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2019年11月26日 (火)

卑弥呼の墓 その6 ~同じ時を生きる~

(「卑弥呼の墓 その5 ~卑弥呼の鏡~」 のつづき)

先日の「英彦山への山行」で思い至ったこと。

<十種神宝は無かったのかもしれない>

「卑弥呼の鏡」を書いてた途中のあの出来事。
それさえも偶然では無いかもしれません。

<彼ら自身が十種神宝か>

”彼”、饒速日命の周りには、不思議な力を持つ”宝(物)か、人”のどちらかが在ったのは
確かなようです。

              *

「その5」で籠神社の伝承から導き出されたもの。

 *卑弥呼の鏡は、饒速日命の十種神宝。
 *彼の后が市杵嶋姫であり、又の名を天照(の巫女)。
 *彼女が卑弥呼。
   *邪馬台国の女王たる卑弥呼は、物部氏の血統


あくまでも可能性ですが。
それらが当てはまるのは唯一人、「饒速日命の后、ミカシヤ姫」です。
(「市杵島姫の名の意味 ~斎星姫・蘇る神~」)

では、彼女が神功皇后であり、卑弥呼?

             *

<卑弥呼と神功皇后とミカシヤ姫>

卑弥呼と神功皇后、それらを繋ぐものが筑紫にありました。


*「甕依(みかより)姫」

その名は、荒穂神社と筑紫神社(筑前風土記)の伝承「ツクシノカミ」にあります。
甕依姫は、神功皇后です。

(「二つの伝承 5 ~大根地山 登山 (1)~」)
(「二つの伝承 7 ~冷水峠~」)
(「二つの伝承 8 ~五十猛命と甕依姫~」)
(「魂須霊 6 ~物部の祖神 * 饒速日命~」)


「筑紫の国魂(ツクシノカミ)」は、高良神・饒速日命。
宝満大神・玉依姫は神功皇后。
彼女の名の一つが「甕依姫」でした。

饒速日命には櫛甕玉比古の別名があり、
その后、櫛甕玉姫の別名はミカシヤ姫です。

ミカシヤ姫も神道では玉依姫とされています。
玉依姫とは、神の魂の依り代、巫女のこと。
(または、二つの玉の力と同じ、彼女自身の力を表す)

(「二つの伝承 8 ~五十猛命と甕依姫~」)
(「高良の神と日甕」)


「甕依姫」の、甕は個人の名称であり、玉依姫は称号なのでは。
「その5」で導き出された者と重なります。

  本来、卑弥呼はヒミカと呼ぶのです。
  意味を漢字にあてると、日甕(ひみか)。
  日の神の巫女。
  甕(みかの響き)には「神に捧げる供物を入れる器」の意味があります。

  ヒミカが彼女の本当の名です。
  饒速日命(日の神)の巫女、ヒミカ。


饒速日命である住吉神の側にいたのは、神功皇后と名を変えられたミカシヤ姫・ヒミカです。

                                  *

<祭り・伝承・神楽の中の二人>

その他の祭り、伝承でも、二人は同じ時を生きています。
伝承地の多くも重なります。


「祇園祭」と「葵祭」

これらは京都の祭りです。
長らく日本の主要地であった土地の祭り。
祇園祭は「その2」に記しましたが、「葵祭」と共通するものがあります。
双方とも、住吉神と神功皇后を主役とします。

(「卑弥呼の墓 その2 ~祇園の神~」) (祇園祭)

(「日本の真相 15 ~前編 葵祭 と 住吉神 と 神功皇后~」) (葵祭)
(「日本の真相 16 ~後編 葵祭 と 住吉神 と 神功皇后~」)
  
その上、「葵祭」の元と、彼らの伝承地は同じです。


*「葵祭」

「儺の国の星」には、
天智帝が京都に、脊振の葵祭を遷した。葵祭の始まりは筑紫。
元は背振神社の御祭神・市杵嶋姫の為の祭り
とあります。

天智帝が一時期住まわれたのは、長州宮。
今の那珂川市梶原。
天智帝がこの場所で元となる物を見て、京都で行ったのが葵祭。

その那珂川には、神功皇后の伝承と住吉大社の元宮「現人神社」があります。
市杵嶋姫が神功皇后でもあるからこそ、
葵祭の二人の主人公、神功皇后、饒速日命が那珂川で繋がるのです。             



*「筑紫の伝承」

高良大社に伝わる「高良玉垂宮神秘書」。

その社の御祭神、住吉の神は安曇磯良神である、高良神。
高良神の后が神功皇后と。


*「神楽の磯良舞」

(「神の鉾 3 ~安曇磯良神~」)


