矢田の饒速日の伝承地 ~饒速日命を求めて ⑤~
奈良県大和郡山市矢田町。
矢田丘陵。
そこは、記憶の場所だった。
饒速日命の伝承地でもある。
ここには「三之矢塚」があった。
天磐船に乗った饒速日命が降り立つ場所を決める為に、船上から放った三本の矢の一つが落ちたと言われる地。
ここは邪馬台国の想定地。
山ナビのYAMAPのログで知った。
記憶と同じ風景を見たのだ。
一枚目の写真の風景だった。
ここに来たのは、それを確かめたかったから。
この場所知ってる。
夢で見た場所だ。
ニギハヤヒが乗った船が降りて来た場所。
夢で見たあの風景そのままだ。
饒速日命の后、御炊屋姫は登美一族。
この一帯は登美と呼ばれていた。
(今の奈良の北西部一帯、広範囲です)
あの夢の”彼女”がヒミカで、ミカシヤ姫(御炊屋姫)であるなら、
この地に住んでいて、
この地にアマノトリフネが降りてきて、
この地でニギハヤヒと出会うのは
当然のこと。
そのことにようやく気づいた。
矢田の地に「アマノトリフネ」が降りて来たことは、夢から感じとっていた。
でも「その時、自分が居た(住んでいた)」場所は分からなかった。
漠然と奈良盆地の西側、としか。
それはなぜか。
”その場所から生駒山が見えなかったから” 。
それもそのはず。
(この場所から見た生駒山の方向(西))
ここから見えないのは当たり前だった。
目の前に矢田の山があって、その向こうの生駒山は見えなかったのだ。
私が「遠視」で見たのは、「生駒山を越えてアマノトリフネが来るシーン」。
ちょうどこんな感じ。
それは、矢田の山の向こうから、生駒山を遠視で見たものだったのだろう。
アマノトリフネは生駒山を越えて、矢田の地に降りてきた。
そこで饒速日命と「ヒミカ(ミカシヤ姫・三炊屋姫)は出会う。
その地は、「邪馬台国伝承地」の一つとされている。
他はどうかは分からないが、北部九州の「邪馬台国伝承地」の多くは、「饒速日命と神功皇后の二人に関係する場所」にある。
符合するからだ。
彼らの時代と。
あの前世の「ひみかと饒速日」の時代は、200年頃。
「邪馬台国」の時代。
二人の名前は変えられている。
夢の”ヒミカ”が御炊屋姫であり、神功皇后でもあり、
饒速日命が住吉神であり、高良神(高良大社の神)などでもある。
先日行った福岡、福津市の楯崎神社でようやく分かた。
*
この地の側にある「矢田坐久志玉比古神社」へ向かった。
( つづく )
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コメント
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あけましておめでとうございます。
随分とマニアックな場所を回られたようですが、奈良へはお一人で行かれたのですか?
奈良でレンタカーを借りて、日本書紀に記されているような、マニアックな史跡巡り・・・。
私が上杉謙信公の史跡を巡っているのと共通していますね。
私の場合、女房は興味が無くても付いてきますが、弥沙さんの場合、ご家族はどうなんでしょうか?
今年もよろしくお願いいたします。
投稿: FUJIKAZE | 2021年1月 4日 (月) 10時26分
FUJIKAZEさん、あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします(*^^*)
奈良へは一人で行ったんですよ^^
11月の終わり頃。
コロナがばっと増えだす前だったので、新幹線は満席でした^^;
帰って2週間はどきどきしてました。
今回は自分の足で歩いてみたかったので、矢田へは生駒山を越えました。
新石切から生駒山を越えて、矢田、奈良の新九条駅まで。
23.5キロありましたよ。
https://misa-kazabana.cocolog-nifty.com/blog/2020/12/post-409eca.html
車で回ってても分からないことってあるんですよね。
歩かないと気付かないこと。
この場所は前々から知っていたのですが、あっ!と思ったのが、YAMAPの他の人のログの写真を見たからです。
この場所を別の角度から撮った「風景」でした。
その写真を見つけたのも、山登りを続けてたおかげですね^^
とってもマニアック!
時間があったら、宿を取ってた三輪までも歩きたかったです。
新九条駅からは電車で行きました。
うちの場合は、子供もまだ下が中1ですからね~
みんなまったく興味ないし、ついてきませんよ^^;
山さえついてきてくれないです。
山くらいはいつか一緒に行ってくれると嬉しいですね。
投稿: 弥沙 | 2021年1月 4日 (月) 11時25分