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2019年10月18日 (金)

卑弥呼の墓 その2 ~祇園の神~

前回の記事
卑弥呼の墓 候補地 その1 ~祇園山古墳~

その場所は山ナビのYAMAPで、他の方のログで知りました。
祇園山古墳の「祇園」の名と、「高良大社」に祀られている神とは深い繋がりがあります。

*「祇園

祇園と言えば、京都の祇園祭が有名です。

三韓征伐に旅立つ、神功皇后の物語を勇壮な船鉾に表現しています。

「祇園祭船鉾保存会」のHPには、このようにあります。
http://www.funeboko.jp/saijin.html


京都の祇園祭の主役の一人は神功皇后。
住吉明神は、神功皇后を助ける副将。
鹿島明神は、船鉾のかじ取り役。
そして、龍神・安曇磯良神は、船鉾の案内役。
満珠・干珠を持ち、海流を自由にできるという。

        
普通、祇園信仰というと、牛頭天王であるスサノオ信仰を表します。
ですが、京都の祭りでは上記の神々が主役なのです。

元々はスサノオでは無かったのではないか。

「高良玉垂宮神秘書」

上記の「祇園祭」の神の役。
高良玉垂宮神秘書を知った時に、重なりました。

高良大社に伝わるその神秘書には、ご祭神と神功皇后との伝承が記されています。
(「神の鉾 2 ~高良玉垂宮神秘書~」)

そこには、「祇園祭」の住吉神、鹿島神、安曇磯良神、の神の名があり、
さらに春日の神と共に、同神としています。
(「神の鉾 3 ~安曇磯良神~」)

「磯良神は大和で40万年、ひたちで40万年、勝馬(かつま、志賀島)で40万年過ごされた神。

大和は奈良の春日神、常陸は鹿島神、
勝馬は福岡の志賀島の志賀島海神社の神である(「志賀海神社 ~福岡県~」)
綿津見三神(住吉三神と同神とされます)。

祇園の神は、すべて同神なのです。


*「高良玉垂神

では、祇園の神が「高良玉垂宮神秘書」の神なら、彼の正体は。

それが伝わる、高良山の中腹にある高良大社。
高良玉垂神、住吉神、八幡神がご祭神です。
三柱は同神でした。

祇園の神こそ、住吉神(高良神)そのものです。

           *

「京都の祇園祭の三柱」

住吉明神、鹿島明神、そして、龍神・安曇磯良神は、同じ神。
さらにもう一人の、神功皇后。

高良玉垂宮神秘書には、高良神(住吉神)と神功皇后は夫婦だとあります。
(「神の鉾 3 ~安曇磯良神~」)


神功皇后と夫婦だという高良神は何者なのか。

調べていくと、一柱の神にたどり着きました。

(「神の鉾 4 ~天照の分御霊(わけみたま)~」)


饒速日命です。


(つづく)

 

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コメント

こんにちは!
神功皇后と三韓征伐ですか。
何処かの国が、そんなもの無いニダ~って、真っ赤になって否定しそうですね。

私は、神功皇后に関しても三韓征伐に関しても、あまり知識はありませんが、そう言えば昔、武雄温泉に行った時に、そんな碑を見たような・・・。

FUJIKAZEさん、こんばんは(*^^*)

三韓征伐はどうなんでしょうね~。
神功皇后の少し前の祖先は、大陸からきたとも言われてます。
「天日鉾」とも言われるツヌガアラヒトです。
祖先の国とも言われる地を攻めるだろうか?と
疑問に持たれてる方もいます。

香椎宮やその他の彼女を祀っている社では、
「日本で初めて大陸との交流をした」という位置づけです。
私もそっちが近いのでは?と思います。

武雄神社行きましたよ~^^
神功皇后の補佐をしたと言われる武内宿祢の故郷だとか。
なので、神功皇后の伝承があるんでしょうね。
温泉、入ってきたら良かったです。
大雨からどうなってるのか心配です。

ただ、高良の伝承にある「異類」とは、
戦っていたようで、リアルな二人の伝承があちこちにあります。

その伝承が「三韓(交流)」と混じったのでは?と思うのです。

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