ブログ村に参加してます!ぽちっとお願いします

*このブログについて

  • amebloにもサイトがあります。 そちらに載せる時に加筆したもの(後に分かったこと)を、改訂版として再びこちらへUPしている記事もあります。
2022年12月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

amebloリンク

無料ブログはココログ

☆ブログからの引用などについて☆

  • このブログの考察、写真、イラスト、考察などは、管理人に著作権があります。無断転載は御遠慮ください。

« 楯崎神社 ~伝承の真実 その5~ 大己貴命と宗像姫の項 考察 | トップページ | 楯崎神社 ~伝承の真実 その7~ 神功皇后の項 考察 »

2021年4月14日 (水)

楯崎神社 ~伝承の真実 その6~ 宗像姫 考察

その3の宗像姫の項、解説と考察。

(大意)

宗像三女神は、天照大神と素戔嗚尊の誓いの後、生まれた御子。
すなわち、田心姫神は沖津宮、湍津姫命は中津宮、市杵島姫命は辺津宮、の三カ所に鎮座して、今も昔も国家を守る大神。
旧事紀には、素戔嗚命の御子の大己貴命は、まず沖津宮の田心姫神を娶りて、一男一女の味鉏高彦根、下照姫命を生む。

次に辺津宮の高津姫を娶りて一男一女の、味歯八重事代主神、高照光姫大神命を生む。
(*1)味歯八重事代主神は八尋の熊鰐(やひろのくまわに)となり、三島溝杭女(玉依姫=玉櫛姫または櫛玉姫)の所に通って一男一女児を生む。
生まれた子が、天日方奇日方命。
この命、橿原朝の時代、食国大夫となってお供に加わる。   
六世の孫阿田賀田須命は、宗像朝臣等の遠い祖先である。

この神山(楯崎神社の裏山?)の険しい峰の上、草木が盛んに生えている楯板、石となって存在している。
面の横幅0.6m、高さ1.5m。
削って作り上げたように険しくそそり立ち、東方を向いている。
三方向に石壁を築き、これを取り囲む。
土地の人はこれを敬い、よく山に登る者がいる。

社の後ろに岩の窟(穴)がある。
方約0.6m、深さ約3.6m。
神霊のおられる窟である。

西は海岸に面していて、極めて高く切り立った険しい崖が、大海原を望み、人の感情を思うままにし、眼下のいわおの険しさ、異様な状態である。
もし夕方に(見れば)、切り立ったような崖に潮水がそそぎ、荒波絶壁を打ち付けて、怒ってるように見え、神を驚かし、魂を消し、人を騒がす所、風雅を愛する人が好む所、楯石崎はこの地である。


                    *

宗像三神とその夫神(大己貴命)について書かれてあります。

宗像三神の内、田心姫神は沖津宮、湍津姫命は中津宮、市杵島姫命は辺津宮 にそれぞれ鎮座。
旧事紀には(と前置きしてあり)

スサノオの御子、大己貴命は、まず、田心姫神夫婦となり、味鉏高彦根、下照姫命を生む。

大己貴命は三輪山の大物主神です。

次に、辺津宮の高津姫を娶りて、八重事代主神、高照光姫大神命を生む。

この高津姫は辺津宮の神なので、市杵島姫命です。
ここでも、大己貴命(大物主神)と、市杵島姫命が夫婦です。

*詳しく「何故か」を知りたい方はリンクへ ↓

(「饒速日命を求めて ⑳ 終章 ~御炊屋姫と市杵島姫命と神功皇后~」)
(「神功皇后の伝承地 10 ~織姫と市杵島姫と神功皇后~」)



八重事代主神は八尋の熊鰐(やひろのくまわに)となり、三島溝杭女(玉依姫=玉櫛姫または櫛玉姫)の所に通って一男一女児を生む。

八尋熊鰐=事代主神ですが、大物主神(大己貴命)自身でもあります。
(「日本の真相 23 ~勢夜陀多良比売~」)

  神武天皇の妃は、五十鈴媛命。
  彼女の母は玉櫛姫、父は事代主とも言われ、
  古事記では大物主ともされています。

  玉櫛姫とは、櫛甕玉比古とも呼ばれる神と夫婦になったという御炊屋(ミカシヤ)姫のこと。

  奈良の櫛玉比女命神社
  には、櫛玉比女命として祀られています。

  櫛玉饒速日命(くしたまにぎはやひのみこと)の妃、御炊屋姫(みかしやひめ)です。

また、三島の神は、布留御魂神でもある饒速日命でもあり、三島溝杭女とはその后、御炊屋姫のことです。
事代主神が饒速日命ならば、一致します。
(事代主神などは、書かれる場所によって、変えられることはあるかも。子の立場であったりと)

生まれた子が、天日方奇日方命。
この命、橿原朝の時代、食国大夫となってお供に加わる。
六世の孫阿田賀田須命は、宗像朝臣等の遠い祖先である 。

 御食国は、(みつけくに)と読まれます。
同じ読みの御膳津(みけつ)神は、天照大神の神饌を用意したという豊受大神のことですが、
ここでは神(の存在に近い者)の側に「仕える者」の意味で使われているのかもしれません。

天日方奇日方命 が 、饒速日命と御炊屋姫の子ならば、神武天皇と夫婦になったという五十鈴媛命
「橿原朝」とは、神武天皇の時代を指すものなのかもしれません。

(ただし、私自身、神武天皇が存在していたかどうかは分かりません)


<宗像三神>

宗像社記にはこう記されてある。
宗像大神が異賊に対して、最初の合戦地に御楯(砦か?)を築いた場所を「楯崎」とした。
その御楯は、石となって今も存在する。
(宗像大神)軍が勝った。
鼓を打った島が鼓島と言われるようになった。
その鼓は、石となって今も存在する。

宗像大神が、異賊と戦って勝利したことが書かれてあります。
その3)にあった、大己貴命と宗像姫が神軍を率いてならば、共に戦ったのは大己貴命です。

それは、大己貴命=大物主命=事代主神=饒速日命。
また、宗像姫=市杵島姫命=玉櫛姫=御炊屋姫。


この「楯崎」とは、御楯を築いた場所。
「鼓島」とは、鼓を打った島。

鼓島は、この楯崎神社がある渡半島の北にある小さな島です。

鼓島や楯崎の名の由来になったのは、大己貴命と宗像姫の異賊との戦いでした。

彼らが、饒速日命とその后、御炊屋姫ならば、この地で戦ったことになります。



楯崎神社は渡半島の津屋碕という地にありますが、ここに「波折神社」があります。
ここも神功皇后の伝承地です。この神社の伝承も、この楯崎神社と繋がります。
後に記します。



その2は、序文と大己貴命の項
その3に宗像姫の項
その4に神功皇后の項

その5~7に大意と考察します。
順番入れ替えました。

( つづく )

 

ブログ村に参加しています。
ぽちっとお願いいたします。

にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ

 

« 楯崎神社 ~伝承の真実 その5~ 大己貴命と宗像姫の項 考察 | トップページ | 楯崎神社 ~伝承の真実 その7~ 神功皇后の項 考察 »

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« 楯崎神社 ~伝承の真実 その5~ 大己貴命と宗像姫の項 考察 | トップページ | 楯崎神社 ~伝承の真実 その7~ 神功皇后の項 考察 »