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2020年4月22日 (水)

「古代史の謎」 9 ~神と病と予言~

彼らに関わる「長寿」と「予言」がありました。

            *

まずは「長寿」

浦島太郎は三百歳の長寿であり「住吉の人」であり、
住吉神である塩土老翁も長寿であり、
武内宿禰は三百六十歳の長寿。
                (「古代史の謎」より、以下紺色は要約または引用)

すべて住吉の神ならば、饒速日命が長寿ということになります。
彼が長寿?
現実的に三百年も、とは思えません。
それは何を示唆しているのか。

そこで、「三百歳の浦島太郎」にあるという「反歌」の存在で思い当たることがありました。

「あちら(常世辺)に行ったまま住んでいれば良かったのに、なぜこちらに戻ってきてしまったのだろう。
本当にこの男は間抜けなのだ・・・」

「常世辺」とは、黄泉の世界、あの世です。
亡くなった後の世界。
その反対の「こちら」とは、現世(うつしよ)です。この世。

あの世から、この世へ戻る。
それは、何を表してる?

                  *

饒速日命は、住吉神。
その答えが住吉の初めの宮、「現人神社」にありました。

彼は「現人神社」の現人神です。 

Dsc_2048_20200422003001 
ここには、伝承があります。

 「住吉三神は、人である神功皇后の前に初めて姿を現した神」。
故の「現人神」。

「大事の際に人の前に姿を現し、神通力を振るう」と。



・・・そうか。
彼が饒速日命であり、現人神ならば・・・、

「初めて姿を現したのが、神功皇后の前」


今、気づきました。
それは、彼は「神功皇后と出会ったのが最初である」ということです。
住吉神の饒速日命は、彼女と最初に出会っていたのです。

神話の時代と、15代天皇の母、そんな隔てた時代ではなく、
二人は「最初から」人として出会っていたのです。

                *

「大事の際に人の前に姿を現し、神通力を振るう」

これは予言です。
「後に」、ということ。
いつの日か、再び。

そして、伝承の「長寿」。
あの世(黄泉の世界)から、現世(うつしよ)に「戻る」。


・・・それらが、示すものがあるとすれば、ただ一つ。
「生まれ変わり、再びこの世を生きる」こと。

人は誰しも転生するそうですが、皆それを忘れます。
新しい自分となって、前の世の記憶を覚えていません。
ですが、ごく一部、思い出す者も存在します。


  前の世の「自分」の記憶がある。
  次の世でも前の世の記憶を持ち、再びこの世に生まれることを知っている。

ということでは。

それ故の、「長寿」という表現。
他に何が考えられるでしょうか。


魂は永遠です。
「今の自分」も「前の自分」も同じ魂。
生まれ変わっても前の記憶があれば、自分の存在は変わりないことを知る。
それを知ってるが故の、長寿。

                    *


もしも、「彼ら」がARIONの言う「鬼の力」、異能の力を持つ者達ならば、
未来も視えたでしょう。

もしも、自分達が生まれ変わるのを知っている存在であり、その未来を視ていたのなら・・・。
必ず、その痕跡を残すはずです。

「その未来に何かがある」なら、
必ず、何かを伝えようとするはずです。

それが、これらの伝承では無いでしょうか。 


*記紀や伝承の「表現」にも、予言である部分もあります。
 神の名などには、未来が視えていたはず、と思える個所が何度も出てきます。
 それは、ここに書けませんが。

                  *

これらの伝承は、何を伝えようとしている?
そう考えてたら、香春町の現人神社が浮かびました。

Dsc_0361_20200205163301 
(「もう一つの現人神社 1 ~牛斬山の麓の社~」)

こちらの現人神社には、猿田彦大神の碑があります。
福岡によくある道祖神(庚申塔)の一つとも言えますが、ここには伝承がありました。

Dsc_0358 
 この里に疱瘡、疫痢が流行した時、神霊のお告げ
 「今より阿羅斯等(アラシト)神の許に鎮まり猿を使いとして万民を救う」があり、
 現人神と合祀しました。

こちらの御祭神、ツヌガアラシトは饒速日命に繋がりました。
彼は、那珂川の日吉神社の大己貴神であり、猿田彦神でもあります。

病。
饒速日命・・・。

思い当たることがありました。

彼が所持していたという「十種神宝」の中には、生玉、死返玉があります。
(「神の鉾 4 ~天照の分御霊~」)

  生玉は陽の言霊で潮満玉、
  死返玉は陰の言霊で潮干玉

それは、高良大社の伝承の二つの珠と同じものだと思われます。
(「「古代史の謎」 4 ~豊受大神は神功皇后~」)
ここに記した様々な玉はすべて、同じ物。
ならばそれは、饒速日命がもたらした十種神宝。

それらの物語は、饒速日命が十種神宝の二つの珠を、その后、ミカシヤ姫(ひみか)に
(住吉神が神功皇后へと) もたらしたことを意味していました。

彼が祀られている石上神宮の十種神宝祝詞に
「ひと ふた み よ いつ むゆ なな や ここのたりや と 唱えつつ 
布留部 由良由良と布留部 かくなしては 死人(まかりびと)も生返らむ」
という唄があります。

「死人をも蘇る」というその「十種神宝」の力。

さらに、
 石上神宮の祝詞は、饒速日命と共にヤマトに舞い降りた天鈿女命(あめのうずめのみこと)の
 末裔の
猿女君が、魂鎮祭の日にこの祝詞をあげたとしている。

天鈿女命は、猿田彦神(饒速日命)の妻です。
本人か、末裔か分かりませんが、彼らに関わりがあることは確かです。

香春町の現人神が饒速日命ならば、猿田彦神に通じる「猿を使いとして万民を救う」は、
無関係では無いと思いませんか?

                        *

これらと予言の為、彼らは正史から消せなかったのでは?

その子に継ぐことなく、「譲った」とあるのは、血脈が意味をなさないからでしょう。
生まれ変わると知っていたのなら。
血脈が意味をなさなくとも、彼の魂を受け継ぐ器が必要。
それゆえ、彼らの子孫の物部一族が繋いできた神事、だったのでは。


彼らは、生まれ変わると宣言しているのです。

彼らはそれを知っていたのです。
だからその言葉を残したのです。
本人達以外、それが分かる者はいないでしょう?


