宝満山の妙見大菩薩
宝満山の馬蹄石に見える人影について、コメントで教えてもらいました。
「左がお坊さんが手を合わせているようで、右が中国の皇帝が着てるような服の人」と。
(クリックして拡大した方が鮮明です)
言われてみれば、(左は分かりませんが)右は岩に刻まれたように見えます。
実際にはそんな線刻はありません。
山ナビで知り合った行者さんは、
「左は骸骨が僧服を纏ってるように見える」
「右は、唐服のよう、イメージ的には<妙見大菩薩>の姿をしているようだ」と。
その方によると、「玉依姫と妙見菩薩は同一神として習合している。
妙見さんは、鎮宅霊符神と同一神と集合してるので、(私の)見立て通り
ここを守ってらっしゃる方なのかも」と。
教えて頂いた絵を見ると、確かに妙見さんに思えました。
こういうのは「直観」が大事なのです。
玉依姫は宝満山竈門神社のご祭神の一人。
(玉依姫・神功皇后・応神天皇)
「後の世もこの地をずっと守ると言われたと伝えられてます。
ここの玉依姫は神功皇后だと思っています。玉依姫は魂の依り代。
彼女もそうでした」と伝えると、
「妙見さんのお経の出だしが、
『我、北辰菩薩にして名付けて妙見という。
今、神呪を説きて諸の国土を擁護せんとす』とあるので、妙見さんと玉依姫のご請願は通じる」
さらに
「神功皇后は応神天皇を主神として比売神を合わせて八幡三神と言いますが、
神仏習合の時は「南無護国八幡大菩薩」と拝むんですが護国で通じる」と。
とのこと。
請願が同じだからと同一神と言うわけではないと思いますが、
もしかすると、後の世の人が「同じにして」しまったのかもしれません。
また、妙見信仰について以下のサイトを見つけました。
戸原さんのブログより
「妙見信仰とは」
http://www.y-tohata.com/myoken-1.html/
ここに、「天御中主神と習合している」ともあります。
最澄が、宝満山竈門神社から、竜王山の麓の六所宮に神を勧請しています。
八幡大神、国常立尊、大物主神、
豊国主命、宇賀姫尊、菊理姫尊
(「六所宮 ~福岡県飯塚市~」)
大物主神は大己貴神。
那珂川の日吉神社には、天御中主神と大己貴神が一緒に祀られています。
(「日吉の神は大己貴神 ~那珂川市 日吉神社~」)
ここも最澄が、日枝大社へと神を勧請しています。
最澄はそこにある神の名よりも、その「本質(本迹)」を感じ取ったのかもしれません。
なんだか、偶然とは思えないです。
もしかすると、こうやって社の御祭神の名は並んでいったのかも・・・。
*
後の世までこの地を守る。
神功皇后たちは、よほどこの地を愛していたのだと思います。
それが今の世まで伝わっているなんて、彼女らはとても幸せものだと思います。
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なかなか難しくて 私にはちょっと難しいけど 太宰府や那珂川はやはり土地にパワーがあるんだと思う^^
つい昨日かな?また太宰府出身の人と知り合って(((*≧艸≦)
同じ小学校出身の女性で 何やら占い師みたいな人だったよ 笑w
投稿: おきらく龍 | 2019年7月15日 (月) 23時41分
おきらくさん、こんにちは(*^^*)
ええっ!Σ(゚Д゚) それはすごい偶然だね!!!
同じ小学校???
占い師?
実はうち、占いを人に対してしようかと、
準備をしてるとこなの^0^;;
ずっと前から自分や周りの人にはしてたんだけど。
本格的にやってみようかな、と。
人の運命の責任を取りたくないって思ってしなかったんだけど、
占いの結果はあくまでも予測であって、
決めるのはその人自身というアプローチの仕方があると、
ようやく受け入れられた。
一昨日、伏見神社の神楽あったよ^^
毎年同じような写真だけどその内、UPするよ^^
後、山田の裂田の溝の側に大きな公園ができたよ。
遊具と運動場のある。
あっこら辺何もなかったもんね。
田んぼがつぶれてちょっと寂しいけど。
そうそう前に那珂川の山を伝って東半周39キロと、
(城山(柿ヶ塔の滝の裏山)から九千部山~坂本峠まで
行って、車道を歩いて最初のバス停の南畑の発電所まで)
西半周38キロ
(成竹山(日吉神社の裏山)から山伝いに背振、坂本峠から下りて、
車道を歩いて南畑小の前まで)
歩いたよ。
那珂川って広いね~^^;
38キロって那珂川から海ノ中道の先端まで行くやん^0^;
でも地上は歩けない^^;
投稿: 弥沙 | 2019年7月16日 (火) 12時50分