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2019年5月23日 (木)

魂須霊 3 ~高良玉垂神と息長垂姫の名の意味~

( つづき )


「応神天皇」

応神天皇についての記述が新選姓氏録にある。

真人は是、皇別の上氏なり”
天皇の姓は”真氏”
真氏の筆頭は息長真人(オキナガノマヒト)であり、
”誉田(ホムタ)天皇より出づ”

ホムタワケは応神。
応神が初めの天皇だというのだ。

息長は神功皇后の名にもある。
息長足姫、または、息長垂姫。
タラシは垂、高良玉垂の神の姫(妃)を表す。

・・・神功皇后が高良の神の妃ならば、息長垂姫という名は偶然ではありえない。

応神天皇は気比神宮にて、ツヌガアラシトと名を変える。

これは同神を意味している。
そのツヌガアラシトは高良神=祇園神に結びつく。

 

「応神天皇」は、高良神なのだ。

                         *

高良山周辺は、物部氏の拠点。
そこに物部氏は祖神を祀った。
                                                                                 .
Koura460                                                                                     .
それが高良の神である住吉神。

また、高良玉垂宮神秘書には、住吉は「人となり、物部を名乗った」ともあるので、かの神は間違いなく物部の祖である者。
饒速日命。

その神は筑紫神であり、高良の神と同神とされる住吉、八幡、加茂、春日、日吉、猿田彦神、天御中主神、天照、大物主神、歳神・・・様々な名に変えて祀られる。
彼を祀る子孫達が地方へ広まり、名を変えて、その地で祀っていったのだ。

もう一人の物部氏の祖神がいる。
饒速日命の妃とされる三炊屋(ミカシヤ)姫。
(物部氏は、饒速日命とミカシヤ姫の子、ウマシマジの子孫です)


彼女は大和に東遷してきた饒速日命と出会い夫婦となり、
一緒に北部九州へと移っていた。

彼女の名一つは「ヒミカ・日甕」。
その名は饒速日命と対になる名。

饒速日命は天照国照彦天火明櫛玉饒速日命、またの名を、櫛甕玉比古・櫛玉比古。
ミカシヤ姫は櫛甕玉姫であり、櫛玉姫としても祀られている。
        (「櫛玉比女命神社 ~奈良県~」)

日の神の巫女でもあるので「日甕」。
(甕は神への供え物を入れる容器の意味)
        (「高良の神と日甕」)

基山や筑前風土記の伝承に、甕依姫として名が残り、高良の神と共にイルヰを退治している。
(ミカシヤ姫は神道では玉依姫(神の魂の依り代)の一人とされています)

彼らは、饒速日命が「住吉神」、ミカシヤ姫が「神功皇后」として、伝承に名を残された。

八幡神は、神功皇后の子・応神天皇とされているが、高良大社でも住吉・高良の神と同神です。
宇佐の伝承に「八幡の神は饒速日」と名乗ったともある。
もしかすると、応神という名は、饒速日とその子、少なくとも二代継いだのかもしれない。

                *

気になったあの神社とその周辺に行ってみた。


( つづく )

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