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2021年4月 8日 (木)

楯崎神社 ~伝承の真実 その4~ 神功皇后の項

神功皇后についての項があります。

20201225135925_img_3594

 
夫木集 西行法師
    さかおろす楯石崎の白浪は あらきしほにもかかりけるかな

古老相伝えて曰く、往昔、息長足姫尊、将として西征の時、斯の山に登り、而して
神の溟助を請わんことを祈り、御船、これに泊する處を京泊と曰う。社北、御手を
洗いし處を御手水の曝布と曰う。其の側に一題巌あり。形状艨艦の如し、所謂加羅
船なり。又、三嵓瀬あり、その中間は之を湯壷と曰う。温泉ありて湧出す。今廃し
其の海中に多藝理瀬あり、潮汐将に盈涸の時、猶温井沸湯の勢を見る。因って之を
社北の礒浜と名づけ、之を五色濱と曰う。細石、悉く五色鮮明なり。又、猶葉濱に
神紋石あり。顆々、楢葉の文あり、隠れし名は、濱に起因す。鎮子と為すべし。
この岸の西二町許り一岩嶋あり、形状は鼓に類し、草木なし、所謂、鼓島は凡そ、
斯の山海の奇勝、言に尽すべからず、皆神明の靈踨なり。
 皇統彌照、天皇桓武天皇の御世、最澄師、求法の為に将に唐国に赴かんとし
当社に詣で宿願を達せんこと祈り、自ら薬師彌陀観音像を彫剋し、以て之を安置し
号して楯崎寺と曰う。今俗に楯崎薬師と称する所は即ち此の新宮なり。誤って古宮
を称して薬師となし、神山を称して薬師山と曰う。曽って大神の本跡を知る者なし。
曩に、宗像神社の盛んなるや、末社、修造用途は葦屋新宮濱の漂涛物を充てられる。
其後、勅を以て、同郡曲村田地、四拾町修造料と為す。当社亦、これを與う。又、
圭田、貮町を寄せられ、今、社東の田字、御田及び御園と称するは古の遺名なり。
又、毎年、正月七日、九月廿九日、宗像末社の神座を本社に於いて設け、神饌一百
八膳を献じ、又、三月八日より同十五日に至り修法ありて、之を為す。恒例の神事
宗像大官司家、世掌礼典甚だ厳かなりと云う。天正十五年豊臣関白、九国、征伐の
時、悉く神田を没収す。これより以後、神殿、傾覆し、神人、緇素、四方に散去し
空しく神体佛像を岩窟中に遷し奉りて、祀らず。年ありここに於いて、元禄年中に
至り、村民等、旧祠の廃絶を嘆き、再造の志を企て、僅かに、一宇の祠を造立し、

二祀を再興し、国家の為、永く擁護の神力を懇祈し、黎庻の為恢く発願し、快楽の
誓いを弘め、今に一百有余年、祭典、闕さず幣帛、増加して惟れを伏す。大神園を

造るの勧めあり。則ち、天下蒼生孰く其の恩光を戴かず。嗚呼、神の徳上下を徹し
遐〇を隔てず、爰に感じ、爰に応じて鎮まる。国家、群生を護るや 大なり。誰か
神風の余化を仰がざらんや。


(〇は該当する漢字が分からなかった)
靈踨 (霊の跡。神の力の跡ということ)
嵓(けわしい)
曽(かつて)
曩に(先に)
涛(おおなみ)
與(与えるの旧字)
奠(典)
緇素(しそ。僧俗)
一宇(一棟、1軒)


( つづく )

 

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