*「神話の神功記」

「三韓征伐の船の舳先に立ち、神功皇后を守った住吉神」とあります。
神話でも「人の前に姿を現している」のです。

少なくとも以後、この世に存在したはずの神なのです。


                 *


これら多くのことが、饒速日命と神功皇后が同じ時を生きていたと告げています。
彼らはそれぞれ名を変えられているのです。

饒速日命は、住吉神、高良神・・・。
ミカシヤ姫(ヒミカ)は、神功皇后、卑弥呼・・・と。

逆に言うと、饒速日命とミカシヤ姫、住吉神と神功皇后、
彼ら以外に重なるものは無いのです。

すべてが、一つのことを告げています。  
彼らは同じ時を生きていた、と。
            

(つづく)

 

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2019年11月20日 (水)

玉依姫 ~十種神宝~

英彦山の山行中の事故。

折れたと思うほどの大きな音と、うずくまり動けなくなるほどの足の痛み。
本来、30分で歩けるようにはならないはず。
その後の南岳への登山道は、頂上で「健脚だね!」と言われる程の急登です。
前回の写真のような岩場の鎖道も何度もあります。
元の駐車場に戻るまで10キロ以上。

「てあて」は確実に効いていました。

これは治癒の力・・・。
それを思い知るのに十分でした。

            *

少し戻って、再び歩き出した時のこと。
大南神社への道を、確認しながら歩いてました。

  大丈夫。これならいける。全く痛みがない。
  「てあて」効いたんだな。
  土地のおかげもあるかも。

  ・・・そう言えば、ヒミカの力も治癒。
  「死にそうな人でも治してた」と言ってたな。

それは、前世の仲間の子達の言葉。
彼らは何度も転生し、その度に同じ力を持っていたようです。
 
その時、唐突に言葉が浮かんできました。

   <二つの玉の力は、死人をも蘇らせる>

十種神宝の<生玉、死返玉 >の二つの玉。
饒速日命が所有していたという神宝。

その時、ようやく繋がったのです。

  そうか、あの時のヒミカの力は、まさにそれ!

<ヒミカ>がミカシヤ姫ならば、饒速日命の<二つの玉の力>とは、
彼女の<力>そのものではないか。(ミカシヤ姫は饒速日命の后)

              *

<玉依姫>とは、玉の力を宿す者。

その名は、彼女の力を表しているのかもしれません。
伝えられる、十種神宝の中の「生玉、死返玉」が表す力。

亡くなる程の怪我や病気をも治す、彼女自身の治癒の力。
その力が後に<玉の力>とされたのかも。。

もしかしたら・・・。
十種神宝なんて最初から無かったのかもしれない。
(饒速日命の周りにいた)彼らはそれぞれ力を持っていた。

水や大地を操り、怪我や病を治す。
空を飛び、テレポートする。

その力自体が後に<十種神宝>とされたのかも。
現に、それほどの「物」が存在していたのなら、後の世でどうにかなってる。

 

十種神宝を持つという饒速日命。
彼の后のミカシヤ姫と、同一人物の神功皇后。
後世では二人とも「玉依姫」とされています。

あれが前世だとしたら、それらの力を持つ「仲間」が彼の側にいたことになります。

饒速日命が持つ「十種神宝」とは、彼らの力のこと、彼ら自身のことなのかもしれません。

・・・偶然とは、思えない。




追記ですが。
英彦山の目標山頂(北岳)に登った後、少し違和感が出てきてました。
結局、次の日から痛み出し、結局2~3週間の安静。
普通に歩けたのは、英彦山にいた間だけでした^^;

 

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2019年11月15日 (金)

3回目の英彦山 その2 ~玉依姫~

( つづき )

英彦山の大南神社への道を歩きます。
聞こえるのは鳥の声だけ。

Dsc_7584_20191112234901

もう足が痛くない。
あれだけ大きな音がしたのに。
あんなに痛かったのに。

「てあて」いつもより効いたよう。


  そう言えば、ヒミカの力も治癒・・・。

そう思った時、浮かんだ言葉がありました。


   <二つの玉は、死人をも蘇らせる>

それは、饒速日命が持っていたという十種神宝の<二つの玉>。


・・・そうか。
玉依姫とは、その力を持つ者のことなんだ。
(詳しくは次回に)

それに気が付いた時、何故かはらはらと涙が止まらなくなっていました。



分岐点から下り、大南神社へ。

Hiko78


ここは大己貴命が御祭神。
英彦山の元々の神様は饒速日命なのです。

Hiko80

十種神宝を、「不思議な力を持っていたという神宝」の持ち主。

Hiko81

大南神社をもう少し下った場所に鬼杉があります。
写真ではなかなか大きさが分からないですね。

Hiko82
険しいと言われる南岳への道を登ります。

Hiko84

Dsc_7623
南岳頂上へは、こんな鎖道もあります。
写真の上の方にいるのが先行者。

 