< 国の大事の時、 >

今、この時では?
今まで何度もあったかもしれないですが、今回は何か違うのかもしれません。


< 現人神は再び、人として現れる >

彼は住吉の神、天照。


そういえば、ARIONはこうも言ってました。

「こたびが7度目の岩戸開き。
 失敗すれば、後はない。(←具体的な言葉を忘れてしまった)」

多分、それが今、なんでしょう。


                 *


ようやく、分かったような気がします。
「何がどうなってる」
と複雑に絡まった糸が、すべて解けたような気がします。

自分には納得することが必要だったのかもしれません。

Dsc_2043


今、那珂川の現人神社には、夏越の時の茅の輪くぐりがあります。
疫病、退散の願いから。

どうか、世界から病がなくなりますように。

 

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2020年4月20日 (月)

「古代史の謎」 8 ~籠と亀・神の乗り物~

彼らが饒速日命とミカシヤ姫。
彼女が神功皇后であり「卑弥呼」。

では、思い当たることがありました。
それは、今に繋がること。

               *

それらの伝承に共通するものに「籠」と「長寿」があります。

まずは「籠」。

(丹後一宮籠神社縁起)
*塩土老翁は、羽衣を盗んだ老翁。
  豊受大神が天女。籠に乗って光っていた。

(海幸山幸神話)
*塩土老翁は、山幸彦を「無目籠(まなしかたま)」に乗せ、海神宮に導く。
  無目籠とは、網目が無く、水が入らない籠。

(神武東征)
*塩土老翁は神武を大和に誘う。
  神武が瀬戸内海を東に向かう途中の海で、亀に乗った翁に出会い、神武を導く。 
  これは浦島太郎では。
  亀の甲羅は「亀甲紋」で、「亀甲紋の連続はカゴメ紋」となる。

(浦島太郎)
*浦島は亀に乗り、竜宮城へ行く。
  浦島のふるさとは「住吉」。

(住吉大社の神)
*大阪の住吉大社の神は、塩土老翁。
 (上記の人物は住吉の神を表す)
                          

重要なのは、豊受大神が「籠に乗って光っていた」こと。
この豊受大神の籠が、籠神社の「籠」。
山幸彦を籠に乗せて海神宮に導いたこと。
大嘗祭でも籠は重要な役目を担う。
「籠」が共通する。    
                    (紺色の文字は「古代史の謎」より要約)

                      *

海の中でも水が入らない、網目のない籠?
豊受大神が籠に乗って光る?
神が?籠が?
天女ですから、それに乗って空から飛んできたのでしょう。

それらは何を示すのか。


これらの人物が同じ者ならば、亀は「籠」と同じものを表します。
「亀」は、神功皇后の伝承にもありました。


(「志賀海神社 ~福岡県~」)

御祭神は、綿津見神三神、神功皇后、玉依姫命、応神天皇。

Shikaumi04


「神功皇后が三韓出征の際、安曇磯良丸を通じて祈願して、七日七夜神楽を奏した。
 すると黄金雌雄の亀に乗った志賀明神と勝馬明神が御出現され、
 皇后へ干珠満珠の玉を授け、船の舵と航路を守り、導いた」
                        (上記の案内板を要約)

安曇磯良丸、志賀明神、勝馬明神は、饒速日命でした。
(「神の鉾 3 ~安曇磯良神~」)
磯良神は大和で40万年、ひたちで40万年、勝馬(かつま、志賀島)で40万年過ごされた神。
とあります。

その神が亀に乗って現れ、神功皇后に二つの珠を授けたと。

<彼が彼女に珠を授けた>

その様子がここにも描かれています。
この伝承の彼もまた、「亀」に乗ってやってきたのでした。

このお社は、福岡県の志賀島にあります。
その半島にあるのが、志式神社
古代史の謎 4」の磯良舞は、ここの神楽です。

もう一つ、かの神と亀の伝承がありました。
福岡大川市にある「風浪宮」。

Huurou03
この像は、「高良玉垂宮神秘書」にも登場する安曇磯良丸。

案内板にはこう書かれてあります。

磯良丸は少童命を祖神をする海洋族の酋長で神功皇后の三韓征伐の砌(みぎり)、
志賀島に召されて軍船を整え海上指揮し仕え奉りて無事大任を果たした航海熟練の海士である。

ですが、その続きには、
「太平記に見る磯良丸は龍宮に住んでいたが神功皇后のお召しに従って
大海亀に跨って香椎が浜に出現し皇后の三韓御親征に干珠満珠を捧げて従軍し御助成をしたと
述べられています。
この像は磯良丸が多年海底の宮に住んでいたので身体中に海藻や魚介類がとりついていたという
魁偉なる風貌を彫ったものです」

と、あります。
安曇磯良丸は、一介の漁師と表現している伝承もありますが、
一方では、竜宮から「大海亀」に乗り神功皇后の前に現れ、二つの珠を授けて、
彼女を助けたという。

また、「神功記」には、三韓征伐の時に神功皇后の乗った船の舳先に現れ、
彼女を守ったのは住吉神でした。

高良大社の神職さんは、
「船の舳先に現れて、神功皇后を助けたのが磯良神であり、住吉神」と言われています。

つまり風浪宮や高良大社の磯良丸(神)と住吉の神は同じ者であり、
彼女に玉を垂れた(授けた)のは彼自身です。
(「神の鉾 3 ~安曇磯良神~」)


前回から、幾つもの伝承がありましたが、
「住吉神」と「神功皇后」にたどり着きます。

それらに必ずある「亀または、籠」。


もしかして、これらは皆同じ話なのでは?

「三韓征伐(太平記には御親征)」が彼らの時代にあったかどうかは分かりません。
ですが、神が「亀か籠」に乗り、神功皇后に「二つの珠」を授けたという話。

少しずつ違いますが、皆それが元になっているのは、明白です。
そう思いませんか?

