足跡 ~神功皇后の伝承地 4~
神功皇后の伝承地は、九州北部に3000カ所あるとされています。
彼女がこの地にいたとされる数年(1~3年間)で、全部の場所を回れるでしょうか?
全てが事実とは限りませんが。
実際に、彼女が登ったとされる山にも登りました。
「三韓征伐の勝利を願っての神事の為の登山」という名目なので身重です。
それらの山の中には、急登もあり、岩場あり、片足幅しかない細い道ありで、
とても身重では無理です。
(砂地や粘土質の山もあり、滑って転びやすいです)
(「脊振山系分割縦走 その1」)~その3まで。
上記の記事は、背振山系を縦走した時のです。
この縦走中の山(浮嶽、雷山、背振など)他に宝満山などにも登ってます。
身重の体にそんな危険な目に合わせるとは到底思えません。
あの時代なら尚更、いくらなんでも周囲が許さないでしょう?
さらに、そのまま石をお腹に当て(冷やして)生まれないようにして、三韓征伐に行ったとか、
人としてあり得ないことです。
それらが事実とされているのなら、それこそおかしいのではないでしょうか?
各地の伝承に「違い」があるのは当たり前なことです。
口伝えで伝わったものでしょうから。
でも、神功皇后の伝承の「仲哀天皇」に関してはそこに不自然さを感じるのです。
山での神事の時も三韓征伐の時も、身重ではなかったのでは?
*
何故、そうなっているのか。
彼女の子供の「応神天皇」を仲哀天皇の子供にしたかったからです。
「彼女」と「応神天皇」の存在を、「中央」に取り込もうとした人達が。
おそらく、伝承として深く刻まれた「彼ら」の痕跡を消せなかったからです。
(それとも、何らかの理由で残さなければならなかったのか)
そう、「彼ら」。
神功皇后の伝承地には必ず「彼」の名がありました。
神として。
*
「足跡」
「その2」の御勢大霊石神社の御祭神の「足仲彦大神(仲哀天皇)と吉富大神(?)」以外の三柱、
天照皇大神、八幡大神、春日大神は、高良神です。
筑後一宮の高良大社の神。
住吉神でもある饒速日命。
さらにこの前に行った、隼鷹神社には「大己貴命」の名もありました。
彼も饒速日命です。
いままで参拝した神社、山、伝承には神功皇后の名と共に「かの神」の名があるのです。
「神結び」のカテゴリーにした記事はすべてそこに繋がります。
高良の神は、高良の伝承では神功皇后と夫婦とされていました。
(「神の鉾 3 ~安曇磯良神~」)
(「神の鉾 4 ~天照の分御霊(わけみたま)~」)
高良の神は、饒速日命です。
(「卑弥呼の墓 その3 ~ 高良神と饒速日命~」)
彼を祖神とする一族が、全国に広まり、その地や部族に関する名に替えたのです。
(「日本の真相 19 ~神・饒速日命の名~」) など。
神功皇后と共に名がある神の名は、饒速日命。
*
この神社の後、前々から行きたかった神社がすぐ近くにあると分かり、
そちらへ向かいました。
そこで、確信したのです。
今に残された、足跡。
神功皇后と共に行動した「彼」。
「彼」とは、神功皇后とは、誰か。
( つづく )
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