「古代史の謎」 7 ~邪馬台国~
その本のふと開けたページが「高良大社」だった。
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「古代史の謎」を書かれた関裕二氏は、そこが邪馬台国ではないかとされている。
「第4章 神社に伝わる邪馬台国解明のヒント」から
高良大社
高良大社の地が、「戦略からみた邪馬台国の地」として最も適している。
難攻不落の軍事拠点の地。
(耳納山系の西端にあり、筑後川(交通)、筑紫平野(穀倉地帯)がある)
神功皇后もこの地に陣を敷いたという伝承がある。
「魏志倭人伝」から、倭国の都=邪馬台国は湾岸ではなく内陸部。
内陸部からの敵からも。
(紺色は要約)
以前、高良大社の麓にある「祇園山古墳」を知り、その名と、
邪馬台国のヒミコの墓の候補地と言われていることから、
「祇園の神」の神功皇后と住吉の神と「高良大社」の神との繋がりを記した。
造営は3世紀、卑弥呼の時代に重なるのだ。
ただ、筑紫平野は当時かなり奥まで海面が上昇していたと思われる。
「儺の国の星」にも玄界灘と有明海は繋がっていたとある。
また、瀬高などの名は当時を物語っている。 高良大社の側の祇園山古墳
「日本の真相」には、邪馬台国は物部王国であったとある。
高良神は物部の祖神、饒速日命。
その后の墓の時代が重なる。
半島に伝わったというその名「卑弥呼(ひみか)」
漢字を当てると「日甕」。
「甕・ミカ」は、神への捧げものを入れる器の意味がある。
「日の神の依り代」の意味に繋がる。それは「日の神の巫女」。
筑紫の伝承の甕依姫は、神功皇后のことであり、甕(みか)が彼女を示す。
日甕、日の神の依り代。
ひみか。
それが彼女の当時の名であっただろう。
彼女は女神天照であり、別名
撞賢木厳御霊天疎日向津姫の
「撞く」は、斎く。
賢木は榊であり、神の依り代を意味する。
同じ意味を持つ者なのだ。
「邪馬台国」
神功皇后が卑弥呼であり、邪馬台国の女王であるなら、王は饒速日命。
(王は隠されている *後に記述)
「邪馬台国」は、ヤマトの国。
古語で「神(王)のいる国」を意味するならば、彼がいた二カ所です。
福岡の那珂川(奴国)、久留米地方(広く、筑後)と、奈良の三輪山周辺になる。
*
気になるの伝承の「長寿」と「籠」の意味。
それもまた、彼を示す「特徴」ではないのか。
( つづく )
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