波折神社*住吉神と瀬織津姫
その後、波折神社へ
楯崎神社がある渡半島から車で5分。
ここには、瀬織津姫と住吉大神の伝承がありました。
ご祭神は、瀬織津大神、住吉大神、志賀大神。
神功皇后の新羅を遠征して凱陣した時、この三神が鼓島に現れた。
皇后は「宮之本」という地に神垣を造り祭祀した。
とあります。
志賀大神は住吉神と同じ神(高良玉垂宮神秘書)です。
神功皇后が、「彼ら」と鼓島で会ったことが記されています。
楯崎神社の伝承にあったのは、この神です。
大己貴神と宗像大神が「夷の類(いのるい)」と戦ったとありました。
大己貴神が住吉大神であり、
宗像大神(市杵島姫命)が瀬織津姫です。
奈良の社にもありました。
三輪の神、大己貴神と市杵島姫命は夫婦です。
高良の伝承では、神功皇后の前に現れたのは、住吉大神(高良神=大己貴神)でした。
以後、夫婦になり、共に「ヰルイ(異類、鬼)」を倒します。
(神功皇后の鬼退治はここからです)
宗像大神であり、瀬織津姫は、神功皇后(とされている者)です。
だから、神功皇后は大己貴神の伝承の先々に現れている(ように見える)のです。
共に行動していたのですから。
二人は夫婦であり、本当は同じ時代に生きていました。
時代を変えられているのか、誰かと一緒くたにされてるのか、名前を変えられています。
でも、そうだと分かると、みんな繋がるんですよ。
本当のことが知りたい。
ただ、それだけです。
薬師岳へ
楯崎神社には伝承があります。
まだ国土も荒れている頃、大己貴命(大国主、饒速日命)とその妃の宗像姫(市杵島姫命)たちは、「夷の類(妖、怪異)」を鎮めるため戦いました。
その時の盾が石になり、ここにあります。
その時の鼓が石になり、鼓島にあります。
京泊の浜
神功皇后の船軍が停泊した浜。
鼓石
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