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2021年3月31日 (水)

楯崎神社 ~伝承の真実 その2~ 序文と大己貴命の項

前回の楯崎神社には、石板に彫られたご由緒書がありました。

御祭神、大己貴命と、少彦名命。
そして大己貴命と共に「夷の類」を倒したというのが、宗像姫命。

そこには神功皇后と住吉神の伝承もありました。

このご由緒書(縁起書)を見た時、涙があふれて止まりませんでした。
ここに真実があると、私の深い場所からの声がしたのです。

20201225135008_img_3580_20210328182301
三回に分けて記します。
一回目、序文と<大己貴命>。
そして、<少彦名命>

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 それ当社は宗像宮に摂する所の七十五社の其の一にして、楯崎神社は以下詳かに
説く古宮なり。祭る所の神は、大己貴命、小彦名命なり。又、飛龍権現を以て相殿
と為し三座となす。

 相伝えて云う、荒洪草昧(*1)の世、草木、言い語りの時、夷の類狂暴なる鬼神、吾が
北海の浜に来寇し、人民を殺略す。時に大己貴命及び妃宗像姫大神自ら神軍を率い
稜威を振い、楯を立て、鼓を鳴らして夷賊を防禦し、遂に誅滅し類、無きなり。

楯崎及び加羅船等の名、蓋し此れより起る。按ずるに大己貴命は素戔嗚尊七世の孫
天之冬衣神子、母刺国若比売神、此の大神、亦の名を大国主神、亦の名を葦原醜男
神、亦の名を八千戈神、亦の名を顕国玉神と謂い、併せて五名の若夫あり。大三輪
社に祭る。大物主命は大倭神社に祭り、之を称して大国売神と謂う。故に此の大国
主神は、千早振神等を追撥(*2)し而して(*3)始めて国を作る。其の子凡そ一百八十一神あり、
後に天の下、皇御孫命を避け奉り、日隅宮(*4)に永隠す。即ち出雲国杵築大神なり。

 少彦名命は神皇産霊尊の子なり。日本紀に按じて曰く、大己貴命の国を平ぐるや
行きて出雲国五十狭の小汀に到る。而して朝、まさに飲食せんとす。是の時、海上
忽、人声の驚くありて、之を求む。すべて所見無き頃、時に一箇の小男あり。白
皮を以て舟と為し、鷦鷯(*5)の羽を以て衣と為し、潮水に隋って浮き、大己貴命に到る。
即ち掌中に取り置き、而して之を翫ぶ。則ち跳びつき噛む。其の頬の怪、其の物の
色なり。遣使天神に白す。時に高皇産霊尊、之にこたえて曰く、吾が所に産児凡そ
一千五百座あり。其の中の一児、最悪にして教養に順わず、指間より漏るる堕者は
必ず彼なり。爰(*6)に於いて之を養うべし。此れ即ち少彦名命、是れなり。又、云う、
大己貴命、少彦名命とともに勠力一心、天下を経営し、またあきらかに、蒼生及び
畜産を見んがため。其の療病の方法を定め、又、鳥獣昆蟲の災異の穣を為す。即ち
その禁厭の法を定め、此れを以て百姓、今に至り咸、恩頼を蒙る。嘗(*7)、大己貴命、
少彦名命に謂りて曰く、吾等造る所の国、豈(*8)に善成と謂や。少彦名命、対えて曰く、
或は成す所あらんか、或は成さざるにあらんか。其の後、少彦名命、行きて熊野の
御碕に至り、遂に常世郷に適す。今、天下諸国に温泉地あり。是の二神を祭り奉る
は、この縁なり。

(見やすいように、行開けてます。該当する漢字が無い場合は相当する字を充てます)

*1 草昧 そうまい。世の中が未開混沌としていること。荒洪は造語か?
*2 追撥 原文は手偏に発。
*3 而して しかして。そうして。
*4 日隈宮。天日隈宮。出雲大社のこと。
*5 鷦鷯。みそさざい。鳥。
*6 爰 ここ 。
*7 嘗 かつて。
*8 豈 あに。どうして~か?反語

その2は、序文と大己貴命の項
その3に宗像姫の項
その4に神功皇后の項

その5~7に大意と考察します。
順番入れ替えました。

( つづく )

 

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2021年3月29日 (月)