               *

その住吉神は饒速日命。
かの神は、媛社神社に磐船神として祀られていました。
(この社から、棚機姫が市杵島姫であり、神功皇后、ミカシヤ姫へと繋がりました)
(「神功皇后の伝承地 5 ~媛社(ひめこそ)神社~」)

船には舵が付きもの。
「楫取(かじとり)神社」にも名を変えられた彼が祀られています。
 
*津福八幡神社(福岡県久留米市津福本町)の摂社には、楫取社があり、狛亀がある。
 御祭神は応神天皇であり、楫取は船の舵を表す物。
 そこにある、亀。

他にも「楫取神社」があります。
その神から分かること。
下記は、サイト(「神奈備にようこそ」から)

*「楫取神社」(大阪の阪南市) 
  御祭神は、天御仲主命、事代主神、大山祇神。

*「本住吉神社摂社大海神社」(摂津国莵原郡)
  御祭神、豊玉彦、豊玉姫(楫取明神ともいう)
 ( ここの神の名は、彼らを証してるかのようです。
  「豊玉」は彼らにまつわる二つの珠が由来なのでしょう)

*「住吉神社」(紀伊国名草郡)
  御祭神、住吉三神(楫取の氏神さまという)

*「賀茂神社摂社楫取社」(播磨国楫保郡)
 御祭神、住吉三神

*八幡神社摂社楫取(かつとり)神社(筑後国三潴郡・昔の三潴郡は三島神社の辺り)
 御祭神、経津主命
 (ここは津福八幡神社とは別なのか分かりません。三潴は津福と離れてます。調査中です)
              
 かの神には、他にも数多の名がありました。
 長い間祀られ、それぞれの部族が移動したことにより、
 部族の特徴を示す名や、土地の名、(また別の神との併合)になったからです。
 (「日本の真相 19 ~神・饒速日命の名~」) 


 *奈良の三島神社は、御祭神が布留神。
  石上神宮と同じ、饒速日命です。

                *

それらの伝承や神社の神がすべて彼ならば。
「それ」は、彼が乗ってきたものを示すと考えるのが自然です。

つまり「神の乗り物」

                *

饒速日命は、矢田坐久比古神社の御祭神でもあります。
(「前世と石切劔箭神社と矢田坐久志比古神社 その2」)

ここには、飛行機のプロペラが飾られてあります。
彼は飛行、航空、船舶、航海の神。
(かなり前の写真をスマホで写してアップしてるので、写真が古いです)

Yata1
彼は天磐船に乗っていたとされます。
それ故の、航空、飛行の神様。

< 空を翔けるアマノトリフネ >

現代人ならば、思い当たる物があるはずです。

現実に存在していたのでは?
それは、UFOでは?

突拍子もないことではありません。
「彼ら」の伝承が物語っています。


アマノトリフネで空を翔け巡り、奈良の哮ヶ峰(生駒山)から、
矢田の丘陵へと降り立ったという彼ら。
空から下界を見て「ひのもとの国」と名付けられた我が国。

(「前世と石切劔箭神社と矢田坐久志比古神社 その1」)
これは夢で見た光景ですが。

彼ら以外に「空を翔けた」と伝承にある神はいないのです。

              *

「岩戸開け」とは、
真実を世に明かすことでもあると、ARIONは言ってました。

「岩戸が開く」ことにより、現れる神とは天照神です。



次は「長寿」について。


( つづく )

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2020年4月18日 (土)

「古代史の謎」 7 ~邪馬台国~

  その本のふと開けたページが「高良大社」でした。

                *
「古代史の謎」を書かれた関裕二氏は、そこが邪馬台国ではないかとされています。

「第4章  神社に伝わる邪馬台国解明のヒント」から 

高良大社

 高良大社の地が、「戦略からみた邪馬台国の地」として最も適している。
 難攻不落の軍事拠点の地。
(耳納山系の西端にあり、筑後川(交通)、筑紫平野(穀倉地帯)がある)

 神功皇后もこの地に陣を敷いたという伝承がある。
 「魏志倭人伝」から、倭国の都=邪馬台国は湾岸ではなく内陸部。
 内陸部からの敵からも。
                      (紺色は要約)


以前、高良大社の麓にある「祇園山古墳」を知り、その名と、
邪馬台国のヒミコの墓の候補地と言われていることから、
「祇園の神」の神功皇后と住吉の神と「高良大社」の神との繋がりを記しました。
(「卑弥呼の墓 候補地 その1 ~祇園山古墳~」)

Gion09                          高良大社の側の祇園山古墳

 高良大社の御祭神は、高良玉垂命と豊比咩命。
 高良玉垂命は武内宿禰という説がある。
 武内宿禰は神功皇后の忠臣であり、
 かたや高良玉垂命は神功皇后の新羅征討で、「輔弼(ほひつ)の神」として活躍。
 神功皇后は「トヨ」の名を冠する女神と多くの接点を持っている

まさに、ここに繋がります。
高良大神は、饒速日命。
武内宿禰も武雄神社の裏山の「御船山」の存在から、饒速日命ではと。
(「饒速日命と武内宿禰」)
                    *

「時代」
 
(「岩戸開き その3 ~神功皇后~」)
(「高良の神と日甕」)
上記の記事を書いていた頃は、神話などで言われているように、
饒速日命と神功皇后の時代が違うという考えから離れられませんでした。

それを崩したのが「日本の真相」です。
「この国の始め」が「邪馬台国」ならば、その女王「卑弥呼」と、
「国の始め」に存在するという「饒速日命」の時代は重なるのでは、と。
(「日本の真相 9 ~卑弥呼とトヨと物部と~」)

 卑弥呼と台与
 系図の、日女命と小止與命
 神功皇后と與止日女(豊姫)
 そして、二人と住吉の神とを繋げる「物部」の名。

                      *

神功皇后が卑弥呼ならば、饒速日命の時代ではないのか?
・・・それは、饒速日命である住吉神の后が「彼女」なら、彼女が卑弥呼ということではないのか?