Hiko86

南岳頂上。
祠があります。

Hiko87

中岳。
日本で一番高い場所にあるお社だとか。
この辺りの紅葉はほとんど終わっていました。
当初の計画ではここから裏英彦山への道へと下って、一周してくるロングコース
でしたけど、それは断念。
紅葉が綺麗だそうです。

Dsc_7640

中岳の上宮。
風雨でかなり痛んでます。

Hiko88

中に入って御参拝。

Hiko91

中岳から、初めての北岳へ。
Hiko92

北岳頂上の社。
裏側は古来からの祭祀場なので、立ち入り禁止です。

この辺りで足に少し痛みが。
あれから5時間歩き続けてました。

岩壁を登って、中岳へ。
下山は正面参道の石段です。

Dsc_7664

Dsc_7666

むすび神社の裏に一番の目的の場所がありました。
植樹した杉の木に会いに。
スタッフの方にいつでも見に来ていいよと言われてたので、鹿よけの柵を開けて中へ。

Hiko96

29日目。
大きくなってました。
葉先も綺麗になって、無事に根付いたようです。
植えた時、枯れかけて枝先が黒くなってたので、育つかなと不安に思っていました。
良かった。
英彦山の神様に見守られて大きくなりますように。

 

Dsc_7676

下山に3時間ほどかかりました。
トレッキングポール持ってて良かったです。

Hiko101
再び、拝殿。
紅葉を見にたくさんの方がいらしてました。
最初に来た時は、上宮まで行く日があるとは思ってもいなかったです。

Hiko103

Hiko106

 

Dsc_7725

ここも寺院跡です。

Hiko107

17時15分。
怪我しつつも、無事に下山できました。
ありがとうございました。

行動時間8時間42分、スタートから下山するまで10時間16分かかりました。

英彦山は、宝満山でテン泊した時に朝日が上がってきたあのお山です。
南岳、中岳、北岳の三つ頭がどこからでも分かります。

Dsc_7273

本来、足を挫いたり事故が起きたら、すぐにでも山行を止めて帰らないといけないのです。
山ナビの山友さん方も皆言ってくださいました。

でもこの日は、最後まで行くことに意味がありました。
あちらには書けませんが。


( つづく )

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2019年11月14日 (木)

3回目の英彦山 その1 ~てあて~

色々繋がっていくので、山行UPです。

先日、英彦山へ。
紅葉と、もう一つ目的がありました。

朝4時半に家を出て、車で約2時間半70キロ。
7時頃到着です。

Hiko71


銅の鳥居。
ここからスタートです。
この辺りの紅葉はもう少し先。

Dsc_7549

 

Hiko74
30分ほどで、英彦山神宮の拝殿に到着。
ここから正面参道ではなく、鬼杉方向へ。

Hiko75

英彦山は山岳信仰の発祥地とされています。
寺院や坊の跡があちこちにあります。


この後、玉屋神社方向への分岐点を少し下った時、

”バギッ!”

と大きな音がして、「折れた!」と一瞬思いました。
左足首が痛い。

レスキューを呼ぼうか。
いや、まだ8時。
時間はたっぷりある。
スタートから1時間の地点。
歩いて戻れるようになるかもしれない。

そのまま登山道の脇に座り込みました。
しばらく手を当ててると少し和らいだような気がします。
じっとしてると寒い。
ユニクロのダウン着て、テーピングのテープを適当に巻きました。

折れてはなさそう。
触ると痛いけど、触らなければ痛くない。

寒いし、荷物を軽くするために、カップスープやら食べてお湯も減らします。

そこで、何組かすれ違いました。
「こんな早くにお昼?」
「足をくじきまして。少し休憩してます」
「連絡方法はある?」
「あります!大丈夫です」

こんな会話を何度かして。
有り難いです。

30分もするとほとんど痛みがなくなりました。
よし、分岐点まで戻ろう。

ザックを背負い、分岐点まで20mほど歩きました。
ほとんど痛みません。
歩ける。これなら大丈夫。

そのまま続行することに。

玉屋神社は諦め、大南神社へ向かいます。
紅葉が積もった静かな道をさくさく歩く。

大丈夫そうだ・・・。
その時、ふと浮かんできたものがありました。


( つづく )

 

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2019年11月13日 (水)

宝満山*テン泊2回目 その2

( つづき )

