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2020年2月16日 (日)

もう一つの現人神社 3 ~辛国息長大姫大目命~

香春町の現人神社の神も饒速日命?
では、この辺りに神功皇后の伝承はないのか。

そう思っていましたら、牛斬山の麓の古宮八幡宮にあった。
気になる記載が。

Dsc_0352

このお社の御祭神は、豊比咩命、神功皇后、応神天皇。

「豊比咩命」は、神功皇后の妹ともされている人物(本人とも)。(*1 追記)

*後に同神だと分かる。

             *

このご由緒書きに、一の岳の麓、香春神社の神は辛国息長大姫大目命とある。
「加羅国から来た姫とされる」と。

その名によく似た名が息長垂姫、神功皇后です。

前回記した、香春町の現人神社の大加羅国の王子とされる、都怒我阿羅斯等命(ツヌガアラシト)が、
「ソシモリへ行ったスサノオ(または、饒速日命自身)」ならば。(*1 追記)

そのスサノオの伝承と同じく、「行って戻ってきた」ことも考えられるのではないか。

スサノオの子、住吉神(饒速日)ともに加羅国へ。
それが三韓征伐として伝えられているのでは。

辛国息長大姫大目命が神功皇后ならば、「住吉の神と共に」それを彷彿とさせる。

「高良玉垂神秘書」にあった
高良神(住吉三神の底筒男命)と神功皇后は夫婦で、共に行動をしていた
の記述と重なる。

牛斬山から下りてきた場所に、「清祀殿(せいしでん)」もあった。
宇佐神宮へ奉納した御神鏡を鋳造した場所。

宇佐は神功皇后が御祭神の一人。
偶然ではないかもしれない。

 

この近くの現人神社に酷似の伝承があった。

祭神、ツヌガアラシトがカラ国から追ってきたのは「ヒメコソ神」だ。

小郡の「媛社神社の神」饒速日と御炊屋姫に繋がった。

そこから、高良神と神功皇后に繋がる。

☆→神功皇后の伝承地 5 ~媛社神社*七夕神社~

 

                   *

前回の現人神社のご由緒書きに、「垂仁天皇の時代」とある。
宮若市の饒速日命を祀る天照宮にも、彼が笠置山に天降ったのは「垂仁天皇の時代」とあった。
(「天照神社(天照宮) ~福岡県宮若市~」)


現人神社と天照神社のその「時代」。
皇紀2600年に辻褄を合わせる為に改変されてるのではないか?
しかも、神社のご由緒書きなどでは「揃えて」あるように思える。
少なくとも”饒速日命の時代”は、そんな前ではない。

 

(*1 追記)
後に「祇園祭の神」から、須佐之男命が住吉神であり、饒速日命だと分かる。

では、ここに祀られていた辛国息長大姫大目命は神功皇后でまちがいなさそうだ。

(「祇園の神 2 ~前編 祇園の神は住吉神(磯良神)~)


豊比咩命も神功皇后でした。

(「御炊屋姫を追って シリーズ」)

御祭神が神功皇后なのだから、辛国息長大姫大目命は彼女ということでした。


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