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2019年6月26日 (水)

玉垂神社の現仁神 ~福岡県みやま市~

(前回の続き)

「玉垂神社」

こうやの宮から、南西に道なりに2.4キロ。
みやま市瀬高にその宮はあった。

この辺りには特に玉垂神社が多いのだが、ここには。

Tamatare11

.

初めに入った方の鳥居には「荒仁神社」の扁額があった。

あらひと神社と読める。

Tamatare13

いくつかのお宮が並んでいた。

Tamatare14

「玉垂神社の大楠」
向こうに鳥居がある。
あちらが正道のよう。

Tamatare12

まずは目の前の摂社にご挨拶。
「荒仁神社」
神紋には「三」。

Tamatare15

もう一つの鳥居の方へ。
こちらには「玉垂神社」の扁額。

Tamatare16

玉垂神社拝殿。
由緒書きがあった。

Tamatare17

ご神祭は、武内宿弥、春日大神、住吉大神
創建は、延久二年(1074年)

境内には荒仁(現仁)神社、大神さん、六体地蔵、観音様、若宮さん、
天満宮、天御前社、社日さん、大日如来堂、神馬石像が祀られているとのこと。

Tamatare20

お賽銭箱が奥にあるので、靴を脱いでそこでご参拝。

 

Tamatare19

Tamatare18

拝殿の中には「五七桐」と「五三桐」の神紋。
「五七桐」紋は神功皇后が使った紋でもあった。

高良玉垂宮の神幸祭の時に見た、「住吉神」の兜にあった神紋も五七桐。
         (「高良大社*神幸祭 ~福岡県久留米市~」)

「五七桐」について書かれてあるサイト。

「お役立ち!季節の耳より情報局」
http://kisetsumimiyori.com/kirikamon/

かつて桐紋は天皇家も使用。
鳳凰が桐にとまり、声を上げると「聖王」が現れるという中国の伝承から、
聖なる植物とされてきた、と。
その中でも五七紋は、天皇家が使った最上位の紋。(サイトより要約)


この一帯に数多ある玉垂神社。

ここにはかつて、神功皇后像も安置されていたそうだ。

高良の神と神功皇后の関わり・・・。
夫婦だったという高良の伝承通りならば。

高良の神は「住吉神」でもある。
高良玉垂宮のご祭神、高良玉垂宮、八幡大神、住吉神は同神。

その住吉神も「五七桐」紋ならば、彼自身、神功皇后と同じく、天皇家に連なる者なのでは?

                    .

その住吉神の元宮は那珂川市にある「現人神社」-あらひと神社。

お宮の扁額には「荒仁神社」の文字があり、ご由緒には(現仁・あらひと)とわざわざルビがあった。

「仁」とは、もともと人間の姿を現す象形文字であり、
(古代においては、他部族の者は人ではないから)
自分の身近にいる親しい間柄の「仲間」、または「二人の人と人との間の愛情の意味」になり、
これが儒教の「仁」と同じ意味でもある。(コトバンクより)



現人神社の現人神である住吉神は、神功皇后の為に人の姿で現れた唯一の神。
現仁という言葉が相応しいものに思った。

また「三」の神紋は三島の三(オリオン座の三ツ星)は、
饒速日命を祀る宮の紋でもある。
(三ツ星は、住吉神も表しています)

                      .

もしかして・・・。
ここに来て思ったことがあった。

いつの時代かまで、北部九州にあった彼ら「高良神と神功皇后」と今される人達の伝承は、
「ちゃんとした形」で伝わっていたのではないか。

それに上書きされ、取り替えられ、ほかの物に組み込まれていったのでは。

(実際、高良大社にはほぼ正しく伝わっていた)

☆→高良玉垂宮神秘書 2 ~高良神は物部の祖神~

                      .

このお宮から出た後、宮の前で畑仕事をされてた年配の方にお会いした。
「ご参拝に来ました」というと何処からと言われたので
「那珂川市・・・背振の向こう側です」と答えると、
すごく感謝されてしまった。
「よお来なすったねぇ」と。
車に乗った後も、わざわざ車道に出て見えなくなるまでお見送りしてくださった。

土地の人にとても愛されているお宮。
なんだか、とても嬉しくなった。
また来ます!