                      *

高良大社や各地の伝承では、高良大神(住吉神)と神功皇后は夫婦です。
住吉神が饒速日命ならば、彼女はその后ミカシヤ姫。

ミカシヤには棚機(織姫)の意味がありました。
媛社神社に祀られているのは、磐船神の饒速日命と、その后、棚機神のミカシヤ姫です。
そこから、神功皇后へと繋がりました。
(「神功皇后の伝承地 5 ~媛社(ひめこそ)神社~」)
(「神功皇后の伝承地 10 ~織姫と市杵島姫と神功皇后~」)

半島に伝わったというその名「卑弥呼(ひみか)」
漢字を当てると「日甕」。
「甕・ミカ」は、神への捧げものを入れる器の意味がある。
「日の神の依り代」の意味に繋がる。それは「日の神の巫女」。

「ヒミカ」
それが、今、神功皇后と言われている彼女の当時の名前です。
(「二つの伝承 8 ~五十猛命と甕依姫~」)

高良大社などの伝承は 、二人のことを示していたのです。

                 *

「邪馬台国」

神功皇后が卑弥呼であり、邪馬台国の女王であるなら、
王は饒速日命です。
(王は隠されている *後に記述)

「邪馬台国」は、ヤマトの国。
古語で「神(王)のいる国」を意味するならば、彼がいた二カ所です。

福岡、久留米地方(広く、筑後)と、奈良の三輪山周辺。


                          *

「神話の地・那珂川」

饒速日命は住吉神でした。
彼は大己貴神であり、住吉神であり、天照神です。 

「日吉の神は大己貴神 ~那珂川市 日吉神社~」)
(「那珂川は饒速日命(天照・住吉・高良の神)の生誕地」)

 ここ、住吉の元宮「現人神社」がある那珂川が、彼の「生まれた」場所。
イザナミの禊の地で生まれた住吉の神。
だからこの地に彼の二つの元宮(現人神社と日吉神社)があるのです。

 

「この国は韓国に向かい、笠沙の岬まで真の道が通じていて」
と神話にある「真の道」もここにあります。
(「禊の地と真の道」)

Dsc_1187(真の道)

    南から、成竹山麓の日吉神社~裂田神社(安徳台・中央の蓋のような緑の大地の東側)~
    現人神社~天御中主神社(ここまで那珂川)~筥崎宮(中央奥の立花山の西)

    筥崎宮の地は昔、「葦津ヶ浦」
   「笠沙(カササ)の岬」とは、「カサ(湾)」に生えた「サ(葦)」の古語。 

 

 那珂川の日本最古の水路「裂田溝(さくたのうなで)」は
彼らが指揮して造られたと伝承があります。
(「安徳台と高天原」)
(「「儺の国の星」 ~岩戸~」)


彼らはこの地に確かに存在し、足跡を残していたのでした。

「儺の国の星」で真鍋氏が書かれた「儺の国」には、物部の祖、
饒速日命と「ヒミカ」が、住吉の神と神功皇后として遠い昔から祀られていたのです。

                 *

気になるの伝承の「長寿」と「籠」の意味。
それは、彼を示す「特徴」ではないのか。

 

( つづく )

 

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2020年4月14日 (火)

「古代史の謎」 6 ~住吉神と神功皇后 後編~

住吉大神=塩土老翁=天火明命=饒速日命=高良玉垂命
豊受大神=市杵島姫=神功皇后

塩土老翁と豊受大神が夫婦であり、
天火明命と市杵島姫が夫婦
住吉神と神功皇后が夫婦
高良玉垂命と神功皇后が夫婦

彼らが同じ者であるからこそ、同じことを伝えているのです。

                 *

(「日本の真相 21 ~住吉大社~」)
過去記事に、住吉大社と籠神社の伝承から、
住吉神と神功皇后、卑弥呼とトヨの関わりについてありました。
豊受大神が神功皇后ならば、豊玉姫も彼女。

ツヌガアラシト=天日槍=饒速日命
天日槍が応神天皇であり、饒速日命。
(*応神天皇と豊玉姫については、彼ら自身じゃない部分もあるかも。
  本人かその子か。または混在しているのかもと感じてます)

                   
彼らの時代が「ヤマト建国の時」だという可能性があるならば、
神功皇后が仲哀天皇の后ではありません。

                     *

「武内宿禰は住吉の神」


「神功皇后」の側にはいつも、住吉神と名を替えられた饒速日命の姿がありました。
その一つの名が、武内宿禰。

「古代史の謎」では、その武内宿禰が住吉の神ではないかとあります。 

 高良玉垂命は武内宿禰という説がある。
 武内宿禰は神功皇后の忠臣。
 かたや高良玉垂命は神功皇后の新羅征討で、「輔弼(ほひつ)の神」として活躍。
 神功皇后は「トヨ」の名を冠する女神と多くの接点を持っている。
                (紺文字は、「古代史の謎」より要約)

伝承では「香椎宮」での神事の際、仲哀天皇が亡くなったとされます。

 「古事記」では、その場にいたのは武内宿禰と神功皇后のみ。
 一方、「住吉大社」の伝承では、住吉神と神功皇后は夫婦。
 これは、住吉の神と武内宿禰は同一人物だからでは。

 高良玉垂宮神秘書にも、住吉神と神功皇后が夫婦とあります。

 *高良大神=武内宿禰=住吉大神(饒速日命)
 *住吉神と神功皇后が夫婦


「宇佐神宮の住吉神」

宇佐神宮の放生会の神事に登場する「住吉神」。
神功皇后の眷属が古要相撲で負けそうな時に現れ、加勢し東軍を倒す。

また宇佐神宮の伝承では「八幡神は応神天皇」とあります。
(八幡神=応神天皇=饒速日命=住吉大神)

どの住吉神も神功皇后と強い関わりがあります。

                  *

「饒速日命と武内宿禰」

彼らを結びつける伝承が数多くありました。

「武内宿禰=弥五郎どん=猿田彦神=大己貴神=塩土老翁=天日槍」

*「武内宿禰と弥五郎どん」

岩川八幡神社の放生会の「弥五郎どん」。(鹿児島の曾於(そお)市)
 鬼のような面に矛を持つ。
 かつては武内宿禰とも言われていた。
 祭りで
弥五郎どんは、母の「神功皇后」に会いに浜で禊を行う。


*弥五郎どんとそっくりな「猿田彦神」

大己貴神は出雲の国譲りの後、サルタヒコを「分身」として置いて行った。
また大己貴神が「広矛」を置いて行った。(日本書紀)

「分身」というのは、本人そのもの。
大己貴神=猿田彦神
(「結びの山 ~その14 日吉の神とニギハヤヒ命~」)
那珂川の日吉神社の神は大己貴神。
日吉大社(比叡)の元宮であることから、彼が猿田彦神と辿り着きました。

Dsc_2006_2-1 (日吉神社)

Dsc_2003-1

(日吉神社の猿像・天狗か天使?)

