もう一つの現人神社 1 ~牛斬山の麓の社~
前回登った牛斬山。
麓にその神社があった。
福岡県田川郡香春(かわら)町。
もう一つの現人神社。
まさか、ここで会えるとは。
ずっと気になりつつも、遠いので考えもせず。
山行するようになったこその参拝。
これも縁なのかもしれない。
採銅所駅から歩いて20分ほど。
「現人神社」。
那珂川市の現人神社と同じ名のお社。
何か繋がりがあるはずだ、と確信していた。
牛斬山に登って分かった。
かの山はここの現人神社の杜。
でも気配は那珂川の「成竹山(日吉の杜)」によく似ていた。
日吉神社の神は、地元では猿田彦神とされているが、
御神祭は大己貴命、天御中主神・・・。
那珂川の現人神社と同じく、饒速日命とみている。
ここのお社は違ったはず・・・。
ここは「お申様」とも言われているそう。
なんと、猿田彦神でもあった。
那珂川市の「日吉の神」は、猿田彦神でもある。
饒速日命は天照。
猿田彦神登場の 「光り輝く」とされる姿から、天照の別名。
また、滋賀の日枝(日吉)大社の縁起から、大己貴命と猿田彦神は同じ神だと。
(「結びの山 ~その14 日吉の神とニギハヤヒ命~」)
(クリックすると拡大されます)
このお社の御祭神の名は「都怒我阿羅斯等命(ツヌガアラシトノミコト)」
「意富加羅国(おおからくに)の王子で垂仁天皇の時代に、新羅の姫神(比咩語層神・ヒメコソノカミ)
の跡を慕ってこの地に御鎮座しました。
(中略)
この里に疱瘡、疫痢が流行した時、神霊のお告げ
「今より阿羅斯等神の許(もと)に鎮まり猿を使いとして万民を救う」があり、
現人大神と合祀しました。」
今、この記事を書いている時点で、このご由緒書には驚かされる。
ここに参拝した時は気づかなかった。
(それは後に)
神霊のお告げがあり、<猿を使いとして万民を救う>
故に、お申様として呼ばれるようになった。
それはこの神が、猿田彦大神とも呼ばれる神だから、では。
『合祀』とは、別名の同一神を祀ることがあるのだ。
拝殿。
猿像があちこちに。
何かしがみついている。
ここの「現人の神」は
「猿田彦大神」 ?
ならばここも、饒速日命?
ツヌガアラシトって誰?
( つづく )
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