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2019年5月31日 (金)

魂須霊 5 ~「儺の国の星」の 三島~

高良の神が祀られている「三島神社」。
「儺の国の星」に三島について記述があった。 

                        (三笠の星 項  真鍋大覚氏著)

ORIONを三島星、或は三諸星と呼んだはるかな昔があった。
”しま”或は”すま”とは、船人の渇きを癒す湧水井泉のあるところ。
”し”は元来は透明な無色の水を表現する胡語。

”しま”或は”ふくら”とは、海中に孤立した山巓(さんてん)の集合であり、船の寄せ場を言った胡語。
絶海の孤島を”ほし”という西洋東洋を通しての呼び名。

神武帝の后媛蹈鞴五十鈴媛命は三嶋溝橛(みしまみそくい・三島溝杙と同じか)の家系である。
三嶋も溝橛もオリオンの古称であった。
”そくひ”は栄井即ち、砂漠の中のオアシスのこと。
一望千里の砂礫の中に碧空を映しだす水鏡は、まさに虚慮の中に孤影悄然たる星辰の姿と同じ。

                                  (以上、要約)
                          *

これが「三島神社」にも、かの神が祀られている理由。
高良の神が住吉の神でもある理由。
住吉は海の神。
三神は、オリオン座の三つ星を意味している。

高良の神は月神でもあった。
二つの珠を使い、海の満ち引きを操る。
          (「二つの伝承 9 ~日の神 と 月の神~」)


「みそくい」もオリオン座の意味があるとは。
父の大物主が饒速日命ならば、母の玉櫛媛の三島溝杙は、ミカシヤ姫。
ミカシヤ姫のカシ(星の古語)にも星を意味する言葉がある。
饒速日命が住吉神だからこそ。

彼女には、櫛甕玉比古、櫛甕玉姫など、常に対になる名がある。
高良玉垂命に対しての、息長垂姫もまたそうなのかもしれない。

高良の神が最初の天皇・応神(息長の筆頭)でもあるからこそ。

             *

「三笠三原御井三潴三池」の地名」 について
                         
三島に関連すると思われる地名が書かれてあった。

                          (三笠の星 項)
博多湾から有明海まで南北に三笠三原御井三潴三池と揃った郡名が並ぶ。
これは、倭人伝の水行十日の解釈に発展した。
((太宰府の前の)針摺瀬戸(はりずりせと)、二日市水道があったという考え)

太宰府の北西にある四王寺山は昔は、潮路見山(しおじみやま)・或は四明山(しみょうざん)と言った。
麓の別院が安楽寺であり、今の天満宮。
今から千八百年の昔はここで北と南の潮目の満ち引きをみる安楽人の望楼観亭があったと伝えられる。
筑後久留米高良大社の絵巻物がこれを語る。 (要約)

                *

三笠郡は、今の大野城市の大部分、筑紫野市の全域、太宰府の全域、
三原郡は、御原郡か。小郡市の大部分、三井郡大刀洗の大部分。
御井郡は、三井郡御井町辺り。高良大社の麓です。
三潴郡は、三島神社のあった辺り。大善寺玉垂宮も。
三池郡は、大牟田市の全域(有明海に臨む)とみやま市の一部。

Mishima11 

これらの中で、気になった場所に印をつた。

1の場所は、三笠郡と呼ばれた場所の、針摺(はりずり)。
 文中には、太宰府の前の針摺瀬戸としてある。
 三笠には、三笠山とも呼ばれる宝満山がある。上宮のご祭神は玉依媛、神功皇后、応神天皇。

2の御原には、物部氏が関わる、筑紫の飛鳥とも言われている宮があった。
 印は御勢大霊石神社 神功皇后の伝承がある。
 (物部氏は饒速日命と、ミカシヤ姫の子孫)

3の御井には、高良大社。ご祭神が高良玉垂神、八幡大神、住吉神。
 印の場所は山なので、麓はもう少し西。

9の場所には伊勢天照御祖神社(大石神社)
 ご祭神、天照国照彦天火明櫛玉饒速日命。

4には、大善寺玉垂宮。ご祭神、高良玉垂神、
 この辺りも昔は三潴。


5の三潴には、三島神社。ご祭神が事代主、春日大神、住吉大神、八幡大神、高良玉垂命。
   この辺りに「三島神社」が多い。

6には、風浪宮。ご祭神、高良玉垂神、息長垂姫命。

7には、こうやの宮。別名、磯神物部神社。
 邪馬台国の候補地です。
 その側にも玉垂神社がある。
 (そこには、高良の神と神功皇后が祀られている。)


