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2020年4月22日 (水)

「古代史の謎」 9 ~神と病と予言~

彼らには関わる「長寿」と「予言」があった。

            *

まずは「長寿」

浦島太郎は三百歳の長寿であり「住吉の人」であり、
住吉神である塩土老翁も長寿であり、
武内宿禰は三百六十歳の長寿。
                (「古代史の謎」より、以下紺色は要約または引用)

すべて住吉の神ならば、饒速日命が長寿ということになる。
彼が長寿?
現実的に三百年も、とは思えない。
それは何を示唆しているのか。

そこで、「三百歳の浦島太郎」にあるという「反歌」の存在で思い当たることがあった。

「あちら(常世辺)に行ったまま住んでいれば良かったのに、なぜこちらに戻ってきてしまったのだろう。
本当にこの男は間抜けなのだ・・・」

「常世辺」とは、黄泉の世界、あの世。
亡くなった後の世界。
その反対の「こちら」とは、現世(うつしよ)。この世。

あの世から、この世へ戻る。
それは、何を表してる?

                  *

饒速日命は、住吉神。
その答えが住吉の初めの宮、「現人神社」にある。

彼は「現人神社」の現人神。 

Dsc_2048_20200422003001 
ここには、伝承がある。

 「住吉三神は、人である神功皇后の前に初めて姿を現した神」。
故の「現人神」。

大事の際に人の前に姿を現し、神通力を振るう」と。


*神功皇后の前に姿を現した神。

彼らは神話の時代と、15代天皇の母、そんな隔てた時代ではなく、
二人は「最初から」人として出会っていたのだ。

                *

「大事の際に人の前に姿を現し、神通力を振るう」

これは予言。
「後に」、ということ。
いつの日か、再び。

そして、伝承の「長寿」。
あの世(黄泉の世界)から、現世(うつしよ)に「戻る」。

このような表現、同神の」高良神にもある。

九国高良の麓の為依り、我九国人の慇(あわれみを)もらさず。

敵軍滅ぼさんと思わば者、味方の先鋒なりて供に戦う

我兜率の内隠とも云えり*、我ために心さしあらん人は、高山に登りて、むこはらをたたいて祈れ
(高良玉垂宮神秘書より)

☆→高良玉垂宮神秘書 5 ~再臨の神*高良神と現人神~)アメブロの記事

 

兜率天=あの世に帰った(崩御)としても

戻ってくるという意味になる。

 

また彼であるツヌガアラシトが祀られる香春岳の現人神社には、

この里に疱瘡、疫痢が流行した時、神霊のお告げ
 「今より阿羅斯等(アラシト)神の許に鎮まり猿を使いとして万民を救う」があり、
 現人神と合祀しました。

 

Dsc_0361_20200205163301(香春岳*現人神社)  

 

彼は民を「異敵」や「病」から救う為、再び現れる神として祀られているのであった。

 

それが「岩戸開き」の神話にも繋がるのであろう。

 

2020年4月20日 (月)

「古代史の謎」 8 ~籠と亀・神の乗り物~


彼らの伝承に共通するものに「籠」と「長寿」がある。

まずは「籠」。
以下青文字、「古代史の謎」参考

籠神社では豊受大神が光る籠に乗っていた。

海幸彦山幸彦の
塩土老翁は、山幸彦を「無目籠(まなしかたま)」に乗せ、海神宮に導いた。
 無目籠とは、網目が無く、水が入らない籠。


神武東征では、塩土老翁が神武を大和に誘い。
瀬戸内海を東に向かう途中の海で、亀に乗った翁に出会い、神武を導く。 
 

浦島太郎は、浦島は亀に乗り、竜宮城へ行く。
  浦島のふるさとは「住吉」。


住吉大社の神は、塩土老翁。
 (上記の人物は住吉の神を表す)
                          

                          *


それらは何を示すのか。


これらの人物が同じ者ならば、「籠」は亀と同じものを表す。
「亀」は、神功皇后の伝承にもあった。


(「志賀海神社 ~福岡県~」)

