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« 卑弥呼の墓 その3 ~ 高良神と饒速日命~ | トップページ | 十二国記 最新刊 »

2019年10月25日 (金)

卑弥呼の墓 その4 ~交錯する時代~

(「卑弥呼の墓 その3 ~ 高良神と饒速日命~」)のつづき

 

高良神は住吉神です。

住吉神と言えば、
<何故、神功皇后の前に現れたのは住吉神なのか>

彼女の三韓征伐の伝承を知った時から、そう思っていました。

           *

「住吉神」

住吉神は、那珂川市の「現人神社」の御祭神。
ここが全国の「住吉」の最初の社です。

地元では「現人さま」。
神功皇后の前に、<人として>初めて姿を現した神、なのです。

<ならば、それ以降もこの世に存在するはず>

伝承上でも、人の姿で人としてこの世に居続ける、現人神。
では、それ以降は神功皇后と共にあり続けたのではないのか。

              *

それらの答えの一つが、「高良玉垂宮神秘書」にありました。

15代神功皇后の時、イルヰが日本を攻め立てた。
彼女は(福岡の)四王寺山で祈った。

その祈りに答え、天から現れたのが住吉三神の三男、底筒男神。
(後の高良大菩薩であり、月神、高良玉垂神)

続いて住吉大明神(三男の父)、表筒男神(日神)、中筒男神(イワレビコ、神武)が現れる。

底筒男神は20歳の若者の姿で。
彼は大将軍になって、彼女の力となると約束する。

日神(表筒男神)、住吉神大明神(父の方)は副将軍となる。

三韓を降伏させたあと、住吉神大明神は天に帰り、
月神は神功皇后と、日神は神功皇后の妹、豊姫と夫婦になった。

この後、神功皇后と共に「イルヰ」を退治。


その伝承の中では、住吉神(月神)は神功皇后と夫婦となっていました。
   *(以降、住吉神は、月神・底筒男神のこと)

               *

住吉神は、高良大社のご祭神、高良玉垂神。
上記の伝承には、安曇磯良神である月神。

調べていくと、彼が饒速日命に繋がりました。
ならば、饒速日命と神功皇后が夫婦だったことになります。


神功皇后は14代目仲哀天皇の(元)后。
15代応神天皇の母。
(高良の伝承には、15代神功皇后とあります)

一方、饒速日命は、最初の天皇、神武より前の人です。

時代が違い過ぎるだろう。
何故?
生まれ変わりなのか?

           *

「高良玉垂宮神秘書」にはこうもありました。

<住吉神の次男、中筒男は、初代最初の天皇の神武>


その伝承には、神武天皇と彼らが同じ時代だとあるのです。
神功皇后と住吉神の物語が。

少なくとも住吉神の方は、彼が饒速日命であるのなら神武の時代と重なります。

では、神功皇后は?

その答えを見つけたような気がしました。

           *

伝承上の嘘と真実。
ここにぽっと<神武>が入り込んでいるわけは?
その後の記載もなく。

それは、住吉神(底筒男神)が、神武天皇と無関係では無いから、ではないのか。

神武天皇が実在していたかどうかは分かりません。
ですが、神話上では同じ時期に存在します。

底筒男神が饒速日命なら。
ここに神武の名があるのは、偶然ではあり得ません。

いや、彼が饒速日命であるからこそ、ここに神武の名があるのです。


<常識を外せ>
一度、すべての当り前を外して考えてみろ。

高良の伝承を知ってから、そう言われてるような気がしました。

<饒速日命(住吉神)と神功皇后>って何?



(「卑弥呼の墓 その5 ~卑弥呼の鏡~」)  へ つづく)

 

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コメント

こんにちは。
卑弥呼は、畿内説と九州説がありますが、
最近、畿内説は、畿内が日本の中心になったときに
そのうらづけとなるために作られたというような
話も聞きました。
でも、このブログを拝見しながら、どちらにしても
九州と近畿は、とても強い結びつきがあったのだろうな
と思います。
面白いです。

ふうちゃん組さん、おはようございます^^

コメントありがとうございます。
うちもそう思います。

昔「箸墓の歌」という本で思いましたけど、
各地に残る伝承などをたどると行きつくものがあると。

中には他の地の伝承を、一族の移動と共に移したものもあるかもしれません。

でも、そこには「本当」があるんじゃないかと思います。

北部九州から奈良へと移動した饒速日命。
奈良から北部九州へと移動した神功皇后。

少なくとも、二つの土地と彼らの繋がりは強いと思います。

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