御勢大霊石神社 ~神功皇后の伝承地 2~
福岡県小郡市大保竜頭の「御勢大霊石神社」です。
隼人鷹神社から2.7キロ。
ここにも神功皇后の伝承があります。
おそらく彼女たちが「熊襲征伐」で南下した道。
御祭神は、足仲彦大神(仲哀天皇)、天照皇大神、八幡大神、春日大神、吉富大神
皇統十四代仲哀天皇筑前国橿日宮にて崩マレ又、皇后天皇の御手代として姑く
男貌も假り石を以て御形代として之を奉し三韓を征し給うに三韓不日に服従す。
御凱旋の後大保の郷に宮柱太敷立て此の石を祭り給い御勢大霊石神社と崇らる。
社前に御剱・御衣を納め給う。これを御本體と稱す。
標柱に「史跡仲哀天皇殯葬傳説地」とある。
(上記 案内板より)
仲哀天皇が香椎宮で崩御した。
神功皇后は男装し、霊石を天皇の御形代として船乗せ三韓征伐した。
凱旋した後、その霊石を祭り、社殿前に剣と衣を納めた。
案内板には、上記のようにありました。
ですが、お社で頂いた案内書には仲哀天皇は
「敵の毒矢に当てられてこの地で崩御された」とあります。
同じ境内の案内板。
「竜頭の由来」この辺りの地名です。
神功皇后二年(世紀二〇二年)、仲哀帝が熊襲新征に当り橿日宮(香椎宮)の本陣より
この地長栖(大保)に軍を進められた。
清浄な宝満川周辺のこの地を好まれこの地「竜頭」に天照大神を祀られ
仮陣地に定められたと伝えられている。
とあります。
(神功皇后元年は、仲哀天皇が亡くなった年です)
ここで今までの疑問がさらに大きくなりました。
どこに真実はあるの?
( つづく )
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