姫古曽神社の神の名は ~神功皇后の伝承地 9~
姫古曽神社には高良大神が祀られていました。
田川の現人神社の「ツヌガアラシト」が追ってきたという姫の名が「ひめこそ」であり、
それが「ツヌガアラシト」を示す暗喩である。
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「媛社神社」の御祭神の一柱「磐舩神」は饒速日命である。
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「姫古曽神社」の御祭神は、高良大神。
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高良大神は、饒速日命。
やはり繋がりましたね。
高良大神と共に祀られている神の、住吉大神、八幡大神は同じ神です。
繋がるからこそ、彼以外ではないのです。
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<「肥前国風土記」の神>
肥前国風土記にあった「山道(やまじ)川」が今の山下川。
その西岸に荒ぶる神がいて、道行く人の半分を殺していた。
(「神功皇后の伝承地 6 ~媛社神社と荒穂神社の伝承と二つの風土記~」)
この辺りはとても広い平地なのです。
(当時は北の玄海(博多湾)と有明海が繋がり、今よりも水路は広かったはずなので、
道というより、水路を渡る人が多く亡くなっていたということかもしれませんが)
わざわざ、「荒ぶる神」のいる場所を通るでしょうか。
避けて通ればいい話。
数キロ遠回りをすれば安全な道があるはずですから。
それがここが「荒ぶる神」が「史実」としていた場所ではなく、
その神が「イノチツクシ」の神のことではないかと思った理由です。
「荒ぶる神」は、「鞍韉盡坂(したくらつくしのさか)という険しく狭い坂」
に出た「イノチツクシ神」。
そこは「冷水峠」。
長い間、九州の箱根と言われていた程の難所は、この一帯ではここにしかありません。
その「イノチツクシ」の神が、退治した方の神を「筑紫の神」と祀るようになった。
それが「筑紫神社」です。
御神祭の筑紫の国魂は、筑後国一之宮「高良大社」の御神祭である高良の神。
(一之宮に祀られている神が、国魂の神であるはず)
高良の神は、物部氏の祖神である饒速日命。
だから、ここに高良神が祀られているのです。
上記にもありましたが、住吉大神、八幡大神は同じ神です。
この社には、もう一柱の神の名がありました。
市杵島姫神です。
( つづく )
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