 

また「矛」は、彼へと繋ぐ重要なアイテムなのかもしれません。
(「神の鉾 1  ~伊野の鉾~」)

彼が「天日槍(矛)」でもあるならば、それは偶然では無いでしょう。


*猿田彦神にそっくりな「塩土老翁」

事勝国長狭(ことかつくにかつながさ)という神が、
サルタヒコそっくりな行動をし、別名を塩土老翁という。(日本書紀)

塩土老翁はサルタヒコと通じてくる。
塩土老翁が武内宿禰とよく似ているのだから、弥五郎どんは武内宿禰という伝承は無視できない。


*武内宿禰と天日槍

弥五郎どんはサルタヒコそっくりで、「長い鼻」「矛(槍)を捧げ持つ」。
サルタヒコが光り輝くのは、「陽」「太陽」だから。
「陽」は「矛(槍)」であり、光り輝くのは「日」でそのまま「天日槍」になる。

猿田彦神の別名が塩土老翁ならば、そのもの。
塩土老翁は住吉神です。

「似ている」というのは「模倣」であり、その特徴を表しているということ。
事勝国長狭が猿田彦神に似ている 別名が、塩土老翁(=住吉神)
弥五郎どんが猿田彦神に似ている 武内宿禰と言われている
猿田彦神の姿が天日槍を表している

猿田彦神は光り輝く姿から、国津神の天照という説がある。
天照は饒速日命。
猿田彦神=饒速日命

饒速日命は、ツヌガアラシトでした。
(鬼のような角があったからとされている)

角が何の象徴か(異能の力を表すか?)分かりませんが、
「鬼のような面に矛」という姿が、彼を暗喩しているのは間違いなさそうです。

饒速日命が猿田彦神であり、住吉神でもあり、伊勢神宮の天照神。

そして、神功皇后は彼の后であった者。

                          *

「神功皇后は卑弥呼であり、トヨ」

「神功皇后」は饒速日命の后です。
(時代が違う、というのは後程)

以前、伝承から神功皇后は甕依(みかより)姫であり、そこから
「日甕」(ヒミカ)の名に辿り着きました。

「卑弥呼」はヒミカと呼び、それが彼女の名前なのではと。
神功皇后が「トヨ」ならば、卑弥呼とトヨも同一人物なのかもしれません。
(途中で、その名を誰かに継いだのかもしれませんが)

彼女が籠神社の御祭神でもあり、饒速日命が籠神社に祀られているのならば、
伝承の「二つの玉」は、物部に伝わったとされる「十種神宝」の中のものです。
真実は、鏡が珠か分かりませんが。

(「日本の真相 9 ~卑弥呼とトヨと物部と~」)
(「日本の真相 10 ~卑弥呼 と 八咫鏡 と 十種神宝~」)

上記の記事に、それは「卑弥呼」のものであるともあります。
(「卑弥呼の墓 その5 ~卑弥呼の鏡~」)


                     *

「古代史の謎」で関氏は、

神功皇后の九州征伐の拠点となったのは「豊浦宮」。
これは「トヨの港の宮」の意味。
「日本書紀」では神功皇后を指して、邪馬台国のヒミコかトヨだったかもしれないとしている。

と書かれています。


次は、彼らと邪馬台国。
                      


( つづく )

 

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2020年4月12日 (日)

「古代史の謎」 5 ~住吉神と神功皇后 前編~

昔話の「塩土老翁(しおつつのおじ)」とは、しお、つつ、であり、
塩は海。
津々、筒、星も古語でツツ。

海の神でもあり、星神、住吉神の「底筒男神」の名を暗示しているのだと思われます。


住吉神。
彼と共にある神功皇后。

彼らは、このブログで何度も触れてきました。

「なぜ神功皇后の三韓征伐の時に現れたのは、住吉神だったのか」

当初は納得がいかなかったのです。
神功皇后は15代応神天皇の母とされていて、住吉神は神話の神。
「最初の天皇」よりも前の時代の話なはず、と。

それなのに福岡や様々な地方の伝承や祭りにも彼らは「共に」存在しています。
(「神の鉾 2 ~高良玉垂宮神秘書~」)
(「伏見神社・祇園祭 ~磯羅舞~」)

(「日本の真相 15 ~前編 葵祭 と 住吉神 と 神功皇后~」)


「彼」は神という抽象的な存在ではなく、この世に確実に存在していたものでは?

「現人神」として後世に祀られている住吉の神。
彼は饒速日命でした。
そうならば、神功皇后は?

                    *

「古代史の謎」の中で著者は、

「播磨国風土記」では、天日槍を「神話の時代」としている。
天日槍の来日が、日本書紀のヤマト建国後ではなく、ヤマト建国に関わっていた可能性が出てくる。

と書かれています。
天日槍。
それはツヌガアラシトです。

                   *

「ツヌガアラシトは饒速日命」

福岡県田川郡の香春町の現人神社から、ツヌガアラシトが饒速日命であり、
ヒメコソ神の名から、彼の后であるミカシヤ姫の名の由来「棚機」姫へと繋がりました。

(「もう一つの現人神社 2 ~饒速日命の足跡~」)
(「神功皇后の伝承地 5 ~媛社(ひめこそ)神社~」)
(「神功皇后の伝承地 7 ~姫社神の正体~」)

下記の「姫古曽神社」の御祭神から、それが高良大神であり、神功皇后だと。
(「神功皇后の伝承地 8 ~もう一つの「ひめこそ神社」~」)

ツヌガアラシト(饒速日命)が高良神であり、神功皇后が棚機姫でした。
(「神功皇后の伝承地 10 ~織姫と市杵島姫と神功皇后~」)

Dsc_0505_20200425122101

(媛社神社)

ヤマト建国に関わっていた可能性

それは、彼女、神功皇后が饒速日命と同じ時を生きていたという可能性です。

                     *  

「時代」

こちらの天照宮や香春町の現人神社の御由緒書きには、
饒速日命が笠置山へ降臨した時代と、ツヌガアラシトの時代を揃って
「垂仁天皇の時代」と記されてあります。

(「もう一つの現人神社 3 ~辛国息長大姫大目命~」) 御祭神、ツヌガアラシト。

(「天照神社(天照宮) ~福岡県宮若市~」 御祭神、饒速日命。

現人神社と天照神社のその「時代」。

皇紀2600年に辻褄を合わせる為に改変されてるのでは?と考えましたが、
彼らを「同時期」とする考え方も確かにあるようです。
それは、ツヌガアラシトが饒速日命だと、いつの時代かまである程度周知されていたからでは?