御祭神は、綿津見神三神、神功皇后、玉依姫命、応神天皇。

Shikaumi04


「神功皇后が三韓出征の際、安曇磯良丸を通じて祈願して、七日七夜神楽を奏した。
 すると黄金雌雄の亀に乗った志賀明神と勝馬明神が御出現され、
 皇后へ干珠満珠の玉を授け、船の舵と航路を守り、導いた」
                        (上記の案内板を要約)

安曇磯良丸、志賀明神、勝馬明神は、高良神であり、饒速日命。
(「神の鉾 3 ~安曇磯良神~」)


その神が亀に乗って現れ、神功皇后に二つの珠を授けたとある。

しかも金色の雌雄の亀だ。


この伝承の彼もまた、「亀」に乗ってやってきたのだ。

このお社は、福岡県の志賀島にある。
その半島にあるのが、志式神社
古代史の謎 4」の磯良舞は、ここの神楽になる。



もう一つ、かの神と亀の伝承があった。
福岡大川市にある「風浪宮」。

Huurou03
この像は、「高良玉垂宮神秘書」にも登場する安曇磯良丸。

案内板にはこう書かれてある。

磯良丸は少童命を祖神をする海洋族の酋長で神功皇后の三韓征伐の砌(みぎり)、
志賀島に召されて軍船を整え海上指揮し仕え奉りて無事大任を果たした航海熟練の海士である。

その続きには、
「太平記に見る磯良丸は龍宮に住んでいたが神功皇后のお召しに従って
大海亀に跨って香椎が浜に出現し皇后の三韓御親征に干珠満珠を捧げて従軍し御助成をしたと
述べられています。
この像は磯良丸が多年海底の宮に住んでいたので身体中に海藻や魚介類がとりついていたという
魁偉なる風貌を彫ったものです」


安曇磯良丸は、一介の漁師と表現している伝承もあるが、
一方では、竜宮から「大海亀」に乗り神功皇后の前に現れ、二つの珠を授けて彼女を助けたという。

志賀海神社では金色の雌雄の亀。
彼は高良神であった。



また、「神功記」では、三韓征伐の時に神功皇后の乗った船の舳先に現れ、彼女を守ったのは住吉神。

高良大社の神職さんは、
「船の舳先に現れて、神功皇后を助けたのが磯良神であり、住吉神」と言われていた。


つまり風浪宮や高良大社の磯良丸(神)と住吉の神は同じ者であり、彼女に玉を垂れた(授けた)のは彼自身なのだ。

(「神の鉾 3 ~安曇磯良神~」)


前回から、幾つもの伝承があったが、「住吉神」と「神功皇后」にたどり着く。
全て同じ神の由緒なのだ。


それらに必ずある「亀または、籠」。

 
それらの伝承や神社の神がすべて彼ならば。
「それ」は、彼が乗ってきたものを示すと考えるのが自然。

つまり「神の乗り物」

                *

饒速日命は、矢田坐久比古神社の御祭神。
(「前世と石切劔箭神社と矢田坐久志比古神社 その2」)

ここには、飛行機のプロペラが飾られてあります。
彼は飛行、航空、船舶、航海の神。
(かなり前の写真をスマホで写してアップしてるので、写真が古いです)

Yata1
彼は天磐船に乗っていたとされます。
それ故の、航空、飛行の神様。

< 空を翔けるアマノトリフネ >

現代人ならば、思い当たる物があるはず。

現実に存在していたのでは?
それは、UFOでは?

突拍子もないことではない。
「彼ら」の伝承が物語っている。


彼らにとっては外せないこと。

だから、どの伝承でも必ず「亀や籠」がついて回ったのだ。


アマノトリフネで空を翔け巡り、奈良の哮ヶ峰(生駒山)から、矢田の丘陵へと降り立ったという彼ら。
空から下界を見て「ひのもとの国」と名付けられた我が国。

彼ら以外に「空を翔けた」と伝承にある神はいない。




( つづく )

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2020年4月18日 (土)

