神の鉾 3 ~安曇磯良神~(改訂版)
「神の鉾 2 ~高良玉垂宮神秘書~」の続きになります。
その「神の鉾」は誰のものか?
それには、神秘書に書かれている「安曇磯良神」のことを記さねばなりません。
彼は、高良大社の御祭神です。
以前、神職さんから直接お聞きしました(詳細は「神の鉾 6」にて)
つまり、高良玉垂神は、安曇磯良神であり、(住吉三神の)底筒男神でもあるのです。
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その「安曇磯良神」が登場する神楽があります。
式志神社の磯良舞のあらすじに気になるものがありました。
綾杉るなさんが、書かれています。
<高良大社 (高良玉垂宮) (Ⅱ)> (「ひもろぎ逍遥」より引用)
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磯良舞 (いそらまい) ( 武内神 豊姫神 磯良神 海神 )
神功皇后らが新羅へ進軍する時のお話です。
48艘の船団でいよいよ新羅へ。
その時、武内神が干珠満珠を貰い受けようとしました。
磯良神は大和で40万年、ひたちで40万年、勝馬(かつま、志賀島)で40万年過ごされた神。
いそら神が干珠満珠を海神のところに行って、貰おうとするが、
なかなかもらえず、豊姫が代わりに海神の所に行く。
すると海神は「神楽を舞うならば、授けよう」と言う。豊姫は神楽を舞い、海神から干珠満珠を授かる。
豊姫はそれを武内神に渡す。
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場面は、前回の「神の鉾 2」の神功皇后が四王寺山で祈って、
住吉神と、月神(底筒男神)と、日神(表筒男神)が現れ、
大将軍や副将軍となり、力になる約束をした後の話です。
三韓へ出兵する時がきました。
当時の博多湾には、常時、新羅が攻めてきていたという話もあり、
「海の向こうの豊かな国を手に入れよ」という記紀の記述とは、
少し違うような気もします。(←後に新羅とは別の話だと分かる)
ここには様々なヒントがありました。
☆干珠満珠(海神のもの)
☆磯良神の遍歴。
☆四柱が関わること。
(神功皇后、磯良神、豊姫、武内神(武内宿禰)
< 高良神の安曇磯良神とは >
高良大社の御祭神=高良玉垂神=住吉(底筒男)神=安曇磯良神。
安曇磯良(アントンイソラ)神の名から分かることがあります。
安曇族との関わり。
彼らと出雲族はもともと同じ海を渡る一族でした。
「儺の国の星」には
<安曇氏・阿曇氏のあづみは、ワタツミノカミの「ワタツミ」がつまったもの>とあります。
綿津見神・少童神・海津見神などは、同じワタツミノカミ。
それぞれの一族が、神の名を替え祀ったのです。
ならば、磯良神は出雲族の神。
< 磯良の名 >
磯良神、イソラカミ。
「ラ」は、古語で光、神を意味します。
であれば、イソノカミ。
石上?
「儺の国の星」にありました。
谷神(こくしん)を倭人は石上と書き"いそのかみ"と訓じてきた。
磯神(いそのかみ)が砂鉄を掬って炭とまぜて鉄を求めた仕事は黒に生まれ、
黒を育てて黒を成す過程にほかならなかったのである。
鉄を"ふるみたま"と言う。
暗黒の宇宙の色をそのまま復元した姿であった。
(「儺の国の星」より)
ここに「磯神(いそのかみ)」の名があります。
磯は石(でできている)。
石は星(古語で石と星は同義語)。
ふるみたまとは、布留御霊。
布留(ふる)とは、隕鉄(隕石からとれた鉄)、また、それからできた剣。
故に布留神は星神(でもある)。
彼は、奈良の石上神宮の御祭神。
布留神とは、饒速日命です。
高良玉垂宮神秘書にある、磯良神は饒速日命ではないのか?
饒速日命の伝承は、この一帯、筑紫(福岡)辺りに広く残されているのです。
*後に知ります。
高良大社は、物部氏の祖神を祀る社でした。
物部氏の祖神は饒速日命。
「儺の国の星」の著者、真鍋大覚氏は、物部の末裔です。
それは那珂川に古来より伝わる、星の名の本。
この本が繋いでくれる、遥かな過去と今。
それは、物部が大切に紡いできた贈り物でした。
物部に導かれるように、過去が解き明かされます。
かの本に書かれていることと、私のわずかな記憶。
それが重なる時、パズルのピースがはまるのです。
( つづく )
*「神の鉾 3」は、2017年11月29日の
の続きになります。
amebloでココログとほぼ同じ内容で書いてます。
後に分かったことなどを書き足す内に、改訂しないと後に続かなくなりました^^;
以降、amebloの記事からの転載です。
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