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2020年4月12日 (日)

「古代史の謎」 5 ~住吉神と神功皇后 前編~

昔話の「塩土老翁(しおつつのおじ)」とは、しお、つつ、であり、
塩は海。
津々、筒、星も古語でツツ。

海の神でもあり、星神、住吉神の「底筒男神」の名を暗示しているのだと思われます。


住吉神。
彼と共にある神功皇后。

彼らは、このブログで何度も触れてきました。

「なぜ神功皇后の三韓征伐の時に現れたのは、住吉神だったのか」

当初は納得がいかなかったのです。
神功皇后は15代応神天皇の母とされていて、住吉神は神話の神。
「最初の天皇」よりも前の時代の話なはず、と。

それなのに福岡や様々な地方の伝承や祭りにも彼らは「共に」存在しています。
(「神の鉾 2 ~高良玉垂宮神秘書~」)
(「伏見神社・祇園祭 ~磯羅舞~」)

(「日本の真相 15 ~前編 葵祭 と 住吉神 と 神功皇后~」)


「彼」は神という抽象的な存在ではなく、この世に確実に存在していたものでは?

「現人神」として後世に祀られている住吉の神。
彼は饒速日命でした。
そうならば、神功皇后は?

                    *

「古代史の謎」の中で著者は、

「播磨国風土記」では、天日槍を「神話の時代」としている。
天日槍の来日が、日本書紀のヤマト建国後ではなく、ヤマト建国に関わっていた可能性が出てくる。

と書かれています。
天日槍。
それはツヌガアラシトです。

                   *

「ツヌガアラシトは饒速日命」

福岡県田川郡の香春町の現人神社から、ツヌガアラシトが饒速日命であり、
ヒメコソ神の名から、彼の后であるミカシヤ姫の名の由来「棚機」姫へと繋がりました。

(「もう一つの現人神社 2 ~饒速日命の足跡~」)
(「神功皇后の伝承地 5 ~媛社(ひめこそ)神社~」)
(「神功皇后の伝承地 7 ~姫社神の正体~」)

下記の「姫古曽神社」の御祭神から、それが高良大神であり、神功皇后だと。
(「神功皇后の伝承地 8 ~もう一つの「ひめこそ神社」~」)

ツヌガアラシト(饒速日命)が高良神であり、神功皇后が棚機姫でした。
(「神功皇后の伝承地 10 ~織姫と市杵島姫と神功皇后~」)

Dsc_0505_20200425122101

(媛社神社)

ヤマト建国に関わっていた可能性

それは、彼女、神功皇后が饒速日命と同じ時を生きていたという可能性です。

                     *  

「時代」

こちらの天照宮や香春町の現人神社の御由緒書きには、
饒速日命が笠置山へ降臨した時代と、ツヌガアラシトの時代を揃って
「垂仁天皇の時代」と記されてあります。

(「もう一つの現人神社 3 ~辛国息長大姫大目命~」) 御祭神、ツヌガアラシト。

(「天照神社(天照宮) ~福岡県宮若市~」 御祭神、饒速日命。

現人神社と天照神社のその「時代」。

皇紀2600年に辻褄を合わせる為に改変されてるのでは?と考えましたが、
彼らを「同時期」とする考え方も確かにあるようです。
それは、ツヌガアラシトが饒速日命だと、いつの時代かまである程度周知されていたからでは?

(「魂須霊 2 ~九州王朝の女王と饒速日命~」)
(「卑弥呼の墓 その4 ~交錯する時代~」)
(「卑弥呼の墓 その5 ~卑弥呼の鏡~」)
(「卑弥呼の墓 その6 ~同じ時を生きる~」)

天日槍の時代が「ヤマト建国の時代」、この国の始めであるなら、
神功皇后は「仲哀天皇の后」ではありません。

                              *

神功皇后と仲哀天皇の子とされる応神天皇。
ですが「古代史の謎」で著者は、そう思われてはいないようです。

「香椎宮」
仲哀天皇は神の言葉を信じずになくなっている。
日本書紀では、香椎宮での神事の後、熊襲を討ちに行き亡くなる。
古事記では、神事の最中に亡くなる。

住吉大社(大阪の)の伝承では、この時に神功皇后と住吉の神が夫婦となる。
新羅討伐の時に生まれないようにしたなど、応神天皇の誕生日を強調しすぎている。
これは仲哀天皇の子では無かったからでは。
                (「古代史の謎」より要約*以下、紺文字は要約)

「気比神宮」

応神天皇について、「気比神宮」の伝承などから、ツヌガアラシトとの関わりを書かれていました。

気比神宮のある敦賀は、「ツヌガアラシト」が名の由来。
彼は天日槍(あまのひぼこ)と同一人物とされている。

「応神天皇」
*気比大神と名を交換。

(応神天皇即位前記)
越国の角賀(敦賀)に行き、笱飯大神(気比大神)と名を交換し誉田別尊となる。

(古事記)
応神天皇と笱飯大神(気比大神)は名を交換。

笱飯大神は御食津大神(イルカを送ったから)となる。

(神話では)応神天皇の母、神功皇后の母方の祖が天日槍。
(*神功皇后との関わりを示唆)

                       *

敦賀の笱飯(気比大神)は天日槍(ツヌガアラシト)。

そのツヌガアラシトは、饒速日命。
応神天皇が彼と名を交換。
名はその人の魂そのものである。

「名を替えた」それが意味するものは、二つ可能性があります。


*一つは、(神功皇后の子の)応神天皇が、次のツヌガアラシト(饒速日命)となる。
  (王位を引き継ぐような意味)   

*もう一つは、応神天皇自身が、ツヌガアラシト(饒速日命)である。
  伝承や各地の神社に祀られている「応神天皇」は、神功皇后と祀られていることが多いのです。
  すべてがそうではないかもしれませんが、饒速日命が応神天皇として「名を変えられて」
  祀られている。
              
もしかすると、そのどちらの可能性もあるかもしれません。

宇佐神宮の伝承には、「八幡神は応神天皇」だと現れているのです。
八幡の神は饒速日命です。

神社の伝承も昔話も、(大まかなところで)矛盾がないように思われます。
すべて彼らにたどり着くのです。

彼らの他にはいない、というように。


( つづく )

 

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