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2020年3月15日 (日)

媛社神社と荒穂神社の伝承と二つの風土記 ~神功皇后の伝承地 6~ 

媛社(ひめこそ)神社には伝承がありました。
「肥前風土記」に記されてあります。

山道(やまじ)川の西岸に荒ぶる神がおり、道行く人のうち半分を殺してしまいました。
そこで荒ぶる神が祟る理由を占うと、「我が社を造って、筑前国宗像郡の人である珂是古(かぜこ)
に祭祀を行わせよ。そうすれば、荒ぶる心は起こさない」という結果がでました。
珂是古は幡を掲げて祈祷し、
「神が私の祭祀を望むならば、この幡は風に飛ばされて、神のそばに落ちよ」

といいました。
すると幡は風に飛んで筑後国御原郡の姫社の杜(もり)に落下し、再び飛んで山道川のほとりに
戻ってきました。また珂是古は機織りの道具に押さえつけられる夢を見ました。
 これで神の場所と、神が女神であることを知った珂是古が祭祀を行い、
人々が当地を安全に通れるようになりました。ここから、この地を姫社(ひめこそ)と呼んでいます。
                      (神社で頂いた案内書より抜粋)

この伝承によく似ているものがあります。
(「二つの伝承」にまとめてあります)

*基山の麓にある「荒穂神社の伝承」
  昔、木の山(基山)の東に荒ぶる神(鬼)がいて、往来の人が
  命 を落とす「命尽くし(筑紫の名の起原)」ことがありました。
  それを退治したのが五十猛神。
    (「二つの伝承 2 荒穂神社 ~佐賀県三養基郡~」)


*筑紫神社の伝承(筑後国風土記)

 祭神を筑紫の神といい、筑紫の国魂である。
               (以下、筑後国風土記)

   昔、こ(筑前・筑後)の国境(鞍韉盡坂(したくらつくしのさか)という険しく狭い坂)
   に荒ぶる神がいて通行人の半分は生き半分は死んでいた。
   その数は極めて多かった。そこで「人の命尽の神」と言った。
   筑紫君、肥君らの占いによって、筑紫君等の先祖である甕依姫を祭司として
   まつらせたところ、これより以降は通行人に神の被害がなくなったという。
   これを持って「筑紫の神」と言う。(
Wikipediaより)

    (「二つの伝承 4 筑紫神社 ~福岡県筑紫野市~」)

    (「二つの伝承 7 ~冷水峠~」)

この「二つの伝承」から分かったことです。
*荒穂神社の伝承の、人々の命を取ったという荒ぶる神が「イノチツクシの神」。
 それを退治したのが「五十猛神」。

*「筑紫の国魂」は、高良大社の神。

*筑後国風土記では「荒ぶる(イノチツクシ)神」を鎮めたのは「甕依姫」。

二つの伝承は同じであり、かの神は饒速日命。
筑紫での五十猛神は、名を変えられた彼。
退治した方の神を「ツクシの神」として祀るようになったのです。
(筑紫の神の名の由来譚)

またこれらの伝承と御祭神から、筑紫の国魂である高良の神と、「甕依姫」が共に行動し、
「ツクシノカミ」を退治したと分かりました。


*「甕依姫」

ツクシノカミが出たという鞍韉盡坂(したくらつくしのさか )は、
九州の箱根とも言われていた深く険しい谷の「冷水峠」。
その側にある大根地山にある大根地神社の伝承から、「甕依姫」は神功皇后。

また、二つの神社の御祭神からも、それが「宝満大神」であり、
宝満宮竈門神社の御祭神、神功皇后だと分かりました。

「神功皇后と高良の神は夫婦であり、共にイルヰを退治した」
という高良大社の高良玉垂宮神とあるのが、「荒ぶる(イノチツクシ)神」退治。
 (「二つの伝承 8 ~五十猛命と甕依姫~」)



 

                *

媛社神社の伝承に戻ります。

「山道川の西岸に荒ぶる神がいて、道行く人の半分を殺していた」
「幡が落ちた場所が神のいる場所」
「筑後国御原郡の姫社の杜に落ちて再び戻ってきた」
「機織りの道具に押さえつけられる夢を見た=(機織りの女神だと思った)」

*「荒ぶる神が道行く人の半分を殺していた」
これは筑紫神の名の由来譚ではないか。
命尽くし(イノチツクシ)の神。
筑紫の神は高良の神、饒速日命です。

幡は、八幡の幡=八幡大神。
応神天皇のことであり、また、宇佐の伝承では饒速日命でもあります。
幡が「落ちた」は、八幡の神の居場所を表します。
(ここの場合は「最初に落ちた場所」なので、この地が「媛社神社の起源」としています)
神の居場所を示す場合、隼鷹神社のように「鳥が止まった」などもあります。

*「筑後国御原郡の姫社の杜」
それがこの地。

もしも彼ならば、伝承は「暗喩」という形で残されているものでもあると言えます。

では、「媛社神」は、高良の神である饒速日命、
一緒に祀られている「棚機姫」は神功皇后のことではないだろうか?


                *

「ヒメコソの神」
前々から知っていたその神の名を、ごく最近他の神社でも目にしてました。


これは、<導かれている>

( つづき )

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