8の三池には、黒崎玉垂神社があり、三韓征伐から帰った神功皇后が最初に上陸した場所。
   ご祭神、武内宿禰命、応神天皇、神功皇后、住吉大神、建磐龍神。
 (7と8は昔の三池。この周辺には特に玉垂神社が多い)

三笠三原御井三潴三池 には、
すべて高良の神か、神功皇后が関わる。(もともと多いのですが)
この地域が「玄海灘、有明海を結ぶ海」だったのだろう。
古くからあるお社は、その海沿いにあるよう。

かの神は「海の神」でもあった。
それは当然なのかもしれない。

また、高良の神達の勢力圏が広かったことを意味していた。
これが「九州王朝」と言われているものなのだ。

( つづく )

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2019年5月28日 (火)

魂須霊 4 筑後の饒速日命

むすび2 の三島神社。
その周辺の気になった場所に行ってみた。
(後に一つ一つ、詳しくUPします)

                     *                                                                                                                                             .

まずは大川市の風浪宮へ。

Huurou01
ご祭神は、高良玉垂命と息長垂姫(神功皇后)
(高良の神の妃であるので息長垂姫 *「むすび 3」 )
少童命(わたつみのみこと)、住吉神

ここには高良の神、少童命、住吉の神が祀られていた。
三柱は、同神。
阿曇・安曇(あづみ)族のあづみは、わたつみがつまったもの、と「儺の国の星」の本にある。
高良神は、安曇磯良神。

                                         *

三潴の三島神社へ
たくさんの社から、一つだけ目星をつけ行った。
                                                                    .Mizuma01

ご祭神は、事代主、春日、住吉、八幡
そして、高良玉垂命。

三島神社に高良の神が祀られている!
饒速日命とされる神々と共に。
やはり、という気持ち。

ここは伝承にあった大善寺玉垂宮の近くの、三潴(みずま)。
「高良の神が来た」という伝承がある。
三潴に来た高良の神は、イルヰを退治した後、大善寺玉垂宮に居を構えたと。
                                         .
Mizuma03                                    .
御朱印の判子が、三種神器。
玉と剣と鏡。

                                                          *                                         .

大善寺玉垂宮へ。

Tamatare01
ご祭神は玉垂命(藤大臣)
八幡大神、住吉大神

高良玉垂命が、人になった時の名が、藤大臣、物部の保連と、高良玉垂宮秘伝書にある。

玉垂神が饒速日命だからこそ、伝承でも物部氏と深い関わりがあった。
彼は物部氏の祖神なのだ。
八幡の神も宇佐の伝承では、饒速日命だと名乗っている。

                                                             *

この後、南下。
みやま市のこうやの宮へ行った。

Kouya01

こうやの宮は「磯神物部神社」とも言い、(いそのかみ)と呼ぶ。
5体の像が安直されていて、その中の一体が七支刀を持っている。

Kouya02

ここは邪馬台国発祥の地とされ、七支刀が安置され、後に石上神宮へ奉納されたとの説があるとのこと。


「儺の国の星」には、玄海灘(福岡の北の海・博多湾)と、有明海は繋がっていたとある。
太宰府の前に瀬戸があったと。

筑紫は東の宇佐島と西の高来島の二つに分かれ、西を天原(あまのはら)とも言ったそう。
昔の船旅は、港に寄港しながら進んだので、邪馬台国の記述にある「水行十日」はこの場所かもしれないと、ふと思った。

                    *

筑後のこれらの神社。
高良神=安曇磯良神=磯神(いそのかみ)=石上=布留神=饒速日命=三島神社の神
という関係が浮かぶ。


( つづき )

 

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2019年5月23日 (木)

魂須霊 3 ~高良玉垂神と息長垂姫の名の意味~

( つづき )


「応神天皇」

応神天皇についての記述が新選姓氏録にある。

真人は是、皇別の上氏なり”

天皇の姓は”真氏”

真氏の筆頭は息長真人(オキナガノマヒト)であり、

”誉田(ホムタ)天皇より出づ”



ホムタワケは応神。
応神が初めの天皇だというのだ。

 

息長は神功皇后の名にもある。

息長足姫、または、息長垂姫。
タラシは垂、高良玉垂の神の姫(妃)を表す。

・・・神功皇后が高良の神の后なのだから、息長垂姫という名は必然なのだ。

伝承の応神天皇は気比神宮にて、ツヌガアラシトと名を変える。

これは同神を意味している。
そのツヌガアラシトは高良神=祇園神に結びつく。

 

「応神天皇」は、高良神。

                         *

筑後国一之宮の高良大社の高良神。

「高良玉垂宮神秘書」には、物部の神とある。

彼らは祖神以外は祀らない。

☆高良玉垂宮神秘書 2 ~高良神は物部の祖神~
                                                                                 .
Koura460                                                                                 高良大社

