神の鉾 4 ~天照の分御魂(わけみたま)~(改訂版)
伊野天照皇大神宮にあった鉾。
御祭神は天照大神。
本来、天照は女神では無かったのです。
そこにあった鉾は、「神の鉾 1」で感じた「国平・大国主神」の鉾(を象徴している)。
では、天照大神が、大国主神なのか?
大国主は、大物主であり、三輪の神、饒速日命に繋がる。
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「神の鉾 2」では、「神の鉾」繋がりから、「高良玉垂宮神秘書」へ。
神秘書(伝承の中で)の鉾は、住吉大明神と住吉三神の物でした。
四柱の内、高良大社の御祭神は、<住吉の底筒男神>。
又の名を、安曇磯良神。
「神の鉾 3」では、安曇磯良神の名から、
安曇氏との関わる出雲の神、海の神、
イソノカミの名から「石上」へ。
石上神宮の御祭神、布留神へと繋がりました。
それは、星神を意味する名。
饒速日命です。
ここでも、彼に繋がりました。
では、伊野の天照大神と、大国主神と、饒速日命は同神なのか。
ならば、あの鉾は「饒速日命」のものです。
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< 高良大社の神 >
高良大社の御祭神、安曇磯良(アントンイソラ)神とは何者なのか。
その姿を、深く探ります。
磯良神は大和で40万年、ひたちで40万年、勝馬(かつま、志賀島)で40万年過ごされた神。
綾杉るなさんのブログ<高良大社 (高良玉垂宮) (Ⅱ)> (「ひもろぎ逍遥」より引用)
磯良神は、大和と、ひたちと、勝馬(福岡の志賀島)におられた神。
*志賀島には志賀海神社があり、海津見三神が祀られている。
その記述に思い当たる一柱の神がいます。
奈良の春日大社の武甕槌(タケミカヅチ)神。
武甕槌神は、常陸(ひたち)の鹿島神宮から勧請されている。
その武甕槌神は、建御雷神と同じ神様。
「国譲り」で活躍する神です。
(追記 「儺の国の星」の著者、真鍋氏の先祖は物部氏であり、鹿島神宮の神官を代々していた。
鹿島神宮と物部氏の繋がりが見えます。*物部の祖神は饒速日命。)
「神の鉾 1」の最初に、彼の神は出てきました。
崇神天皇の時、国平大神(大国主)と建御雷男命は
同殿同床では畏れ多いので分けるようにと言われています。
建御雷神は、大国主が「国譲り」をした相手。
だから同じ神殿ではいけないだろうと、「後の世」の人が分けたのです。
ですが、元々は同じ神社に祀られてあった。
これは、同じ神だからです。
(社に配列されてあるのは、ほとんどが同神)
さらに、
神功皇后の時、皇太子品陀和氣命が来て、
国平の鉾は「倭」に遷すと言って持って帰った
という記述。
*品陀和氣(ほんだわけ)命は、神功皇后の御子、応神天皇のこと。
「鉾」は、国平大神、すなわち大国主の物です。
大国主神の和魂は、大物主神。
同じ神です。
大物主神は、奈良の三輪山の神である饒速日命。
饒速日命は、神武天皇に大和の国(奈良)を国譲りしたと、神話にはあります。
(実際には神武天皇への国譲りはなかった)
大国主神の伝承と重なります。
☆磯良神は、ひたちの神・武甕槌(建御雷)神であり、春日神。
☆「国譲り」をした、国平大神(大国主)と建御雷男命は同神(同じ社に祀られていた)。
☆大国主神は、大物主神。
☆大物主神は別名、倭大物主櫛甕玉彦(やまとのおおものぬしくしみかたまのひこ)。
☆櫛甕玉彦は、饒速日命。
☆饒速日命は、神武天皇に「国譲りをした」。(神話)
☆高良大社は物部氏の祖神(饒速日命)を祀る。
高良(安曇磯良)神=住吉神=武甕槌神=春日神=大国主神=大物主神=饒速日命。
饒速日命は、物部の祖神。
そうか!
「荒魂」である大国主神は、武甕槌神と国譲りをしています。
「和魂」である、大物主神の饒速日命は、神武天皇と国譲りを。
同じ者(饒速日命)の伝承を、別の表現にしているのです。
(しかも、武甕槌(常陸の)神は、饒速日命自身)
< 饒速日命は天照大神 >
彼の別名に、天照国照彦天火明櫛玉饒速日命があります。
真の天照大神。
女神・天照の二つの名に共通するのは、「天(日の)神ではなく、神を斎き祀る者」だということ。
このような名は、彼にはありません。
☆撞賢木厳御魂(つきさかきいつのみたま)
☆天疎向津姫命(あまさかるむかつひめみこと)
(詳細は下のリンク)
饒速日命が大物主神であり、天照大神ならば、
彼と、大物主神の荒魂である、大国主神は同神なのです。
すなわち、「神(伊野)の鉾」とは、天照大神である饒速日命のもの。
饒速日命は、彼を祀っていた一族が地方へ散らばり、
その一族の名や、土地の名や、職業の神として、
様々な名に変えられていきました。
元は一柱の神だったのです。
これが<分御魂(わけみたま)>
ほとんどの神は、天照大神の分霊です。
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磯良神は、饒速日命に繋がりました。
ならば、住吉(底筒男)神であり月神である、
高良大社の御祭神の高良玉垂神は、饒速日命・・・。
それは、腑に落ちるのです。
痛いほどよく分かる。
でも、一つ疑問がありました。
高良神(磯良神・住吉神)は、神秘書や伝承の中で、
常に「神功皇后」と行動を共にしているのです。
(*住吉大社に伝わる伝承でも、「住吉神と神功皇后は夫婦」とされています。)
「彼」が饒速日命、本人ならば、時代が違うだろう?
それを次の回から探ります。
( つづく )
(ココログ 2017/12/01の記事 分かりやすいように大幅改訂)
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