楯崎神社 ~伝承の真実 その1~

織幡宮から年毛神社を経て、ここへ来ました。
福岡県福津市渡

ここで見たのは、「伝承」が書かれたご由緒書でした。

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拝殿。

20201225140338_img_3598

ここは、神功皇后の伝承地です。

御祭神は、大己貴神、綿津見神、少彦名神。

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ここから見える「恋の浦」の海岸線はとても綺麗です。

20201225142637_img_3608

神社の裏に回ると祠がありました。
元々はこちらが社だったそうです。

20201225142830_img_3612

とても神秘的で美しい場所でした。

ここで見た、由緒書。

涙が止まらなくなりました。

やはり、そうだったのか、と。

 

( つづき )

 

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2021年3月22日 (月)

年毛神社 ~トシ神~

前回の織幡神社、宗像大社から、楯崎神社へ向かいました。

と、気になる神社を発見。
入って行きます。20201225131343_img_3562
「年毛神社」
福津市勝浦

ここにも神功皇后の伝承がありました。

 

20201225131442_img_3563

御祭神は、志賀大明神。
住吉大明神。
塩甕大明神。

塩甕大明神は、塩土老翁です。
彼は過去神社の伝承から、住吉の神であり、饒速日だとたどり着いてます。

(「古代史の謎」 8 ~籠と亀・神の乗り物~」)

上記の三柱は、みな同じ神。
饒速日です。

やはり、同じ神が併記されて祀られているのです。

他に理由は見つかりません。

 

20201225131517_img_3565_20210322170701

神功皇后が三韓征伐の前にここへ来て、志賀、住吉の神を祀ったとありますが。
彼女らは共に行動していました。


安曇磯良丸、志賀明神、勝馬明神は、饒速日命。
(「神の鉾 3 ~安曇磯良神~」)
磯良神は大和で40万年、ひたちで40万年、勝馬(かつま、志賀島)で40万年過ごされた神。
とあります。

「塩甕神社」には、武甕槌神も祀られています。
大和(春日)の神、ひたちの神がこれに当たります。

やはり同じだったのか。

更に、この神社の名「年・とし」は、饒速日命の名「トシ」でもあるのです。

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拝殿です。

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みあれ祭ですね。
見たいなあ。

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これは誰だろう。

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神社の奥は海でした。

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彼女たちはこの海を見たんだろうな。

 

楯崎神社へ向かいました。

 

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2021年3月16日 (火)

織幡宮 ~武内宿禰が天に昇った地~

福岡県宗像市鐘崎

宗像大社の少し北。
ここに「織幡宮」があります。

宗像大社の境外摂社です。

20201225101505_img_3443

神功皇后と共にあったという武内宿禰が御祭神。
五代の天皇に仕えたという彼は、この地をいたく気に入り、魂はこの地に永遠に留まり外敵からこの国を守ると告げたそう。

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御祭神は、武内宿禰、住吉大神、志賀大神。

彼らは同神です。

だから、ここに共に祀られているのです。

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長い階段を上っていくと、鐘崎の港町が見えました。

素晴らしいです。

20201225105823_img_3455

拝殿に行くと、ちょうど境内の清掃が終わったとこだという方にお会いしました。
健康のためにと、いつも一人で拝殿の床を磨いて、境内を掃除してくださってるそう。
山への道も地元の方と整備してくださってます。

高確率でこういう方とお会いするのは、きっとお社の神様が「会って挨拶するように」ということかもしれません。
今回は、さすがにそう思いました。

「今日なら、沖ノ島が見えるよ!」

「やった!見に行きます」

しばらく話した後、裏山へと行きました。

20201225110016_img_3457

裏山へは、境内の左の道から行きます。

20201225110325_img_3461

5分とかからずに頂上。

「小屋形山」

さらに下って行くと。

20201225111412_img_3479

海が見えました。
玄界灘です。

ここは海女さん発祥の地だそうです。

20201225111142_img_3473

手前が地島。
奥が大島。
宗像大社の中津宮があります。

そして地島の北側に薄っすらと見えるのが・・・。

20201225112546_img_3496

沖ノ島です。
宗像大社の沖津宮があります。

初めて目にしました。
岸からはほどんど見ることができません。

ちょうど白い船が島の前に見えます。

 

