルヰ」がそこ(雷山の頂上)に居たからこそ、ここに神を祀ったのです。

Screenshot_202101011636566 1の紫で囲ったのが、雷山の層々岐野。

雷山登山口から登り、2の上宮を経由して1の層々岐野へ行き、雷山頂上(右下の山マーク)へ行くならこのコースです。
途中にある三角の赤いマークは危険個所。
狭く滑りやすいので要注意地点です。

こんな道を身重では通れません。


右側(東)の赤丸が脊振山頂上です。
脊振山にも神功皇后は登っていました。


( つづく )

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2019年5月 8日 (水)

脊振山系分割縦走 その2 ~浮嶽の神功皇后~

三回に分けて行った、脊振山系縦走。

一回目は、十坊山から雷山。
その中の浮嶽には、神功皇后が登ったという伝承があります。

今回は縦走路からなので、以前(東から登ってピストン)とは違う登山道でした。
(今回は西から東)
こちら側(西)も急勾配で、砂地であり滑りやすいです。
今でこそロープが張られてある箇所がありますが、それを掴んでも滑って尻もちをついてしまう程です。
(ロープが張られていることこそ、かなりな急登の証)
他の人も脊振山系の中でも、特に登りにくいと言われてました。

「神功皇后が身重で登った」ということはあり得ません。

Ukidake31

浮嶽山頂が見えたとこです。
正面に見えているのは避難小屋ですが、この辺りまで来た時、言いようもない神気が溢れていました。
                                       .Ukidake32
                                                                        .
浮嶽山頂。
805.1mです。
山頂には、浮嶽神社の上宮があります。                                     .

Ukidake33
                                                                         .
何故、彼女はこの山に登ったのだろう。
こんなに急な山なのに。
前に来た時の答えがありました。
                                      .
Ukidake34
                                                                     .
山頂より少し下にある「白龍稲荷神社」。
前はアシナガ蜂の巣がお社近くにあって、近づけなかったのです。         
                                       .Ukidake35


この獅子駒岩に住んでいた浮嶽の龍神が、村の娘を見そめて、人の姿となり村へ通った。
やがて村娘は龍神の子を身ごもり、男の子が生まれた。
名を龍起。龍起は智勇すぐれた若者と成長。
時に神功皇后が九州へ西下。
龍起の勇名を聞き、彼を召された。
後に皇后の命により、朝倉地方にこもる、羽白熊鷲という賊を討伐して武勇を天下に高めた。
(要約)

神功皇后がこの山に登ったのならば、この件に関することなのでしょう。

「羽白熊鷲討伐は、三韓征伐の前」とされていますが、その間に浮嶽に登ったのなら、
伝承には嘘があります。

神功皇后は、子を宿していなかったのです。
                       .

更にここまでの距離。
ここから朝倉まで(大己貴神社辺りと仮定しても)、今の道のりで片道約72キロ。
馬に乗ったといても、輿に乗ったとしても、身重ではあり得ないのです。

                                             .
Screenshot_202101011557145
一回目、十坊山から雷山までの軌跡です。

左(西)側の赤丸が浮嶽。
800m級の低山ですが、かなり急なことが分かります。

Screenshot_202101011606292 

上のが浮嶽の等高線です。
山へは普通、稜線沿いを登るのが一番登りやすいです。
浮嶽への登山道は3カ所。
うち今回は西から東へと縦走路を歩いています。
どちらも同じように等高線が密で、かなり急なことが分かります。

 


右(東)の赤丸が雷山。
こちらも脊振縦走路から今回は登りましたが、急です。

この山にも神功皇后は登っていました。


( つづく )

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2019年5月 7日 (火)

脊振山系分割縦走 その1

<脊振を辿って繋げよ>

そう聞こえた時、後押しされたような気持ちになりました。
山を繋げる。
その快感を、その意味を、三郡縦走で知り、いつかはと思っていたのです。

佐賀と福岡に壁のように連なる脊振山系。
西の十坊山(とんぼやま)から、東の基山(きやま)まで、一度に縦走すると約71キロです。
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Kiyama42
 (  基山から見た脊振山系の一部
  中央右の高い山が脊振山(頂上に自衛隊レーダードームがある)
1泊2日や2泊で一度に縦走する方もいますが、テント泊は体力的にも無理なので、3回に分けて行きました。

1)十坊山から雷山 28.3キロ
  10時間43分 

2)雷山から脊振山 24キロ
  9時間27分

3)脊振山から基山、その後、天拝山まで 35.8キロ
  10時間37分(上の写真が脊振山から基山)

総距離88.1キロ
(長いのは、分割なので登りと下りの距離があるため)

先日、完遂しました。
行って、分かったことがたくさんあります。

その一部を次回に。

( つづく )

 

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                     .

