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2021年1月18日 (月)

大国主神の幸魂奇魂

巨大な奈良湖の水がざあ~っと引いていく。
その光景と大国主神の”幸魂奇魂”が重なった。
出雲大社にあるあの像だ。

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奈良湖の水を引いた。
那珂川に裂田溝(さくたのなで)という水路を造り、田んぼに水を満たした。

それが饒速日命たちが行ったことならば。
繋がるのだ。

「水の満ち引き」という現象。
これこそ、「潮干珠、潮満珠」が象徴する”もの”。
                                          
饒速日命がもたらしたという十種神宝の中の「玉」。
高良の神が操ったという「干珠満珠」。
山幸彦が海の神(豊玉姫)からもたらされた「潮干珠、潮満珠」。

同じ神であり、それらは同じもの。
玉の共通点は水の満ち引きを操る力
   
          

大国主神の「幸魂奇魂」

それは、共に国造りをしたという少彦名神が常世の国に帰ってしまった後に現れた玉とされる。
「彼自身」であり、奈良の「三輪山」に祀れば、国造りに協力しようと告げる。

三輪山の神は大物主神である饒速日命。
つまり、玉は「饒速日命」そのもの。
それは、彼の力の象徴でもあるのだ。

「国造りをするためのアイテム」と捉えれば、「幸魂奇魂」も同じ。

さらに、神話、伝承のこのような状況は同神を意味する。
それらは全て二柱に集約されるのだから。

(☆→神*総まとめ)

                          
巨大な奈良湖の水を引く。
海の引き潮のように。

裂田溝(全長6キロにも及ぶ水路)から、田んぼへと満たされる水。
満ち潮のように。

*(神功皇后が三炊屋姫、武内宿禰、住吉神とされるのが饒速日命)


当時の人達には、水を操るように見えたのかもしれない。
国造りをしたと言われる彼ら。
神業としか思えないことをやってのけた人たち。
その「神業」が伝承として残り、十種神宝の力として伝えられている。

また、”そうであるからこそ”、奈良湖の水を引いたのは「彼ら」なのだ。
だから、饒速日命は「水を操る神」「国土を造った神=大国主」として後世に伝わり、三輪の神として祀られている。

                                               *

「出雲大社の神」

境内の、大国主命が海から「玉(幸魂、奇魂)」を貰う場面の像は、彼が饒速日命である証。
玉は「干珠満珠」(高良大社の伝承)。
饒速日命がもたらした(垂れる)という十種神宝。
高良玉垂神という名は、ここからだ。

「大国主神の后」

神話では大国主神の后は市杵島姫ですが、出雲大社の筑紫社の御祭神は、多紀理姫。
筑紫の神の「たきりひめ」と言えば、市杵島姫と同じく、宗像大社の三女神の一柱。

住吉三神は、一柱の神(饒速日命)であるが、宗像三女神も同じ。
三女神とされながら、一柱の神なのです。
(「市杵島姫の名の意味 ~斎星姫・蘇る神~」)
(☆→女神・天照とは)


出雲大社の筑紫社に祀られる彼の后「多紀理姫(宗像神)」。
大神神社に祀られる彼の后「市杵島姫(宗像神)」。
籠神社の天火明命の后「豊受=市杵島姫」。
(宇迦乃御魂神も)


彼らは”共に同じ”だからこそ、そこに祀られているのだ。
他に理由はない。

全て彼へと繋がる。

                        *

出雲大社の「大国主神」の「幸魂奇魂」は、三輪山の「大物主神」。

つまり、彼は「饒速日命」そのものだよ、ということです。
出雲大社と大神神社の前で「幸魂奇魂守給幸給」と言葉にするのは、彼が三輪山の饒速日命であることを忘れてないよ、と神に宣言していることになります。

例え、人々がその神の真の姿を知らなくても。
その言霊が、想いが、彼に、饒速日命に届くように。
彼の真の姿に深く繋がるように。
出雲大社の「大国主神」の「幸魂奇魂」は、三輪山の「大物主神」。
両社の前で「幸魂奇魂守給幸給」と言葉にするのは、彼が三輪山の饒速日命であることを忘れてないよ、と神に宣言していることになる。

例え、人々がその神の真の姿を知らなくても。
その言霊が、想いが、彼に、饒速日命に届くように。

彼の真の姿に深く繋がるように。

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