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2020年2月26日 (水)

五社稲荷神社

  ( つづき )

もしも、神功皇后が神の力を借りたという場所があるならば、今でもそこに何かあるはずだ。
神社か祠か、何か。

地名には「柿木」は無いのですが、柿の木という交差点が射手引神社から700m先にありました。

その近くの気になった山に五社稲荷神社がありました。

Dsc_0431

一の鳥居。

 Dsc_0434

五社稲荷神社は稲荷山の階段を登っていきます。

Dsc_0437

扉は閉まっていました。

稲荷神は、大歳神。
饒速日命、年神と同一神とみています。

彼が神功皇后と共に行動していたという住吉神ならば、ここに稲荷神社があるのは頷けます。

上に行けそうなので頂上を目指しました。

Dsc_0441

標識はなく、貯水塔のようなものがありました。

Dsc_0442
傾いた鳥居が一つ。

・・・彼が大歳神からこそ、この地に稲荷神社があるのでは。

神功皇后と行動を共にしたという住吉神。
かの神が彼だから、では?


この地で宴会を開いている神功皇后達の姿が見えるようでした。

 

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2020年2月23日 (日)

射手引神社 ~神功皇后の像~

牛斬山、現人神社の後、射手引神社へ。

香春町から南に20キロ、嘉麻市。
この辺りは、英彦山へ行く時に通り過ぎていて、いつも気になっていた場所でした。

Dsc_0428

 

Dsc_0382

ここには神功皇后の像があります。

Dsc_0384

 

Dsc_0385

素敵ですね。

Dsc_0416

御祭神 旧香椎宮 神功皇后、仲哀天皇、中筒之男命
    旧貴船宮 闇淤加美神、高淤加美神、天手力雄命

御由緒 当神社は、古くは香椎宮・貴船宮と称し各々別の神社で、香椎宮は尾浦に
    貴船宮は柿木に鎮座あったものを、宝暦十年(一七六〇)十一月三日両神社を
    合祀し、現在地社殿を改築し一社となし、社号を射手引神社と改称しました。


(社伝)古処の山麓や当地に住する羽白熊鷲なるものを良民をさいなむ。
    神功皇后これを討伐されるおり難渋され給う。

    貴船宮の杜に休らい給いて、天手力雄命を祀り給い弓矢の加護を祈り給う。
    雲々の間の光と共に天手力雄命、天の射手を率いて御加勢給いて征伐かなう。
    神功皇后、貴船の神々に天手力雄命を御祭神に加え祀り給う。
    後に、里人香椎宮より御祭神を頂き尾浦の地に祀り奉る。

神功皇后と祀られているならば、中筒男雄命ではなく、底筒男雄命の方でしょう。

 

Dsc_0391

拝殿。

Dsc_0388

 

Dsc_0387
こんな神馬もありました。
美しい~。

ご由緒書きにあった「柿の木」。
神功皇后達が休み、天手力雄命を祀って、弓矢の加護を祈ったという地。
天手力雄命がの射手を率いて加勢したという地。

宮を「移した」とは言え、”それ”が事実なら、今でもそこに何かがあるはず・・・。

「柿の木?」
そう言えば、この神社に来る少し手前でナビを見たら、そんな地名があった。

その場で調べるとありました。
「柿木」

ここから1キロ程の場所に、その名の交差点が。
その近くに「五社稲荷神社」がありました。


(つづく)

 

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2020年2月16日 (日)

もう一つの現人神社 3 ~辛国息長大姫大目命~

香春町の現人神社の神も饒速日命?
では、この辺りに神功皇后の伝承はないのか。

そう思っていましたら、牛斬山の麓の古宮八幡宮にありました。
気になる記載が。

Dsc_0352

このお社の御祭神は、豊比咩命、神功皇后、応神天皇。

「豊比咩命」は、神功皇后の妹ともされている人物(本人とも)です。(*1 追記)

             *

このご由緒書きに、一の岳の麓、香春神社の神は辛国息長大姫大目命とあります。
「加羅国から来た姫とされる」と。

その名によく似た名が息長垂姫、神功皇后です。

前回記した、香春町の現人神社の大加羅国の王子とされる、都怒我阿羅斯等命(ツヌガアラシト)が、
「ソシモリへ行ったスサノオ(または、饒速日命自身)」ならば。(*1 追記)

