「古代史の謎」 8 ~籠と亀・神の乗り物~
彼らの伝承に共通するものに「籠」と「長寿」がある。
まずは「籠」。
以下青文字、「古代史の謎」参考
籠神社では豊受大神が光る籠に乗っていた。
海幸彦山幸彦の塩土老翁は、山幸彦を「無目籠(まなしかたま)」に乗せ、海神宮に導いた。
無目籠とは、網目が無く、水が入らない籠。
神武東征では、塩土老翁が神武を大和に誘い。
瀬戸内海を東に向かう途中の海で、亀に乗った翁に出会い、神武を導く。
浦島太郎は、浦島は亀に乗り、竜宮城へ行く。
浦島のふるさとは「住吉」。
住吉大社の神は、塩土老翁。
(上記の人物は住吉の神を表す)
*
それらは何を示すのか。
これらの人物が同じ者ならば、「籠」は亀と同じものを表す。
「亀」は、神功皇后の伝承にもあった。
(「志賀海神社 ~福岡県~」)
御祭神は、綿津見神三神、神功皇后、玉依姫命、応神天皇。
「神功皇后が三韓出征の際、安曇磯良丸を通じて祈願して、七日七夜神楽を奏した。
すると黄金雌雄の亀に乗った志賀明神と勝馬明神が御出現され、
皇后へ干珠満珠の玉を授け、船の舵と航路を守り、導いた」
(上記の案内板を要約)
安曇磯良丸、志賀明神、勝馬明神は、高良神であり、饒速日命。
(「神の鉾 3 ~安曇磯良神~」)
その神が亀に乗って現れ、神功皇后に二つの珠を授けたとある。
しかも金色の雌雄の亀だ。
この伝承の彼もまた、「亀」に乗ってやってきたのだ。
このお社は、福岡県の志賀島にある。
その半島にあるのが、志式神社。
「古代史の謎 4」の磯良舞は、ここの神楽になる。
もう一つ、かの神と亀の伝承があった。
福岡大川市にある「風浪宮」。
この像は、「高良玉垂宮神秘書」にも登場する安曇磯良丸。
案内板にはこう書かれてある。
磯良丸は少童命を祖神をする海洋族の酋長で神功皇后の三韓征伐の砌(みぎり)、
志賀島に召されて軍船を整え海上指揮し仕え奉りて無事大任を果たした航海熟練の海士である。
その続きには、
「太平記に見る磯良丸は龍宮に住んでいたが神功皇后のお召しに従って
大海亀に跨って香椎が浜に出現し皇后の三韓御親征に干珠満珠を捧げて従軍し御助成をしたと
述べられています。
この像は磯良丸が多年海底の宮に住んでいたので身体中に海藻や魚介類がとりついていたという
魁偉なる風貌を彫ったものです」
安曇磯良丸は、一介の漁師と表現している伝承もあるが、
一方では、竜宮から「大海亀」に乗り神功皇后の前に現れ、二つの珠を授けて彼女を助けたという。
志賀海神社では金色の雌雄の亀。
彼は高良神であった。
また、「神功記」では、三韓征伐の時に神功皇后の乗った船の舳先に現れ、彼女を守ったのは住吉神。
高良大社の神職さんは、
「船の舳先に現れて、神功皇后を助けたのが磯良神であり、住吉神」と言われていた。
つまり風浪宮や高良大社の磯良丸(神)と住吉の神は同じ者であり、彼女に玉を垂れた(授けた)のは彼自身なのだ。
(「神の鉾 3 ~安曇磯良神~」)
前回から、幾つもの伝承があったが、「住吉神」と「神功皇后」にたどり着く。
全て同じ神の由緒なのだ。
それらに必ずある「亀または、籠」。
それらの伝承や神社の神がすべて彼ならば。
「それ」は、彼が乗ってきたものを示すと考えるのが自然。
つまり「神の乗り物」
*
饒速日命は、矢田坐久比古神社の御祭神。
(「前世と石切劔箭神社と矢田坐久志比古神社 その2」)
ここには、飛行機のプロペラが飾られてあります。
彼は飛行、航空、船舶、航海の神。
(かなり前の写真をスマホで写してアップしてるので、写真が古いです)
彼は天磐船に乗っていたとされます。
それ故の、航空、飛行の神様。
< 空を翔けるアマノトリフネ >
現代人ならば、思い当たる物があるはず。
現実に存在していたのでは?
それは、UFOでは?
突拍子もないことではない。
「彼ら」の伝承が物語っている。
彼らにとっては外せないこと。
だから、どの伝承でも必ず「亀や籠」がついて回ったのだ。
アマノトリフネで空を翔け巡り、奈良の哮ヶ峰(生駒山)から、矢田の丘陵へと降り立ったという彼ら。
空から下界を見て「ひのもとの国」と名付けられた我が国。
彼ら以外に「空を翔けた」と伝承にある神はいない。
( つづく )
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