卑弥呼の墓 その5 ~卑弥呼の鏡~
(「卑弥呼の墓 その4 ~交錯する時代~」 つづき。)
高良山の麓にある「卑弥呼の墓」候補、祇園山古墳。
「祇園」の神は、高良大社の御祭神・高良玉垂神。
そして神功皇后です。
高良神は住吉神であり、饒速日命。
ならば、彼と夫婦だったという神功皇后とは?
*
「饒速日命と卑弥呼」
神功皇后との繋がりの前に。
彼と卑弥呼に繋がる物がありました。
卑弥呼の鏡です。
卑弥呼の鏡(の一つ)が、火明命が授けた「十種神宝」の可能性があるのです。
(「日本の真相 10 ~卑弥呼 と 八咫鏡 と 十種神宝~」)
卑弥呼が神事で扱っていた鏡が、籠神社の御神宝であった、
「息津(おきつ)鏡と辺津(へつ)鏡 」の可能性がある。
それは、籠神社の御神祭・彦火明命が授けたとされる
「十種神宝」(物部氏が所有していた)の内の二つ。
さらに、邪馬台国の女王たる卑弥呼は、物部氏の血統 だと。
「日本の真相」には、そうありました。
考えてみれば、そうです。
卑弥呼が天照(の巫女)ならば、物部一族の「十種神宝」を
手にしている可能性は高いのです。
邪馬台国が大和にあったならば、そこは物部氏の地。
物部氏の祖神は饒速日命。
彼らは確かに「十種神宝」を所有していました。
*
「日神の后」
籠神社の秘伝書から、
彦火明命の后が市杵嶋姫であり、又の名を天照(の巫女)。
彼女が卑弥呼の可能性がある、 ともあり。
*市杵嶋姫 の名は「斎き島」、神に斎く島の女性(巫女)であり、卑弥呼の名そのもの。
(これは冷水峠に行った時に感じました)
市杵嶋姫(の本地)は弁財天です。(*本地については後に)
饒速日命の后には、三炊屋姫(ミカシヤ姫)がいて、彼女も弁財天として祀られています。。
古代は何人か后がいる時代。
市杵嶋姫はミカシヤ姫自身?
・・・物部氏の血統であり、彼の后であるのはミカシヤ姫しかあり得ません。
彼女と饒速日命の子・ウマシマジの子孫が物部氏なのですから。
ミカシヤ姫が市杵嶋姫であり、天照の巫女・卑弥呼。
それはそうです。
饒速日命が日神なのですから。
日の神・天照を祀る、巫女が「卑弥呼」です。
「卑弥呼には夫がいなかった」
魏志倭人伝のその一文にとらわれ過ぎていました。
神との婚姻は、人のそれと同じではないのです。
(「日本の真相 22 ~聖婚~」)
*
饒速日命が日神・天照ならば、その后が日の神を祀る「卑弥呼」の可能性が大いにあります。
邪馬台国が大和にあったならば、そこは饒速日命を祖神とする物部の地。
「十種神宝」を「卑弥呼」が手にしていたはず。
それは・・・。
饒速日命の后であり、物部の血統であるミカシヤ姫が「十種神宝」の鏡を持った、
卑弥呼であった可能性があるということ。
*
饒速日命の后・ミカシヤ姫が「卑弥呼」。
あくまでも<可能性>ですが・・・。
ここで、筑紫の伝承に繋がります。
神功皇后と卑弥呼。
繋げたのはミカシヤ姫の名、でした。
(「卑弥呼の鏡 その6 ~同じ時を生きる~」) へ つづく)
*本地について
神仏習合がおこった時、日本の神の本来の姿、として仏があてられることがありました。
YAMAPで山友になった行者さんの話によれば、
「その神と同じような性質の仏が選ばれた」そうです。
ですが、奈良の大神神社の十一面観音(饒速日命の面影を残すという)のように、
神の介在はあったと感じてます。
(高良大社には十一面観音がありました。後に四天王の一人、毘沙門天としても祀られてます)
( つづく )
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