それが高良の神である住吉神。

筑紫神であり、高良の神と同神とされる住吉、八幡、加茂、春日、日吉、猿田彦神、天御中主神、天照、大物主神、歳神・・・様々な名に変えて祀られる。

彼を祀る子孫達が地方へ広まり、名を変えて、その地で祀っていったのだ。

もう一人の物部氏の祖神がいる。
饒速日命の妃とされる御炊屋(ミカシヤ)姫。


彼女は大和に東遷してきた饒速日命と出会い夫婦となり、
一緒に北部九州へと移っていた。

彼女の名一つは「ヒミカ・日甕」。
その名は饒速日命と対になる名である。

饒速日命は天照国照彦天火明櫛玉饒速日命、またの名を、櫛甕玉比古・櫛玉比古。

ミカシヤ姫は櫛甕玉姫であり、櫛玉姫としても祀られている。
        (「櫛玉比女命神社 ~奈良県~」)

日の神の巫女でもあるので「日甕」。
(甕は神への供え物を入れる容器の意味)
        (「高良の神と日甕」)

基山や筑前風土記の伝承に、甕依姫として名が残り、高良の神と共にイルヰを退治している。

彼らは、饒速日命が「住吉神」、ミカシヤ姫が「神功皇后」として、伝承に名を残された。

八幡神は、神功皇后の子・応神天皇とされているが、高良大社でも住吉・高良の神と同神。
宇佐の伝承に「八幡の神は饒速日命」と名乗ったともある。

 

さらに、八幡大神は気比神社でツヌガラシトと名を変えている。

同神を意味している。

彼はやはり「神秘書」の高良峰の記述から、高良神、饒速日命へと繋がった。

                *

気になったあの神社とその周辺に行ってみた。


( つづく )

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2019年5月20日 (月)

魂須霊 2 ~九州王朝の女王と饒速日命~

古田史学会報のHPに「九州王朝の女王たち」というページがある。
著者は、正木 裕氏
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/kaiho112/kai11201.html

三世紀の卑弥呼、壱与、
四世紀の高良玉垂命などの九州王朝の女王が、
神功皇后に擬せられているとある。

非常に納得出来る記述が多々あった。
(だが、高良玉垂姫とあるのは、彼の妃の方)

               *

「神功皇后と高良の神の年代が重なっていること」

奈良の石上神社の七支刀が献上されたのは、神功皇后の摂政の間とされる。
(これは四世紀とあり *注1)
七支刀は物部氏が祀る石上神宮に保管されている。

初代の玉垂命は仁徳55年(367年)に筑後三瀦(三潴・みずま、か )
に来て、同56年に賊徒を退治、高村(大善寺の古名)に御宮を造営し筑紫を治め、とある。
これも四世紀。

高良の神が「来た」?
ならばその場所に「彼」を示すものがあるはず、と筑後三潴を
調べたら気になった神社があった。

三島神社。
ご祭神は、事代主、春日大神、住吉大神、八幡大神、高良玉垂命。

さらに、筑後みやま市(瀬高町太神)のこうやの宮(磯神物部神社)に七支刀を持つ武人の像があると記述。
ここは邪馬台国発祥の地とされ、七支刀は元々ここに安置されて、後に石上神宮に奉納されたという説がある。

この二つ、縁があるどころか、そのままだろう。

三島神社(奈良の三島神社
石上神宮
七支刀
物部氏
磯神(いそのかみ)

高良玉垂神が「饒速日命」だからこそ、全て繋がるのだ。

三島神社、石上神宮の布留の神は、饒速日命。
物部氏は、饒速日命の子孫。
筑後三潴の三島神社のご祭神は、全てかの神。
そして、磯良神は高良玉垂命。

もしもそうだとすると、「仁徳天皇の時代に来た」というのは腑に落ちません。
伝承では、(高良の神の子かもしれない)応神天皇の更に子にあたる。

だが「高良玉垂命の長男・シレカシ命が、倭の五王の讃に当り、記紀では応神天皇に擬せられている」
ともある。
「仁徳天皇の時代」というのは、違うのかもしれない。
と、すれば、四世紀ではない?