(「魂須霊 2 ~九州王朝の女王と饒速日命~」)
(「卑弥呼の墓 その4 ~交錯する時代~」)
(「卑弥呼の墓 その5 ~卑弥呼の鏡~」)
(「卑弥呼の墓 その6 ~同じ時を生きる~」)

天日槍の時代が「ヤマト建国の時代」、この国の始めであるなら、
神功皇后は「仲哀天皇の后」ではありません。

                              *

神功皇后と仲哀天皇の子とされる応神天皇。
ですが「古代史の謎」で著者は、そう思われてはいないようです。

「香椎宮」
仲哀天皇は神の言葉を信じずになくなっている。
日本書紀では、香椎宮での神事の後、熊襲を討ちに行き亡くなる。
古事記では、神事の最中に亡くなる。

住吉大社(大阪の)の伝承では、この時に神功皇后と住吉の神が夫婦となる。
新羅討伐の時に生まれないようにしたなど、応神天皇の誕生日を強調しすぎている。
これは仲哀天皇の子では無かったからでは。
                (「古代史の謎」より要約*以下、紺文字は要約)

「気比神宮」

応神天皇について、「気比神宮」の伝承などから、ツヌガアラシトとの関わりを書かれていました。

気比神宮のある敦賀は、「ツヌガアラシト」が名の由来。
彼は天日槍(あまのひぼこ)と同一人物とされている。

「応神天皇」
*気比大神と名を交換。

(応神天皇即位前記)
越国の角賀(敦賀)に行き、笱飯大神(気比大神)と名を交換し誉田別尊となる。

(古事記)
応神天皇と笱飯大神(気比大神)は名を交換。

笱飯大神は御食津大神(イルカを送ったから)となる。

(神話では)応神天皇の母、神功皇后の母方の祖が天日槍。
(*神功皇后との関わりを示唆)

                       *

敦賀の笱飯(気比大神)は天日槍(ツヌガアラシト)。

そのツヌガアラシトは、饒速日命。
応神天皇が彼と名を交換。
名はその人の魂そのものである。

「名を替えた」それが意味するものは、二つ可能性があります。


*一つは、(神功皇后の子の)応神天皇が、次のツヌガアラシト(饒速日命)となる。
  (王位を引き継ぐような意味)   

*もう一つは、応神天皇自身が、ツヌガアラシト(饒速日命)である。
  伝承や各地の神社に祀られている「応神天皇」は、神功皇后と祀られていることが多いのです。
  すべてがそうではないかもしれませんが、饒速日命が応神天皇として「名を変えられて」
  祀られている。
              
もしかすると、そのどちらの可能性もあるかもしれません。

宇佐神宮の伝承には、「八幡神は応神天皇」だと現れているのです。
八幡の神は饒速日命です。

神社の伝承も昔話も、(大まかなところで)矛盾がないように思われます。
すべて彼らにたどり着くのです。

彼らの他にはいない、というように。


( つづく )

 

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2020年4月 9日 (木)

「古代史の謎」 4 ~豊受大神は神功皇后~

籠神社の御祭神、天火明命(饒速日命)と共に祀られている「豊受大神」とは?
伝承から探っていきます。


天火明命は、伝承の塩土老翁。
(彼が饒速日命であり、住吉大神。
 豊受大神は彼と夫婦。)

塩土老翁は、「海幸彦山幸彦伝承」に登場していました。
その中で、山幸彦は豊玉姫から、
潮満瓊(しおみちのたま)・潮涸瓊(しおひのたま)を授かっています。

その二つの玉と同じものを授かる伝承が、福岡にもあります。

「宗像大社の伝承」
神功皇后が新羅に向かう時、豊玉姫が海の神から
潮満瓊(しおみちのたま)・潮涸瓊(しおひのたま)を授かる。

高良大社の高良玉垂神秘書には、
神功皇后が三韓征伐の時、豊玉姫が海の神から満珠・干珠を授かる。
(潮満瓊(しおみちのたま)・潮涸瓊(しおひのたま) と同じ意味)

Dsc_0889_20200425113601(高良大社)

志式神社の磯良舞もその伝承とほぼ同じ物。
神功皇后、武雄宿禰、淀姫、海神(磯良神)が登場して、満珠・干珠を授かります。
(「神の鉾 3 ~安曇磯良神~」)

那珂川の伏見神社の神楽にも「磯良舞」があり、志式神社の神楽とほぼ同じ内容。
(「伏見神社・祇園祭 ~磯羅舞~」)
(「伏見神社 * 神楽」)
こちらの磯良舞しか見ていませんが、志式神社と同じ神が登場します。

Kagura15-1                     (伏見神社の磯良舞)

那珂川の伏見神社の御祭神は淀媛命、須佐之男命、大山祇神、神功皇后、武内宿禰。
(祇園の神として須佐之男命が祀られているが、これは饒速日命の方だと思われる)
(「卑弥呼の墓 その2 ~祇園の神~」)

淀姫は神功皇后の妹とあり、干珠満珠を求めた神なので、豊玉姫です。

ですが、妹ではなく、彼女自身であったのなら、これらは同じ話が元になるのでは?

                 *

「高良の神と豊比咩大神 」

「古代史の謎」では、豊比咩大神は高良大社の御祭神とあります。
調べると、大社内の御客座という所に、その名が。
高良玉垂命と夫婦との説がある、とWikipedia。

一方、「高良玉垂宮神秘書」では、住吉(底筒男)神と神功皇后は夫婦です。
(高良大社の御祭神、高良神は底筒男神なので、高良玉垂命と言えば、彼のこと)

高良玉垂宮神秘書には、住吉三神は別々の人物として書かれています。
(「神の鉾 2 ~高良玉垂宮神秘書~」)

長男が表筒男。(大祝氏・オオハフリ)の先祖。日神)
次男が中筒男。(この国に留まって、初代天皇の神武(イワレビコ)となる)(以後、登場しない)
三男が底筒男。(高良大菩薩であり、月神の垂迹)

長男の表筒男は、神功皇后の妹・豊姫と夫婦に。
三男の底筒男は、神功皇后と夫婦にと。

ですが豊比咩大神が高良大社の御祭神であり、高良玉垂命と夫婦ならば、
神功皇后が豊比咩大神となります。
神秘書で言う、長男の「表筒男命」は、大社に祀られていないので、
その后だけが祀られることはないのです。