「古代史の謎」 7 ~邪馬台国~

  その本のふと開けたページが「高良大社」だった。

                *
「古代史の謎」を書かれた関裕二氏は、そこが邪馬台国ではないかとされている。

「第4章  神社に伝わる邪馬台国解明のヒント」から 

高良大社

 高良大社の地が、「戦略からみた邪馬台国の地」として最も適している。
 難攻不落の軍事拠点の地。
(耳納山系の西端にあり、筑後川(交通)、筑紫平野(穀倉地帯)がある)

 神功皇后もこの地に陣を敷いたという伝承がある。
 「魏志倭人伝」から、倭国の都=邪馬台国は湾岸ではなく内陸部。
 内陸部からの敵からも。
                      (紺色は要約)


以前、高良大社の麓にある「祇園山古墳」を知り、その名と、
邪馬台国のヒミコの墓の候補地と言われていることから、
「祇園の神」の神功皇后と住吉の神と「高良大社」の神との繋がりを記した。

造営は3世紀、卑弥呼の時代に重なるのだ。


(「卑弥呼の墓 候補地 その1 ~祇園山古墳~」)

 

ただ、筑紫平野は当時かなり奥まで海面が上昇していたと思われる。
「儺の国の星」にも玄界灘と有明海は繋がっていたとある。
また、瀬高などの名は当時を物語っている。

Gion09                          高良大社の側の祇園山古墳

 

「日本の真相」には、邪馬台国は物部王国であったとある。

高良神は物部の祖神、饒速日命。
その后の墓の時代が重なる。

半島に伝わったというその名「卑弥呼(ひみか)」
漢字を当てると「日甕」。


「甕・ミカ」は、神への捧げものを入れる器の意味がある。
「日の神の依り代」の意味に繋がる。それは「日の神の巫女」。

 

筑紫の伝承の甕依姫は、神功皇后のことであり、甕(みか)が彼女を示す。

日甕、日の神の依り代。

ひみか。

それが彼女の当時の名であっただろう。

 

彼女は女神天照であり、別名
撞賢木厳御霊天疎日向津姫の

「撞く」は、斎く。

賢木は榊であり、神の依り代を意味する。

同じ意味を持つ者なのだ。





「邪馬台国」

神功皇后が卑弥呼であり、邪馬台国の女王であるなら、王は饒速日命。
(王は隠されている *後に記述)

「邪馬台国」は、ヤマトの国。
古語で「神(王)のいる国」を意味するならば、彼がいた二カ所です。

福岡の那珂川(奴国)、久留米地方(広く、筑後)と、奈良の三輪山周辺になる。


                          *

気になるの伝承の「長寿」と「籠」の意味。
それもまた、彼を示す「特徴」ではないのか。

 

( つづく )

 

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2020年4月14日 (火)

「古代史の謎」 6 ~住吉神と神功皇后 後編~

住吉大神=塩土老翁=天火明命=饒速日命=高良玉垂命
豊受大神=市杵島姫=豊姫=神功皇后

塩土老翁と豊受大神が夫婦であり、
天火明命と市杵島姫が夫婦
住吉神と神功皇后が夫婦
高良玉垂命と神功皇后が夫婦

この矛盾は、同神ゆえだ。
                 *

(「日本の真相 21 ~住吉大社~」)


過去記事に、住吉大社と籠神社の伝承から、
住吉神と神功皇后、卑弥呼とトヨの関わりについてあった。
豊受大神が神功皇后ならば、豊玉姫も彼女。

ツヌガアラシト=天日槍=饒速日命
天日槍が応神天皇であり、饒速日命。
                   
彼らの時代が「ヤマト建国の時」なのだから、神功皇后は仲哀天皇の后ではない。

                     *

< 武内宿禰は住吉の神 >


「神功皇后」の側にはいつも、住吉神と名を替えられた饒速日命の姿があった。
その一つの名が、武内宿禰。

「古代史の謎」でも、その武内宿禰が住吉の神ではないかとある。 

伝承では「香椎宮」での神事の際、仲哀天皇が亡くなったとされる。

 「古事記」では、その場にいたのは武内宿禰と神功皇后のみ。
 一方、「住吉大社」の伝承では、住吉神と神功皇后は夫婦。
 これは、住吉の神と武内宿禰は同一人物だからでは。