そのスサノオの伝承と同じく、「行って戻ってきた」ことも考えられるのではないでしょうか。

スサノオの子、住吉神(饒速日)ともに加羅国へ。
それが三韓征伐として伝えられているのでは。

辛国息長大姫大目命が神功皇后ならば、「住吉の神と共に」それを彷彿とさせます。

「高良玉垂神秘書」にあった
高良神(住吉三神の底筒男命)と神功皇后は夫婦で、共に行動をしていた
の記述と重なります。

牛斬山から下りてきた場所に、「清祀殿(せいしでん)」もありました。
宇佐神宮へ奉納した御神鏡を鋳造した場所とされます。

宇佐は神功皇后が御祭神の一人。
偶然ではないかもしれません。

                   *

前回の現人神社のご由緒書きに、「垂仁天皇の時代」とあります。
宮若市の饒速日命を祀る天照宮にも、彼が笠置山に天降ったのは「垂仁天皇の時代」とありました。
(「天照神社(天照宮) ~福岡県宮若市~」)

垂仁天皇は実在の人物ではないかもとされていますが、紀元前後の人物だとも言われています。

現人神社と天照神社のその「時代」。
皇紀2600年に辻褄を合わせる為に改変されてるのではないでしょうか?
しかも、神社のご由緒書きなどでは「揃えて」あるように思えます。
少なくとも”饒速日命の時代”は、そんな前ではないのです。

 

(*1 追記)
後に「祇園祭の神」から、須佐之男命が住吉神であり、饒速日命だと分かります。

では、ここに祀られていた辛国息長大姫大目命は神功皇后でまちがいなさそうです。

(「祇園の神 2 ~前編 祇園の神は住吉神(磯良神)~)


豊比咩命も神功皇后でした。

(「御炊屋姫を追って シリーズ」)

御祭神が神功皇后なのだから、辛国息長大姫大目命は彼女ということでした。


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2020年2月11日 (火)

もう一つの現人神社 2 ~饒速日命の足跡~

田川郡香春町の現人神社。
御祭神のツヌガアラシト。
猿田彦大神ともされる神でした。

ならば、饒速日命なのでは?
前回、そう思いました。

社の裏山の雰囲気も似ていたのです。

Dsc_0361_20200205163301


この場所で、Google先生でここを調べて納得。

香春町の現人神社の口コミにありました。

https://g.co/kgs/tk3JeQ

(以下、要約です)

都怒我阿羅斯等命(ツヌガアラシトノミコト)は大加羅国(43~562年)の王子。
日本書紀では都怒我阿羅斯等の別名を于斯岐阿利叱智干岐路(うしきありしちかんき)
としているが・・・、この神社の西側の山の名前は牛斬山(うしきりやま)。

ツヌガアラシト=角がある人で、
ウシキアリ=額に角があること

日本書紀にスサノオがソシモリへ行ったことが記されている。
ソシモリは新羅の牛頭山。
スサノオの別名を牛頭天皇と言い、都怒我阿羅斯等と重なる。
辛嶋氏の「素戔男尊を祖とし、その子の五十猛命(いそたける)を奉戴し、
新羅を経由して筑前の筑紫神社に五十猛命を祀り、次に香春で新羅の神を祀る。
そして宇佐に入って北辰社を祀った」という「辛嶋勝姓系図」にも繋がる。


牛斬山の名の由来は「ウシキリアリ」で間違いなさそうです。

Dsc_0357

 

過去に考察したことによると、「五十猛命」は、高良神でした。
「筑紫神社」や荒穂神社などの「筑紫の国魂」は、筑後国一之宮の「高良大社」の神です。

高良大社の御祭神、高良玉垂命、住吉神、八幡大神は同神です。

(「神の鉾 2 ~高良玉垂宮神秘書~」)

(「神の鉾 3 ~安曇磯良神~」)

(「神の鉾 4 ~天照分御霊(わけみたま)~」)

(「神の鉾 5 ~月神と二つの珠と十種神宝~」)

(「神の鉾 番外編 ~二柱の天照大神~」)

