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2021年4月18日 (日)

楯崎神社 ~伝承の真実 その7~ 神功皇后の項 考察

その4 神功皇后の項  の考察です

「神功皇后」についての記載がありました。

(大意)

西行法師の作
     さかおろす楯石崎の白浪は あらきしほにもかかりけるかな


古老伝える。
昔、息長足姫尊(神功皇后)、将として三韓征伐の折り、 この山に登って神の助力を祈った。
船が泊まっていたところを、京泊という。
社殿の北、御手を洗った所を御手水の瀑布という。

その側に巌(いわお)あり。
形状は戦艦のようで、いわゆる加羅船なり。
また、三つの険しい瀬あり。
その中間は湯壷という。
温泉があって湧き出している。
海中がたぎっている瀬がある。
潮が涸れた(引いた?)時に湯が沸きだしてるのが見える。
この北の浜を磯浜と名づけ、これを五色浜という。
細かい石、五色が鮮やかである。
また、浜に楢葉の神紋石あり。
細かい楢葉の模様あり。
鎮め石となれる。
この岸の西に二町ばかり行ったところに、一岩嶋あり。
形は鼓に似て草木なし、いわゆる鼓島は、この海山の「奇勝」の言葉のままである。
すべて神の力の顕現である。

 皇統弥照、桓武天皇の時代、最澄法師が法を求める為に唐国へ赴く時、当社に詣でて宿願が叶うことを祈った。
 *弥照は、桓武天皇の和風諡号(日本根子皇統弥照尊(やまとねこあまつひつぎいやでりのみこ))

(最澄法師は)自ら薬師阿弥陀観音像を彫り、これを安置して楯崎寺と名づけたいう。
今、楯崎薬師と言われる所は、これの新宮である。
誤って古宮と名づけ薬師とし、神山と名づけ薬師山という。
以前の大神の本跡を知る者はいない。

(以下、略)

                          *

息長足姫尊は神功皇后です。
三韓征伐の前に戦勝を祈願してこの山に登ったとあります。

皇后軍の船が泊まっていた場所を「京泊」。
社殿の北の皇后が手を洗った場所を「御手水の瀑布」。

「鼓島」はこの楯崎神社がある渡半島の北の端っこにあります。
ここに関しては後に記述。

最澄さんのことについても書かれてありました。
桓武天皇の時代、法を求める為唐国に渡る前に祈願した。
薬師阿弥陀観音像を自ら彫り、安置して楯崎寺と名づけた。

最澄さんは、神功皇后や大己貴命の伝承の先々に名があります。
私が、住吉神と大己貴命であり、神功皇后が同じ時代だとたどり着いたのは、最澄さんのおかげでした。
これも後に記述します。

 

その2は、序文と大己貴命と宗像姫の項
その3に宗像姫の項
その4に神功皇后の項

その5~7に大意と考察します。

その8はまとめです。


順番入れ替えました。


( つづく )

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