かなり時間をかけてから、社に戻ってきました。

20201225105926_img_3456


ちょうど階段の下の方の車に、さっきの方が乗り込んで出るところでした。
沖ノ島が見えたか確認したかったのかもしれません。
長い間、待っててくださったのですね。

ありがとうございました。

どこもここもぴかぴかです。
赤い欄干も色が落ちてたからと一人で塗ったそうです。

山にくる珍しい鳥を求めて、野鳥愛好家もたくさん来られるそうです。
海を渡るアサギマダラの越冬地でもあります。

みんな金さんが教えてくださいました。
とても社を大事にしてくださってるのが分かりました。

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社から見える北側の海です。
遠く山口県まで見えます。

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社の前を少し下りて行った場所。
ここにありました。

20201225113859_img_3513
武内宿禰は、ここから天へ昇ったという伝承があります。
揃えた靴(沓)を残し。

もう一度社へ。

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拝殿内です。
金さんが拭いたくださった床はぴかぴかでした。

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奥に見えるのが武内宿禰。

かの神は、決して寂しくはなかったのだな、と有り難い気持ちでいっぱいになったのです。

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沓塚は社の右下にあります。

ここは宗像大社の摂社でした。

宗像大社が宗像三神(その実は一柱神)を祀るのならば、その市杵島姫命は御炊屋姫です。
この織幡宮の御祭神の、武内宿禰、住吉三神、志賀大神は、皆、同じ神です。

住吉神が饒速日命であるからこそ、この社が、宗像大社の摂社なのです。

(武内宿禰と住吉神が別の神(人)だとしても、伝承では「同じ」にされている部分があるということ。)


この後、宗像大社に行きました。
                       *

前に、第二宮を参拝しようとした時、声が聞こえたことがありました。

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<< たぎり姫 >>と。

宗像さん女神は、たごり姫と、たぎつ姫と、いちきしま姫。
その時、たごり姫とたぎつ姫が同時に聞こえたように思いました。

それが、「同じ神」であったから、と分かったのは、ずっと後になってからのことでした。

(「宗像大社 (福岡県)」) 

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この後、行った社で、今までの答え合わせを見た思いがしたのです。

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2021年3月12日 (金)

御炊屋姫と市杵島姫命と神功皇后 ~饒速日命を求めて ⑳ 終章~

饒速日命は、日神・天照大神であり、月神・豊受大神(宇迦之御魂)。

豊受大神には別名がある。

御膳津神(みけつかみ)だ。

大神神社の摂社の御炊(みかしき)社に祀られる御祭神。
大物主神の神饌を用意する神とされている。

その「大物主神」は、饒速日命。
これは聖林寺でもお聞きした。


彼の后は御炊屋姫であった。

これが、御炊社の御膳津神=豊受だ。

 

御膳津神は、神饌を用意する、祭事を行う神。

それが、彼の后「御炊屋姫」であるなら、その名は必然なのだろう。
彼女には元々の名があり、後に名づけられたのだろうから。


また、「カシキヤ」には、託宣を行う巫女の意味もあった。
([「儺の国の星」 ~炊屋星~ミカシヤ姫の名の意味」)


                 *

豊受大神(御膳津神)が、饒速日命の后である「御炊屋姫」ならば。
伊勢神宮の外宮に祀られている豊受大神は、御炊屋姫。

では内宮の神は。

彼女の夫神である、饒速日命だ。

大物主神が饒速日命であり、天照大神であるからこそ、下宮の豊受大神は「御炊屋姫」であるのだ。
夫婦で天照であり、豊受(宇迦之御魂)。

 

いつの時代か、彼だけが隠されてしまった。
本来は内宮の神は二柱おり、日月の神である饒速日命がその一柱だ。

下宮の神は籠神社から来た月神(御祭神、天火明命)とされる。
豊受大神が、天火明命?
と疑問に思っていたが、そう考えると納得できる。

豊受大神の別名である、豊受大神=宇迦之御魂神=稲荷神=歳神。
これらは、すべて饒速日命。

                                             *

ここから繋がったことがあった。

 

物部神社 | 村屋坐彌冨都比賣神社
https://murayajinja.com/sessha/mononobejinja/

上記のサイトにある。

大神神社の別宮とされている社。

御祭神は「御炊屋姫、宇麻志摩遲命、物部守屋連」

以下、サイトの引用。

この神社は塀で囲われ、池に浮かぶ島のように見えることから弁天信仰が起こり、
市杵島姫神社(弁天さん)とも呼ばれている。

ここから、彼女が市杵島姫命(弁財天)だから、そう呼ばれるようになったのだ。

(違うのなら失礼になる)

