ブログ村に参加してます!ぽちっとお願いします

*このブログについて

  • amebloにもサイトがあります。 そちらに載せる時に加筆したもの(後に分かったこと)を、改訂版として再びこちらへUPしている記事もあります。
2023年5月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      

amebloリンク

無料ブログはココログ

☆ブログからの引用などについて☆

  • このブログの考察、写真、イラスト、考察などは、管理人に著作権があります。無断転載は御遠慮ください。

« 饒速日命を求めて ⑫ ~三輪山登山とアマノトリフネ~ | トップページ | 饒速日命を求めて ⑭ ~三輪山の神の気配~ »

2021年2月 9日 (火)

饒速日命を求めて ⑬  ~聖林寺*饒速日の面影~

三輪山に登った後、三輪山大輪寺に歩いて向かいました。

Dsc_0494_20210209072101

途中、大和三山が見えます。

写真では、中央左よりに見えるのが耳成山です。

Dsc_0495

 三輪山大輪寺

神仏分離の前までは、三輪明神の神宮寺でした。
大神神社が所有するお寺だったのです。

かつて十一面観音様が祀られていました。

Dsc_0497_20210209072101

大神神社に拝礼。
逢いに行ってきます!

Dsc_0498_20210209072301

青空の大鳥居。

 サラちゃんが車で連れてってくれました。

桜井市の聖林寺へ。


聖林寺。
ここに十一面観音様はおられました。

Dsc_0499 
御本尊は撮影できないですが、この写真は撮れます。

饒速日命をモデルにしていると言われています。
明治の廃仏毀釈の際に、こちらに移されました。

しっかり(本物も)拝観させていただきました。

サラちゃんがお寺の人に聞いてくれました。

「こちらの十一面観音さまは、饒速日命をモデルにしてると聞いたのですが」
と。

お寺の方は、

「この仏様は元々、大神神社が所有していた寺にあったのです。
 大神神社の御神祭は饒速日命様なので、そうですよ。」
 

大神神社の大物主神は、饒速日命。

それを証明することでもあります。

Dsc_0502_20210209072401
このお寺から、三輪山が見えます。

Screenshot_202102091354453

YAMAPの地図で。
右上の山頂印が三輪山。
左下の紫の印が「聖林寺」。
道なりにあるて4.5キロ。
歩いていける距離ですね。

十一面観音様は、ずっと守られてここにありました。

今、お会いできるのはその方々のおかげです。

Dsc_0504

お寺から出たら、もう薄暗くなってました。

もう少し行こう!と連れてってくれたのが、

「三ノ矢塚」

Dsc_0505_20210209072501

矢田丘陵にあるあの場所です。

一日目にも来ましたが、夕暮れも良かったです。

もう1ヶ所行ったのが、

Dsc_0507

「一ノ矢塚」

饒速日命が放った三本の矢の内、見られてなかった一カ所。
自分だけじゃ来れなかった~。

ありがとう!サラちゃん。

この後、彩華ラーメンを一緒に食べました。
おすすめです!^^


この夜、不思議な体験をしました。

ブログ村に参加しています。
ぽちっとお願いいたします。

にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ

 

« 饒速日命を求めて ⑫ ~三輪山登山とアマノトリフネ~ | トップページ | 饒速日命を求めて ⑭ ~三輪山の神の気配~ »

コメント

こんばんは!
私は日本は神仏習合が自然の姿だと思ってますよ。
日本は古来から八百万の神の国ですからね。
そこに仏教が伝来した訳だから・・・。

しかし、ニギハヤヒってこんなお顔だったのかなぁ・・・。

十一面観音の製作年代(天平宝字?)と、ニギハヤヒが生存していたであろう神話の時代がズレているような・・・。
せっかくのロマンに水を差すようでゴメンなさいね。

FUJIKAZEさん、こんばんは(*^^*)

日本人は融合、和合の民族。
万物に神が宿るという精神の賜ですね。

神とは、人の考えが及ばないことをする時があるのです。
誰かが「神の姿」を「見て」、造られたというのでは無いでしょうか。


那珂川でも最近こんな事がありました。

大神山神社*ご神託のお山 ~鳥取県 大山~ : 銀の月 金の星
https://misa-kazabana.cocolog-nifty.com/blog/2020/09/post-3dc5b3.html


また、私自身「不動明王」の姿を見ています。
お姿が奈良にある不動明王の石仏と丸っきり同じでした。
ここのおきらくさんとのコメントにあります。
妖との契約?: 銀の月 金の星
https://misa-kazabana.cocolog-nifty.com/blog/2016/09/post-3856.html

こういう、人が見る、神などの姿は、今ある絵や像と同じだと、kono87さん(仲間の一人で神とかも見る人)からも聞きました。
と、いうことは、絵や像に表現されている神仏は「神がその姿を見せて」作らせたものかもしれない、と思うのです。

偶然とは思えないこと、その中に神の力は宿っていると。

神宮寺とは、神社を管理していたお寺の事。別当寺等。
三輪明神は、神仏習合の宗教施設で三輪山平等寺が管理していました。
平等寺の管理下に、三輪明神、大御輪寺、浄願寺がありました。

尚、大神神社は明治時代以降に新興した神社です。明治以前に大神神社などありません。

それから、あなたの思う通り、大物主大神とは饒速日命で間違いありません。

歴史さん、こんばんは。

神宮寺の件、私もそのように思っています。
大神神社は、古来からあるはずです。

下のは、Wikipedia「大神神社」
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E7%A5%9E%E7%A5%9E%E7%A4%BE

下のは、アメブロでの私のブログです。
まだこっちにはUPしてません。

「古代奈良湖と裂田溝②~三輪のヘビは竜」
https://ameblo.jp/153535769/entry-12719080851.html

大神神社は「三輪明神」と呼ばれていた可能性はありますが、
社は古来よりありました。
人が付ける名など、記号のようなもの。
神はずっとそこに存在しています。

神仏習合。
長い間、習合されたままで祈られた神は、その神となる。
十一面観音さまは、饒速日命です。

色んな方がおられますね。
この間、大物主神は饒速日命ではないと怒ってコメントする人がいました。
即刻、削除です。
相手をしても、平行線であり時間の無駄でした。
以来、そういうコメントは、ご自分のブログで、その理由を述べてくださいと思ってます。
私もそれを証明したいがため、長い年月をかけてブログを続けています。
とても一言では表せません。

私も真実は分かりません。
見て来たわけではないので。

見て来たわけではないことは、100%絶対だとは言えませんね。

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« 饒速日命を求めて ⑫ ~三輪山登山とアマノトリフネ~ | トップページ | 饒速日命を求めて ⑭ ~三輪山の神の気配~ »