もう一つの現人神社 2 ~饒速日命の足跡~
田川郡香春町の現人神社。
御祭神のツヌガアラシト。
猿田彦大神ともされる神。
ならば、饒速日命なのでは?
前回、そう感じた。
社の裏山の雰囲気も似ている。
由緒書より。
第一産の大神は、意富加羅国(おおからくに)の王子で垂仁天皇の時代に、新羅の姫神(比め古曽神・ひめこそかみ)の跡を慕ってこの地に御鎮座しました。
これより後に繋がる。
ヒメコソ神は小郡の媛社神社の神。
磐船神と棚織神。
これを当地では饒速日とたく幡千千媛としている。
彼の母とあるが、七夕の伝承は親子では成り立たない。
彼女は后の御炊屋姫。
(☆→神功皇后の伝承地 5 ~媛社(ひめこそ)神社*七夕神社~)
さらに同盟の社から、高良神と神功皇后に繋がる。
全ての神は同じであった。
ちなみに他の方法で彼らに繋がった方もおられた。
Google先生の香春町の現人神社の口コミ。
(以下、要約)
都怒我阿羅斯等命(ツヌガアラシトノミコト)は大加羅国(43~562年)の王子。
日本書紀では都怒我阿羅斯等の別名を于斯岐阿利叱智干岐路(うしきありしちかんき)
としているが・・・、この神社の西側の山の名前は牛斬山(うしきりやま)。
ツヌガアラシト=角がある人で、
ウシキアリ=額に角があること
日本書紀にスサノオがソシモリへ行ったことが記されている。
ソシモリは新羅の牛頭山。
スサノオの別名を牛頭天皇と言い、都怒我阿羅斯等と重なる。
辛嶋氏の「素戔男尊を祖とし、その子の五十猛命(いそたける)を奉戴し、
新羅を経由して筑前の筑紫神社に五十猛命を祀り、次に香春で新羅の神を祀る。
そして宇佐に入って北辰社を祀った」という「辛嶋勝姓系図」にも繋がる。
過去に考察したことによると、「五十猛命」は、高良神。
「筑紫神社」や荒穂神社などの「筑紫の国魂」は、筑後国一之宮の「高良大社」の神。
高良大社の御祭神、高良玉垂命、住吉神、八幡大神は同神です。
しかも、高良大社の下社は「祇園さん」である。
主祭神を差し置いて、そうは呼ばれないだろう。
彼こそが、祇園神であり、スサノオでもあるのだ。
(「祇園の神 2 ~前編 祇園の神は住吉神(磯良神)~)
*
「辛嶋勝姓系図」 の 「宇佐に入って北辰社を祀った」について。
北辰は赤星のこと。
天津甕星(あまつみかぼし)。
妙見さま。
妙見さまと同一神とされるのは、天御中主神。
また、艮金神とされる国常立神も、後に同一神とされている。
奈良の天理教で知ったのは、艮金神の神が饒速日命であった。
教祖、中山みき氏は、「おぢば」で艮金神に出会う。
元はそこに三島神社があったのだ。
三島神社の神は布留神、饒速日命。
(「天理教教会本部」)
(「三島神社 ~奈良県~」)
饒速日命の名には、櫛甕玉命がある。
甕は「星」。
星神の意味もあった。
*
那珂川の日吉神社には、大己貴命と共に天御中主神も祀られている。
同じ神だからだ。
日吉神社は日吉大社の元宮の一つ。
(「結びの山 ~その14 日吉の神とニギハヤヒ命~」)
(「日吉の神は大己貴神 ~那珂川市 日吉神社~」)
那珂川の現人神社の御祭神は住吉三神。
彼が饒速日命であり、同じく那珂川の日吉神社の大己貴神も彼。
日吉神は猿田彦神でもある・・・。
(「新嘗祭 と 住吉神 と ニギハヤヒ ~その1~」)
*
那珂川も香春町の「現人神社」の神も饒速日命。
全て彼に繋がる。
ここに来て、「住吉の神は、饒速日命なのだ」と強く確信した。
・・・すると、もう一度あの疑問が浮かぶ。
「神功皇后の前に現れた神は、住吉神」
それは、饒速日命?
( つづく )
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コメント
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荒穂神社の氏子で恥ずかしながら良く知らなかったので調べるうちにココへ辿り着きました。
多神教=一神教の下りは完全に同意見で、日ユ同祖論まで話が繋がると思いませんでした。 神々が名前を変えて地域の人々に崇められたとのご意見では、日本に限った話では無く世界中で同様の事が言えるのではないかと考えています。
そして幣立神社の御神体を始とする全国の神社、廃杜、お寺に存在する世界最古のペトログリフ等を鑑み、日本が文明発祥の地なのかも知れないとさえ思っている一人です。
こんな話は誰も信じず笑われかねないので普段は言いませんが。
ともあれ、非常に勉強になりました。 有難うございます。
投稿: SHIFT | 2020年2月28日 (金) 21時43分
SHIFTさん、コメントありがとうございます。
基山の麓の方の荒穂神社ですか?
何度か参拝させて頂きました。
基山を後ろに抱いたお社の美しさに感動しました。
桜の季節にも行けました。
地元の方がとても大切にされてきたことを、ひしひしと感じました。
お社が輝いて見えるのは、神様が喜ばれているからだと思っています。
ご感想ありがとうございます。
氏子さまにそう言って頂けるととても嬉しいです。
饒速日命は、筑紫の神様として伝えられ、
彼を心の支えにした人たちがここから全国に旅立って行ったのだと思います。
様々な技術を手にして。
私も元々は日本が発祥かもしれないと思っています^^
ペトログリフの存在とか、面白いですよね。
この現人神社で見た記述から、「彼」に繋がる伝承へと更に広がります。
ご興味を持たれたら、また覗いてくださいね^^
ありがとうございました。
投稿: 弥沙 | 2020年3月 2日 (月) 22時29分
弥沙さんは点を線にすることが出来る稀有な方かもしれませんね。
点と点を繋ぐ深い知識、考察力には感服いたします。
神代に思いを馳せるには沢山の要素を兼ね備えた限られた人にしか出来ないと思いますので、いつの日か核心に迫る出会いがある事を願っています。
投稿: SHIFT | 2020年3月12日 (木) 21時38分
SHIFT さん、こんにちは^^
実はつい最近書いていることも「荒穂神社」に繋がっていました。
よければご覧ください。
神功皇后の伝承地 6 ~媛社神社と荒穂神社の伝承と二つの風土記~
https://misa-kazabana.cocolog-nifty.com/blog/2020/03/post-94353d.html
また荒穂神社に行きますね^^
ありがとうございました。
投稿: 弥沙 | 2020年3月15日 (日) 08時44分