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2020年3月17日 (火)

姫社神の正体 ~神功皇后の伝承地 7~

「ひめこその神」

その神の名を、ごく最近参拝したお社で目にしてました。

牛斬山の麓にある「現人神社」です。
(「もう一つの現人神社 1 ~牛斬山の麓の社~」)

御祭神の名は「都怒我阿羅斯等命(ツヌガアラシトノミコト)」(別名・天之日矛)

この神は、意富加羅国(おおからくに)の王子で、新羅の姫神(比咩語層神・ヒメコソノカミ)
の後を追ってこの地に来たと、社の由緒書きにありました。

境内には猿田彦大神の庚申塔と猿の使いの伝承がありました。
それらから、彼も饒速日命ではないかと辿り着きました。
彼が那珂川の「現人(あらひと)神社」の神でもあるならば、社名が同じなのは必然になります。
(「もう一つの現人神社 2 ~饒速日命の足跡~」)


そこで「媛社神社」の存在を思い出したのです。
(御勢大霊石神社の側にあるとは行くまで知らなかった)

               *

*「媛社神社の二柱の神」

「媛社神社」には二つの扁額があり、その一つには並んで     
「棚機(たなばた)神社」と「磐舩(いわふね)神社」と記されてありました。

磐船の神は、饒速日命です。
「天磐船に乗り、北部九州から大和へとやってきた」ということから、
航空、航海の神とされています。
奈良の矢田坐久志比古神社、石切劔箭神社にも祀られていました。
(「前世と石切劔箭神社と矢田坐久志比古神社 その2」)

               
「媛社神社」の案内書にもその名がありました。
案内書には、「棚機神」は、万幡秋津師比売命(よろずあきつしひめのみこと)。
「姫社神(ひめこそしん)」は、饒速日命と。

 この筑後一帯を土着し、後に豪族となった物部一族の祖神。
 天照大神の御子 天忍穂耳命と万幡秋津師比売命との子。
 船の神、海上交通の神として信仰されている。
 *この大崎は、太古の時代、宝満川の河口ないし有明海の奥深いところに
 突出した大きい岬であり、船を唯一の交通手段とした古代人にとっては、
 このみさきに海上交通守護、船の神である饒速日命を祀ったと考えられる。
                    (案内書より要約)

                *

磐船の神は、饒速日命で間違いありません。

牛斬山の「現人神社」の「新羅の姫神」の方がヒメコソノカミというのは、
彼へと導く暗喩なのかもしれません。

                *

また、彼が饒速日命ならば、「肥前風土記」の伝承が解けます。
「荒ぶる神」は、「命尽くし(イノチツクシ)」の神。
その話は、筑紫神社の由来譚であり、筑紫の神のことを表します。


<筑紫の国魂である高良の神>(筑後国一宮の高良大社
<那珂川の現人神社の神である住吉神>(全国の住吉神社の元宮)
<那珂川の日吉神社の大己貴神(猿田彦神)>(日吉・日枝大社の元宮の一つ)
<田川郡香春町の現人神社のツヌガアラシト(天之日矛・アメノヒボコ)>
これらの神はすべて、饒速日命。

それを証明してもらったようでした。


ならば、「天忍穂耳命と万幡秋津師比売命 」の子というのは違います。
饒速日命は、須佐之男命(スサノオ)自身です。

彼はフルであり、布留の神。
奈良の石上神宮の神でもあります。
筑紫神社(筑後国風土記)と荒穂神社の御祭神「五十猛神」は、
イソノカミの響きから同一とされたのでしょう(意図的かも)。

           *

では、彼と一緒に祀られている「棚織姫」は、母ではありません。
母ならば、七夕の伝説が生まれ、二人に当てられることはないでしょう。

もう一つの「ひめこそ神社」にその答えがありました。
彼の名とともに。


( つづく )

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