高良大社の神職さんに、宝物殿のご掛け軸を見せて頂いた時に、
”神功皇后の船の舳先に立って守ったのがイソラ神で、その神は住吉の神”
と教えて頂きました。

「筑紫の国魂」は、高良玉垂命であり、安曇磯良神であり、住吉神なのです。

上の「神の鉾」の考察で、その高良の神が饒速日命だとたどり着きました。
高良の地は、物部氏の地。
彼らの祖神は、饒速日命。

つまり、高良玉垂神である住吉神(底筒男神)は、饒速日命なのです。

                             *

ご由緒の「新羅の王子」とあるのは、やはりスサノオ命のことでしょうか。
ARIONは、スサノオの父がフツであり、大陸から移ってきたとありました。

(「ARION語録   アメクモ族」)

*神話のスサノオはニギハヤヒだと後に分かります。

さらに上記の「五十猛命」は、饒速日命。
(「二つの伝承 3 五十猛命 と 「儺の国の星」再販」)


「辛嶋勝姓系図 の 「宇佐に入って北辰社を祀った」について。
北辰は赤星のこと。
天津甕星(あまつみかぼし)。
妙見さまです。
妙見さまと同一神とされるのは、天御中主神。
また、艮金神とされる国常立神も、後に同一神とされています。

奈良の天理教で知ったのは、艮金神の神が饒速日命でした。
教祖、中山みき氏は、「おぢば」で艮金神に出会います。
元はそこに三島神社があったのです。
三島神社の神は布留神、饒速日命。
(「天理教教会本部」)
(「三島神社 ~奈良県~」)

饒速日命の名には、櫛甕玉命があります。
甕は「星」。
星神の意味もあるのです。

               *

那珂川の日吉神社には、大己貴命と共に天御中主神も祀られています。
同じ神だからです。
日吉神社は日吉大社の元宮の一つ。
(「結びの山 ~その14 日吉の神とニギハヤヒ命~」)
(「日吉の神は大己貴神 ~那珂川市 日吉神社~」)


那珂川の現人神社の御祭神は住吉三神。
彼が饒速日命であり、同じく那珂川の日吉神社の大己貴神も彼。
日吉神は猿田彦神でもある・・・。
(「新嘗祭 と 住吉神 と ニギハヤヒ ~その1~」)

                   *


那珂川も香春町の「現人神社」の神も饒速日命のようです。
全て彼に繋がります。

ここに来て、「住吉の神は、饒速日命なのだ」と強く確信しました。


・・・すると、もう一度あの疑問が浮かびます。
「神功皇后の前に現れた神は、住吉神」

それは、饒速日命?


( つづく )

 

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2020年2月 7日 (金)

もう一つの現人神社 1 ~牛斬山の麓の社~

前回登った牛斬山。
麓にその神社がありました。

福岡県田川郡香春(かわら)町。
もう一つの現人神社です。

まさか、ここで会えるとは。
ずっと気になりつつも、遠いので考えもせず。
山行するようになったこその参拝。
これも縁なのかもしれません。

採銅所駅から歩いて20分ほど。
「現人神社」です。
Dsc_0355

那珂川市の現人神社と同じ名のお社。
何か繋がりがあるはずだ、と確信していました。

牛斬山に登って分かりました。
かの山はここの現人神社の杜です。

でも気配は那珂川の「成竹山(日吉の杜)」によく似ています。

日吉神社の神は、地元では猿田彦神とされてますが、
御神祭は大己貴命、天御中主神・・・。
那珂川の現人神社と同じく、饒速日命とみています。

ここのお社は違ったはず・・・。

でも驚きました。
この写真。Dsc_0358


ここは「お申様」とも言われているそうです。
なんと、猿田彦神でもありました。

那珂川市の「日吉の神」は、猿田彦神でもあります。
饒速日命は天照。
猿田彦神登場の 「光り輝く」とされる姿から、天照の別名。
また、滋賀の日枝(日吉)大社の縁起から、大己貴命と猿田彦神は同じ神だと。
(「結びの山 ~その14 日吉の神とニギハヤヒ命~」)

Dsc_0357


                  (クリックすると拡大されます)