また、「豊姫が神功皇后である」ならば、住吉三神は、本来ただ一人であると言えます。
実際、大阪の住吉大社の伝承では、「住吉大神と神功皇后は夫婦」とあり、
三神を三人の別の神としてみていません。

*住吉神(底筒男)と神功皇后が夫婦。(高良玉垂宮神秘書)
*高良玉垂命と豊比咩大神が夫婦。

=高良玉垂命は住吉神(底筒男)なので、神功皇后は豊比咩大神。

海幸彦山幸彦、宗像大社などの豊玉姫は、神功皇后と同一。

そう考えれば、これらの話は全て同じ事を伝えています。
では、饒速日命は神功皇后と夫婦。

また、神功皇后は「トヨ」姫でもあることにもなります。

                 *

(*ここは補足です。まとめ)
籠神社の御祭神=天火明命=饒速日命=塩土老翁=住吉大神=高良玉垂命であり、
籠神社の御祭神=市杵島姫=豊受大神(伝承の天女)=神功皇后=豊比咩大神です。

塩土老翁=住吉大神であり、豊受大神と夫婦です。
住吉大神は、神功皇后と夫婦(住吉神社)
高良玉垂命(住吉神)は、神功皇后と夫婦。
高良玉垂命は豊比咩大神と夫婦ともあります。

総合すると、饒速日命は神功皇后と夫婦であり、
神功皇后は、豊受大神であり、豊比咩大神です。

また、宗像大社の御祭神の一人は、市杵島姫。
籠神社の御祭神と同じです。
籠神社の市杵島姫は、天火明命と夫婦であり、
市杵島姫は神功皇后であると言えます。

                *

神功皇后は豊比咩大神であり、 豊受大神。
また、宗像大社の三女神の一人、市杵島姫も彼女。
(もしかすると三女神も本来は一人のことを指していたのかもしれません)

別々の神とみるよりも、それぞれが一人(名を変えられているだけ)とみれば、全て繋がるのです。

                *   


神功皇后のまたの名は「息長垂姫命」。
住吉の神である「高良玉垂命」と対になる名があります。

住吉の神(饒速日命)から玉を「垂れた(授かった)」故です。
(「魂須霊 3 ~高良玉垂神と息長垂姫の名の意味~」)
 
これらの伝承は、海の神である饒速日命から、十種神宝(玉)を授かった「彼女」の話なのでは?
もしかすると、このどれも「饒速日命と神功皇后のモデルとなった人」の話なのでは。

籠神社、伊勢の下宮の豊受大神(豊玉姫)は、神功皇后です。

現人神(住吉神)である饒速日命から、「直接」、二つの玉を手渡されたのです。
他の誰かがもらってたのなら、こんな伝承は残らないでしょう。

彼らは同じ時代を生きていたのです。


( つづく )

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2020年4月 7日 (火)

「古代史の謎」 3 ~饒速日命は住吉大神~

「古代史の謎」は、籠神社の伝承などから二人へ歩みよっていきます。
(紺色の字は、本からの要約です)

「籠神社」の「天の羽衣伝承」の天女が豊宇賀能売命(とようかのめのみこと)。
これが豊受大神。

豊受大神は、籠神社の相殿に祀られています。

「丹後一宮籠神社縁起」には、
*羽衣を盗んだ老翁の名は「塩土老翁(しおつつのおじ)」。
   (両者は夫婦)

籠神社の御祭神の「豊受大神」が天女の方。
彼女と夫婦となったのが「塩土老翁」。

「塩土老翁」とは、誰なのか。

              *

「塩土老翁」は他の伝承にも登場します。

*神武東征の際。
*海幸彦山幸彦。
*浦島伝説。

*神武東征の際、塩土老翁が登場。
 神武を大和に誘った。
 その途中亀に乗った「浦島もどき」がやってきて、神武を導く。

  神武天皇が瀬戸内海を東に向かっている時、亀の甲羅に乗った男に会う。
  これは浦島太郎では。
  亀の甲羅は「亀甲紋」で、「亀甲紋の連続はカゴメ紋」となる。

*海幸山幸神話。塩土老翁は山幸彦を「無目籠(まなしかたま)」に乗せ、海神宮に導く

 
この二つの話に似ているのが、浦島伝説。

*浦島伝説は丹後の籠神社の近くの話(万葉集)
 浦島が塩土老翁であり、彼の故郷は、「墨吉(すみのえ)」(住吉のこと)。
 亀に乗って竜宮へ行く。

この三つは同じ話なのではないか。

「塩土老翁」は、住吉大社の御祭神でもある。

                  *

塩土老翁=住吉大社の御祭神の住吉の神。

 (昔話や伝承の中には、何かを伝えようとしてる物があるのではないか?
  「後世に伝えなければならないことを」そう、感じます)

そうであるなら、
籠神社の御祭神の「豊受大神」が天女の方であり、
彼女と夫婦となった「塩土老翁」は、住吉大神ということです。

また、籠神社の御祭神、天火明命は饒速日命。
彼と夫婦神なのは、市杵島姫。

ならば、天火明命=饒速日命=塩土老翁=住吉大神。
そして、市杵島姫=豊受大神。

伊勢の下宮に祀られているのは、女神の豊受大神であり、
内宮の天照神は、饒速日命でもある住吉大神。


・・・饒速日命が住吉大神。

那珂川の現人神社の神は、住吉大神。
やはり、彼は饒速日命だったのか。

Arahito1_2 (現人神社・福岡県那珂川市)

          *

宗像大社やこちら、福岡にも「海幸彦山幸彦伝承」と同じような話があります。
籠神社の御祭神、天火明命(饒速日命)と共に祀られている「豊受大神」とは?



( つづく )

 

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2020年4月 6日 (月)

「古代史の謎」 2 ~籠神社の神は天照大神・饒速日命~

大嘗祭(新嘗祭も)に関わる神は饒速日命でした。

「籠神社」は、この神が祀られているお社の中でも、様々なことへと
繋げてくれます。

御祭神は天火明命。
物部系の文書「先代旧事本紀」では 天照国照彦天火明櫛玉饒速日命。

籠神社は元伊勢。
下宮の神は、丹後から「独り身は寂しい」と豊受大神を連れてきたが
本来、独り身が寂しいというのは男神の方。(「古代史の謎」より要約)

*伊勢神宮の神・天照=丹後(籠神社)の男神である饒速日命です。

Dsc_0818_2_2 (伊勢神宮・内宮の白龍)


                   *  

(「日本の真相 1 ~物部王朝~」)には、

京都の籠神社の主祭神は、天孫・天火明命。              .