 高良玉垂宮神秘書にも、住吉神と神功皇后が夫婦とある。

 *高良大神=武内宿禰=住吉大神(饒速日命)
 *住吉神と神功皇后が夫婦

彼もまた、住吉神なのだ。

                 *

< 饒速日命と武内宿禰 >

「古代史の謎」には彼らを結びつける伝承があった。

「武内宿禰=弥五郎どん=猿田彦神=大己貴神=塩土老翁=天日槍」

*「武内宿禰と弥五郎どん」

岩川八幡神社の放生会の「弥五郎どん」。(鹿児島の曾於(そお)市)
 鬼のような面に矛を持つ。
 かつては武内宿禰とも言われていた。
 祭りで
弥五郎どんは、母の「神功皇后」に会いに浜で禊を行う。


*弥五郎どんとそっくりな「猿田彦神」

大己貴神は出雲の国譲りの後、サルタヒコを「分身」として置いて行った。
また大己貴神が「広矛」を置いて行った。(日本書紀)



「分身」というのは、本人そのもの。

大己貴神は猿田彦神と同神である。

(「結びの山 ~その14 日吉の神とニギハヤヒ命~」)

那珂川の日吉神社の神は大己貴神。
日吉大社(比叡)の元宮であることから、彼が猿田彦神と辿り着いている。

 

様々な伝承の親等は創作されたもの。

すべて彼らなのである。

Dsc_2006_2-1 (日吉神社)

Dsc_2003-1

(日吉神社の猿像・天狗か天使?)

 

また「矛」は、彼へと繋ぐ重要なアイテムなのかもしれない。
(「神の鉾 1  ~伊野の鉾~」)

彼が「天日槍(矛)」でもあるならば、それは偶然では無い。

櫛玉饒速日命の櫛のように、一文字で神を表すのだ。


*猿田彦神にそっくりな「塩土老翁」

事勝国長狭(ことかつくにかつながさ)という神が、
サルタヒコそっくりな行動をし、別名を塩土老翁という。(日本書紀)


*武内宿禰と天日槍

弥五郎どんはサルタヒコそっくりで、「長い鼻」「矛(槍)を捧げ持つ」。
サルタヒコが光り輝くのは、「陽」「太陽」だから。
「陽」は「矛(槍)」であり、光り輝くのは「日」でそのまま「天日槍」になる。

 

酷似、そっくりは神の特徴を示したもの。

猿田彦=塩土老翁=住吉神。


饒速日である彼は天照。
ツヌガアラシト=天日矛。



猿田彦もまた饒速日であり、高良神なのである。

住吉の元宮、現人神社がある那珂川には、日吉大社の元宮の一つとされる日吉宮がある。

しかし祭神には、猿田彦の名はなく、大己貴神など。

同神であり、彼がその地にいたから、元宮があるのだ。

 


次は、彼らと邪馬台国。
                      


( つづく )

 

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2020年4月12日 (日)

「古代史の謎」 5 ~住吉神と神功皇后 前編~

昔話の「塩土老翁(しおつつのおじ)」とは、しお、つつ、であり、塩は海。
津々、筒、星も古語でツツ。

海の神でもあり、星神、住吉神の「底筒男神」の名を暗示している。


住吉神。
彼と共にある神功皇后。

彼らは、このブログで何度も触れてきた。

「なぜ神功皇后の三韓征伐の時に現れたのは、住吉神だったのか」

当初は納得がいかなかった。
神功皇后は15代応神天皇の母とされていて、住吉神は神話の神。
「最初の天皇」よりも前の時代の話なはず、と。

それなのに福岡や様々な地方の伝承や祭りにも彼らは「共に」存在している。
(「神の鉾 2 ~高良玉垂宮神秘書~」)
(「伏見神社・祇園祭 ~磯羅舞~」)

(「日本の真相 15 ~前編 葵祭 と 住吉神 と 神功皇后~」)


「住吉」は神という抽象的な存在ではなく、この世に確実に存在していたものでは?