このお社の御祭神の名は「都怒我阿羅斯等命(ツヌガアラシトノミコト)」

 「意富加羅国(おおからくに)の王子で垂仁天皇の時代に、新羅の姫神(比咩語層神・ヒメコソノカミ)
 の跡を慕って
この地に御鎮座しました。
 (中略)
 この里に疱瘡、疫痢が流行した時、神霊のお告げ
 「今より阿羅斯等神の許(もと)に鎮まり猿を使いとして万民を救う」があり、
 現人大神と合祀しました。」

今、この記事を書いている時点で、このご由緒書には驚かされます。
ここに参拝した時は気づきませんでしたが。
(それは後に)


神霊のお告げがあり、<猿を使いとして万民を救う>
故に、お申様として呼ばれるようになった。

それはこの神が、猿田彦大神とも呼ばれる神だから、では。
『合祀』とは、別名の同一神を祀ることがあるのです。

Dsc_0359

 

Dsc_0361_20200205163301

 

拝殿です。

Dsc_0364

猿像があちこちに。

Dsc_0365

何かしがみついてます。

Dsc_0374

Dsc_0375

ここの「現人の神」は
「猿田彦大神」 ?

ならばここも、饒速日命?

ツヌガアラシトって誰?


( つづく )

 

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2020年2月 4日 (火)

牛斬山 周回 その2 

( つづき )

頂上から一旦、福智山への縦走路に出ます。
10分も歩くと、五徳越峠の分岐点。

Dsc_0319今日は時間的に遅いので縦走せず、左、五徳越峠へ。

Dsc_0322

草が刈られていて歩きやすいですが、粘土質なので途中からズルズル滑って大変でした。

Dsc_0330
林道に出ました。
あれが香春岳。
三ノ岳の方かな。

人里に出て数分。

Dsc_0344清祀殿。

Dsc_0342


宇佐神宮の鏡の銅を香春岳から掘り、ここで鋳造されたそうです。
三ノ岳から銅が出たとありましたね。

下山して、採銅所駅へ。
駅のすぐ側に神社がありました。
古宮八幡宮。

Dsc_0347
低いのにちゃんと山名が山ナビにあります。
参拝つでにピークを踏みに行きました。

Dsc_0350

補修中のようです。Dsc_0352

                      (クリックすると拡大されます)

御祭神は、一之御殿 豊比咩命(とよひめみこと)
     二乃御殿 神功皇后
     三乃御殿 応神天皇

一ノ岳の香春岳の神は、辛国息長大姫大目命?

Screenshot_20200128172740


周回して、9キロ、約3時間。
後、1時間余裕があれば、香春岳の他の山にも縦走したかったです。

スタート地点まで戻って車を取りに行った後、その少し北にある「現人神社」へ行きました。

ずっと気になってました。
ここの神は・・・。

 

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2020年2月 2日 (日)

牛斬山 周回  その1 ~気配~

牛斬岳(うしきりだけ)。
福岡県田川郡香春(かわら)町。
ずっと気になっていたその山は、家から車で2時間半かかりました。

Dsc_0308
この森の圧倒的なパワー。
那珂川の成竹山に雰囲気(気配)が似てる。

あっちは日吉(神社)の杜。
やっぱり、そうなのか?

この山の麓にもう一つの「現人神社」があるのです。
現人の神は日吉の神。

Dsc_0309

こっちの現人神社の御祭神は、違ったはずですが・・・。
もしかして同じなのでは・・・。

Dsc_0311
牛斬山山頂。

登山道も分かりやすかったので迷いもなく、ここまで1時間ほど。

Dsc_0317

標識の手前に小さなのがもう一つ。
「薄霧(うすきり)山」とあります。
ウシキリ・ウスキリ。
漢字は後から当てられたもののようです。Dsc_0314

眺めがとても良いです。
がっつり曇りの予報が、晴れてくれました。

この辺りには大規模な採掘がされている山があります。
最寄りの駅が「採銅所駅」なのはその為。
香春岳の三つの山の内、三ノ岳から銅が採れたそうなのです。
一ノ岳からは今も質のいい石灰石が採れるそうなので、元の山体の半分まで削られています。

頂上でさっさとお昼にして出発。



( つづく )

 

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