卑弥呼の墓 その3 ~ 高良神と饒速日命~
(「卑弥呼の墓 その2 ~祇園の神~」 つづき )
高良の神とは何者なのか。
たどり着いたのは、饒速日命でした。
(「神の鉾 4 ~天照の分御霊(わけみたま)~」)
高良玉垂神と、饒速日神。
書く度に二柱の共通点が出てきます。
* 高良神(磯良神)の満珠・干珠という海の満ち引きを操る二つの珠。
饒速日命の十種宝神宝の「生玉・死返玉」という二つの珠。
* 高良神(磯良神)は、月神。
(「神の鉾 2 ~高良玉垂宮神秘書~」)
(「神の鉾 4 ~天照の分御霊(わけみたま)~」)
(高良神が持つ二つの珠が海の満ち引きを操る=月の作用と同じ=月神)
饒速日命は、月神であり日神
(「二つの伝承 9 ~日の神 と 月の神~」)
伊勢の外宮のご祭神は、籠神社から来た月神。
籠神社の神は、月神であり、磯神と呼ばれていた。
そして「潮満玉と潮干玉」を有していた、と。
(京都、籠神社のご祭神は天火明命=饒速日命)
また、<伊勢はもともと「磯宮」と呼ばれていた>ことから、
伊勢の神=天照が磯神
天火明命、饒速日命、磯神、月神、海を操る二つの珠、伊勢、磯宮、天照。
それらが、籠神社で繋がりました。
*奈良の石上神宮は、ご祭神が布留神である饒速日命です。
饒速日命が石上神宮の神・いそのかみなら、
磯良神(高良神)がいそのかみと呼ばれてきたことは自然。
良(ラ)とは、光、神の意味、本来は磯神。
(「日本の真相 17 ~安曇磯良神の名の意味~」)
*高良の地は物部氏の領地だった。
彼らの祖神、饒速日神。
石上神宮は、物部氏の祖神・饒速日命(布留神)がご祭神。
*筑紫(福岡)における饒速日命が祀られているとされる社に、
彼と同神とする住吉神、八幡大神、春日大神、などが一緒に祀られている。
(「日本の真相 19 ~神・饒速日命の名~」)
*饒速日命の本地仏(神仏習合の際の仏の姿)は、十一面観音とされます。
かの神が祀られている三輪山の大神神社。
その社の側の堂に、元々、十一面観音があったそうです。
饒速日命の面影を映したとされるその仏像は、後に聖林寺に移されました。
高良玉垂宮の本地仏も、十一面観音。
高良大社の社の側にあり、神仏分離の際、麓の寺へ移したそうです。
*饒速日神は、住吉神。
大嘗祭から繋がりました。
さらに饒速日命=天照です。
(「大嘗祭 と 住吉神 と ニギハヤヒ ~その1~」)
久留米の伊勢天照御祖神社のご祭神が、饒速日命。
(高良大社の参道にもある)
伊勢の神が磯神と呼ばれ、京都・籠神社から来た月神(天火明命)でもあるのなら、
ここにあるのは偶然では無い。
(高良神=月神=磯良神=饒速日命)
*日吉神社と日吉大社の神
日吉大社の元宮の一つ、福岡県那珂川市の日吉神社。
最澄がここの神を日吉大社へと勧請しました。
(「結びの山 ~その14 日吉の神とニギハヤヒ命~」)
日吉神社の神は、地元の人は猿田彦神だと通っていますが、
正式には大己貴命。
(「日吉の神は大己貴神 ~那珂川市 日吉神社~」)
日吉大社の二つの社の神は同じだとあり、
猿田彦神と三輪山の大神神社から勧請した大己貴命は同じ神。
大神神社の大己貴命は、饒速日命。
日吉神社の神は、かの神なのです。
そのすぐ側には、猫岳という小さな山があり、高良神の若い頃の城が
あったという伝承もあります。
*現人神の誕生地
那珂川には現人神社があります。
住吉神社の元宮とされています。
(この地には、元宮が二つあるのです)
(「那珂川は饒速日命(天照・住吉・高良の神)の生誕地」)
那珂川の地は、伝承の「みそぎの地」であり、
そのみそぎで生まれた神が住吉神なのです。
(これは、住吉神がここで生まれたことを表しています)
住吉神が饒速日命なら、「猫岳の高良の神」は偶然ではありません。
*
高良神が住吉神で間違いなさそうです。
磯良神であり、石上神宮の神、饒速日命。
彼は、伊勢の神、天照。
*
では、彼が饒速日命ならば・・・。
その社の麓に眠る、社の関係者によって守られてきた墓は、
高良神にとっても大切な人のはず。
(つづく)
« 卑弥呼の墓 その2 ~祇園の神~ | トップページ | 卑弥呼の墓 その4 ~交錯する時代~ »
コメント