多くの社にあった、「饒速日命」とされる神と祀られる「市杵島姫命」は、
彼の后であった御炊屋姫。

                     *


その「市杵島姫命」と名を連ねる神に「住吉神」の名がある。
彼は、海の神(綿津見神)であり、航海の守りとしての、星の神(布留御魂神)。

住吉三神は、オリオンの三つ星をも表す。
「三島」の名は、三つの光る星。
古代において、星と島は同義語。
航海の道しるべとなる星。
海の神であり、星の神であるのはこういうわけなのだ。

三島の名は、住吉三神、そのままの名でもある。

                            *

この「三島神社」、福岡にも多数あった。

すべて饒速日命の分霊である、住吉神が祀られている。
そこに共に祀られる「神功皇后」。

高良神(住吉神)と神功皇后は夫婦であったと、高良玉垂秘伝書は伝えていた。
(伝承、ほかでも)

☆→高良玉垂宮神秘書 2 ~高良神は物部の祖神) 


住吉神は饒速日命であり内宮の天照大神、外宮の神は御炊屋姫。

御炊屋姫、又の名を「市杵島姫命」。

そして、神功皇后。



高良神(住吉の神)は饒速日命であり、神功皇后は彼の后の御炊屋姫。

やはり、そうだったのか、

「魂振り神事」に合わせて廻った奈良の旅。
ここで御仕舞。


あの時分からなかった様々な事、ようやくたどり着いた。

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2021年3月 6日 (土)

日月の神 ・饒速日命 ~饒速日命を求めて ⑲~

三島神社は、もともと天理教教会本部の「おぢば」の場所にあった。

教祖、中山みき氏は、そこで「艮金(ウシトラコンジン)神」と邂逅した。
かの社を今の場所に移転し、そこに巨大な「おぢば」を作り上げた。

そこにある神は、彼らの神、艮金神。

またの名を「国常立神」。

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だが、その場所は天理市三島町。
間違いなくその神は、三島の神。

三島の神は、布留御魂神。
石上神宮、大神神社と共に、物部氏の祖神を祀る宮。

聖林寺でもお聞きした。
(彼の本迹は十一面観音さま)

福岡の高良大社も物部氏の祖神を祀る宮だった。
御祭神、高良玉垂神、住吉三神、八幡大神は、すべて饒速日命になる。

今、「おぢば」にある神、艮金神は饒速日神。

名が変わっても、根っこは一つ。

☆→神*総まとめ


                *

おぢばは、誰にでも開かれていた。
その人の宗教も作法も問われない。
私はただ、正座して手を合わせていただけだがが、奇異な視線さえ感じなかった。

その中心にあった甘露台、(三島の神と邂逅した場所)からは溢れるばかりの光を感じた。
天理教の方々が祈りを、絶やすことなく捧げているからだ。
(「天理教教会本部」) (その時の記事)

その場所で、子供たちが走り回ったり大声をあげていたが、咎めもせず、ただ優しく見守っていた。

その時、
<そのままに>

と聞こえた。
そのままに、あるがままに。

子供ははしゃぐもの(この場所なら、尚更)
子供は泣くもの。

そのままでいいのだ。
咎めることなく、受け入れる。 

後で色んな意味があると分かるのだが、
この時は、そう、受け取った。

彼の想いは確かに受け継がれているよう。

でも、その後に今の三島神社に行った時、その気配はおぢばの比ではなかった。
もっと大きく力強い。

三島の神には、あの祈りが必要だったのかもしれない。
前の「三島神社」のままでは、それ程の祈りは無かっただろう。

元の三島神社で彼女と邂逅したのは、かの神自身がそう望んた故なのだと思う。

                         *

艮金神は、「日月の神」。
天照大神である、日神。
高良大社の高良玉垂神である、月神。

艮金神=饒速日命が、天照大神であり、月神でもあった。
神話の月神・月読命の姿が「見えない」のは、そうしたわけがある。
(もとから、一柱)


(「二つの伝承 9 ~日の神 と 月の神~」)

上のリンクにあるが、そこから、籠神社の神に繋がった。
籠神社の神は天火明命であり、月神です。

さらに、伊勢神宮の下宮の神は、籠神社から来た月神であった。
彼は饒速日命。


だからこの神は豊受大神とされます。
(ここから、豊受大神=宇迦之御魂神=稲荷神=歳神=饒速日命という図式が出来上がる)


日神・天照大神であり、月神・豊受大神でもある、饒速日命。

豊受大神には別名があった。

ここから、繋がる。


( つづく )

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