ブログ村に参加してます!ぽちっとお願いします

*このブログについて

  • amebloにもサイトがあります。 そちらに載せる時に加筆したもの(後に分かったこと)を、改訂版として再びこちらへUPしている記事もあります。
2023年9月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

amebloリンク

無料ブログはココログ

☆ブログからの引用などについて☆

  • このブログの考察、写真、イラスト、考察などは、管理人に著作権があります。無断転載は御遠慮ください。

« 卑弥呼の墓 その6 ~同じ時を生きる~ | トップページ | 卑弥呼の墓 その8 ~黒き巨人~ »

2019年12月 2日 (月)

卑弥呼の墓 その7 ~再び姿を現す神~

 (「卑弥呼の鏡 その6 ~同じ時を生きる~」 のつづき)


二人の伝承地の一つ・福岡県那珂川市。
ここには、<二つの元宮>と<禊の地>があります。

「現人神社」(「現人(あらひと)神社 福岡県」)(住吉の元宮)
「日吉神社」(「日吉神社 ~福岡県 那珂川町~」)(日吉の元宮)


二つの宮の御祭神は饒速日命でした。
  (「現人神社の武藤さん」)
 (「新嘗祭 と 住吉神 と ニギハヤヒ ~その2~」)
 (「結びの山 ~その14 日吉の神とニギハヤヒ命~」)
 (「日吉の神は大己貴神 ~那珂川市 日吉神社~」)


饒速日命が住吉の神であり天照であるから、那珂川が「イザナギの禊の地」なのです。
住吉神の元宮「現人神社」がそこにあるからこそ、その神話が創作されたのです。
 (「安徳台と高天原」)
 (「「儺の国の星」 ~岩戸~」)      (18/07/31)
 (「岩戸開き その4 ~岩戸~」)  (18/04/16)  *1
 (「那珂川は饒速日命(天照・住吉・高良の神)の生誕地」)
 (*筑前風土記にも「禊の地」として記載されていました)


神話の「真の道」もここにあります。
 (「結びの山 ~その11  天孫降臨 ~」)
 (「禊の地と真の道」)
「真の道」の先、筥崎宮の宮司さんもご存じだというその道。

那珂川には「岩戸」もあります。
 (「結びの山 ~その9 天岩戸 ~」)
ここの天の岩戸の伝承は、「奈良」と結びつきます。
「戸の片割れが奈良に飛んだ」
その伝承は、ここの神(天照)が奈良と繋がりが強いことを意味します。
(饒速日命が奈良へ行き、ミカシヤ姫(神功皇后)と共に戻ってきたとみています)

                                            *


これら(「その1」からのこと)全ては、こじつけであり、偶然でしょうか。
自分はそうは思えません。

                *


*1の(「岩戸開き その4 ~岩戸~」)  (18/04/16) を書いていた頃は、
まさか二人は同じ時代ではないだろうと思っていました。
もしかすると「転生では?」とも。

今は確信しています。

住吉神と神功皇后。
彼らは饒速日命と、ヒミカと呼ばれていたミカシヤ姫です。

                         *

ならば、神功皇后の夫は仲哀天皇ではありません。
彼ら(饒速日命たち)は奈良で出会っているはずです。

(「日本の真相 1 ~物部王朝~」)の途中まで言われてたように、
それら以前がすべて創作か・・・。
それはさすがに無いかもとも思います。
ならば、これらを「神功皇后の伝承」として、神話の中に埋め込み、辻褄を合わせたのか。

                                               *

なぜ、饒速日命を最初の天皇にしなかったのか。
それは「神とも思えるほどの力(物か人)」を持つ彼らと、繋がりがないからでは。

そもそもその力は、血脈と関係なさそうです。
その答えは、現人神社にありました。


<現人神は、国の大事の時、再びこの世に姿を現す神>


伝承ではそう語られています。
「再びこの世に姿を現す」
彼らは生まれ変わりをする神なのです。

現人神・饒速日命は年神(大歳神)でもあります。
年神は年始に赤子の姿で現れ、年末に翁の姿になるという、神唯一の「生まれ変わる神」。

前の世で、この世に「在る」時からそれを知っていたからこそ、
「始まり」のこの社にしっかりと刻まれているのです。


・・・それ以外に、考えられません。
伝えようとしているのです。
彼らは、自分らは再びこの世に姿を現すと。

                 *

「卑弥呼の墓」

それは奈良にもあります。
奈良県奈良市山陵町の神功皇后陵(今は五社神古墳)。
そこは、トミの里でした。
 (「夢顕現 その1 ~トミの里~」)

その地は、饒速日命、ミカシヤ姫の住まいがあった地です。
神功皇后の伝承もそこにあります。
ここが空っぽだとも思えないし、私の心の拠り所であったこのご陵さんが、
彼女と関係ないとも思えません。

ただ、この時点で一つ分かることは、奈良と福岡、
その両方とも彼女のふるさとです。


              *

・・・もしも彼女が彼らなら。

 

<国の大事の時・・・>

私が見た「燃え上がる東京」
この時に、すべて繋がるのです。

 (「未来の記憶 ~前世 5~」)

             .

( つづく )

にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
にほんブログ村

« 卑弥呼の墓 その6 ~同じ時を生きる~ | トップページ | 卑弥呼の墓 その8 ~黒き巨人~ »

コメント

こんばんは!
那珂川に岩戸があるのならば、若松の戸明神社も突拍子も無い話ではありませんね。
しかし、福岡と奈良・・・どちらに邪馬台国があったのかな。
吉野ヶ里だったりして。

FUJIKAZEさん、こんにちは^^

若松の戸明神社行ってみたいです^^
吉野ヶ里は無さそうですね~

古代は今よりも水位が上がっていました。
吉野ヶ里辺りは、玄界灘と有明海を繋ぐ水道があったそうで、
大雨になったら、しょっちゅう洪水に悩まされていたかもしれません。

今の人たちが思うよりも、行動範囲は広かったと思います。
「邪馬台国・ヤマト」が<王のいる国>の意味ならば、
時期によって、あちこちにあったかもしれませんしね^^


古代奈良は都を造るのに最適な場所だったようです。
「山に囲まれた盆地の地形が、天然の要害であった」
とは、奈良で出会った郷土史研究家の方の言葉です。
当時、稲作に適した安定した湖もありました。

https://misa-kazabana.cocolog-nifty.com/blog/2015/09/post-2ee7.html

神話でも、饒速日命もその「楽園」地を求めて、「アマノトリフネ」で
わざわざ向かっているので、奈良も邪馬台国だと思います。

奈良では三輪山の麓がそうではないでしょうか。

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« 卑弥呼の墓 その6 ~同じ時を生きる~ | トップページ | 卑弥呼の墓 その8 ~黒き巨人~ »