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2021年4月29日 (木)

楯崎神社 ~伝承の真実 その8~ 饒速日命と神功皇后

まとめです。

楯崎神社には、三つの伝承がありました。
一つ目は、大己貴命と宗像姫。
二つ目は、神功皇后。
三つ目は、最澄法師です。


楯崎神社の御祭神は、大己貴命と少彦名命。
相殿に飛龍権現(大己貴命)


< 大昔、まだ混沌としてる時代 >

大己貴命と宗像姫が、「夷の類」という狂暴な鬼神と戦った。
北の海に攻めてきて、人民を殺略した。
大己貴命と宗像姫は神軍を率いて、神の力を振るい、

楯を立て、(楯崎の由来)
鼓を鳴らし、(鼓島の名の由来)
夷賊を防御し、遂には滅ぼした。


「大己貴命」

大己貴命は、大国主神=葦原醜男神=八千戈神=顕国玉神=大物主神(大神神社の神)。
また、大国売神(大倭神社)。
出雲国杵築大神(出雲大社)は、皆同じ神。
皇孫を避けて、こちら(出雲)に祀られる。

大国主神(大己貴命)は、ちはやふる神を追い返して、初めて国を造った。
*ここの「ちはやふる神」は、夷の類である、狂暴な鬼神のことです。


「宗像姫」
大己貴命と宗像大社の辺津宮の市杵島姫命(高津姫)は、夫婦となった。
事代主命は、三島溝杭姫と夫婦となった。
二つは同じことの意味。


大己貴命=大物主命=事代主神=饒速日命。
宗像姫=市杵島姫命=玉櫛姫=三島溝杭姫=御炊屋姫。
その6 参照のこと)


*これらのことから、大昔、この地で「夷の類」と戦ったのは、饒速日命と御炊屋姫。

< 神功皇后 >

三韓征伐の折り、この山に登って神の助力を願った。
京泊(船が泊まったところ)
鼓島(神の力の顕現)

 

< 最澄法師 >

唐に渡る前にここに来て、宿願が叶うことを祈る。
自ら薬師阿弥陀観音像を彫り、楯崎寺に祀った。

******************************************************

大己貴命は、饒速日命でした。
更に、高良大社の神、住吉神でもあります。
( その5 参照のこと)

また、宗像姫の市杵島姫命は、御炊屋姫であり、神功皇后です。
( その6 参照のこと)

大己貴命と市杵島姫命、
饒速日命と御炊屋姫、
さらに、住吉神と神功皇后は夫婦。

皆、同じことを述べているのです。



「大己貴命と宗像姫(市杵島姫命)は夫婦であり、夷の類(いのるい)と戦った」

それは、


「饒速日命と御炊屋姫は夫婦であり、夷の類と戦った」ということです。


これは、高良玉垂宮神秘書の伝承と同じです。

住吉神と神功皇后は夫婦であり、「ヰルイ」と戦った。



住吉神が饒速日命であり、神功皇后が彼の后である御炊屋姫であるからこその、
一致に他ならないのです。


大己貴命の伝承の先々にある、神功皇后の伝承。
それは、「後から神功皇后が大己貴命の伝承地に行った」のではなく、
夫婦であり、共にいた(戦っていた)からではないのか。


この神社では、一見、神功皇后が「祈った」だけで接点はないようですが、
この後、行った「波折神社」でその伝承に出会いました。

 

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コメント

こんばんは!
ご無沙汰してます。
ブログの更新も止まってますね。
お元気ですか?

さて、お願いです。
私にメールをいただけませんか?
待ってます。

FUJIKAZEさん、こんばんは!

ずっと、止まったままですね(^^;
山とか色々行ってます。
元気ですよ(//∇//)

一昨日も四王寺山から宝満山〜大根地山〜砥上岳と28キロくらいを縦走して来ました。

メールしますね!

弥沙

初めまして。
kyonzyと申します。

ホツマツタエを検索していてたどり着きました。

最初の方から飛び飛びですが、拝見させていただいています。
読んでいない記事もまだたくさんあるのですが、ゆっくりと読ませて頂きたいと思っています。


私は新潟県に住んでいますが、越後一宮である弥彦神社の御祭神は天香山命。
天照大御神の曾孫にて父君は饒速日命と言われています。
そんな所からも大変興味を惹かれました。

神社の御由緒や御祭神などについてもとても丁寧に書かれていて(フリガナふられているの助かります)勉強になります。

きっといつか7人が揃い、何かが始まるのだと思います。
お手伝いは出来ませんが、これからも応援させて頂きたいと思います。

あと、私もレイキをやったりタロットもやります。若い頃は登山も少ししてました。
そんな所からもちょっとシンパシーを感じたりして。

これからも楽しみにしていますので、マイペースで書かれて下さい。
長々と失礼しました。

kyonzyさん、コメントありがとうございます!

弥彦神社ですねー!
最近も弥彦神社のお山を見たところです。

おそらくですが、全国の一ノ宮は、全て彼等では無いでしょうか。

記紀などにより饒速日命の「位置」は違います。
天火明ならば、山幸彦。
しかし、彼は須佐之男の子どもともされます。

まだこちらのブログでは書いてませんが、神話は全て彼等二柱のことを、名を変えて書かれてあるのだと思います。
なので、神話の親等(しんとう)は、すべて意味の無いものかと。

シンパシーを感じで下さってありがとうございます!(*^^*)

7人はどうなんでしょうね。
もしもあれが本当なら、ですね。
応援してくださって心強いです。

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