「現人神」として後世に祀られている住吉の神。
彼は饒速日命であった。

ならば、神功皇后は?

                    *

「古代史の謎」の中で著者は、

「播磨国風土記」では、天日槍を「神話の時代」としている。
天日槍の来日が、日本書紀のヤマト建国後ではなく、ヤマト建国に関わっていた可能性が出てくる。

と書かれている。
天日槍。
それはツヌガアラシト。

                   *

 

< ツヌガアラシトは饒速日命 >

福岡県田川郡の香春町の現人神社から、ツヌガアラシトが饒速日命であり、
ヒメコソ神の名から、彼の后であるミカシヤ姫の名の由来「棚機」姫へと繋がった。

(「もう一つの現人神社 2 ~饒速日命の足跡~」)
(「神功皇后の伝承地 5 ~媛社(ひめこそ)神社~」)
(「神功皇后の伝承地 7 ~姫社神の正体~」)

 

下記の「姫古曽神社」の御祭神から、それが高良大神であり、神功皇后だと。
(「神功皇后の伝承地 8 ~もう一つの「ひめこそ神社」~」)



ツヌガアラシト(饒速日命)が高良神であり、神功皇后が棚機姫であった。
(「神功皇后の伝承地 10 ~織姫と市杵島姫と神功皇后~」)

Dsc_0505_20200425122101

(媛社神社)

ヤマト建国に関わっていた可能性

それは、彼女、神功皇后が饒速日命と同じ時を生きていたという可能性だ。

                     *  

 < 時代 >

高良神は祇園神だ。

麓にある祇園山古墳は、大社の一族の方に代々守られてきた。
これが祇園神の后、神功皇后(豊姫)。

造営が3世紀半ば。

卑弥呼と重なる。


天日槍の時代が「ヤマト建国の時代」、この国の始めであるなら、神功皇后は「仲哀天皇の后」ではない。

 


( つづく )

 

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2020年4月 9日 (木)

「古代史の謎」 4 ~豊受大神は神功皇后~

籠神社の御祭神、天火明命(饒速日命)と共に祀られている「豊受大神」とは?
伝承から探っていく。


天火明命は、伝承の塩土老翁。
(彼が饒速日命であり、住吉大神。豊受大神は彼と夫婦。)


塩土老翁は、「海幸彦山幸彦伝承」に登場していた。

 

その中で、山幸彦は豊玉姫から、
潮満瓊(しおみちのたま)・潮涸瓊(しおひのたま)を授かっている。

その二つの玉と同じものを授かる伝承が、福岡にもある。
これらの話の元は同じであり、同じ神の由緒を示唆するもの。

では、福岡では誰に繋がる?

 

☆「宗像大社の伝承」
神功皇后が新羅に向かう時、豊玉姫が海の神から
潮満瓊(しおみちのたま)・潮涸瓊(しおひのたま)を授かる。


☆高良大社の高良玉垂神秘書には、
神功皇后が三韓征伐の時、豊姫が海の神から満珠・干珠を授かる。
(潮満瓊(しおみちのたま)・潮涸瓊(しおひのたま) と同じ意味)

Dsc_0889_20200425113601(高良大社)

☆志式神社の磯良舞もその伝承とほぼ同じ物。
神功皇后、武雄宿禰、淀姫、海神(磯良神)が登場して、満珠・干珠を授かる。
(「神の鉾 3 ~安曇磯良神~」)


那珂川の伏見神社の神楽にも「磯良舞」があり、志式神社の神楽とほぼ同じ内容。
(「伏見神社・祇園祭 ~磯羅舞~」)
(「伏見神社 * 神楽」)
こちらの磯良舞しか見てないが、志式神社と同じ神が登場。

Kagura15-1                     (伏見神社の磯良舞)

那珂川の伏見神社の御祭神は淀媛命、須佐之男命、大山祇神、神功皇后、武内宿禰。
(祇園の神として須佐之男命が祀られているが、これは饒速日命)
(「卑弥呼の墓 その2 ~祇園の神~」)