              *
「時代」

注1 に七支刀の時代が四世紀とあったが、三世紀との説もある。
      Wikipedia 神功皇后の項

そもそも「神功皇后の時代」は、三世紀という説があるのだ。
香椎宮などのお社では、3世紀(200年代)
「儺の国の星」では、201年~269年
ウィキの「上古天皇の在位年と西暦対照表」では、在位期間が201年~269年。
*同じくウィキでは生まれが成務天皇40年とあるので(170年~269年)
 (「儺の国の星」の年代は在位期間のことか)

「高良玉垂命の時代」も何らかの理由で替えられているのかもしれない。
今のところ、年代などは色々な説があってはっきり分かっていないのだ。

では、どのようなことも考えられるということ。

                        *

ただ、神功皇后とされている人が住吉の神(高良の神)と出会ったことは、神話(記紀)を見ても揺るぎないこと。
以後、神功皇后と行動を共にしたというこちらの伝承は、彼が人であったことの証だと思われる。

那珂川の「現人神社」の名がそれを裏付けていた。
     .


( つづく )

 

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2019年5月18日 (土)

魂須霊・むすび 1

脊振山系に残る山々の伝承。
これらは、二人の軌跡であった。

                   *

①脊振山系の山の内、浮嶽、雷山、脊振には神功皇后の伝承が。
②基山、天拝山には五十猛命、宝満大神などが祀られている。



Tikushi110

 (地図はGoogleMap)

 

1が浮嶽、2が雷山、3が脊振、
4が基山、5が天拝山
7が大根地山
そして、6が朝倉(旧三輪町)の大己貴神社です。

                     *

①の伝承 「天神五代、地神七代」

1の浮嶽から、6の朝倉まで、今の道のりで80キロ。

6の近辺で、神功皇后は「羽白熊鷲」を征伐したとある。
2の雷山でその為の兵を集める根拠がない。
(神功皇后軍は北から南下したともあるので、わざわざそちらには行かないはず)
      (「脊振山系分割縦走 その3 ~雷山の鬼と神功皇后~」)

2の雷山と7の大根地山には、
神功皇后が祀った「天神五代、地神七代」を祭神とする社がある。
      (「二つの伝承 6 ~大根地山 登山 (2)~」)

その上、大根地山には「神功皇后が羽白熊鷲を退治するために神を祀った」とある→
            「二つの伝承 5 ~大根地山 登山 (1)~」)

神功皇后が退治して、天神、地神を祀ったということ。


これが、高良の伝承にある神功皇后のイルヰ退治。

二つのことは別々の時期に、別の場所で起こったのだ。

1の浮嶽に登ったのは、2の雷山の「イルヰ」退治の為。
浮嶽の白龍の子、龍起を軍に誘う為。
      (「脊振山系分割縦走 その2 ~浮嶽の神功皇后~」)

また高良の伝承では、神功皇后と共に高良の神が「イルヰ」を退治したと思われる記述があります。
雷山などの伝承では、高良の神が「安曇磯良」として、名が出てきます。

                    *

②の伝承 「甕依姫と五十猛命」

4の基山、5の天拝山には、荒穂神社がある。
      (「二つの伝承 2 荒穂神社 ~佐賀県三養基郡~」)

基山の側には筑紫神社(の筑前風土記)もあり、二つの伝承は同じもの。
      (「二つの伝承 4 筑紫神社 ~福岡県筑紫野市~})

 「基山の東、筑前と筑後の境に暗くて険しい坂(したくらつくしの坂)があり、
  命つくしの神が通る人の命を奪っていた。
  そこから<つくし・筑紫>の地名が生まれた」

その神を退治したのが、基山の荒穂神社では五十猛命
筑前風土記では、甕依姫。

                   *

「したくらつくしの坂」

この①と②の伝承が7の大根地山で繋がる。     

大根地山の麓の冷水峠は「九州の箱根」と言われた険しい峠。
それが、基山の東、筑前と筑後の境に暗くて険しい坂(したくらつくしの坂)。
命尽くしの神は、そこに居たもの。
(6の朝倉は、筑前と筑後の境ではない)

大根地山の麓の冷水峠が、「したくらつくしの坂」ならば、
神功皇后は、風土記の「甕依姫」。
伝承から、彼女は「五十猛命」と共に、それを退治していたことになる。
       (詳しくは「二つの伝承 7 ~冷水峠~」)

「五十猛命」は、饒速日命であると辿りいた。

荒穂神社の神は高良神と同神。
高良神は、物部の祖神、饒速日命であった。

では、彼と共に異類を退治していた神功皇后は「甕依姫」。
       (詳しくは「二つの伝承 8 ~五十猛命と甕依姫~)」

一番上にある①と②の山々の伝承。
実は同じ二人のことを伝えるものだったのだ。

                *

浮嶽、雷山、脊振とかなり急な山。
身重では登れない。
これらの山だけではなく、脊振の反対側の地域まで伝承がある。
仲哀天皇が崩御してから、三韓征伐に向かうまでの7ヶ月で回れる距離ではないのだ。
        (「神功皇后と登山と裂田の溝 ~その3~」)