3時頃、数人の声で目が覚めました。
テントから出てみると管理人さん方。

上宮の辺りで、盛大に火を燃やしてると。

確かに大きな光が見えました。
「何をやってるんですかね?」
と話をしていたら、管理人さんが、
「あれは、護摩壇じゃないかな。前にも一度あった」
翌朝行くと、お酒とお供え用のお餅が等間隔で並べられていたそうです。

「行って見たいのですが!」
「いや~、やめた方がいいよ~密教なら人に見られちゃだめじゃないの?」と。

と、行くのを止められ我慢。(そうなの?)
護摩行ならお邪魔ですね。

しばらくの間、その火に見入ってました。
と、何かが見えた(頭の中で)ような気がしたのですがよく分からず。
こういう時の答えは、いつか分かるかもしれないのでそのままに。

その後、ふっと明かりが消え、ヘッデンの明かりが10個ほどチラチラと見えました。
まだ朝日目当ての早朝組は登ってこない時間です。

ここは宝満山。
今でも祈りが生きてる場所なんですね。



翌朝。上宮へ。
見事な曇り!Tenpaku213
やっぱり、先日の朝日は稀なことなんですね。

Tenpaku215

東側。
右下が大根地神社がある大根地山です。Tenpaku217

キャンプセンターに下りてきました。

昨夜、靄っているあの上の上宮で火が灯されていました。
でも頂上にはそんな跡も無く。
綺麗にされて行かれたようです。

頂上で会ったご家族が、裏(キャンプセンター)から下りて行きたいと言われるので、
女道への分岐点まで案内。
そこはまっすぐ行けば、正面道へ出られる分岐点。

登山経験が無いのに、地図なし、GPSアプリなし、方位磁石なし、(多分下調べなし)で
気軽に山に来られるのはさすがに危ないと思います。
最近、気が付きましたが、結構こういう方おられます。
宝満山のような福岡で一番の人気の山でも、登山道は無数にあり、遭難事故は起こっています。

予定より2時間遅れて下山。
Tenpaku219

正面道を下りて、麓の竈門神社へ。

Tenpaku220

ご挨拶。
ここで会った方が近所の方らしく、
「テン泊?」と声をかけてくださってしばらくお話。
宝満山は雪のテン泊もいいよ~と。
結構な人がテント張るそうです!
雪もありですね^^

その時は昭和の森からかなぁ。
石段が凍ると怖い。
Tenpaku221

ほのかに色づいていました。
宝満山の紅葉はこれからです。

この後、車をデポした昭和の森まで車道を7キロ歩いて戻りました。
素敵な夜をありがとう!

また何度も来ます!

 

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2019年11月12日 (火)

宝満山*テン泊2回目 その1

再び、宝満山でテン泊です。
次の週の土曜日の昼過ぎから登り始めました。
麓の「昭和の森」という、キャンプ場の駐車場に停めて出発。

Tenpaku201

しばらく杉並木が続きます。

Tenpaku202
こちらは谷沿い。
分岐点からうさぎ道方面へ。

Tenpaku203

正面道よりはなだらかなので、テン泊する人はこちらから登られる人が多いようです。
2時間半ほどでキャンプセンターに着きます。
まずここにテント。
(テントが張れるのは、15時から翌朝10時まで)

この日は7張りほど張ってました。

Tenpaku204

テント泊の他の方々と一緒に、夕陽を見に頂上へ。
一人の方は、初めての登山で初めてのテン泊だそうで。
一気に全部揃えてしまったと。
思った時が吉日!^^

Tenpaku205
綺麗ですね~。
Tenpaku206

Tenpaku207
飛行機だ。
福岡は飛行場が街の中にあります。

Tenpaku209

Tenpaku210
遠く月が見えます。
とても清浄な雰囲気。
来て良かった~
初めて山に登った方は、これから何度も登ることになりそうだと言われてました。
よい山行を!^^
Tenpaku212
キャンプセンターに戻りました。
土日は小屋の管理人さんや常連さんもいて、とても賑やか。
それでも一人の時よりいいかなぁ。

20時頃、外が騒がしいので出てみると、
花火が上がっているとのこと。
20分ほど、下の方で開く花火が見えました。
こんな時期にこんな場所から見られるとは。

この日は風もなく朝までテントの中。
星も見えました。
いつまでも賑やかでいつの間にか眠って・・・。

( つづく )

 

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2019年11月11日 (月)

テン泊*自宅to宝満山*オリオン座流星群 その2

(つづき)