 

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2019年6月23日 (日)

邪馬台国候補地*こうやの宮(磯神物部神社) ~福岡県みやま市~ 

福岡県みやま市にある「こうやの宮」。
別名「磯神物部神社」

Kouya03

神社と言っても鳥居が見当たらない。
                                          .
Kouya02_20190623004701


(「魂須霊 4 筑後の饒速日命」)で触れたが、ここには七支刀をもった神像がある。

Kouya05(クリックをすると拡大されます)

七支刀は元々こちらにあり、後に奈良の石上神宮へ奉納されたという説があるとのこと。

別名の「磯神物部神社」はそれを物語っているよう。

磯神は、いそのかみ。

石上神宮のご祭神は「布留神」、饒速日命。
物部氏は彼を祖神とする一族である。

「平家物語」には、磯上(いそのかみ)とも記されている。


磯神は、安曇磯良神である高良神。
彼を祀る高良大社(高良玉垂宮)は物部祖神を祀る宮であった。

☆→高良玉垂宮神秘書 2 ~高良神は物部の祖神~)アメブロの記事


ご祭神は、高良玉垂神、住吉神、八幡大神。

安曇磯良神。
ラは元々、神の意味があるので、磯神(いそのかみ)。



高良の宮と「こうやの宮」。

ここは、邪馬台国の候補地ともされている。

 

高良神は住吉であり、后は神功皇后であった。

高良山の麓にある祇園山古墳は、后であった彼女が眠るとみている。

高良大社の本殿合祀の豊姫が、彼女だ。
古墳は古代から大社の一族により、大切に守られてきたという。

神の后の彼女以外ではあり得ない。

その古墳の造営が、3世紀半ばという。

まさに「卑弥呼の時代」。

彼らは当時の勢力者であり、神功皇后が彼女だ。

☆→祇園の神 10 ~卑弥呼の墓*祇園山古墳~

Kouya06

(「魂須霊 5 ~「儺の国の星」の 三島~ 」)の地図の7の場所にある。


鳥居が無いのは、この一帯すべてが「こうやの宮」であるからではないか。
磯神である高良神と神功皇后は夫婦であり、行動を共にしたと伝承にある。
ここは彼らの宮があった一つなのでは。

 

この近くにある「玉垂神社」は、それらのことが集約されたようなお社だった。

(つづく)

 

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2019年6月19日 (水)

三島神社 ~福岡県三潴郡~

福岡県三潴(みずま)郡にある三島神社。
(この宮だけ、しまの漢字は鳥の下に山)

(「魂須霊 4 ~筑後の饒速日命~」)に少し記載。
                                               .Mizuma04

                                                .
ご神祭は、事代主神、春日大神、住吉大神、八幡大神、高良玉垂命。

大善寺玉垂宮の近くにある。
今回、そちらの方にも行ったが、以前の記事で。
(「大善寺玉垂宮 ~福岡県久留米市~」)
                                             .

Mizuma05

楼門。                                                                                       .   

Mizuma05_20230816133201

Mizuma09

                                               .
御朱印は、三種神器。

「三瀦に来た」という伝承がある高良玉垂宮。
大善寺玉垂宮の辺りに宮を造ったそう。
その近くに多数ある三島神社。

奈良の三島神社には、布留神が祀られている。
石上神宮の神様と同じ、饒速日命。

そしてここに祀られている神も、彼と同一神。

饒速日命は、高良の神、またの名を安曇磯良神。
磯神(いそのかみ)と言われ、物部氏の祖神。


石上神宮の神とご神祭が同じなのは必然なのだ。
                                      .Mizuma10

                                         .
そして、三島神社と大善寺玉垂宮がある三潴には、二人の伝承が別々に。
(大善寺に神功皇后の船が着いた)

前回の風浪宮には、神功皇后と高良の神がご祭神であり、彼女と共に行動したのは磯良丸とあった。

磯良丸が高良の伝承の通り、高良玉垂神ならば・・・。

彼女と行動を共にした磯良丸は、饒速日命ということになる。

 

別々の者である高良神と安曇磯良神は同神。

別々の伝承である高良神と神功皇后は、共に行動していたことになるのだ。




 

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2019年6月12日 (水)

風浪宮*神功皇后伝承と安曇磯良神 ~福岡県大川市~

風浪宮。

福岡県大川市。
ここは神功皇后が三韓征伐から帰国した際、最初に建てられた宮。
                                                  .Hurou09                                                                       .                       

  Hurou06

ご祭神は、住吉大神、息長足姫命、少童命、高良玉垂命
                                         .Hurou01

                                                                           .
建築の街、大川市というだけあって、組子の巨大な絵馬が奉納されていた。
                                    .

Hurou02

                                                                    .
拝殿。

Hurou07
                                             .
神紋は、州浜紋。
太陽と月と星を表す。

Huurou03

                                                                           .
拝殿にある阿雲磯良丸の像。
阿曇磯良丸は阿曇氏の祖先とされていた。

Hurou08

                                                                            .
阿雲磯良丸(あづみいそらまる)は、高良玉垂宮の伝承では、安曇磯良神(アントンイソラシン)。
高良大社の神職さんは、「神功皇后の船の舳先に立ち、彼女を守った神であり、住吉神でもある」とおっしゃった。

高良の伝承、高良玉垂宮神秘書では、彼こそ高良神であり、住吉神。
また物部の祖神である饒速日命であった。

☆→高良垂宮神秘書 2 ~高良神は物部の祖神~)アメブロの記事


高良神は神功皇后と夫婦である。
彼女は饒速日命の后の御炊屋姫なのだ。

☆→神*総まとめ

彼女は市杵島姫=宗像神。
彼と共に、筑紫の神。
                                          .