神功皇后は身重ではなかった。
仲哀天皇の子も宿していなかった。

・・・「神功皇后」という存在は、こちらの伝承から創られたものだ。


( つづく )

 

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2019年5月14日 (火)

脊振の神功皇后 ~脊振山系分割縦走 4~

脊振山系分割縦走の3回目は、脊振山~基山~天拝山。

脊振には脊振神社上宮があり、弁財天が祀られていることから、昔は上宮嶽、弁財天山、また廣瀧山とも言われていた。

神功皇后が神事をし、神を祀ったとされている。
                                      .
Sehuri271                                                                                .
(写真は、脊振山頂の上宮と自衛隊レーダードーム)
今回は縦走なので西から峰を辿ってきた。

山頂で神事をしたという神功皇后は、麓から登っているはず。
標高1055m。
以前、北側から登った。

Screenshot_202101011717053 
下から背振山頂(赤丸)まで約16キロ。
上のルートは三角だが、その上辺が麓から山を伝う背振へのルート。
そこまで往復して30キロ近く(脊振の後、西の蛤岳の方へ行かなければ)。

那珂川の山半周38キロ ~その1~
那珂川の山半周38キロ ~その2~


今のような道(385号線)がない時は、いくつかの山は登らなければならなかっただろう。

山中には古道があり、今の南畑ダムの底になる村へと続いていた。
(肥前筑前街道)

尾根伝えいに登るか(自分が行ったルート)、街道を歩くか。
どちらにせよ、身重で登るなんて無理だ。

Screenshot_202101011717232 
上のが南から登ったルート。
こちら側からは比較的なだらかだが、麓からこのスタート(ゴール)地点まで来るのにどれだけかかるか分からない。
(上のスタート地点は背振の中腹。ここまで車)

また、早良区の方から登るルートもいくつかあるが、沢沿いになりかなり歩きづらい。

Kiyama40                                                                       .
脊振山系の一番東にある基山の山頂下。
基山には、五十猛命が大陸から持ってきた木の種を植えたという伝承があり、
「植林発祥の山」とされている。
(五十猛命=高良神=饒速日)  

                       .
Kiyama41                                        .
基山山頂にある「魂魂石(たまたまいし)」。
ここには、昔、荒穂神社があった。
(今は、麓に移っている)

 

その荒穂神社には、「基山山頂から荒穂の神が乗った馬が蹄の跡をつけた石」がある。

山頂と荒穂神社の神は同じと示唆。

 

さらに、「荒穂の神が投げた石は高良大社の社殿の下にある」と伝承も。

荒穂神の五十猛命が、高良神であることを示唆している。

☆→荒穂神社の高良神 ~チクシ神の伝承 2~

脊振山頂からここまで縦走して、27.5キロ。
8時間13分(15時頃)。
                                .
Kiyama42_1                                                                      .
中央より少し右にある、レーダードームがある山が脊振山。

爆風の中、修行僧の方が熱心にお祈りされていた。
こうして昔からここで、祈りは続いてるんだと思った途端、イメージを受け取った。

山を繋ぐと言う事は、祈りの結び。
(山は人の祈りを集める(結ぶ)ものであるので)
今と過去、そして未来への祈りを結び、
神と人との縁結び。

魂須霊(むすび・むすひ)・・・か。
(「す」は、言霊で、空(くう)、中心、そのもの(素))

                         *
基山の後、天拝山まで行った。
基山(荒穂神社)の神が一夜にして、飛んで行ったと言われている。

基山と、天拝山の荒穂神は同神を意味しているのだ。
☆→天神様が拝んだ神 ~福岡*天拝山~


                                  .
Tenpai01                                                                   .
天拝山の山頂にあるのは、天拝山社。
天神さん・道真公が祀られている。
                                      .
Tenpai03
                                       .
中腹には、その荒穂神社がある。
ご祭神は、五十猛命、春日大神、鴨大神、宝満大神・・・。
                                    .      Tenpai04
                                        .
天拝山の麓まで降りてきた。
荒穂神社の鳥居がある。

天拝山は、もともと荒穂の神様の山なのだ。

脊振山系縦走、ほんとのゴールはこの鳥居なのだろう。

Screenshot_202101011712364

 

右(西)の赤丸が脊振山、右(東)の赤丸が基山、その上(北)の赤丸が天拝山。
約36キロ、10時間37分かかった。


3回に分割した脊振山系縦走。
十坊山の登山口~雷山山頂(24キロ)+~脊振山頂(20キロ)+天拝山の麓まで(36キロ)まで、
合計80キロ。

脊振と言えば、古来より「脊振山系の山々」のことを表していたそうだ。
筑紫の人々にとって、宝満山と共に祈りの対象となっていたその山々。

この足で、結んだからこそ、伝わったものがある。

 

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2019年5月10日 (金)

雷山の鬼と神功皇后 ~脊振山系分割縦走 3~

脊振山系分割縦走の2回目は、雷山から脊振山。
                   .