淀姫は神功皇后の妹とあり、干珠満珠を求めた神なので豊玉姫。
実際、伏見神社の神楽に登場する神は、豊姫だ。


だが、彼女は妹ではなかったのだ。

                 *

< 高良の神と豊比咩大神  >

 

「古代史の謎」では、豊比咩大神は高良大社の御祭神とある。
調べると、大社内の御客座という所に、その名が。
大社に合祀されたのだ。

また、彼女は高良玉垂命と夫婦との説がある、とWikipedia。

一方、「高良玉垂宮神秘書」では、住吉(底筒男)神と神功皇后は夫婦。


ようするに、大社に合祀の豊姫は彼女なのだ。

☆違うのならば、后を差し置いて祀らないだろう。
祟られる。

 

高良玉垂宮神秘書には、住吉三神は別々の人物として書かれている。
(「神の鉾 2 ~高良玉垂宮神秘書~」)


長男の表筒男は、神功皇后の妹・豊姫と夫婦。
三男の底筒男は、神功皇后と夫婦。

しかし、豊姫と神功皇后は同神であるので、住吉三神もまた同神。



高良神は住吉神なので、神功皇后は豊姫なのだ。

 

< 籠神社と高良大社 >

では、まとめるとこうなる。

前回も込みで

天火明命=饒速日命=塩土老翁=住吉神=伊勢の内宮の神。
(彼が饒速日命であり、住吉大神。豊受大神は彼と夫婦。)

豊受大神=市杵島姫命=豊玉姫=豊姫(大社合祀)=神功皇后=外宮の神

 

補足。

塩土老翁=住吉大神であり、豊受大神と夫婦。
住吉大神は、神功皇后と夫婦(住吉神社)

高良神(住吉神)は、神功皇后と夫婦。
高良神は豊比咩大神と夫婦ともある。


この矛盾は同神ゆえ。



また、宗像大社の御祭神の一人は、市杵島姫。
籠神社の御祭神と同じ。


籠神社の市杵島姫は(宗像神)は神功皇后となる。

天火明命は饒速日命であり、高良神なのだ。


                *   


神功皇后のまたの名は「息長垂姫命」。
住吉の神である「高良玉垂命」と対になる名がある。

住吉の神(饒速日命)から玉を「垂れた(授かった)」故。
(「魂須霊 3 ~高良玉垂神と息長垂姫の名の意味~」)


 
これらの伝承は、海の神である高良神(住吉、饒速日命)から、十種神宝(玉)を授かった「彼女」の話。



現人神(住吉神)である饒速日命から、神功皇后は「直接」、二つの玉を手渡された。
他の誰かがもらってたのなら、こんな伝承は残らない。

彼らは同じ時代を生きていたのでだ


( つづく )

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2020年4月 7日 (火)

「古代史の謎」 3 ~饒速日命は住吉大神~

「古代史の謎」は、籠神社の伝承などから二人へ歩みよっていく。

(以下、「古代史の謎」を参考にしてます)

 

「籠神社」の「天の羽衣伝承」の天女が豊宇賀能売命(とようかのめのみこと)。
これが豊受大神。

豊受大神は、籠神社の相殿に祀られている。

「丹後一宮籠神社縁起」には、
*羽衣を盗んだ老翁の名は「塩土老翁(しおつつのおじ)」。
   (両者は夫婦)

籠神社の御祭神の「豊受大神」が天女の方。
彼女と夫婦となったのが「塩土老翁」。



「塩土老翁」とは、誰なのか。


              *


塩土老翁は、住吉大社の奥宮の御祭神の住吉の神だ。

そうであるなら、
籠神社の御祭神の「豊受大神」が天女の方であり、
彼女と夫婦となった「塩土老翁」は、住吉大神ということになる。

また、籠神社の御祭神、天火明命は饒速日命。
豊受大神は市杵島姫命。

さらに伊勢の神は籠の神であった。(前回)


では、これらの神は二柱になる。

 

豊受大神=市杵島姫命=外宮の神。
天火明命=饒速日命=塩土翁老=住吉神=内宮の神。

 