(籠神社に)最初に祀られていたのは豊受大神。
豊受大神=宇迦御魂(お稲荷さん)。

裏の極秘伝には、本来の主神は「天之御中主神」。
豊受大神=天之御中主神とある。

「天之御中主神=豊受大神=宇迦御魂=賀茂別雷神=
天照国照天火明櫛玉饒速日命=饒速日命=猿田彦=素戔鳴尊=神武天皇」

                (「日本の真相」より)

             *

天火明命は、饒速日命。
豊受大神=宇迦御魂は、歳神でもある饒速日命。

ですが、「豊受大神」は、彼と別な者でもあります。

天火明命が饒速日命ならば、
「トヨの神」は彼と夫婦であったと(籠神社の伝承にある)いう市杵島姫。


饒速日命とトヨの神。

昔話や伝承で繋がって行きます。


( つづく )

 

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2020年4月 4日 (土)

「古代史の謎」 1 ~大嘗祭~

関 裕二氏が書かれた「神社仏閣に隠された 古代史の謎」という本があります。

ずっと前に購入したままだったのですが、ふと手に取って偶然開けたページは、
「高良大社」の項でした。   

この本は神社などの伝承を取り上げ、繋がっていきます。
とても面白く、自分が考えていたことと重なることも多いのです。
まるで証明してくれるような。

その為どうしても要約部分が長いですが、興味をもたれた方がかの本を読んでくださることを願い、
記させていただきます。
不都合があれば、ご連絡ください。

まずは、「大嘗祭」から。

                 *

「大嘗祭・天皇家が継承してきた神」

 *石上神宮

大嘗祭は物部氏が関わる。
ヤマト建国の後、宮中のしきたりや儀礼を整えた(先代旧事本紀)。
物部の宗教観を継承している。

石上神宮の魂鎮祭の日に祝詞をあげたのが猿女の君。
(饒速日命と共にヤマトに舞い降りた天鈿女命(あめのうずめのみこと)の末裔)

この物部の祝詞とよく似たものが、天皇の儀礼の鎮魂祭り(タマフリ祭)。
物部の作り上げた「核」を天皇家は継承してきた。


 *出雲大社、神魂(かもす)神社

神魂神社で行う「火継神事」と、天皇家の「日継神事」である大嘗祭はそっくり同じ。
「火継神事」では、天穂日命から継承された霊は、次の出雲国造に引き継がれる。
「大嘗祭」では太陽神の霊を引き継いでいる。

                         *

以前瞑想の中で見た那珂川の現人神社の神の衣装から、住吉の神が饒速日命だと
辿り着きました。

(「新嘗祭 と 住吉神 と ニギハヤヒ ~その1~」)
(「新嘗祭 と 住吉神 と ニギハヤヒ ~その2~」)

新嘗祭は、石上神宮の「鎮魂祭(魂振神事)」と同じ日にある。
(御祭神の 饒速日命が亡くなったとされる日(11月23日))
それは彼の魂を受け継ぐものではと。
(「石上神宮 魂振り神事 ~奈良県~」)

Dsc_isonokami_2  (石上神宮)

                           

饒速日命は、物部氏の祖神です。
その一族が整え、天皇家が継承した神とは、彼のこと。

また、「出雲国造」が引き継ぐ天穂日命は、大国主神(大己貴神)。
大国主神の和魂は、大物主神。
奈良の大神神社の御祭神、大物主命もまた、饒速日命です。


思えば、新嘗祭から住吉の神が饒速日命だと気が付いたから、
神功皇后と住吉の神との関わりにたどり着いたのです。


( つづく )

 

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2020年4月 1日 (水)

饒速日命と武内宿禰

山を登るようになって、たくさんの山友さんと知り合うようになりました。
この山もそうして知った山です。

佐賀県武雄市の「武雄神社」の裏山には御船山があります。
まだ未踏なのですが。

頂上近くに、大きな船のような岩があるそうです。
これが「御船山」の御神体?
Takeo02
武雄神社には以前行ってました。
(「武雄神社 ~佐賀県武雄市~」)

御祭神は武内宿禰
    武雄心命
    仲哀天皇
    神功皇后
    応神天皇

神功皇后の側に仕えていたという武内宿禰・・・。

社の裏の山は、その社の神の杜です。
武内宿禰の社の杜が「御船山」。

これは、武内宿禰が「御船の神」ということなのでは?


「御船の神」と言えば、饒速日命です。
矢田坐久志比古神社の饒速日命神は、航海、航空の神でした。

媛社神社には、磐舩神社の扁額があり、それが饒速日命だとありました。

常に神功皇后の側にいたという武内宿禰も饒速日命。
饒速日命が高良の神ならば、同一人物なのでは?


福岡の那珂川市の神功皇后の伝承には、
(「裂田神社と裂田の溝(さくたのうなで) 福岡県」)

   「皇后が竹内宿禰に命じて鏡と剣を奉らせ、神に祈ると雷がこの岩を裂き、
    溝を築くことが出来ました」とあります。
これは、武内宿禰自身の力なのでは?と思っていました。
人と違う力を持つ者。

高良の神が住吉の神であり、饒速日命ならば、すべてが繋がります。

Huurou03
この像は、風浪宮の安曇磯良丸。

阿雲磯良丸(あづみいそらまる)は、高良玉垂宮の伝承では、安曇磯良神(アントンイソラシン)でした。
高良大社の神職さんは、「神功皇后の船の舳先に立ち、彼女を守った神であり、住吉神でもある」
との認識をもたれています。
                                          .
一方、「太平記」には神功皇后三韓征伐の時に、貝を体中につけ海の中から現れた海神であり、
豊玉姫に玉を授けた神(玉を垂れた)の方ともされています。

Hurou08

また、高良大社の宝物館にあったタペストリーには、
神功皇后の側の住吉神(安曇磯良神)、
海から玉を垂れる(授ける)海神、
武内宿禰
と、3柱が別々に描かれていました。

やはり、伝承や神話では、同じ人物が様々な立場で記されるのかもしれません。

そう思っていたら、ふと一冊の本を手にしていました。

 

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