宝満山は三大霊山の一つとされています。
竈門神社の上宮が頂上にあり、今でも祭祀が行われています。

わが国の歴史上においても大変重要な国家的祭祀が継承されてきた
 信仰の山「霊山」として、その歴史的、文化的価値が認められ、
 鳥海山、富士山に次ぐ、全国3例目の国史跡に指定されました。
                                             竈門神社HPより

宝満山のキャンプセンターの小屋は、上宮の社務所を兼ねています。
この場所に安心してテントを張れるのも、神社のおかげなんですね。

ここに泊まりたい、そう強く思ったのは、霊山と繋がりたかったからです。
一度目のテン泊は来るだけで精一杯でした。
心の奥で確かに繋がったと思うことにします^^

上宮のヘッデンの光を見て、荷物をまとめ頂上へ。
ザックが重いので小屋から朝日を見ようと思っていましたけど、やっぱり上がいい。

Tenpaku10

頂上は爆風。

上には10人ほどいらしてました。
「今日は当たりだよ!」
「こんな晴れてるのは滅多にないよ」
とみんな口々に。
綺麗に晴れて見えるのは、年に数回しかないそうです。

「毎日登ってても滅多に見られないから、皆何度も登るんだよ」と。

この1年間で朝駆けを3回ほどして、いつもがガスってました。
それが普通だったんですね。


中央右寄りの三つ頭が英彦山。

この時期は英彦山の右から登ってくるとのこと。
日の出は6時28分。

Tenpaku12
出てきた!Tenpaku14

 

Tenpaku15

あ、なんか写った。
手振れかな??
まあ、手振れでもこんな綺麗に映ることは稀なので、撮らせてもらったと思うことにします。

Tenpaku17
頂上の岩。
朝日に照らされて綺麗です。

Tenpaku18

素晴らしい一夜をありがとう!

Tenpaku19

小屋の側に群生してるヨメナ(ノコンギク?)。
違いが難しいのです。

下山して麓の竈門神社へ、ご参拝。
9時。ちょうど神事が始まるところでした。
「即位の礼正殿の儀」関連の神事のようです。

Tenpaku20

また来ます!

Tenpaku21
活動時間*10:34 距離*33.5km 上り2233m 下り2232m

軌跡の初めは最寄りの博多南駅から。
ザック込みの重さが10キロ。
さすがに重かったのか、初めて足の裏に水膨れができました。

 

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2019年11月 6日 (水)

テン泊*自宅to宝満山*オリオン座流星群 その1

宝満山に泊まりたい。
登拝の行きつく先は、泊まって山を感じること。

いよいよ、テン泊です!

登拝なら一度は家から歩こうと、テン泊ザック背負って出発。

Google先生によると13キロ3時間。
それなら背振山地の峠から初めのバス停までと距離が変わらない。

15時。ほぼ時間通りに宝満山の麓の竈門神社に到着しました。

Tenpaku01
紅葉はまだまだです。
行ってきます!

Tenpaku02
宝満山はほぼ石段。
さすがに重い。辛い。
いつもなら1時間半弱で上がるのに、2時間かかりました。

登り始めるには遅い時間なので、すれ違う方々が
「今から?大丈夫?」
と声をかけてくださいます。

「テン泊です!」
「おお~!がんばってね!」
こういう触れ合いも宝満山の大好きなとこの一つ。

Tenpaku06
ボロボロになりながらも頂上~~!
17時。夕焼けに間に合いました。

Tenpaku05

泊まるか、真っ暗な中下山する覚悟で登らないとみられない光景。

Tenpaku04
誰もいない頂上。
綺麗だなぁ。
いつもこの光景を見てるのね。

Tenpaku07

黄砂のせいで少し霞んでます。

Tenpaku03

頂上の岩。
キャンプセンターへ、少し下ります。

Tenpaku08

ここも誰もいません。
独り占め^^

Tenpaku09

30分ほどで張りました。
なかなか快適。

22時頃、風が強くなりだして、テントを畳み小屋へ移動。
後は小屋泊になりました。

小屋は出入り自由。
泊まり500円、休憩のみ50円。
土日のみ管理人さんがいて、テント張る時は声をかけてとのこと。

いざって時、小屋に入れるっていう安心感は有難いです。


3時頃、オリオン座流星群のピークというので、外に出てしばらく夜空を眺めました。
30分程で火球を含め2個。

満足~!

寒かったので中に入りました。
誰もいない小屋。
一人っきりなので、お湯沸かしてコーヒー飲んだりまったりしてました。

5時半頃、頂上の上宮の辺りでチラチラと光が。
ヘッデンだ。
やっぱり上で見よう!

荷物をまとめ、全部背負って上宮へ。

頂上から朝日が見たい。

 

(つづく)

 

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