「塩土老翁」は他の伝承にも登場する。
同じ者が出る話の元は、同じなのだ。
(「古代史の謎」参考)

*神武東征の際。
*海幸彦山幸彦。
*浦島伝説。

そのすべてに塩土老翁が登場する。

神武には大和への遷都をうながす。
海幸彦山幸彦の話では、山幸彦を「無目籠(まなしかたま)」に乗せ、龍宮へ導く。

浦島太郎伝承では、浦島の故郷が墨吉(すみよし)であり、亀に乗って竜宮へ行く。

 

酷似の伝承は、神の由緒を示唆するもの。

 

 

・・・饒速日命が住吉大神。

那珂川の現人神社の神は、住吉大神。
やはり、彼は饒速日命だったのか。

Arahito1_2 (現人神社・福岡県那珂川市)

          *

宗像大社やこちら、福岡にも「海幸彦山幸彦伝承」と同じような話がある。
籠神社の御祭神、天火明命(饒速日命)と共に祀られている「豊受大神」とは?



( つづく )

 

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2020年4月 6日 (月)

「古代史の謎」 2 ~籠神社の神は天照大神・饒速日命~

大嘗祭(新嘗祭も)に関わる神は饒速日命。

「籠神社」は、この神が祀られているお社の中でも、様々なことへと繋げてくれる。

御祭神は天火明命。
物部系の文書「先代旧事本紀」では 天照国照彦天火明櫛玉饒速日命。

籠神社は元伊勢。
下宮の神は、丹後から「独り身は寂しい」と豊受大神を連れてきたが
本来、独り身が寂しいというのは男神の方。(「古代史の謎」より要約)

*伊勢神宮の神・天照=丹後(籠神社)の男神である饒速日命。

Dsc_0818_2_2 (伊勢神宮・内宮の白龍)


                   *  

(「日本の真相 1 ~物部王朝~」)には、

京都の籠神社の主祭神は、天孫・天火明命。              .

(籠神社に)最初に祀られていたのは豊受大神。
豊受大神=宇迦御魂(お稲荷さん)。

裏の極秘伝には、本来の主神は「天之御中主神」。
豊受大神=天之御中主神とある。

「天之御中主神=豊受大神=宇迦御魂=賀茂別雷神=
天照国照天火明櫛玉饒速日命=饒速日命=猿田彦=素戔鳴尊=神武天皇」

                (「日本の真相」より)

             *


籠神社の御祭神は天火明命と豊受大神。
だが、絵馬では天照国照彦天火明命と市杵島姫命だ。

絵馬の神はご祭神。

つまり、天火明命が饒速日命。
豊受大神が市杵島姫命と言うことになる。

「古代史の謎」の

下宮の神は、丹後から「独り身は寂しい」と豊受大神を連れてきた

とは、内宮の神は籠神社での片割れ、天火明命ということになる。


また、「外宮の神は籠神社の月神」という言葉を拝見した。
(ソースが分からない)

後に書くが、天火明命は高良神であり、彼は月神であった。

彼、饒速日命は歳神、宇迦之御霊。
=豊受大神でもあるのだ。

 

その実、内宮と外宮には、天照が二柱、豊受が二柱おられることになる。

籠神社の神は、伊勢の神と同神。

それが饒速日命と豊受大神=市杵島姫命。



昔話や伝承で繋がって行く。


( つづく )

 

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2020年4月 4日 (土)

「古代史の謎」 1 ~大嘗祭~

関 裕二氏が書かれた「神社仏閣に隠された 古代史の謎」という本がある。

ずっと前に購入したままだったのですが、ふと手に取って偶然開けたページは、「高良大社」の項。   

この本は神社などの伝承を取り上げ、繋がっていく。
とても面白く、自分が考えていたことと重なることも多かった。
まるで証明してくれるような。

その為どうしても要約部分が長いですが、興味をもたれた方がかの本を読んでくださることを願い、
記させていただきます。
不都合があれば、ご連絡ください。

まずは、「大嘗祭」から。

                 *

「大嘗祭・天皇家が継承してきた神」

 *石上神宮

大嘗祭は物部氏が関わる。
ヤマト建国の後、宮中のしきたりや儀礼を整えた(先代旧事本紀)。
物部の宗教観を継承している。

石上神宮の魂鎮祭の日に祝詞をあげたのが猿女の君。
(饒速日命と共にヤマトに舞い降りた天鈿女命(あめのうずめのみこと)の末裔)

