邪馬台国候補地*こうやの宮(磯神物部神社) ~福岡県みやま市~
福岡県みやま市にある「こうやの宮」。
別名「磯神物部神社」
(「魂須霊 4 筑後の饒速日命」)で触れたが、ここには七支刀をもった神像がある。
七支刀は元々こちらにあり、後に奈良の石上神宮へ奉納されたという説があるとのこと。
別名の「磯神物部神社」はそれを物語っているよう。
磯神は、いそのかみ。
石上神宮のご祭神は「布留神」、饒速日命。
物部氏は彼を祖神とする一族である。
「平家物語」には、磯上(いそのかみ)とも記されている。
磯神は、安曇磯良神である高良神。
彼を祀る高良大社(高良玉垂宮)は物部祖神を祀る宮であった。
(☆→高良玉垂宮神秘書 2 ~高良神は物部の祖神~)アメブロの記事
ご祭神は、高良玉垂神、住吉神、八幡大神。
安曇磯良神。
ラは元々、神の意味があるので、磯神(いそのかみ)。
高良の宮と「こうやの宮」。
ここは、邪馬台国の候補地ともされている。
高良神は住吉であり、后は神功皇后であった。
高良山の麓にある祇園山古墳は、后であった彼女が眠るとみている。
高良大社の本殿合祀の豊姫が、彼女だ。
古墳は古代から大社の一族により、大切に守られてきたという。
神の后の彼女以外ではあり得ない。
その古墳の造営が、3世紀半ばという。
まさに「卑弥呼の時代」。
彼らは当時の勢力者であり、神功皇后が彼女だ。
(「魂須霊 5 ~「儺の国の星」の 三島~ 」)の地図の7の場所にある。
鳥居が無いのは、この一帯すべてが「こうやの宮」であるからではないか。
磯神である高良神と神功皇后は夫婦であり、行動を共にしたと伝承にある。
ここは彼らの宮があった一つなのでは。
この近くにある「玉垂神社」は、それらのことが集約されたようなお社だった。
(つづく)
« 三島神社 ~福岡県三潴郡~ | トップページ | 玉垂神社の現仁神 ~福岡県みやま市~ »
いいね!
投稿: RYU | 2019年6月26日 (水) 08時02分
RYUさん、こんにちは^^
いいね!ありがとうございます!(*^^*)
はげみになります。
投稿: 弥沙 | 2019年6月26日 (水) 11時58分