Screenshot_202308041406202
                                                                               .
雷山にも神功皇后の伝承がある。
中腹にある層々岐野(そそきの)という草原で、三韓征伐の為の兵を集めたとされている。
(上の写真が層々岐野)

 

だが、これには幾つかの疑問がある。

*羽白熊鷲がいたとされる朝倉から雷山まで、今の道のりで往復約160キロ。
こんな遠くの地で兵を集める根拠がない。

*層々岐野はその朝倉の方だともされている。

*浮嶽の白龍の子の為だけに、こちらへ来たというのも無理がある。
(浮嶽は身重では登れない山)

 

それらの疑問が解消される、理由が一つあった。

昔、雷山の頂上付近は魔所と呼ばれ、村人が近づかなかったそうだ。
頂上に鬼がいたという伝承もある。       

Screenshot_202308061045482                                                

神功皇后は、この山にいたその「何者か」を退治する為に来たのでは。

Screenshot_202101011717053_20230808151501 地図1*雷山から脊振縦走
*地図はYAMAP


左(西)側の赤丸が雷山頂上。

頂上の前の少し平らな場所(地図2の2の箇所)に、雷山上宮がある。
神功皇后が「天神五代、地神七代」を祀った。


これは、大根地山のご祭神と同じ。
大根地山 登山~ 福岡県~

羽白熊鷲を退治する為に祀られたものだった。

Screenshot_202308041405552上宮

では、雷山山頂にも羽白熊鷲がいたのだ。
それが「雷山の鬼」。

ゆえに、彼女はここに神を祀った。

 

浮嶽には名を変えられた高良神が祀られていた。
彼らは共にこちらへ来ていたのだ。

羽白熊鷲は何カ所にも現れていたことになる。
それが高良玉垂神秘書で、異類と呼ばれるもの。

「イルヰ」がそこ(雷山の頂上)に居たからこそ、ここに神を祀ったのだ。

上宮に鬼がいた。
それが高良玉垂神秘書で異類と呼ばれるもの。


Screenshot_202101011636566 1の紫で囲ったのが、雷山の層々岐野。

雷山登山口から登り、2の上宮を経由して1の層々岐野へ行き、雷山頂上(右下の山マーク)へ行くならこのコース。

片足幅もないような道や鎖道、這って行くような道もある。
こんな道を身重では通れない。

途中にある三角の赤いマークの道は、後の車道。

 

右側(東)の赤丸が脊振山頂上。
脊振山にも神功皇后は登っていた。


( つづく )

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2019年5月 8日 (水)

 浮嶽の神功皇后 ~脊振山系分割縦走 2~

三回に分けて行った、脊振山系縦走。

一回目は、十坊山から雷山。
その中の浮嶽には、神功皇后が登ったという伝承がある。

Screenshot_202308041406532

(浮嶽*山容*尖り具合が急登を物語る)


今回は縦走路からなので、以前(東から登ってピストン)とは違う登山道だった。
(今回は西から東)

こちら側(西)も急勾配で、砂地であり滑りやすい。
今でこそロープが張られてある箇所があるが、それを掴んでも滑って尻もちをついてしまう程。
(ロープが張られていることこそ、かなりな急登の証)


他の人も脊振山系の中でも、特に登りにくいと言われる山。

「神功皇后が身重で登った」ということはあり得ない。

Ukidake31

浮嶽山頂が見えたとこ。
正面に見えているのは避難小屋だが、この辺りまで来た時、言いようもない神気が溢れていた。
                                       .Ukidake32
                                                                        .
浮嶽山頂。
805.1m。
山頂には、浮嶽神社の上宮がある。       

Screenshot_202308041407172                               .

