卑弥呼の墓 候補地 その1 ~祇園山古墳~
福岡県久留米市の高良山の麓にありました。
候補地の理由は
*卑弥呼の時代と重なる
*魏志倭人伝に記載されている「殉葬者100人」に迫る60体が側に埋葬されている
*該当する墓は盗掘されているものの(鏡は高良大社の宝物殿にあるそう)、側の墓からは鏡等が出土など
詳しくはこのHPで。
http://wwr2.ucom.ne.jp/hetoyc15/kodaisi/himikotyou/himiko3horon.htm
その古墳の名が「祇園山古墳」。
「祇園」の名は、神功皇后と高良の神(磯良神)に繋がります。
(その説明は後に)
高良山へ続く道を横切る、高速の高架をくぐるとすぐ右(南)へ。
隣に高速が走っています。
何割かは削られましたが、土地の人のご尽力によって大部分が残されることになりました。
(クリックすると拡大されます)
祇園山古墳測量図。
古墳の周りには60体以上、同時期に埋葬されています。
その中には「刺し違え」も二組ほど見受けられるともありました。
「刺し違え」という言葉だけで、迫るものがあります。
奈良の箸墓古墳も卑弥呼の墓候補地となっていますが、殉葬者はなかったはず。
見えてる部分は、縦1.5m、横0.6mくらいでしょうか。
台形(四角錘台)になっており、底の方が広いそうです。
どなたかが置かれた花がありました。
この地は古くは、高良大社の関係者の邸宅があり、大事な場所だからとずっと大切にされてきたそうです。
その為か、途方もない時を経ているからか、ここはとても居心地がいいです。
眺めがいい地を「占地」といい、地位の高い者が埋葬されていたそうです。
曼殊沙華が咲いてました。
地図の右中ほどにあるのが高良山山頂。
麓の駐車場がいっぱいだったので、山頂近くの駐車場に停めて、車道を走って下りてきました。
祇園山古墳の場所は、山の麓の左の方の青い丸。
真ん中ほどの赤い二重丸が、「高良大社」です。
「卑弥呼の墓」の候補地の一つが、高良山の麓にある。
しかもその名が「祇園山古墳」。
「祇園」の名と、高良山にある「高良大社」。
それがここにあるのは、偶然では無いのです。
(つづく)
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こんばんは!
久留米に邪馬台国、卑弥呼ねぇ・・・。
なるほど。
畿内説が有力と言われていますが、ありえるかも知れませんね。
いずれにしても、有力豪族の墓であることは間違いないでしょうね。
私的には、邪馬台国は吉野ケ里であって欲しいところですが・・・。
投稿: FUJIKAZE | 2019年10月15日 (火) 19時07分
FUJIKAZEさん、こんばんは(*^^*)
「邪馬台国」というのは、「やまと」という古いこの国の名称で、
「王のいる国」という表現が一番近いと思います。
なので、もしも「高良神」が「その王」ならば、奈良(三輪山の麓)と福岡にあったと
私は思っています。
吉野ヶ里は大規模ですね~。
あの時代、同じような集落が点在していたと思います。
「高良の神」に繋がる伝承があるならば、宮の一つがそこにあり、
「やまと」と呼ばれたととも思えるのですが、ありません。
(以前書いた邪馬台国候補地とされる「こうやの宮」なら高良の神の伝承もあります)
でも当時の姿をあんな大規模に再現している場所はここしかないので、
とても興味がありますよ^^
投稿: 弥沙 | 2019年10月15日 (火) 20時39分