「古代史の謎」 1 ~大嘗祭~
関 裕二氏が書かれた「神社仏閣に隠された 古代史の謎」という本がある。
ずっと前に購入したままだったのですが、ふと手に取って偶然開けたページは、「高良大社」の項。
この本は神社などの伝承を取り上げ、繋がっていく。
とても面白く、自分が考えていたことと重なることも多かった。
まるで証明してくれるような。
その為どうしても要約部分が長いですが、興味をもたれた方がかの本を読んでくださることを願い、
記させていただきます。
不都合があれば、ご連絡ください。
まずは、「大嘗祭」から。
*
「大嘗祭・天皇家が継承してきた神」
*石上神宮
大嘗祭は物部氏が関わる。
ヤマト建国の後、宮中のしきたりや儀礼を整えた(先代旧事本紀)。
物部の宗教観を継承している。
石上神宮の魂鎮祭の日に祝詞をあげたのが猿女の君。
(饒速日命と共にヤマトに舞い降りた天鈿女命(あめのうずめのみこと)の末裔)
この物部の祝詞とよく似たものが、天皇の儀礼の鎮魂祭り(タマフリ祭)。
物部の作り上げた「核」を天皇家は継承してきた。
以前、新嘗祭から饒速日にたどり着いていた。
(「新嘗祭 と 住吉神 と ニギハヤヒ ~その1~」)
(「新嘗祭 と 住吉神 と ニギハヤヒ ~その2~」)
新嘗祭は、石上神宮の「鎮魂祭(魂振神事)」と同じ日にある。
(御祭神の 饒速日命が亡くなったとされる日(11月23日))
それは彼の魂を受け継ぐものではと。
饒速日命は、物部氏の祖神。
その一族が整え、天皇家が継承した神とは、彼のこと。
物部の神の祭事をそのまま天皇家が受け継ぐということは、
神は物部の祖神である饒速日ということだ。
思えば、新嘗祭から住吉の神が饒速日命だと気が付いたから、
神功皇后と住吉の神との関わりにたどり着いたのだ。
( つづく )
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