何故、彼女はこの山に登ったのだろう。
こんなに急な山なのに。
前に来た時の答えがあった。
                                      .
Ukidake34
                                                                     .
山頂より少し下にある「白龍稲荷神社」。
前はアシナガ蜂の巣がお社近くにあって、近づけなかった。         
                                       .Ukidake35


この獅子駒岩に住んでいた浮嶽の龍神が、村の娘を見そめて、人の姿となり村へ通った。
やがて村娘は龍神の子を身ごもり、男の子が生まれた。
名を龍起。龍起は智勇すぐれた若者と成長。
時に神功皇后が九州へ西下。
龍起の勇名を聞き、彼を召された。
後に皇后の命により、朝倉地方にこもる、羽白熊鷲という賊を討伐して武勇を天下に高めた。
(要約)

神功皇后がこの山に登ったのは、この件に関することなのだ。

 

しかし、伝承にはからくりがある。
上の案内板には「白龍稲荷は八大龍王の眷属」とある。

八大龍王は綿津見神=志賀海神社の神=高良神。

 

稲荷神である、饒速日命自身なのだ。

高良神は神功皇后と共に羽白熊鷲退治をしている。

 

では、この伝承は祀られる神の由緒「正体」を示唆するものの可能性が高い。

 

例えば、この地にいた「龍起」という者が、高良神と神功皇后の軍に加わった。
あまりにも強いので、土地の山神と繋げられた。

そういうストーリーが近いのかもしれない。


しかし、浮嶽はこの辺りの神の山。

彼女が登って神事をしたからこそ、そのような伝承ができたと推測している。
関わりがなければ、伝承は生まれないのだ。

 

 

☆神功皇后は身重ではなかった


「羽白熊鷲討伐は、三韓征伐の前」とされているが、その間に浮嶽に登ったのなら、伝承には嘘がある。

神功皇后は、子を宿していなかったのだ。
                       .

更にここまでの距離。
ここから朝倉まで(大己貴神社辺りと仮定しても)、今の道のりで片道約72キロ。
馬に乗ったといても、輿に乗ったとしても、身重ではあり得ない。

                                             .
Screenshot_202101011557145
一回目、十坊山から雷山までの軌跡。

左(西)側の赤丸が浮嶽。
800m級の低山ですが、かなり急なことが分かる。

Screenshot_202101011606292 

上のが浮嶽の等高線。
山へは普通、稜線沿いを登るのが一番登りやすい。
浮嶽への登山道は3カ所。


うち今回は西から東へと縦走路を歩いている。
どちらも同じように等高線が密で、かなり急なことが分かる。

この道以外に他にルートが無いのは、浮嶽の場合、特に急登だからだ。
自分が歩いた道よりも。

 

繰り返して言うが、下が砂地で急なのである。
滑って尻もちをつく。

身重では決して登れない山なのだ。


右(東)の赤丸が雷山。
こちらも脊振縦走路から今回は登ったが、急登だ。

この山にも神功皇后は登っていた。


( つづく )

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2019年5月 7日 (火)

神功皇后登った山 ~脊振山系分割縦走 その1~

<脊振を辿って繋げよ>

そう聞こえた時、後押しされたような気持ちになった。
山を繋げる。
その快感を、その意味を、三郡縦走で知り、いつかはと思っていた。

佐賀と福岡に壁のように連なる脊振山系。
西の十坊山(とんぼやま)から、東の基山(きやま)まで、一度に縦走すると約71キロ。
                                      .
Kiyama42
 (  基山から見た脊振山系の一部
  中央右の高い山が脊振山(頂上に自衛隊レーダードームがある)
1泊2日や2泊で一度に縦走する方もおられるが、テント泊は体力的にも無理なので、3回に分けて行った。

1)十坊山から雷山 28.3キロ
  10時間43分 

2)雷山から脊振山 24キロ
  9時間27分

3)脊振山から基山、その後、天拝山まで 35.8キロ
  10時間37分(上の写真が脊振山から基山)

総距離88.1キロ
(長いのは、分割なので登りと下りの距離があるため)

先日、完遂。
行って、分かったことがたくさんある。

その一部を次回に。

( つづく )

 

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                     .

 

2019年5月 5日 (日)

3度目のヒプノセラピー

ちょっと脱線です。
去年の年末、またヒプノセラピーを受けました。

TVにも何度も出ているという有名な方がいて、
過去生を観る(今の現状の原因を探る)ことが出来るそうなのです。

ずっと受けるのを迷ってたのは、その高すぎる金額。
でもこの人にしなかったから退行できなかったのでは、という想いが強く、
受けてだめなら諦めようと判断しました。

結果は、全くだめでした。
催眠状態にもならない。

誘導されるまま、思い描く光景は、夢で見た記憶。
それ以上のものは全く見えませんでした。

何でだろう。
一つ思い当たるものは、私がその人を受け入れていなかったから。
催眠療法に入る前に話をするのですが、
今までヒプノをした芸能人や一般の人の実名を交えて、
どんな症状で、どんな物が見えて、結果どうなったかを3時間、聞かされました。