Hurou03

                                                                                    .
こちらの由緒書きには、住吉大神、息長垂姫命(神功皇后)、少童命(わたつみのみこと)、高良玉垂命。

福岡の志賀島にある志賀神社や、長野県安曇野市にある穂高神社と同族とある。

安曇氏、阿曇氏、安積氏は、こちらから広まっていったのだ。
あづみは”わたつみ”が詰まったもので、元は海洋族。
と思いましたら、長野県神社庁の穂高神社のHPにもそうあった。  (「穂高神社」
思っているより、古代の交流は広い。

住吉神(高良神)は月神でもある。
二つの珠を使い、海の満ち引きを操る。

その高良神が饒速日命であるなら、彼は天照神(日神)でもある。
神紋がそれを伝えているようだ。



 

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2019年6月 5日 (水)

魂須霊 6 ~物部の祖神 * 饒速日命~

そうだった。
物部氏は、自分たちの祖神以外を祀ることは決してない。
祖神、饒速日命以外の神を。

高良の神が三島神社に祀られていた。。
「三島」の名は、オリオン座の三ツ星を表す。

三ツ星の神は、住吉神。
海神であり、星の神。
海の民の守り神。

三島神社に祀られていた神の名の名は、
事代主、春日、住吉、八幡、高良の神。
すべて同じ神を表す。

高良大社の神も、高良玉垂神、住吉神、八幡神。
高良は物部の地。
そして彼自身も伝承の中で「物部」を名乗っている。

物部は饒速日命の子孫だ。

                 *

「二人とトヨ」

神功皇后と卑弥呼、二人に共通するものに「とよ」の名がある。

卑弥呼には宗女「台与(とよ)」。
(宗女は、一族の娘)

神功皇后には妹「豊姫」。

高良玉垂宮秘伝書では、豊姫は住吉三兄弟の長男(高良の神の兄)に嫁ぐ。
地上での名は「物部の大連」。
こちらも物部との関係性を示唆している。

住吉三神の次男は、神武天皇。
最初に名が出るだけで、その後一度も出てこない。 

      (「神の鉾 2 ~高良玉垂宮神秘書~)」

ここで神武の名が出るのは、「同じ時代」ということにしたかったのだと推測。

前回も書いたが、神話の神武には媛蹈鞴五十鈴媛命という后 がいた。
父が大物主神、母が玉櫛姫(三島溝杙)。
彼らが饒速日命であり、その妃、ミカシヤ姫。


「饒速日命が高良の神」
そうであるなら、すべて繋がる。
彼の后は、卑弥呼ともされる神功皇后である、ミカシヤ姫。
ヰルイ退治の伝承で高良の神と共にした「甕依姫」。
       (「二つの伝承 8 ~五十猛命と甕依姫~)」

高良の神と神功皇后の子が「応神」であり、「神武」であるからこそ繋がるのだ。

 *高良の伝承では、二人には九人の子供がいたとされる。
  すべて彼女が産んだわけはないので、そのうちの何人かは育ての子。
  「卑弥呼の宗女・トヨ」は、それを表しているのかもしれない。                                               *

 

饒速日命が高良の神(住吉)、ミカシヤ姫は神功皇后。

神武は二人の子(応神)であり、彼の妃、媛蹈鞴五十鈴媛は宗女・豊姫。

                     *


神功皇后とされた彼女は、筑前風土記に甕依姫として名を残したミカシヤ姫。
高良の神・饒速日には、櫛甕玉比古の名があった。

彼女の本当の名は、日甕(ひみか)。
日の神の巫女。
神功皇后とされる人の本当の名。
             
                   *

卑弥呼は、日甕・ヒミカ。
日の神・櫛甕玉比古の妃であった、櫛甕玉姫・ミカシヤ姫。

神功皇后は住吉の神と共に生きた、彼女だった。

                              

 

伝承に事実が入り混じり、さらに当時の政権の都合のいいように変えられている。
それが神話。
が、それは過去であると同時に、未来が描かれたものでもある。
誰かに伝える為に。
その為に残すのだ。

住吉の神は、歳神でもある。

「人として姿を現す唯一の存在」であり、
「この世が大事の時、再び現れる神」とお社にある。
それが本当の「現人神」たる由縁。


だから、探さなくてはならない。
伝承に残った彼の軌跡と未来を。

 

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