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2021年3月 6日 (土)

日月の神 ・饒速日命 ~饒速日命を求めて ⑲~

三島神社は、もともと天理教教会本部の「おぢば」の場所にあった。

教祖、中山みき氏は、そこで「艮金(ウシトラコンジン)神」と邂逅した。
かの社を今の場所に移転し、そこに巨大な「おぢば」を作り上げた。

そこにある神は、彼らの神、艮金神。

またの名を「国常立神」。

Dsc_tenri 
だが、その場所は天理市三島町。
間違いなくその神は、三島の神。

三島の神は、布留御魂神。
石上神宮、大神神社と共に、物部氏の祖神を祀る宮。

聖林寺でもお聞きした。
(彼の本迹は十一面観音さま)

福岡の高良大社も物部氏の祖神を祀る宮だった。
御祭神、高良玉垂神、住吉三神、八幡大神は、すべて饒速日命になる。

今、「おぢば」にある神、艮金神は饒速日神。

名が変わっても、根っこは一つ。

☆→神*総まとめ


                *

おぢばは、誰にでも開かれていた。
その人の宗教も作法も問われない。
私はただ、正座して手を合わせていただけだがが、奇異な視線さえ感じなかった。

その中心にあった甘露台、(三島の神と邂逅した場所)からは溢れるばかりの光を感じた。
天理教の方々が祈りを、絶やすことなく捧げているからだ。
(「天理教教会本部」) (その時の記事)

その場所で、子供たちが走り回ったり大声をあげていたが、咎めもせず、ただ優しく見守っていた。

その時、
<そのままに>

と聞こえた。
そのままに、あるがままに。

子供ははしゃぐもの(この場所なら、尚更)
子供は泣くもの。

そのままでいいのだ。
咎めることなく、受け入れる。 

後で色んな意味があると分かるのだが、
この時は、そう、受け取った。

彼の想いは確かに受け継がれているよう。

でも、その後に今の三島神社に行った時、その気配はおぢばの比ではなかった。
もっと大きく力強い。

三島の神には、あの祈りが必要だったのかもしれない。
前の「三島神社」のままでは、それ程の祈りは無かっただろう。

元の三島神社で彼女と邂逅したのは、かの神自身がそう望んた故なのだと思う。

                         *

艮金神は、「日月の神」。
天照大神である、日神。
高良大社の高良玉垂神である、月神。

艮金神=饒速日命が、天照大神であり、月神でもあった。
神話の月神・月読命の姿が「見えない」のは、そうしたわけがある。
(もとから、一柱)


(「二つの伝承 9 ~日の神 と 月の神~」)

上のリンクにあるが、そこから、籠神社の神に繋がった。
籠神社の神は天火明命であり、月神です。

さらに、伊勢神宮の下宮の神は、籠神社から来た月神であった。
彼は饒速日命。


だからこの神は豊受大神とされます。
(ここから、豊受大神=宇迦之御魂神=稲荷神=歳神=饒速日命という図式が出来上がる)


日神・天照大神であり、月神・豊受大神でもある、饒速日命。

豊受大神には別名があった。

ここから、繋がる。


( つづく )

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コメント

こんばんは!
天理教の「おぢば」ってデカイですねぇ・・・。
信者から集めたお金で建てたのでしょうねぇ・・・。
こういうのを見ると溜息が出ます。
実は私の母は、生前にある宗教にハマってました。
創○学△ってヤツです。
癌でねぇ・・・。
その熱心な会員だった友人に、癌が治るって勧誘されてハマったんですよ。
もちろん、南○妙△蓮□経を唱えて治る訳はなく、私が二十歳の時に死にました。
遺品を整理していると沢山寄付した証文?が出てきました。
親父は本人は信じて死んだんだから本望だろうと言いますが、やりきれなかったなぁ・・・。
以来、人の弱みに付け込むのが宗教・・・と、私は無信仰です。
あぁ、もちろん、人様が信仰しているものをどうこう言うつもりはなく、神社仏閣には手を合わせていますよ。
初詣にも行くし、法事もやります。
我が家の代々の宗派ってありますから。
何と言うかな、特定の宗教を深く信仰するつもりはないと言うことかな。
あぁ、母を騙した宗教は絶対に許しませんけれどね。

FUJIKAZEさん、こんにちは(*^^*)

うちの弟の最初の奥さんもその宗教入ってました。
一年後に離婚した時には、貯金ゼロ。
すべて教団につぎ込んでいたそうです。
向こうの家族ぐるみでずっと前から入ってたらしく、
上の地位?か何かになる為にはお金がいるそうで。
子供もいなかったので、縁が切れて良かったですよ。
絶対にもう関わり合いになりたくないです。


お母さま、大変でしたね。
宗教にすがる気持ちって何でしょうね。
「神が願いを聞いてくれるかもしれない」という想いよりも・・・
ただ、心の拠り所のような存在だったのかもしれません。

すがれる存在がいるということは、
いつも守られているという安心感を得るということ。

病院にも行って、ちゃんと治療もした上でなら、
神にすがるのもいいかもしれませんし、
そのおかげで気持ちに余裕ができて、何かが良くなることはあるかもしれない。

それだけなら良いのですが、お金が絡むとだめですね。
対価として相応なら、まだしも。
立派な建物とかあったら、どうやってお金集めたん?って思いますよ。

私はまったくの無宗教です。
不幸が出た時、「浄土真宗」のお寺でしてもらいましたが。


うちの母方のおばさんは、天理教でした。
「おかげぐらし」という額?か何かが家に飾ってました。

天理教はどうなんでしょうね。
すでに一大宗教都市ですからね、天理市は。
名前まで変えちゃってる。
学校もあるし、「おぢば帰り」で全世界から訪れる教徒を迎える寮もある。

そのおかげで街が潤ってる。

うまく回ってて、誰も不幸にしてなくて、いつもみんなが幸せだと感じているのなら、
宗教も悪くはないと思います。
うちは入りませんけどね。


山友の行者さんから教わった回向。
光明真言(ググってください)と、念仏「南無阿弥陀仏」を十回唱えるそうです。

何か、ようやく分かりました。
神の真の名を呼ぶ。

それって神の御心に近づくってことなんですよね。

無宗教の私でも真言を唱えれば、魂を鎮めることもできる。
本当は神って、そういうものかもしれません。

どこかに入っていなくても、神はちゃんと守ってくれてます。

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