プライバシーないの?
そう思った瞬間に、拒否していたのかもしれません。
催眠状態になるかならないかは、その人との相性もあるようです。

それでも、私は前世をはっきり知りたい。
それがこれから先に関わることだから。


そんな時、どこかの山を登っていて、ふと声が聞こえたような気がしたのです。
若宮市の笠置山です

饒速日命が降臨したという山。

<脊振を辿って繋げよ>

多分、内からの声。

「脊振山系の山を縦走して、最後まで繋げる」

そういうことなのでしょう。
それまでに那珂川の西半周39キロと東半周38キロの
山々を縦走して繋げていました。

「繋げる」ことは想いを結ぶことなのです。

 

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2019年5月 1日 (水)

那珂川は饒速日命(天照・住吉・高良の神)の生誕地

「那珂川の市ノ瀬に、高良の神が若い頃にいた猫城がある」

筑前風土記にはそう書かれてあった。
市ノ瀬と言えば日吉神社がある中の島公園の場所辺り。

山友さんから、那珂川の共栄橋の近くの「猫嶺城」の存在を聞いた。

正面のお山。
                                            .Neko3

                                                                        .
山頂に登ると少し平らな場所があり、雰囲気が少し高良の山の上に似ている気がした。

Screenshot_202201061204252
川がすぐ側を流れていて、守りの城のような感じ。
                                                            .
最近知ったのですが、ここから少し西にいった場所にも、「猫城」がある。
                                   .
Neko4                                                                                 .
「猫城」をさらに西から見た写真。
頂上付近は上の「猫嶺城」よりも狭い感じがする。
こちらはまったり穏やかな感じ。

ついでに戸板の山神社の天岩戸を見に行った
猫城から2キロ
こちらから行くのは初めて。
(「結びの山 ~その9 天岩戸 ~」)
                                              .
Iwato15
拝殿の裏に天岩戸がある。

Iwato16

天岩戸の磨崖仏。
岩戸の片方は奈良の片戸神社に飛んでいったという伝承がある。
(片戸神社は未確認) 

那珂川と奈良の神は同神だと示唆しているのだ。                                    

                                            *                        

久留米の高良大社の神の若い時の居城だったという猫城。
もともと「根子城」であったのだろう。
「根」は大根地山と同じ「貴人、神」の意味がある。

Neko07

                                           .
1が「猫嶺城」
2が「猫城」
3が天岩戸の山神社
4が日吉神社
5が日吉の裏山、「成竹山」

本当はどっちだろう?(両方かもしれない)

どちらも伝承の「市ノ瀬」とは地区も違う。

市ノ瀬には日吉大社の元宮、日吉神社が、
仲には住吉大社の元宮、現人神社がある。
(「日吉神社 ~福岡県 那珂川町~」)
(「現人(あらひと)神社 福岡県」)

(もしかすると、「猫城が市ノ瀬にある」とは、日吉神社と高良の神の関係を示唆しているのかもしれない)


日吉の猿田彦神、住吉神、高良の神は同じ、饒速日神。
天照大神だ。
(「結びの山 ~その14 日吉の神とニギハヤヒ命~」)
(「日吉の神は大己貴神 ~那珂川市 日吉神社~」)


(日吉神社の神社誌にあるご祭神は、天御中主神、大己貴神、日子穂穂出見神。
天御中主神、大己貴神は三輪山の大物主神の饒速日神)

那珂川には岩戸の地名(川の那珂川から西が旧岩戸村)、天岩戸の伝承も、
安徳台の側には「立花木(橘)」「小戸」「おぎわら」の御祓の地名もある。
住吉、天照の神は、イザナギの御祓で生まれた。
(「安徳台と高天原」)


猿田彦発祥の地(日吉大社の元宮)
住吉の元宮
高良の神の城
天照、住吉の神が生まれた禊の地の名

・・・那珂川にはすべてが揃っていた。

 

<地名が合えば、神話の地>
ならば、ここはその条件に十分に合う。

 

ここは、高良の神の生誕の地なのでは?
天照神(住吉)でもある、饒速日命の。
(一般的には、出雲が彼の生まれた地とされているが)

住吉神は全ての神。

神話のイザナギの祓いで生まれた神。
そのすべてがここにはあるのだから。



だから、神功皇后は彼と一緒に那珂川に来たのかも。

那珂川の神田の水を潤す裂田溝を造ったという神功皇后。

 

夫婦だったと高良の伝承にある二人

                      .

(追記)
「儺の国の星」に、
「古代、市ノ瀬辺り(上記地図周辺)は、猫城岳を北の端として湖を形成しており・・・」
という記述があり、猫城岳が重要な拠点であったとある。
ならば、高良の神がいたという猫城岳は、上記の「1」の場所。
(両方の可能性はある)

 

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