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2021年12月31日 (金)

御炊屋姫を追って ⑫ ~天照大神と豊受大神~

伊勢の下宮の神は、籠神社から呼び寄せた(勧請した)月神。
(外宮の神は豊受大神)

しかし、籠神社の月神は、御祭神の天火明命。

籠神社の伝承にも、月神、天火明命として登場します。

彼は、饒速日命。
天照国照彦天火明櫛玉饒速日命。

彼こそ、内宮の天照大神。
(日月の神・日月神事の神でもある)。
後の世に、天照神が女神とされた時、内宮と外宮の神が入れ替わったのです。
(表面上。あくまでも内宮が饒速日命)

☆籠神社には天火明命と豊受大神が祀られている。

伊勢の内宮の神が「独り身だと寂しい」からと呼び寄せたのが、籠神社の豊受大神。
もとは、籠神社で二柱で祀られていたのだから、「引き離されて寂しい」と、片割れを呼び寄せたのです。

ならば、内宮に元々いたのは豊受神ではない、ということになる。(下記リンクより)

(「二つの伝承 9 ~日の神 と 月の神~)

外宮の神が、籠神社のもう一柱の豊受大神であり、市杵島姫命(宗像神)
(籠神社には、市杵島姫命と饒速日命が夫婦だとされてます。(絵馬に描かれてある))

彼女こそ、天照大神の后、御炊屋姫であり、瀬織津姫です。
織姫→瀬織津姫

(「「儺の国の星」 ~炊屋星~ミカシヤ姫の名の意味」)

 

このどちらかの神が祀られる所、必ずもう一柱が祀られていました。
彼らは夫婦神であり、すべて、天照大神と豊受大神である、饒速日命と御炊屋姫なのです。
この二柱が揃ってこその、天照大神なのです。

社に配列(または摂社)の神々の名をよく見てください。
必ずそうなっています。
ただ、意味もなく配列されてるわけではないのです。

伊勢
内宮・天照大神
下宮・豊受大神

大神神社
本殿・大物主神
御炊社・御膳津神(豊受大神)

籠神社
本殿・天火明命
相殿・豊受大神

廣瀬大社
本殿・豊受大神(宇迦之御魂神)
相殿・櫛玉彦・穂雷神(武御雷=饒速日)

高良大社
本殿・高良玉垂神、住吉大神、八幡大神
本殿内摂社・豊比咩社
摂社・厳島神社(市杵島姫命)(御手洗池の側)

宇佐神宮
一之御殿・八幡大神
二之御殿・比売大神(宗像三神)
三之御殿・神功皇后

住吉大社
第一本宮・底筒男神
第二本宮・中筒男神
第三本宮・表筒男神
第四本宮・息長足姫命(神功皇后)

(これはほんの一部)

*八幡大神は、神功皇后の御子、応神天皇。
神(伝承)としては、父親と子が一緒くたになっている。
*住吉三神、宗像三神は、元はそれぞれ一柱の神。

☆天照大神=饒速日命=大物主神=天火明命=櫛玉彦=穂雷神=高良玉垂神=住吉大神=八幡大神など

☆豊受大神=宇迦之御魂神=市杵島姫命=豊比咩大神など

 

宇佐神宮などに、比売大神として祀られる宗像三女神は市杵島姫命であり、神功皇后。

宗像三女神=市杵島姫命=神功皇后=御炊屋姫

由来が分からず、姫大神、玉依姫と名がついているのは、全て彼女です。
玉依姫は、「神の魂の依り代(声を聴く)」、巫女の意味。

(「「古代史の謎」 4 ~豊受大神は神功皇后~)

そうか、書いてて気づいた、当たり前だけど。
このどちらかの名が社に記されている時は、
他の祭神は、必ずもう一方の
「天照神、豊受神(饒速日命と御炊屋姫)」
なんだ。

 

誤解のないのように申しますと、
「天照大神は女神」
それは「偽り」ではありません。

<神は人の祈りにより存在するもの>

今までそう祈られて来た天照大神は、彼女でもあるのです。

 

ただ、宇宙神霊ARIONが言っていた「岩戸を開ける」の意味は、
隠されて来た本来の天照神、饒速日命を1人でも多くの人が認識することだと感じてます。


「岩戸を開ける」
それが地球の希望になるそうです。

彼は「国の大事の時、再び現れる」と約束されている住吉神なのですから。

 

御炊屋姫は、市杵島姫命です。
宗像大神であり、北部九州の神。

これはこのシリーズの前の方にも書きました。

彼女は饒速日命と大和(奈良)で出会い夫婦となり、その後、北部九州へと移動したのです。
それから先の神話が神功皇后として伝えられていたのでした。

彼女は住吉神(饒速日命)と、夫婦だと伝承にあります。

(分かりやすく改訂)

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