 

2019年5月 5日 (日)

3度目のヒプノセラピー

ちょっと脱線です。
去年の年末、またヒプノセラピーを受けました。

TVにも何度も出ているという有名な方がいて、
過去生を観る(今の現状の原因を探る)ことが出来るそうなのです。

ずっと受けるのを迷ってたのは、その高すぎる金額。
でもこの人にしなかったから退行できなかったのでは、という想いが強く、
受けてだめなら諦めようと判断しました。

結果は、全くだめでした。
催眠状態にもならない。

誘導されるまま、思い描く光景は、夢で見た記憶。
それ以上のものは全く見えませんでした。

何でだろう。
一つ思い当たるものは、私がその人を受け入れていなかったから。
催眠療法に入る前に話をするのですが、
今までヒプノをした芸能人や一般の人の実名を交えて、
どんな症状で、どんな物が見えて、結果どうなったかを3時間、聞かされました。

プライバシーないの?
そう思った瞬間に、拒否していたのかもしれません。
催眠状態になるかならないかは、その人との相性もあるようです。

それでも、私は前世をはっきり知りたい。
それがこれから先に関わることだから。


そんな時、どこかの山を登っていて、ふと声が聞こえたような気がしたのです。
若宮市の笠置山です

饒速日命が降臨したという山。

<脊振を辿って繋げよ>

多分、内からの声。

「脊振山系の山を縦走して、最後まで繋げる」

そういうことなのでしょう。
それまでに那珂川の西半周39キロと東半周38キロの
山々を縦走して繋げていました。

「繋げる」ことは想いを結ぶことなのです。

 

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2019年5月 1日 (水)

那珂川は饒速日命(天照・住吉・高良の神)の生誕地

「那珂川の市ノ瀬に、高良の神が若い頃にいた猫城がある」

高良玉垂宮神秘書にはそう書かれてありました。
市ノ瀬と言えば日吉神社がある中の島公園の場所辺りです。

山友さんから、那珂川の共栄橋の近くの「猫嶺城」の存在を聞きました。

正面のお山です。
                                            .Neko3

                                                                        .
山頂に登ると少し平らな場所があり、雰囲気が少し高良の山の上に似ている気がしました。

Screenshot_202201061204252
川がすぐ側を流れていて、守りの城のような感じです。
                                                            .
最近知ったのですが、ここから少し西にいった場所にも、「猫城」がありました。
                                   .
Neko4                                                                                 .
「猫城」をさらに西から見た写真です。
頂上付近は上の「猫嶺城」よりも狭い感じがします。
こちらはまったり穏やかな感じ。

ついでに戸板の山神社の天岩戸を見に行きました
猫城から2キロ
こちらから行くのは初めてでした。
(「結びの山 ~その9 天岩戸 ~」)
                                              .
Iwato15
拝殿の裏に天岩戸があります。

Iwato16

天岩戸の磨崖仏。
岩戸の片方は奈良の片戸神社に飛んでいったという伝承があります。
(片戸神社は未確認)                                     

                                            *                        

久留米の高良大社の神の若い時の居城だったという猫城。
もともと「根子城」だったのでしょう。
「根」は大根地山と同じ「貴人、神」の意味があります。

Neko07

                                           .
1が「猫嶺城」
2が「猫城」
3が天岩戸の山神社
4が日吉神社
5が日吉の裏山、「成竹山」

本当はどっちだろう?(両方かもしれない)

どちらも伝承の「市ノ瀬」とは地区も違います。

市ノ瀬には日吉大社の元宮、日吉神社が、
仲には住吉大社の元宮、現人神社があります。
(「日吉神社 ~福岡県 那珂川町~」)
(「現人(あらひと)神社 福岡県」)

(もしかすると、「猫城が市ノ瀬にある」とは、日吉神社と
高良の神の関係を示唆しているのかもしれない)


日吉の猿田彦神、住吉神、高良の神は同じ、饒速日神でした。
天照大神です。
(「結びの山 ~その14 日吉の神とニギハヤヒ命~」)
(「日吉の神は大己貴神 ~那珂川市 日吉神社~」)
(日吉神社の神社誌にあるご祭神は、天御中主神、大己貴神、日子穂穂出見神。
天御中主神、大己貴神は三輪山の大物主神の饒速日神)

那珂川には岩戸の地名(川の那珂川から西が旧岩戸村)、天岩戸の伝承も、
安徳台の側には「立花木(橘)」「小戸」「おぎわら」の御祓の地名も残されています。
住吉、天照の神は、イザナギの御祓で生まれました。
(「安徳台と高天原」)


猿田彦発祥の地(日吉大社の元宮)
住吉の元宮
高良の神の城
天照、住吉の神が生まれた禊の地の名

・・・那珂川にはすべてが揃っていました。

ここは、高良の神の生誕の地なのでは?
天照神(住吉)でもある、饒速日命の。
(一般的には、出雲が彼の生まれた地とされていますが)

だから、神功皇后は那珂川に来たのかも。

那珂川の神田の水を潤す裂田溝を造ったという神功皇后。

 

夫婦だったと高良の伝承にある二人
本当の事は何?
本当は誰?

                      .

(追記)
「儺の国の星」に、
「古代、市ノ瀬辺り(上記地図周辺)は、猫城岳を北の端として湖を形成しており・・・」
という記述があり、猫城岳が重要な拠点であったとありました。
ならば、高良の神がいたという猫城岳は、上記の「1」の場所。
(両方の可能性はありますが)

 

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