この物部の祝詞とよく似たものが、天皇の儀礼の鎮魂祭り(タマフリ祭)。
物部の作り上げた「核」を天皇家は継承してきた。

以前、新嘗祭から饒速日にたどり着いていた。

(「新嘗祭 と 住吉神 と ニギハヤヒ ~その1~」)
(「新嘗祭 と 住吉神 と ニギハヤヒ ~その2~」)

 

新嘗祭は、石上神宮の「鎮魂祭(魂振神事)」と同じ日にある。
(御祭神の 饒速日命が亡くなったとされる日(11月23日))
それは彼の魂を受け継ぐものではと。


(「石上神宮 魂振り神事 ~奈良県~」)

Dsc_isonokami_2  (石上神宮)

                           

饒速日命は、物部氏の祖神。
その一族が整え、天皇家が継承した神とは、彼のこと。


物部の神の祭事をそのまま天皇家が受け継ぐということは、
神は物部の祖神である饒速日ということだ。



思えば、新嘗祭から住吉の神が饒速日命だと気が付いたから、
神功皇后と住吉の神との関わりにたどり着いたのだ。


( つづく )

 

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2020年4月 1日 (水)

饒速日命と武内宿禰

山を登るようになって、たくさんの山友さんと知り合うようになりました。
この山もそうして知った山です。

佐賀県武雄市の「武雄神社」の裏山には御船山があります。
まだ未踏なのですが。

頂上近くに、大きな船のような岩があるそうです。
これが「御船山」の御神体?
Takeo02
武雄神社には以前行ってました。
(「武雄神社 ~佐賀県武雄市~」)

御祭神は武内宿禰
    武雄心命
    仲哀天皇
    神功皇后
    応神天皇

神功皇后の側に仕えていたという武内宿禰・・・。

社の裏の山は、その社の神の杜です。
武内宿禰の社の杜が「御船山」。

これは、武内宿禰が「御船の神」ということなのでは?


「御船の神」と言えば、饒速日命です。
矢田坐久志比古神社の饒速日命神は、航海、航空の神でした。

媛社神社には、磐舩神社の扁額があり、それが饒速日命だとありました。

常に神功皇后の側にいたという武内宿禰も饒速日命。
饒速日命が高良の神ならば、同一人物なのでは?


福岡の那珂川市の神功皇后の伝承には、
(「裂田神社と裂田の溝(さくたのうなで) 福岡県」)

   「皇后が竹内宿禰に命じて鏡と剣を奉らせ、神に祈ると雷がこの岩を裂き、
    溝を築くことが出来ました」とあります。
これは、武内宿禰自身の力なのでは?と思っていました。
人と違う力を持つ者。

高良の神が住吉の神であり、饒速日命ならば、すべてが繋がります。

Huurou03
この像は、風浪宮の安曇磯良丸。

阿雲磯良丸(あづみいそらまる)は、高良玉垂宮の伝承では、安曇磯良神(アントンイソラシン)でした。
高良大社の神職さんは、「神功皇后の船の舳先に立ち、彼女を守った神であり、住吉神でもある」
との認識をもたれています。
                                          .
一方、「太平記」には神功皇后三韓征伐の時に、貝を体中につけ海の中から現れた海神であり、
豊玉姫に玉を授けた神(玉を垂れた)の方ともされています。

Hurou08

また、高良大社の宝物館にあったタペストリーには、
神功皇后の側の住吉神(安曇磯良神)、
海から玉を垂れる(授ける)海神、
武内宿禰
と、3柱が別々に描かれていました。

やはり、伝承や神話では、同じ人物が様々な立場で記されるのかもしれません。

そう思っていたら、ふと一冊の本を手にしていました。

 

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