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2019年5月20日 (月)

魂須霊 2 ~九州王朝の女王と饒速日命~

古田史学会報のHPに「九州王朝の女王たち」というページがあります。
著者は、正木 裕氏
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/kaiho112/kai11201.html

三世紀の卑弥呼、壱与、
四世紀の高良玉垂命などの九州王朝の女王が、
神功皇后に擬せられているとあります。

非常に納得出来る記述が多々ありました。
(ですが、高良玉垂姫とあるのは、彼の妃の方だと思います)

               *

「神功皇后と高良の神の年代が重なっていること」

奈良の石上神社の七支刀が献上されたのは、神功皇后の摂政の間とされます。
(これは四世紀とあり *注1)
七支刀は物部氏が祀る石上神宮に保管されています。

初代の玉垂命は仁徳55年(367年)に筑後三瀦(三潴・みずま、か )
に来て、同56年に賊徒を退治、高村(大善寺の古名)に御宮を造営し筑紫を治め、とあります。
これも四世紀。

高良の神が「来た」?
ならばその場所に「彼」を示すものがあるはず、と筑後三潴を
調べたら気になった神社がありました。

三島神社です。
ご祭神は、事代主、春日大神、住吉大神、八幡大神、高良玉垂命。

さらに、筑後みやま市(瀬高町太神)のこうやの宮(磯神物部神社)に七支刀を持つ武人の像があると記述。
ここは邪馬台国発祥の地とされ、七支刀は元々ここに安置されて、後に石上神宮に奉納されたという説があります。

この二つ、縁があるどころか、そのままでしょう。

三島神社(奈良の三島神社
石上神宮
七支刀
物部氏
磯神(いそのかみ)

高良玉垂神が「饒速日命」だからこそ、全て繋がるのです。

三島神社、石上神宮の布留の神は、饒速日命。
物部氏は、饒速日命の子孫。
筑後三潴の三島神社のご祭神は、全てかの神。
そして、磯良神は高良玉垂命です。

もしもそうだとすると、「仁徳天皇の時代に来た」というのは腑に落ちません。
伝承では、(高良の神の子かもしれない)応神天皇の更に子に当ります。

ですが「高良玉垂命の長男・シレカシ命が、倭の五王の讃に当り、記紀では応神天皇に擬せられている」
ともあります。
「仁徳天皇の時代」というのは、違うのかもしれません。
と、すれば、四世紀ではない?

              *
「時代」

注1 に七支刀の時代が四世紀とありましたが、三世紀との説もあります。
      Wikipedia 神功皇后の項

そもそも「神功皇后の時代」は、三世紀という説があるのです。
香椎宮などのお社では、3世紀(200年代)
「儺の国の星」では、201年~269年
ウィキの「上古天皇の在位年と西暦対照表」では、在位期間が201年~269年。
*同じくウィキでは生まれが成務天皇40年とあるので(170年~269年)
 (「儺の国の星」の年代は在位期間のことか)

「高良玉垂命の時代」も何らかの理由で替えられているのかもいれません。
今のところ、年代などは色々な説があってはっきり分かっていません。

                        *

ただ、神功皇后とされている人が住吉の神(高良の神)と出会ったことは、
神話(記紀)を見ても揺るぎないことです。
以後、神功皇后と行動を共にしたというこちらの伝承は、彼が人であったことの証だと思われます。

那珂川の「現人神社」の名がそれを裏付けています。
     .


( つづく )

 

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